帝国 苦労人 王某
残酷な描写があるので注意してください。
またここから数話は帝国サイドの話となります。
話の流れは同じなのでダイジェストかつ敵将の紹介編になります。
文永の役の半年前。
〈帝国〉東方遠征軍――執務室。
「ヒンドゥー将軍、王千人隊長をお連れしました」
頭を丸く剃り上げたクドゥン将軍は「では入れなさい」という。
小間使いと入れ違いに若い青年将校が入ってきた。
「失礼します。クドゥン将軍、本日から東方遠征軍に編入する王某です」
クドゥンは巨漢ということもあり、威圧しないように初対面の人を笑顔で迎えるようにしている。
だからこの日もいつものように笑顔を絶やさずに部屋へと招き入れた。
「ふふ、貴方について話は聞いています。語学が堪能なようですね」
「堪能と言うほどではありません。草原の民以外は東の沿岸と半島だけです」
それだけ話せれば十分有能だとクドゥンは思った。
「そんな謙遜しなくてもいいのですよ。知っての通り我が〈帝国〉は大陸全土を征服する勢いですが、それ故に他種族多言語、名前を正しく呼ばれたのも久しぶりなのですから」
そう言って少しため息をつく。
「ですので貴方のような通訳もできる士官は貴重なのです」
「お褒めに預かり光栄です」
王某は〈帝国〉式の礼をする。
「では貴方にはこれからこの作戦命令書を遠征軍全士官に覚えさせてください」
そう言って命令書と配布先の一覧を渡す。
「こ、これ全部ですか……」
「ええ、お願いしますね。作戦内容で解らない事があったら言ってください」
そう言われて渋々命令書を受け取り、内容を確認する。
そして気付く。
「――し、深夜に強襲上陸ですか!?」
「ええ、順調に〈島国〉のハカタ湾に着けば、ちょうど月に照らされるはずなので上手くいきますよ」
「はぁ……」
「あとそれから土木作業をすると思うので準備を怠らないように言っておいてください」
「土木作業ですか?」
「ええ、多分ですが城を作ってもらいます」
「え?」
「よろしくお願いしますね」
王某はおずおずと将軍を見ると、にこやかな表情でありながらその目が一切笑っていない事から本気だと理解した。
「城ですか、それなら専用の部隊が必要に――」
「それなら問題ありません。去年南宋遠征時に土木作業をしていた部隊と長江を渡るための水軍をそのまま引き抜いておきました」
王某はここで自分の仕事が他の部隊が土木作業の邪魔にならないように周知の徹底だと理解した。
もっとも作戦の全容が全く理解できていなかった。
「わかりました。上陸後の築城の邪魔にならないように周知します」
「それから我が遠征軍は属国軍も参加します。彼らは少々我が強いので言うことを聞かなかったら皮袋の計にでもしてください」
「え、皮ですか……」
新人にトラウマを与えるのもどうかと迷った。
「それから軍編成は薄片鎧を中心にしつつ、槍兵は綿襖甲を多めにお願いします」
薄片鎧――あれは薄い鉄片を紐で繋いだ鎧、弓兵対策か、と王某は瞬時に理解した。
「敵は弓兵が多いということですか。それに綿襖甲ということは刃物で武装しているのですね」
「伝え聞く内容から推理すると〈島国〉の戦い方は主に弓馬兵を主力としているようです。面白いですね我々と似ています」
そう言いながら棚から一振りの刃物を持ってくる。
「これが南宋が輸入していた敵の武器になります」
「これは――片刃の武器ですか、確かに綿襖甲の歩兵が必要ですね」
そう言いながらその長く曲線に工芸品のような美を感じた。
王某は〈島国〉の武器である刀に魅了された。
「ところが伝え聞く話によると敵は槍兵も歩兵もいないそうです。不思議ですね」
「え? あの将軍……それは敵が全員弓兵ということですか?」
「わかりません。とりあえず馬除けの柵と震天雷を用意しておいてください」
「え、いや将軍……ちょっと待って」
「ああ、それから三翼軍との連携は言葉の問題もありますので、上陸地点は別と言っておいてくださいね」
だんだん内容が命令書以上に増え続けていく。
「つまり友軍は最低でも二分されますので馬除けの柵と大量の矢の供給を絶やさないようにしておきましょう」
「これ全部私一人で……」
「ああ、そうそう。打草驚蛇。偵察兵を人選しておいてください」
「兵法三十六計ですね……いや、そうではなくてですね」
「偵察には……アラテムルさん辺りが適任でしょうか」
「あの将軍……もしかして上陸作戦ができるように新兵教育をせよと言うことでしょうか」
