文永の役 麁原包囲戦
江田又太郎たちが壮絶な矢の応酬をしているとき。
麁原の南に陣を構える少弐たちは次の手を考えていた。
「ふむ、ここは城攻めの定石として麁原を包囲するのがよろしいかと存じ上げます」
口を開いたのは野田だった。
「包囲ですか、しかし麁原の東西にしかれた守りの陣形に火柱、容易にいかないと思いますが」
「そうでしょうな。それでもあの武器を使うのはやはり人、敵の陣形が崩れたその時をを突けば容易に突破できましょう」
野田は鳥飼潟の矢戦を指さしながら言った。
それは垣楯の厚みや兵の陣容そして曲射と直射の違いから突破は時間の問題だろうとおおよその予想を立てたうえでの発言だった。
「なるほど…………大友殿」
「なんだ?」
不機嫌な顔で腕を組んでいた大友頼恭が答える。
「ここは兵を分けて東西から包囲を仕掛ける軍と、ここ松林でけん制する軍に分けようかと思います」
「それは構わぬが、こちらは騎兵二百しかおらんぞ」
「ええ、ですので東西両方の先陣を大友殿に任せたいのです」
「ふはははは、武士の誉を譲るというのか。そう言うことなら任されよ」
そう言って自らの手勢の下に駆けだしていった。
「若、よろしかったのですか?」
「ええ、ここは大友殿の顔を立てておくほうがいいでしょう」
「左様ですか」
野田はこの時、やはり少弐の血は戦より政治を選ぶのかと思うのだった。
少弐は間違っていない。中心となるべき征夷大将軍が存在せず、各々が独断で動く武士団をまとめなければいけなかった。
それには政治や交渉などによって便宜を図りながらこなす。すべては強大な〈帝国〉に対抗するために必要なことだ。
――もっとも、それが功を奏するとは限らない。
「都甲惟親、それに日田永基はいるか!」
「はっ!」「ここに!」
大友の腹心の武士が二騎前に出る。
「よし、お主ら二人に兵を預ける。頃合いを見計らったら東西両方から攻めて麁原を包囲するのだ」
「はっ!」
「お任せあれ!」
二人の武士が手勢を引き連れて戦場に行く。
「――ふん、少弐の青二才が」
「御屋形様いかがいたしましたか?」郎党の一人が訊ねる。
「奴は敵が目の前にいるというのにこの期に及んでいまだに内側しか見ておらん」
「はぁ……」
郎党はよくわからなかったので気のない返事をする。
「奴の父も兄もそうだ……あ奴らは戦ではなく政治ですべてが解決できると思い込んでおる」
「ああ、少弐一門ですか、あそこは『南宋』との貿易で――こうゴマすりが得意なんですよね」と郎党が手もみの仕草をする。
「ふん、それだそれ、それは戦場では役に立たん。この戦で見込みがなさそうなら、まず少弐を潰したほうがいいかもしれぬな」
大友の不機嫌な顔に狡猾で鋭い鷹の目のような眼光が宿る。
「ひぃ、恐ろしや怖ろしや、御屋形様は国崩しをなさるおつもりか」そう言いつつも郎党の声には嬉々としたものが混じっていた。
「ふはは、国崩しそれもいいかもしれぬな」
二年前、鎌倉殿で『二月騒動』という事件が起きた。それは現執権である北条時宗が異母兄時輔と反抗勢力を謀反の疑いがあるとして全て討伐した争乱である。この事件により鎌倉殿の対〈帝国〉体制は強化されたと言われる。
つまりこの時代、足並みがそろわないのならすべて潰して盤石の態勢を整えるというのもまた一つの方法だった。
