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弘安の役 海洋帝国の逆襲

 

 〈帝国〉の大型船の上に一人の女性がいた。


 彼女はただぼんやりと大海原を眺めている。


 名は貂鈴(ちょう りん)、元は南宋の貴族の娘だった。

 彼女は物心がついた頃から美しい女性になると囃し立てられ、その通り美しくも儚げな少女へと成長した。

 十五になるころ〈帝国〉による大規模侵攻を受けて瞬く間に首都が陥落した。

 彼女の両親は他の貴族たちと同じようにすぐに降伏し、〈帝国〉への恭順を誓った。


 そして自分たちの暮らしを守るために〈帝国〉貴族に娘を、彼女を売ってしまった。


 その貴族たちは貴族たちで美しい娘を売ることで自分たちの地位の向上を目論んだ。

 一切穢れることもなく、たらい回しにされた挙句に今は〈島国〉遠征軍の船上にいる。


「あ~ら貂じゃない。仕事もしないで、いい身分だね」

「いえ、そういう訳では……ありません」

「なーに言い訳してるのよ。ろくに働かない愚図が!」

「そうよそうよ。たまたまアラテムル様の目に適っただけで調子に乗らないでよね」



 〈帝国〉の貴族や将軍たちは妻子を戦場に連れていくのが慣例となっていた。

 しかしアラテムルは敵である〈島国〉の凶悪さを目の前で見ていたので代わりに美女を何人も侍らせてきていた。


 貂鈴(ちょう りん)もそのうちの一人だった。


 その美女軍団の中でまるで後宮のような女同士の醜い争いが起きていた。

 貂鈴(ちょう りん)はその争いの中心人物の一人に目をつけられて、日々いびられていた。

「ふんっ男どもと混じって掃除でもしてな!」

「きゃっ……」


「キャハハハハハ、いい気味」

「さ、行くわよ」

「はい御姉様」


 水をかけられずぶ濡れになった貂鈴(ちょう りん)は大海原をぼんやり眺めながら、また服が乾くのを待った。


「ううん、めげてはダメよ貂鈴。〈島国〉に着いてから逃げ出すの。それまでは耐え続ける……そう耐えるのよ」


 彼女は〈帝国〉から逃げ出そうと考えていた。

 普通に逃げれば周辺諸国の恨みと憎しみの対象となり嬲り殺されると噂になっている。

 そして途中で捕まれば、どれほどひどい仕打ちが待っているか分からない。

 だから彼女は戦乱に紛れて〈島国〉へ逃れるつもりでいた。


 彼女の両親が〈島国〉との貿易をしていたので唐人町に居る知人に会えれば何とかなるはず――それが彼女の杜撰で愚かな、それでいて唯一の希望に近いたくらみだった。




 その彼女の前を何隻もの巨大な船が通る。

 出航の時は近い、貂鈴(ちょう りん)もそれを感じ取った。





 ――数日後。





 1281年5月22日(弘安四年五月三日)。

 ――半島の〈王国〉、その最南端にして最前線の軍港合浦(がっぽ)