クドゥンはにこりと笑いながら、
「それでは頑張ってください」という。
「……はい、わかりました」
こうして王某は初日から上陸作戦のために奔走、というより大量の雑務をこなすことになった。
〈帝国〉は巨大な版図を有しているが、その巨大さが原因の問題も数多くある。
軍隊でもその問題は多く、解決するための様々な手が講じられてきた。
その一つに鉄の規律がある。
――〈帝国〉軍、練兵場。
一月ほどたち、ようやく新人の訓練内容が決まった。
王某はその視察に来ていた。
「クドゥン将軍からの新しい命令書だ。ここの百人隊長は誰だ?」
「これは王千人隊長殿、私がこの部隊の百人隊長です!」
「そうか、では新兵たちにこの命令書を実行できるように訓練をするように」
「はっ、必ずや覚えさせます!」
王某が兵たちを見るととても新兵とは思えない顔つきの兵たちが混じっているのに気が付いた。
「ここの兵は新兵のみか?」
「いえ、療養からの復帰組が混じってます。ついでなので彼らも再訓練中です」
「そうか、上陸作戦の成否は君たちの訓練にかかってる。日々の訓練を怠らないように」
「ははっ!」
隊列を組んで整然と並んだ兵たちの中から一人の男が飛び出してきた。
「おい、ちょっと待った!」
「うん、新兵が何の用だ?」
「お、おい、列に戻らんか!」と百人隊長の顔が青ざめる。
大柄で粗暴な男が王某の前に立ちふさがる。
「なんだもクソもねえ。毎日毎日同じことの繰り返し、いい加減うんざりなんだよ!」
「ああ、そいつは悪かったな。だがもう数ヵ月は調練をしてくれ」
そう言いながら青ざめた百人隊長の方を見る。
「す、すみません。彼は三日前に来たばかりの新人です。ちゃんと教え込むのでどうかお許しください」
「ああ、そうしてくれ。じゃないと他の新兵たちも馬鹿みたいにつけ上がるからな」
隊列の中でせせら笑っている新兵が何人かいた。
ふむ、たぶん都市の不良たちが軍の給金に目がくらんで入隊したのだろう。
未知の島に侵攻する都合から普段よりも多い金額を提示している。
それだけ危険という意味でもあるのだが、そこまで考えが及ばなかったのだろう。
王某は心中で百人隊長に同情した。
「ああん、俺様はお前ら雑兵とは違うんだよ。模擬戦でもそこの十人と百人隊長に勝っちまったからな。ひゃはははは」
「なるほど腕っぷしがいいから増長してしまったのだな――ところで百人隊長殿は皮袋の計をまだ教えていないのか?」
「す、すみません。まだです。一週間ほど見てダメだったらと考えてまして、確かに腕は強いので様子見をしてました――どうかどうかお許しください!」
王某は涙ながらに謝罪する百人隊長が本当に可哀想になってきた。
「皮? 何だか知らないが俺は強い奴にしか従うつもりはないぜ。俺を従えたいならこの俺と戦って勝つことだな」
「つまり一対一の決闘で勝てば後ろの取り巻き含めて上官に従うと?」
「おう、俺様もそれから子分たちも、ちゃ~~んと従ってやるぜぇ」
「そうか、なら話が早いな」
王某はさっさと終わらせて次の仕事に移りたいと考えていた。
「だがな俺が勝ったら今日から俺が千人隊長だ。弱い奴が強い奴に従う当然だよなぁ」
「李の兄貴やっちまえ」
「ぎゃははははは」
「はぁ……百人隊長。すぐに例の用意をしてくれ」
「ははぁっ!」
そう言って百人隊長が泣きながら駆けていく。
「今から心を入れ替えればまだ間に合うぞ。これでも私は優しいからな」
「ああん? 俺様が貴様みたいなチビに負けるわけないだろう。今日から俺様が千人いや万人隊長だぜぇ」
「はぁ?」
王某は流石にカチンときた。
チビと言われたからではない。
ただの不良が万人隊長、つまり万の軍勢を率いる大将軍になれるという思い上がりに怒りが湧いてきた。
「百人隊長が戻ってくるまで説得しようかと思ったが止めだ。決闘についてだが武器はありか、できれば無いほうが嬉しいのだが」
「ああん、そりゃ有に決まって――いや、無しだ。勢いでブスっと刺殺しちまったらさすがに問題になるからな。ぎゃはははは」
千人隊長へと上りつめた男と街の不良の決闘。
周囲の新兵たちは興味津々で見守ることにした。
だが百人隊長と十人隊長、さらには復帰組は汗だくになり青ざめて下を見るだけだった。
「ハッ! ハッ! ホァッ! どこからでもかかってこい!」
大男が見よう見まねで、南宋の体術のような構えをする。
対して王某は李という男を無視して新兵たちの前に向かう。