「日田どん、どちらに布陣する」
「そうだな――東はお主に任せる。西側は任されよ」
「ああ、わかったではしばしの別れだ」
日田永基は皆から日田どんと呼ばれて親しまれていた。
都甲も日田の気さくな人柄を好ましく思っていた。
「では日田どん次は麁原の北の地――百道原で再会しよう」
「そうだな――――おい、惟親!」
「なんだ!」
「再開の暁には一杯飲みながら語らおうぞ」
「ふははは、それは楽しみだ」
そう言って二人は別れた。
麁原の東側に陣取ったのは都甲惟親だった。
彼は鳥飼潟の矢戦の決着がつくのを待っていた。火柱が人の手によって為されるのなら、それを起こせない時に攻める。
その頃合いを見計らっていた。
耳を澄ませて鳥飼潟の戦況の変化を待った。
――フォン。
そのとき、焼米の鏑矢が空を切った。
「鏑矢だ! 全騎突撃ぃ!」
豊後の騎兵百騎が駆けだした。
すでに東部の敵陣は崩れていた。目の前の軍勢も鳥飼潟の敗走で混乱している。
松明を持つ兵が前に出るのが遅れた。
「アレだ。あの松明を射抜け!」
「はっ!」
都甲騎兵隊が放つ矢が鋭く敵を射抜く。
ドサリと兵が倒れる。槍兵も火柱が起きないと察っする。
ちょうど銅鑼の音が変わったと同時に敵は逃げ出していく。
「あの穴から追物射だ!」
「おお!」
垣楯の戦線に穴が開きそこから難なく敵陣へと突入した。そして逃げ惑う〈帝国〉兵を後ろから射抜いていく。
「うおぉぉ!」味方の陣地から歓声が巻き起こる。
「我らも続くぞ。進め!」
垣楯を背負った歩兵たちが騎兵によって切り開かれた道になだれ込む。
この敗走する敵を追う歩兵たちの中に馬にまたがり先陣をきる武士がいた。
福田兼重という肥前の御家人とその郎党たちだ。
彼らは突撃には参加しなかった。
なぜなら隊列に加わり参戦した場合の手柄は先陣をきった御家人――都甲になる可能性が高かった。
それでは参戦しただけ損になる。彼らは勲功を得るために来たのであって、他の御家人を助けるために来たわけではない。
だからあえて肥の国の集団ではなく福田氏として行動した。
「よいな、馬を酷使できるのは日に一度だけと心得るのだ」
「はい、父上!」
肥前国の彼杵郡福田郷から博多へと馳せ参じた。そして初陣である息子の兼光を教育しながら追物射をする。
「みよ、矢が尽きた豊後どもが帰っていく。いま攻め立てれば手柄は我ら福田の総どりよ!」
「はい、父上!」
都甲たちが一撃離脱して福田たちとすれ違う。兼重は山城を凝視するが、やはり動く気配はない。
「少々不安じゃったが、動かぬか……ならば目の前の敵を射るのみ!」
「敵は恐れをなしてますね、父上!」
敗走する雑兵で分捕りの功にはならない。敵将を大将首を探す。
「――!」
いた。郎党を二騎従えて白い馬に乗る赤服の男。
歩兵の速度に合わせながら背を向けて退却している。敵陣の只中であるがあの速度なら容易に追いつける。
「兼光、父の雄姿しかとみよ!」
「はい、父上!」
敗走しているとはいえ敵陣の真っただ中を突き抜けるという危険な戦い。次期家督である息子を後ろに下がらせて手勢数騎で突撃をする。
みるみるうちに距離を縮めていく。
見事な朱色の装い。
大将首、討ち取ったりぃ!!
