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帝国 無敵の金方慶


 ――筑前国、博多湾。


 クドゥンの撤退の決断は包囲失敗からほどなく決まった。


 午後になると兵が増えていると錯覚させるための偽装旗が増えていき、代わりに主力の兵たちは徐々に減っていった。


「王将軍! 三翼軍が撤退を拒否してきました!」

「なんだと!? 理由は何と言っていた」

「いえ、それが……その……」

「ああ、すまない。私がでよう」


 伝令兵では言語の壁によって細かい理由を伺うことができなかった。

 仕方なく王某(おう ぼう)自身が向かうことになった。







 愛宕山に陣取る三翼軍の兵装を見て王某(おう ぼう)は愕然とする。


「何だこれは!? 布と皮の鎧ではないか、指示した綿襖甲(めんおうこう)はどうしたのだ!!」

「めんお……なんじゃいそりゃ?」


 ガラの悪い男たちが聞いたことがないという顔をしながら座り込んでいる。


 遠征に参加した諸国の軍団は見た目は綿襖甲(めんおうこう)に近いが実際は似ても似つかない別物だった。


 王某はそのまま矢の治療をしている金方慶(きん ほうけい)の所に行った。


「金方慶将軍、これはどういうことですか!」

「王某か、急に怒鳴り込むとは何様のつもりだ?」


 属国とは言え格で言えば金方慶の方が上になる。

 王某は怒りをこらえながら問い詰める。


「……失礼しました。しかし金将軍、私は敵の武器に合わせて綿襖甲を手配したはず、なぜそれとは別物なのでしょうか?」

「我が国は何十年もどこかの〈帝国〉に蹂躙された貧しい小国。どれほど重税を課して搾り取っても九百の軍船に、八千の鎧を作ることはできない。ただそれだけの話よ」

「それならば――!」


 ――それならば、事前に報告しさえすれば上陸計画の修正をするだけだ!

 そう言いかけたその時。


「おやおや、うちの千人隊長はなかなかの激情家なのですね」

「――っ!? クドゥン将軍!」

「金方慶め、またやらかしたようだな」

「ちっ洪茶丘……売国奴風情が……」


「まあまあ、皆さん熱くならずにここは軍議を開いて話し合いで解決しましょう」



 戦場は完全に硬直し最低限の将校を配置して残りの〈帝国〉将校たちが集まってきた。

 対して三翼軍も負けじとほぼすべての将校を浜辺に集めた。


 撤退を主張するクドゥンたち、翌日も徹底抗戦を主張する金方慶。




 殺伐とした雰囲気の中、ここに姫浜軍議の始まりとなった。










「残念ながら劉復亨さんは怪我が酷いので欠席となります」


 今回の遠征軍の二人いる副将の片割れ劉復亨が討たれた。

 王某が翻訳するとその情報に三翼軍側の将官たちが動揺する。


「ふん、それを理由に撤退と言われても納得できん」と金方慶きん ほうけいがいう。

「んふふふ、私は別に戦の勝ち負けにはこだわりませんからね。それより撤退したほうがいいのなら撤退すべきですよ」

「逃げるなどあり得ない!」「そもそも我々は負けていない!」「このハゲ……」「王にどのように報告しろと!!」

 三翼軍の武官から批判が出る。


 王某は三翼軍の不甲斐なさを棚に上げてなぜ批判できるのかと憤りを感じた。

 他国だからと遠慮する必要はない。


 怒りの形相の王某の肩を引き、副将である洪茶丘が前に出た。そして――。


「何が納得できないだ! 兵たちの装備を見たがアレではたった百騎に返り討ちに遭うのも納得できるわ!!」

「――っ!?」将校たちは副将の大喝に怯む。


「返り討ち? 返り討ちだと!! 貴様は何も見ていないのに勝手な事を抜かすな!! 奴らの矢など我が鎧で受け止めて、刺さった矢を引抜き大喝を浴びせただけで尻尾を巻いて逃げる始末、我らだけでもいや我だけでも奴らを打ち倒せる!!」