「おい、どこに行くんだ――なんだぁ、俺様に恐れをなしたか腰抜けめ!」
王某は大きく息を吸って叫んだ。
「全兵に命ずる、皮袋の計を準備せよ!」
「――!!?」
その瞬間、新兵たちに混じっていた復帰組と隊長格が一斉に不良を取り囲む。
そして全員で取り押さえにかかった。
「なんだてめえら! 放しやがれ! おいてめぇ卑怯だぞ!!」
「うるせぇ! 大人しくしろ!」
「押さえろ押さえろ。千人隊長の命令だ!」
李の抗議の声を無視して王某は新兵たちに話し始めた。
「軍隊とは個人の武力でどうにもならないほど強い。だからこそ軍隊なのだ。そして集団で行動するからには上官の命令に絶対服従が原則となる」
「放せ。おいこのドチビ! 俺様とちゃんと勝負しろ!」
「皮袋だ。皮袋を持ってこい!」
「急げ急げ!」
「君ら一兵卒は十人隊長に従い、十人隊長は百人隊長に従う。そして百人隊長は私のような千人隊長に絶対に従うのだ」
『おい、出せ! 出しやがれ!!』
李と呼ばれていた大男は皮袋の中に押し込められて縛られる。
もはや中から出ることはできなかった。
「ではもし命令に違反したり、不服従した場合はどうなるかこれから教えよう」
「王千人隊長殿、連れてきました!」
新兵たちがギョッとする。
百人隊長が大量の馬を従えて戻ってきたのだ。
その数およそ千頭になる。
「よし、では始めろ」
「わかりました千人隊長殿!」
新兵たちの顔が一瞬で青ざめた。
馬が、馬が皮袋の上を通っていくのだ。
袋の中から断末魔が聞こえた時、皆が目を背けた。
「おい、命令だ。その目を開いて皮袋を見続けろ。命令違反はヤツと同じ目にあうと思え」
そのとき新兵たちは察した。
隊長格が青ざめていたのは彼らもこの洗礼を受けていたからだ。
「それから百人隊長」
「ひゃいっ」
「この皮袋の計の利点を言って見ろ」
「はっ! まず命令を聞かない新兵がいなくなります。次に馬たちが血の臭いで怯えることが無くなります」
「その通りだ。まさに一挙両得というわけだ。さて、お前たちは私の皮袋の準備をせよと言う命令を無視した。もちろん覚えているよな?」
「ひぃぃ」
新兵たちが全員涙を流し、中には嘔吐する者も出た。
「――だが知らないことを命じても動けないのは当然のことだ。だからこそこの訓練所で毎日毎日同じ訓練をさせて教えている――だからこの件に関しては不問としよう。ところで百人隊長殿は行進の銅鑼は覚えさせたか?」
「一通り教えました!」
「よろしい。では全員皮袋の前に一列に並べ。早く!!」
王某の檄を聞くや否や今度は一斉に新兵百人が一列に並んだ。
「では私も忙しいので後の訓練は任せたぞ」
「ははっ! 王千人隊長殿の信頼に背かないように全身全霊をもって新兵の教育にあたります!」
「ああ、まかせた」
万を越す兵たちの訓練を監督しなければならないのに、たかだか百人の新兵に時間はさけない。
王某は足早に訓練場を離れていく。
「新人たちには少々酷だったかな」王某は一人そうつぶやく。
後ろでは前進の銅鑼の音に合わせて皮袋の上を行進する新兵たちの姿があった。
皮の袋は夜になると布ほどの厚みほどしかなかったという。
新兵たちは、王某を絶対に逆らってはいけない恐怖の上官、と認識した。だが、
『おい、見たか今のアレ』
『ああ、皮袋なんて久しぶりに見た』
『あれが新しい千人隊長か……』
『なんて……なんて……王某千人隊長はなんて優しいお方なんだ』
『そうだとも何度も警告をして、さらに説得を試みるなんて普通の隊長格はそんなことしない』
『そうだよな。普通なら取り巻き含めて問答無用で皆殺し、十人隊長辺りなら釜茹での計だろ』
『俺は斬首されるのを見たことがある』
『俺は……俺は……王某さんにどこまでもついていく』
『百人隊長! そうだとも俺たちの王某さんにどこまでもついていこう』
『おお!』
それで古参兵に慕われるのが〈帝国〉の狂気でもある。
半年後、命令に従わない新兵は一人もいなくなった。
文字通り、一人もいなくなった。
それは中世に誕生した近代陸軍の始祖。
それは無慈悲な大陸の覇者。
それは鉄の規律を有する軍人の国家。
――それが草原の〈帝国〉である。
打草驚蛇――未知の土地で戦う場合は偵察兵を出して反応を探る。本来は藪蛇と同じで何が起きるか分からない戒めの故事だが、そこから転じて計略では少数の偵察を出して相手の反応や伏兵の有無を警戒する意味で用いられる。