――そう思った瞬間。
『シャッ!』
甲高い声と共に敵三騎がぐるりと後ろを振り向く。
その時目が合った赤服の男はニヤリと笑いながら騎射をした。
「なっ!?」
その三騎の矢はすべて兼重の鎧に刺さる。
そしてそのまま落馬してしまった。彼は敵陣な真っただ中に落ちた。
「ち、父上ぇー!」
功を焦った福田兼重、麁原より北の百道原で絶命――。
「ぶっはっーー! 死ぬところじゃった」そう言いながらむくりと起き上がる兼重。
「殿――!!」
「殿ご無事でしたか!」
「矢三本ぐらいで死んでたまるか、それよりここは敵陣。弓を引け刀を構えよ、分捕りの時じゃ!」
西へ西へと撤退していく歩兵の群れが福田たちに襲い掛かる。
孤軍となった福田たちは敵の波の中に消えていった。
「父上……」
息子である兼光は父兼重が敵陣に突っ込み、逆に討ち取られて、砂埃の中に消えゆくところまでしか見えなかった。
兼光は思う、これから福田家の当主は私。このような所で悲嘆にくれるわけにはいかない。
「まずは父上の雄姿を記録に残すべきだろう。我が父は矢を三本討たれ、そのまま敵大勢の中で――」
それは福田文書に書かれる内容となる。功を焦った福田兼重、麁原より北の百道原で――。
「ぶっはっーー!! 奇跡的に生還したぞ!!」
「希有にも存命…………チッ、父上! よくぞご無事で!!」
「うむ、〈帝国〉の奴ら目の前のワシに目もくれずそそくさと逃げおったわい」
そう言って麁原山を見上げる。その山頂からは銅鑼の音が鳴り続けていた。初戦から音調や種類を変えながらも絶えず鳴り続けていた。
「とにかく一旦戻って手当てをしましょう」
「仕方がないな…………ところで先ほど舌打ちをしなかったか?」
「……まさかそのような事ありえません」
「そうか、ならいいのだが――それにしても首を一つも取れないとは誠に悔しい!!」
兼光が家督を継ぐのは当分先の事となった。
西側の豊後の騎兵を任されたのは日田「弥三郎」永基という御家人になる。彼は大友の忠臣の一人で都甲と共に豊後の国を治めていた。
都甲や福田たち御家人が麁原の東側から攻めているとき、この西側でも動きがあった。
「日田殿、東では大きく動いたようです」
「そうか、ならばこちらも敵を討って、そのまま百道原まで攻め込むぞ」
「御意、全騎突撃用意ぃ!」
「応!」
まさにその時、西側の垣楯越しの打ち合い、その勝敗が決した。
「敵陣が崩れたぞ!」
「全騎突撃!」
「おおぉぉ!!」
眼前で背を向ける敵に対して矢を射る。何カ所かで火柱が吹き上がるが、恐怖にかられた敵兵がはるか手前で火をつけたのだ。
それは壁としてあまりにお粗末であり、都甲がしたように日田もまた松明の持ち手を射抜いていく。
「よし突破したぞ!」
そのまま垣楯の陣地を突き抜けて百道原まで達した。
「ふぅ、後は少弐の兵が何とかしてくれるだろう」
「日田殿やりましたな、このままもう一、二度攻めれば奴らは袋のねずみでございましょう」
「ああそうだな。さすれば惟親と百道原で再会できる」
百道原には二つ目、三つ目の垣楯の陣地ができていた。しかしその程度すぐに崩せるだろうと高をくくる。
「それにしてもまったく張合いのない敵ですな」
「これでは腕慣らしにもならぬな」
「我らの勝ちだな、ははは」と郎党たちが笑いながら談笑する。
『ガシャーン! ガシャーン! ガシャーン!』
力を抜いたその時、さらに西から銅鑼の音が鳴り響いた。
「――ッ!?」
「な、なんだと!?」
「そんな……」
それは無数の旗がなびき、媛浜の海岸線を覆うほどの大行進。
それは色とりどりの綿襖甲で身を包んだ一大歩兵部隊。
それは百道原上陸部隊五千とは別の場所から上陸した〈帝国〉別働部隊。
――その数およそ八千である。
別動隊は海岸沿いに媛浜までやってきたのだ。
子の軍勢が室見川を越え合流したら麁原の軍勢と合わせて一万五千を上回る。
それは兵二千五百ほどの〈島国〉側が圧倒的な不利を意味した。
日田はこのとき麁原を見た。その山頂にいる武将が何やら指示をしているのが見えた。
直感的に、『麁原が動く』、と察した。
麁原の軍勢が全くと言っていいほど動かなかったのは、この別動隊を待っていたからか!