 王某は麁原山頂からその光景を見ていた。

 だが大喝で逃げ帰ったのではなく、愛宕山に退避したのを確認してから戻ったようにしか見えなかった。


「何が大喝で追い出せるだ! それならなぜ山にこもって戦おうとしない、寝言は寝て言え!!」

「何だとっ!!」

「やるかっ!!」


 周囲の武官たちもヤジを飛ばし合う。

 そのほとんどが相手が何を言っているのか分からないが、罵倒の単語だけは知らず知らず覚えてしまう。

 意味は分からずとも罵詈雑言が飛び交う。


 本来止める立場である遠征軍副将、東征右副都元帥洪茶丘(こう ちゃきゅう)と遠征軍三翼軍大将、都督使金方慶(きん ほうけい)、この二人が拍車をかける。


 両者が得物に手をかけたその時――。



「黙れ……」


「――っ!!」


 大将軍クドゥンが無表情でつぶやいた。


 普段の笑顔はただそうしたほうが都合がいいからそうしてるだけであり、その本質は冷酷無情の将。

 今、一言でも喋れば例え副将であっても皮袋の計か釜茹の計、なんにせよ激しい拷問の後に捨てられる。


 そう感じ取って皆が黙り込む。

 王某も一切喋らずに黙す。



 ただ、時だけが過ぎた。




「ふふふ、皆さん、我々の敵は身内ではなく〈島国〉の戦士たちですよ」


 いつものにこやかな表情で語り駆けるが、その目には怒りの色を帯びていた。


「それで金方慶さんには何か策はあるのですか?」


「え……あ、うむ。僭越ながら意見させてもらうと兵法に『千里の県軍、その鋒当たるべからず』とあるように、本国よりも遠く離れた敵地に入った軍は、むしろ士気が上がり戦力が上がることになる。これは秦の『焚船』や漢の『背水の陣』の故事とも通じるものがある。再度戦うべきだろう」



 王某おう ぼうは、「そのような兵法あったか?」と疑問に思った。

 金方慶が引用した兵法、正確には「孫子の兵法」を似たように解釈した李左車り さしゃという軍師の逸話になる。


 その李左車も、

『勝利の勢いに乗って遠方まで攻めてくる敵と正面から戦うべきでない』

 と、王に忠告する場面で使っている。



 クドゥンは両軍の認識の差違を正確に見抜いた。

 つまり麁原山を中心に展開した〈帝国〉本軍は鳥飼潟、百道原を含めた麁原包囲戦で終始劣勢と認識。

 三翼軍は上陸した今津から百道原までの陸路で倒した少数の見張りや伝令あるいは漁村の男たち、これらに全て連戦連勝をした上で、突撃してきた騎兵隊を大喝だけで追い払う。



 まさに無敗の三翼軍、まさに無敵の金方慶――という認識だろう。



「ふふふふふふ、孫子の兵法に『小敵の堅は、大敵の擒なり』とあります。少数の兵が()()()()()()に戦ったところで、多数の兵力の前には捕虜にしかなりません。これでは日増しに増える敵軍と対峙する良い策とは言えません。やはりここは撤退するべきです」


 王某おう ぼう含めて麁原で戦った武官は、やはり大将軍は正確に問題を認識していると、内心安堵した。


「むむむ……しかしですぞ、たった一日で逃げ帰ったなど報告したら、王の信頼を失ってしまうのだよ!!」


「………………」

 ならなぜ装備を偽装したと王某は心の中でツッコミを入れた。



「ふっふっふっふ、いやはや〈帝国〉軍人は戦いに慣れていると言えども、三翼軍の働きに比べて何をもって加えることができるでしょうか、素晴らしい! ――あ、今の所を書記官は記載するように」


