11 印象・日の出 ⑤
明かり採りの窓にはめ込まれた、モルフォ蝶とハチドリのステンドグラスから、深く鮮やかな青の光が漏れている。蔓草を象った窓枠が大胆に天井へと伸びて、そこから吊り下がるシャンデリアは星型の愛らしい花……釣鐘草を鈴なりにつけた色とりどりのランタン型で、蛍光灯の単調な光とはまるで異なる、控えめで彩り豊かな灯を降らせていた。
裾に繊細なサクラソウのレースがこぼれ落ちるテーブルクロスは、一つの染みも許さないパキリとした純白。椅子の背もたれにくり抜かれた果実と草花の複雑な図柄は、温かみのある木の質感も相まって煩さを感じさせない。優美な曲線を描く椅子の脚が降りた床には、ひやりとした艶めく大理石が広げられている。
琥珀色の香り高い紅茶が揺れるカップは、ふわりと開く花びらのように滑らかに波打つ縁と、紅茶に溶けてしまいそうな淡い色合いを持つバラが花開く。甘さが控えめの大人びたスコーンに、上品な白いクリームの添えられたプレートには、華やかな黄色いダリアの花が咲き乱れていた。そんな甘く色鮮やかな花々をそっと支えるように、艶めく銀色のティースプーンには無彩色の蔦と月桂樹が添えられていた。
かなり現代的な解釈ではあるものの、見事にアール・ヌーヴォーの様式で統一された室内は、自然のモチーフの持つ温もりとガラスや金属が多用された冷たさが矛盾なく融合し、息が詰まりすぎない程度に一種の格調の高さを演出している。
そうした手に触れる椅子やカトラリーなどを除けば、窓から足元の大理石に至るまで、この部屋のほぼ全ての装飾は実態のない映像が写し出されているに過ぎなかった。しかしながら、天井に咲く繊細な花のシャンデリアを見上げ、ステンドグラスに羽ばたく美しい鳥と蝶の戯れに、感嘆の溜め息を吐く客のほとんどは、目の前の光景がレゾナンスによって見せられている虚構だと気付かない。
遠く喧騒から離れて、この美しい部屋に響くのは柔らかな談笑の声と、スルリとその隙間を縫うようにして完璧なタイミングで取られるオーダー、そしてそれらを邪魔しない程度の音量でさり気なく空間を支えるクラシックの静かな音色のみ。それらの全てが同年代の生徒の手によって、ムダとしか言いようのない凄まじい時間と労力をかけてイチから生み出されたものだなどと、誰が想像するだろうか。
ただ、この呆れるほどに手間暇のかけられた美しい空間に在ってもなお、存在感を主張するのはやはり壁にかけられた、たった数枚の絵画であるに違いない。それらが紛れもなくこの部屋の主役であることは、惜しげもなく数十秒ごとに切り替わりながらも、鮮やかに人々の記憶に残していく一つずつの『作品』の持つ重みが誇らしげに示していた。
どの一枚をとっても、何十時間と心血と愛の捧げられた逸品であることに変わりはない。そんな胸焼けのするくらいの美に囲まれて、優雅に音もなく立ち回る執事とメイド達。あまりにも学園祭らしからぬ部屋の中で、心なしか客である生徒達も空間に染められて、穏やかで物静かな雰囲気が保たれていた。
そんな中で、心の中に荒みきったボロボロの雑巾みたいな本性を抱えて、死んだ魚のような目を細めて必死に隠すハリボテ執事が一人。もちろん、俺だ。
(こんな長時間立ってるとか普通に無理だわ……とっくの昔に限界超えた……てか、もう客来んな……いつになったら休憩時間は来るんだ、俺のライフはゼロだぞ……)
開店と同時に行列が出来たカフェは、それからというもの無休で回り続けている。ホールの人員は時間差で休憩になるはずだが、俺が呼ばれる気配は一向にない。時間制限を設けているから、既に客は何回転もしていて、もはやどれだけの時間が経ったのかも分からない。おまけに部屋がムダにきらぎらしくて、黙っていても疲労感が増していく。空間の芸術密度だけで胃もたれするわ。
(くっそ、ガキのクセして優雅に茶なんか呑んでんじゃねーよ……いいかげん、顔面神経痛になるぞマジで……)
そんなことを考えた瞬間、隣のテーブルで給仕していた青木クンから『ギンッ』って効果音のつきそうな鋭さで視線が送られてくる。もうそれだけで、あいつの伝えたいことが分かってしまうのがイヤだ。分かってる、分かってますって。
(お客様は?)
(神様です……はい……)
俺はコクコクと頷いて、泣く泣く引きつった笑顔を浮かべて無心で紅茶を注ぎ続けた。
(あ、俺……悟り開けそうかも……)
そもそも普段はダルダルの緩い白衣がトレードマークの俺にとって、こんな全身を締め付けるみたいなピタリとしたカッチリした服で、それも背筋を伸ばして立ちっぱなしだなんて、それこそ何もしなくたって数分で倒れてもおかしくないレベルだ。それを根性だけでやったこともない接客スマイルを浮かべて、定型文とは言え注文をとって紅茶を注いでスコーンをお出しして、別のテーブルの客のご機嫌を伺って、なんて『らしくない』ことを続けてるんだ。