日田は覚悟を決める。
「全騎聞けぇ!」
「――っ!?」郎党が皆、日田を見る。
「これよりあの大軍に対して突撃を仕掛ける。生きて帰れぬと覚悟せよ、命が惜しい者は御屋形様に更なる敵の報を伝えに行くがいい」
それを聞いて郎党たちは顔を見合わせる。そして――。
「そんなの決まっておる。行くぞぉぉ!!」
「おぉっ!!」一切迷いなく叫んだ。
彼ら御家人に明確な上下関係はない。自らの意志で正しいと判断したら迷わず行動に移す。
その決断を下せるのが武士だった。
「ならば突撃ぃ!」日田の下知に皆が動く。
玉砕を恐れぬ豊後の騎兵百騎余が室見川を越えて、媛浜を進軍する大軍に襲い掛かる。
「うおおぉぉぉぉ!!」
〈帝国〉も動く。前衛がすきまなく槍を突き出して迎撃の構えにでる。
そして後方から弓兵たちが雨のように矢を降らせて攻撃してきた。その矢の雨が馬に刺さり何十騎も倒れていく。
「怯むな! 臆するな!」
「うおおぉぉぉぉ!!」
それでもなお突き進んだ日田たちに今度は槍が飛んでくる。
日田たちの突撃は壮絶なものとなった。
「弓引けぇ!」
槍投げをかわして返礼かのように矢を放つ。前衛の槍兵たちを射抜いて倒した。
その倒れた屍を踏む越えて騎兵たちが敵軍の中を分け入る。
「ギャァァァァ!!」
肉薄した騎兵に対して、取り回しの難しい槍では満足な反撃ができなかった。混乱をきたした〈帝国〉兵たちが右へ左へと押し合い、道が切り開かれていく。
「突き進めぇ! 突き進めぇ!」
何重にも連なった槍兵の隊列を突破した。
だがその先に待ち受けていたのは迎撃の準備が整った弓兵たちだ。
いる、奴らの大将が指揮している。
その中にいた騎兵が、〈帝国〉の武将が、振り上げた手を下ろし命令を発する。
『放箭--ッ!!』
「あの将を射よ!!」
「はっ!!」
面で迫ってくる矢の嵐に味方の馬が射られ落馬していく。そんな中、敵将を見据えて矢を放つ。
放たれた一矢が敵の武将に刺さった。
「はは、一矢報いてやった!」
『ガァァァァッ!』雄叫びを上げる敵将。
〈帝国〉兵たちが傷を負った将軍を戦場から愛宕山へと連れて行こうとしている。後続の大軍も将を射られたことに動揺したのか愛宕山へと向かっていく。
「はぁはぁ」
だが突破した槍兵たちが体勢を立て直す。
「周りを囲まれたぞ」
見渡すと日田たちの周りをぐるりと槍兵が囲む。
「はぁはぁ、…………味方はどれほど残っている」
「半数と言ったところだ。それにもう矢がない」
「はぁはぁ……敵の足止めは十分果たした。ならばこれよりは包囲を突破して帰陣するのみ――一点突破! 突き進め!!」
「しゃあぁぁぁぁ!!」
鎌倉武士が最も数の多い退路の敵に襲い掛かる。槍衾にくし刺しになりながらも前進を続け、後ろから槍投げを受けながらも突き進む。
敵兵たちはやはりその鬼気迫る勢いに気圧される。
『ヒィッ!』
包囲は破られた。
最後の追い討ちかのように矢雨が降りそそぐ。
だがそれだけだった。それ以上の追撃をしようという者はいなかった。
「はぁ……はぁ…………」
「ぜぇ……ぐふっ」
生き残った武士たちが帰還すると室見川には急ごしらえの垣楯線が作られ始めていた。
その味方の誰もが作業を止めて日田たちに感謝する。
よくぞ大軍を押しとどめた、と。
室見川を渡りし騎兵百騎、帰って来たのは僅か十騎。
その背中には無数の矢が槍がささるも、それを逃げ傷と嘲笑する者は敵にも味方にもいなかった。