 そう言って称賛するクドゥン大将軍――と慌てて記載する書記官。

 〈帝国〉では言語の違いから数々の問題が起きていた。

 そこで後々に確認が取れるように書記が記録を取るようにしている。


「……え? はっ!? そ、そうであろう。そうであろう」

「ええ、ええ、素晴らしい、素晴らしい」


 そう言って金方慶きん ほうけいに近づいたクドゥンはそっと耳元で囁く。


「――ですが、我らは東西の山で分離して兵はそろっていません、その中で戦い続けて矢も尽きてきました。今すぐに撤退しなければ貴方の王に敗報を伝えねばなりません。ですからここは……して…………ということでどうでしょう」


「う、ううむ……まあそうだな」


 金方慶はこの時、これは十分すぎる成果なのではと思った。

 ――三翼軍はまだまだ戦えるが今ここで帰っても、公式の記録として讃辞の言葉を得た。

 ――この記録は皇帝陛下にも伝わり、我が王、忠列王様の評価が上がるだろう。



 金方慶はさりげなく片隅に佇むアラテムルのほうに視線をやる。

 彼はニヤリとして肯定した。

 ――王家の血筋を有するあの方が、潮時だと判断した。ならばこれ以上の醜態は不要だろう。


「うむ、そうだな。兵の連携がイマイチだし、矢も大量に使ってしまった。それに劉復亨殿のためにも一度帰還したほうがいいだろうな」



 王某含めて将校たちは皆、安堵した。


 クドゥンだけはその些細な視線に気が付いた。

 彼だけはこの二人がより深いところでつながっていると気付いていた。











 金方慶は祖国の王に忠誠を誓う、だが遠征中は()()()()に忠誠を誓う。

 人質の皇子として〈帝国〉の宮廷に出入りし、同時に母親が〈帝国〉皇女の血筋でもある。


 〈帝国〉貴族アラテムル。




 王が望むなら横領まがいの行為に手を染める。

 アラテムルが望むのなら有利に事が運ぶまでどこまでも醜態をさらす。


 平時には王の庇護下で望みをかなえ、有事には〈帝国〉貴族の下で事を為す。

 二君に仕え、権力者たちに常に守られる無敵の奇将。


 それが金方慶(きん ほうけい)である。









 夕方になり武士団が陣を解いて博多へと戻っていく。


「急げ! 急げ!」

「早くしないと置いてかれるぞ!」


 その機をとらえて一気に兵たちが船へと乗り込んでいった。

 姫浜と百道原には何も残らなかった。




 そして夜闇に紛れて〈帝国〉の船団は出航した。


「灯りをともせ!」


 この暗がりの中を夜目に慣らした水夫が水先案内をする。


 だが、同時に暗中で三百の戦艦が距離を保たなくてはならない。


 そこで風よけのために白い布で松明を覆った行燈のような物を使う。


 無数の淡い光が船団を照らした。


「クドゥン将軍! 街に火の手が上がっています!!」

「おや、失火でしょうか?」


 赤々と燃える筥崎宮の町。


「将軍の策ではないのですか?」

「ん~、考えはしましたが労力のわりに成功率は低いですからね」

「……たしかに難しいですね」


 博多湾はどこからでもその全容を一望できる。

 そうなると少数による玉砕覚悟の放火というのは基本的に考えられない。

 浜に着く前に発見され、あの騎馬隊が大挙して待ち構える。


 それをかいくぐって放火など無理筋というものだ。


 〈帝国〉は偶然の幸運にも助けられ、炎上する炎に照らされながら博多湾を無事出航した。






















 ――博多湾を一望できる某所。


 そこに一人の僧侶がいた。

 彼は寺院が異教徒に荒らされていないか確認に来たのだった。


 彼は見た。


 赤々と燃える筥崎宮。

 その光が博多湾に不可思議な火の手として浮かび上がる。

 そして、そこから淡く光る白い布の一団が海上を移動している。


 僧侶はその出来事を一心不乱に紙に書き留める。


 それは二十一日、深夜の出来事だった。

李左車という謎の人物は李牧という昔の軍師の孫と言われている人物です。

キングでダムなあの作品で有名ですね。

馬鹿な! あの李牧に嫁だと!?

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