文永の役 鳥飼潟の戦い
菊池一門、それに次いで五郎たちが出陣したあと――。
少弐『三郎』景資はまだ息の浜に陣取っていた。それからほどなくしておよそ二千の兵が息の浜に集結した。
そこへ遅ればせながら大友たち騎兵二百がきた。
大友は相変わらず不機嫌な顔つきで少弐景資の前まで馬で近づく。
「少弐景資! 敵が来ているのになぜ兵を動かさぬ!」
「これは大友殿、先日も申したようにこの戦は防衛戦。敵の兵糧が尽きるまで待ち続けるだけで勝てる勝ち戦でございます」と野田が代わりに答える。
野田が述べたのは周囲を納得させるための方便――つまり言い訳である。〈帝国〉がそこまで無知無能なわけがない。
それはここにいる全員がわかっていることだった。
「だから生ぬるいというのだ。どうせ経資の青二才めが考えた浅知恵だろう」
「うぬ、それは……」
野田の顔色が変わる。実の兄経資による軍略が弟を囮にした籠城戦になる。
肥の大将が景資ということからも誰もが察していた。
この大友頼泰という男はそのような浅い策で攻め時を見失うのが我慢ならなかった。
「やはり図星か、ならば我らだけで敵を蹴散らしてくれよう」
「お、お待ちください。せめて――」
「くどい! 戦とは大胆に攻めて、攻めて、攻め続けなければ勝ちなど手に入らんのだよ」
「………………」
少弐景資は目を閉じ、じっと黙りながらも一理あると感じた。
敵が上陸している最中に攻撃するのが上策なのは火を見るよりも明らか。
しかし、兄の軍略を無視すると後々の争いの火種に――。
「で、伝令!」
――そこへ伝令兵が血相を変えて駆け込んできた。
「なにごとじゃ!」
「て、〈帝国〉が麁原山に城を築いておいます!」
「――っ!?」
「なんだと!?」
その後も伝令が次々とやってきて、息の浜に竹崎五郎が先懸をする話までが伝わる。
それは菊池武房が見た戦況を一門に伝えて送り続けているからだった。
「そうですか。彼が戦っているのですね」
「景資! わしは行くぞ。貴様はどうする!」
このとき、少弐景資は父と兄の思惑がすでに外れていると察する。〈帝国〉は最初から長期戦の構えで攻めてきていた。
それならば息の浜に上陸しないのも、赤坂に少数が布陣したのも納得できる。
「全軍、鳥飼潟へ出陣せよ!」
少弐景資は自らの判断で下知を下す。
「ああ、そうだ。それでいい。者共出陣だ!」
「おおぉぉ!!」
博多に集結していた全兵を移動させるために博多のすべての船を徴発して冷泉津を渡っていく。
博多にいるすべての水夫を叩きだし、川船に乗せられるだけの物資を積み込み、冷泉津を埋め尽くすほどの船が一斉に対岸へと向かった。
そして少弐と大友は騎兵と足の速い軽装の兵を引き連れて先に五郎たちと合流を果たした。
「よく無事で――っ!?」
少弐景資はそこで息をのんだ。
つい先ほど別れたばかりの男が無数の矢傷を負い、激戦を戦い抜いた武者となっていた。その身から発する凄みに息を呑んでしまったのだ。
「――っごほん、よく無事でした」
そう言うと、五郎も礼に倣って答える。
「肥の大将殿、我らは白石殿に辛うじて助けて頂いただけにございます。ここは白石殿の弓箭の通を評して頂きたいと存じます」
「いえ、我らは先懸で疲弊した敵を突いただけ、ここはやはり五郎殿にこそ――」
二人のやりとりを手で制して景資は話を進める。
「論功については後々、今はあの山城をどう攻めるべきか考えるのが先です」
「なに、我ら豊後の騎兵が突撃を駆ければ、あの程度の丘すぐに蹴散らせるぞ!」
大友が騎兵突撃をしようと前に出た。
「大友殿、それなのですが敵は奇怪な火柱を出して馬を驚かせてきます。まず騎兵による突撃は止めた方がいいでしょう」
「火柱? なんだそれは?」と大友が訝しる。
「詳しく聞かせてください」
「分かりました」
五郎と六郎は互いが〈帝国〉の火柱について説明した。
話を終えると少弐景資が「まだまだ戦いは始まったばかりです。今は休んでいてください」といい五郎たちを休ませた。
少弐、大友そして野田が麁原山を見る。
「にわかには信じがたいな――惟親はいるか!」
「ここに!」と豊後国の御家人、都甲惟親がきた。
「今の話を聞いていたな。騎兵五十を率いて軽く突撃をして来い」
