10 星月夜 ②
いつもは何もない河川敷の土手っぺり……ただダダっ広いだけの野原に、所狭しと極彩色の看板を掲げた屋台の群れが並び、日の沈みかけた黄昏色の世界の中で、柔らかな提灯の明かりがともり始める。ゆったりとした私服だったり、気合いの入った浴衣だったりする人達が、手に手に団扇だのヨーヨーだの風車だのを持って、浮かれた表情で目を輝かせて出店を冷やかして歩いている。
どこかから響いてくる祭囃子の、ついつい楽しい気分にさせられそうなリズムに、この濃密な空間の熱が上がっていく。そんな楽しい楽しい祭の会場で、俺達は待ち合わせていた……そして俺はそんな雰囲気を楽しむ以前の問題として、早速やって来た試練と現実に向き合わされていた。
(肩身が狭ぁーい)
俺が待ち合わせ場所に到着して真っ先に思ったことは、失礼にも『キレイ』とか『カワイイ』とか『キャアステキ』とか、そういう感想じゃなかった。だって、周りはほとんどがウキウキカップルか、友達同士でにぎやかな集団か、和やかな家族連れなのであって。そのどれにも属さない俺は、完全に浮きまくってる……先生なのに補導されたり逮捕されたらどうしよう、という不安の方が先立つ。
美人を四人も連れてるんだから、どんなカンナンシンクでも耐えてみせろ、文句を言うななんて言葉は今の俺には重すぎる。何故なら灯を含めた四人が、リアルな浴衣美人で目立ちまくってるからだ。これはナンパを防ぐだけでも一苦労だぞ……
「ちょっと、遅いわよ灯センパイ。どうせ、そこのヌケサクが『行きたくないー』ってダダこねたんだろうけど」
まるで見てきたかのようなことを言う八神は、浴衣ではあるものの頭はいつものツインテールだ。どうしてもそのアイデンティティは崩すつもりがないらしい……と言っても、何故かツインテと浴衣が絶妙にマッチしている。テーマカラー(らしい)赤を取り入れた浴衣には、デフォルメされた金魚が優雅に泳いでいて、ひらひらと揺れる尾びれがポツポツと波紋を作っているデザインだ。普通に似合っている。褒めないけど。
「ごめんごめん、わぁ……!梓ちゃんの浴衣、なんかすごい。大人っぽいって言うか、カッコいいね。どこで買ったの?」
「私がデザインしたものですが……?」
いつものようにコテリと首を傾げて、灯を絶句させている神代は、相変わらずセンスあるなぁ……と唸らせるデザインの浴衣だった。奇しくも八神と対になりそうな水紋中心の図柄だが、一つ一つの水の表現にかけられた熱意の違いが如実にあらわれている。それだけだとデザインが煩くなりそうなのに、フワリと花開く蓮の花の見事な配置が全体をぐっと締めていた。滑らかな質感の黒い帯がリボンのように背中を飾って、金魚のヒレみたいにヒラヒラと揺れている。唯一、帯締めだけが朱の差し色になっていてオシャレ感満載だ。
店売りしてても不思議じゃないクオリティだな……高そうだけど。実際、神代プレゼンツの洋服とか巷に溢れてるワケだし、浴衣だって売ってるかもしれない。こだわりをもって墨一色で仕立て上げられているものの、地味だとか年増っぽいとか、そういう印象を一切抱かせないところは素直に流石だと思う。ほっそりとして折れそうに細くてたおやかな手足が『薄幸の美人』『深窓の令嬢』という雰囲気をバリバリに醸し出している。黙ってさえいればカンペキだ。
「灯先輩の浴衣は……このあたりの黄金比が素敵ですね」
「う、うん……ありがとう?」
……黙っていればな。
そんな感じで、残念な美人を地で行く神代に気を取られていて、近付く影に俺は気付くことができなかった。
くいくい
「おぉぉぉわぁ、ん?あぁ、誰かと思えば……来栖か、驚かせるなよ……」
「す、すみません!」
いや、少し袖を引かれただけでビビリまくってた俺が悪いんだけど、来栖は持ち前の素直さを発揮して青い顔をして必死に謝ってくれる。なんか、いつものことながら申し訳ない。
「い、いや、いいから。それより、どうした?」
「そ、の……」
花も恥じらう乙女が、恥じらっている。俺の頭を、そんな言葉が駆け抜けた。今日の四人の中で、可憐さで言えば来栖がバツグンだった。可愛さでは、俺の妹に負けるけどな。もちろん。その二つの何が違うのかについては、質問を受け付けていない。
とにかく、来栖の浴衣だ。こちらは灯と対にでもなってるみたいに、青と水色のグラデーションをもった紫陽花の柄で、小さくこまこまとした花が散りばめられていて、淡い緑色の葉で整えられたそれが清楚な印象を与えてくる。ほわほわした黒くて短いくせ毛の前髪を、今日は小さい花の髪飾りで留めているからか、いつもは見えにくい目元が見えて、小動物めいた焦げ茶のまあるい瞳がじっと熱っぽくこちらを見つめているのが分かる。
どどどどどうした。なんだか、初めてこいつと会った時を彷彿とさせるな。俺が単なる部活顧問を頼まれようとしていた時、恥ずかしいことに告白と勘違いしてしまった、あの時の紛らわしい雰囲気と似ている。でも俺は学んだんだ……現実は残酷なんだということを。
「せ、先生」
「なんだ」
やさぐれた心で返事を返す。潤んだ瞳が、俺を見上げた。惑わされるな、俺。
「その浴衣、お似合いですねっ!す、素敵ですっ」
……俺は多分、幻聴を聞いたんだと思った。俺はいま、遠回しにけなされたワケじゃないよな?いや、来栖がそんな悪魔みたいなことするはずがない。本気でこの子は褒めてくれたのか……こんなクズ教師の浮かれた晴れ姿を。なんだかそれだけのことが、やけに胸をじんわりさせた。
「いつもヨレヨレの白衣じゃなくて、それくらい『若作り』してればいいのよ。ね、センセイ?」
小憎らしいどころか憎たらしい顔で、八神が俺のハッピーな気分を粉々にしていく。八神、お前は許さない。絶対にだ。