 そこに東路軍と呼ばれる軍およそ五万が駐留する。


 七年前もこの地から大船団が集結して出航した。


 今回はその軍だけでなく、その家族、さらには金稼ぎに抜け目のない商人らが集まることでまるで大都市かのように賑わっている。


 人だけではない、物も大量に集まっている。


 兵站基地には侵略のための膨大な物資が山積みとなっている。


 そして軍船にそれら物資の積み込み作業が連日行われていた。


 その軍船の数はおよそ九百隻――そして積み荷の小中の船が大型船一隻につき一、二隻ついている。


 それでも全軍のおよそ三割でしかない。


 この戦争のために江南軍という旧南宋の主力軍約十万が編成中であり、この東路軍は先遣部隊でしかなかった。


 まさに中世最大の海洋帝国である。


 その大軍を間近で見ていた僧侶は鼓声が大海原に響き渡り、掲げられた旗が雲のように空を覆うのを見て確信した。


『〈帝国〉軍は一撃の下に〈島国〉の賊徒を打ち破るだろう』



 その空前の大兵団の()()()が出航した。













 ――6月9日(五月二十一日)。


 博多湾。


 東路軍は十八日の航海を経て博多に襲来した。


「ふふふ、前回と違い石垣が作られていますね」

 大将軍であるクドゥンが博多の防備につく武士たちを見ながらつぶやく。


 隣にいる王某はクドゥンに伺った。

「多少兵はいますが予想通り、博多は手薄です。攻めますか?」


 〈帝国〉は七年前に見つけた誰にも悟られずに合浦から直接博多まで進める航路を使って一気に博多まで来たのだった。

 虚を突いてこのまま攻め落とす――〈島国〉が普通の敵で、〈帝国〉が凡庸な武将ならそうするだろう。


「ふふ、そんな無謀な事をしたら将兵がいくらいても足りません」

「そうですね。我が愚問お許しください」



 しかし彼らは知っている。武士が勇猛果敢な戦士であり、その本質が騎兵殺しに長けた戦闘集団ということを。

 だからこそ〈島国〉側の「弱点」を突く戦術を七年かけて考案した。



 船上に将校を集めてクドゥンが開戦前の演説をする。


「さて我々の目的は彼ら〈島国〉側の戦力をこの博多に引き付けることです」

「ハッ!」

「我らがこの地で戦えば、対馬、壱岐島に駐留する軍と、そして分散しているほぼすべての兵がここに来るでしょう。そうなれば第二群が各島を攻め落とすことができます」


「オオッ!」


「我々は目立たなければなりません。この内海を渡るすべての敵を、あの細い陸路から突撃してくるすべての敵を。殺して殺して殺し尽くすのです」


「オオッ! オオッ! オオッ!」


 そうすることによって合浦から壱岐島経由の補給線が容易に確保できる。

 これはすべての将校たちが出航前に聞かされていたことだ。


「これから目の前の島――志賀島を奪います。そこで康彦(カン イェン)将軍、康師子(カン シズ)将軍あなた達二人に初戦を任せます」


「ハハァ、敵は少数、容易く屠ってみせましょう!」

「我が武功とくとご覧ください」


 上陸作戦という非常に重要な戦いにおいて、もっとも重要なのが死を恐れない精強な兵と、彼らと硬い信頼で結ばれた勇敢な武将になる。


 康彦は前線で敵の矢を叩き落とす槍の名人であり、康師子はその弓で前線に穴をあける弓の名手となる。

 騎兵が意味をなさない〈島国〉攻略のために歩兵弓兵の中でも武勇で名を上げた二人を抜擢したのだ。


「素晴らしい。しかし相手はあの〈島国〉の強敵たち、決して見くびってはいけません」


「ハハッ!」「御意です」


 この二人の将軍を中心に上陸部隊千名が志賀島へと攻め込んだ。


 千の兵が咆哮をあげて突撃する。


 数百の矢が武士たちを捕らえて射抜いていく。


 志賀島上陸戦は熾烈を極め防衛側の武士たちは孤軍奮闘のすえ全滅した。



 ――だが、タダで死ぬほど安くないのが武士である。



 康彦(カン イェン)将軍、康師子(カン シズ)将軍はともに上陸戦で討死した。


 たった数十人の守人にもかかわらず、的確に将軍を見分けて突撃をし、その首をとったのである。



 王某はやはり〈島国〉の武士は異常だと感じた。

 普通なら寡兵で攻めずに後ろに下がり、そして味方と合流してから戦う。

 それに対して彼らには撤退や後退という言葉が存在しないかのように攻め込んでくる。


「……しかし予想通りですね」と王某がつぶやいた。

「ええ、彼らは死を恐れない。だから彼らは必ず奪われた志賀島を奪い返すために死力を尽くすでしょう」

「その無謀ともいえる彼らの気質を利用して志賀島で撃退するのですね」


 志賀島は独特な地形となっている。


 周囲を海に囲まれながらも一本の細い陸路でつながっている。


 そうなると垣楯弓兵と重装弓騎兵の混成軍である武士団は必ず狭い陸路を通って攻めて来ると確信した。


「彼らは陸戦は強い、ですが船は未熟で海戦の心得がまるで無い」

「ええ、その通りです。だからこそ我々は彼らに勝てるこの場所で戦うのです」



 七年前の再現。



 今度は志賀島に城を築いて、攻め入るすべての武士をことごとく皆殺しにする。

 彼らはそのために先ず博多湾に来たのだ。







「――ところであの石垣をどう見ますか?」

「石垣ですか、距離があるので正確にはわかりませんが――万里の長城や函谷関よりかは攻略が楽だと思います――ただし地続きだったらですね」


「その通りです。地続きならば迂回侵攻など手はいくらでもあるでしょう。しかし浜に近いとなると、こちらの手は限られます。上陸戦は控えたほうがいいですね」


「たしかにそうですね」



 ――七年。


 この長いようで短い戦間期に相手も打てるだけの手を打ってきたのだと理解する。



「小賢しいですが、事前に知っていたことなので問題はありません」

「んふふ、そうですね。それではこの島に立派な城を築きましょう」

「ハッ! 全兵死力を尽くして城を築け!」


「ハハッ! 全員作業開始だ!」

「オオッ!」


 こうして〈帝国〉工兵部隊による昼夜を問わない築城作業が始まった。






 ――合浦、軍港。



「…………あれ、まだ出航しないの?」

 貂鈴(ちょう りん)はそわそわしながら口をもらした。


 アラテムル率いる第二群はこの五日後の二十六日にもぬけの殻となった対馬、壱岐島を攻略するために出陣する。


通説は弱い武士、七年で対策→帝国を撃退! という流れです。

しかし本作品では力関係が逆転しているので強敵への対策をしてるのは帝国になります。


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