「仰せのままに、ゆくぞ!」
「応!」
都甲率いる騎兵が松林から打って出た。
そのまま、一気に麁原の敵陣へと突き進む。すると前方にまたしても火柱が出現した。その閃光のような火に馬がおびえる。
都甲は即座に旋回して陣地へと戻ってきた。
「これかぁ、確かに火柱だな。なんなんだあれは?」
「〈帝国〉の武器というのは正しいようですね。見てください敵の馬も驚いた様子がありません。よく訓練されているようです」
「ううむ……」
二人は目の前の山城は容易に攻め落とせないと悟った。
――――――――
鳥飼潟を前進する歩兵約二千、その中に江田氏の徒歩五十も含まれていた。
「世知辛いのぅ。この歳で泥の中で矢戦とは世知辛いのぅ」
江田又太郎はそうつぶやくのだった。
「殿あきらめて進みましょう。それに〈帝国〉もすぐそこまで迫っています」
「はぁ、しょうがないのぅ。全員、垣楯を前に出すのじゃ! 楯突け!」
「おお!」
江田の歩兵が担いでいた垣楯を地面に楯突ける。
これが後の時代にも言葉だけが伝わる『楯突く』の語源になる。
侵略者に対して楯突くのだ。
「攻め寄せよ。攻め寄せよ!」
「応! 応! 応!」
楯の裏から楯持ちたちが器用に押して、じりじりと前に進む。対する〈帝国〉も同じく垣楯を置いて矢を放ってきた。
「うひょひょ、やつらもう矢を討ってきおったぞ。なんともせっかちな連中じゃ」
「これは矢の雨ですな――上にも垣楯を掲げて前進せよ!」
「鋭! 鋭! 応!」楯持ちたちが声をあげる。
それは鳥飼潟の南の端から北の遠浅まで続く垣楯線ができあがる。
さらに上面にも楯を掲げて矢雨をしのぐ。
その異様な戦線に〈帝国〉の矢が一瞬止まる。
楯だ。いや壁楯が迫ってくる。
銅鑼の音がけたたましく鳴り、〈帝国〉も同じく垣楯を並べて矢を再び雨のように放つ。
奇しくも〈島国〉と〈帝国〉の戦い方に違いはほとんど無かった。
互いに垣楯を並べてその後ろから矢を放つ。人はこれを矢戦という。
違いがあるとすれば――。
「もっとじゃ、もっと近づくのじゃ。お主ら怪我をすれば矢傷手負いの功、死ねば討死の功と極楽浄土ぞ。ひょひょひょ」
「殿はしゃぎ過ぎです」
「血沸く血沸く、わしゃ戦場まで歩くのが嫌いなだけじゃい。武士たるもの戦場で奮い立たずになんとする。そうじゃろ」そう言いながらニヤリと笑う。
「はぁ、まったく……」
〈帝国〉よりもはるかに分厚い楯を押しながら前進を続ける。
ついに矢で相手の鎧を貫通できるだけ距離を詰めた。
「よいか、ちょうど相手の目と鼻が見えるぐらいが頃合いじゃ」
「もう敵は目の前――あぶなっ!?」垣楯を貫通した矢が焼米の鎧に刺さる。
すでに〈帝国〉の槍兵は後ろに下がり弓兵が前に出て、直射になっていた。
無数の矢が楯に刺さり、あるいは弾かれていく。そこかしこで負傷者が出始めていた。
「よいよい、今じゃ今じゃ」垣楯から顔を覗かせて頃合いを判断する又太郎。
「弓兵放て!」焼米の号令で垣楯越しに一斉に矢が放たれる。
〈島国〉の重い矢が垣楯を貫通する。今度は〈帝国〉兵がバタバタと倒れた。反撃に〈帝国〉も倍の矢を返してくる。
肌寒い早朝の突き抜けるような青空の下、鳥飼潟を東西で分割するかのように垣楯線が構築され、その両端で矢の応酬が続く。干潟は見る見る赤く染まっていった。
「ちと威力は足らんが敵の矢は数が多くてやっかいじゃのぅ」
「しかし矢数が多いということは早々に矢が尽きるでしょう」
「左様、その時はわかっておるな」と又太郎はにやりと笑いながら言う。
「もちろん心得ておりますとも」
終わりの見えない矢の応酬が続く。
しかしそのあいだもまったく止まらずに迫り続ける〈島国〉の垣楯とそれに合わせて威力が増していく長弓により〈帝国〉側の被害が増していった。
鳥飼潟では騎兵による支援やかく乱はあり得ない。このような足場の悪い所では白兵戦もできない。
純粋な弓兵による打ち合いのみが勝敗を決める。
そのような状況では弓兵より槍兵が多い〈帝国〉のほうが不利だった。
「弓引けぇ、討てぇ!」
『ギャァァァァッ!!』
ついに〈帝国〉の垣楯線は瓦解した。
「今じゃ焼米!」
「お任せあれ」
――フォン。
天高く鏑矢が空を切る。




