02 最後の晩餐。そこに隠された秘密なんて知らなかった。
「ちょっと、なにキノコでも生やしそうなジメっと感になってるの?私がレッスン行ってる間に何があったって言うのよ……」
呆れたような感じの口調でフライパンを振るう灯の頼もしい横顔に、俺はますます自分の情けなさを感じて溜め息がこぼれてしまう。
「……俺はキノコになりたい」
「毒にしかならないから」
バッサリと切り捨てられて、俺はガックリと肩を落とした。
「お兄ちゃん、バカなこと言ってないで卵のカラザ取って。じゃないと、お兄ちゃんのオムライスだけ卵と鶏肉抜きにするから」
「それもう、タダのライスじゃん……」
シクシクと泣きながらも箸をせっせと動かして、卵の白いやつをチマチマ取り除く作業を完遂させる。
「出来たぞー」
「うむ、よろしい」
灯は大仰に頷いて、フライパンの中身を皿に盛り付けると、もう一つの油を熱したフライパンの上に惜しげなくタップリと卵を流し込んだ。手早くかき混ぜながら焦げつかせないように調整し、灯がトントンとフライパンを持つ手首を叩けば、器用なものでクルクルと卵は巻き上げられてふっくらとした美しいオムレツができあがる。
いつ見ても魔法みたいだ、なんてガキみたいな感想しか浮かばない。ただ、かわいいウサギさんを描いたつもりなのに、何故か潰れて悲鳴をあげるホラーな豚を生み出してしまう灯に言わせれば、ウサギをウサギらしく描ける俺の方がよっぽど魔法使いであるらしい。お互いに、ないものねだりである。ちなみに俺は、卵かけご飯とカップ麺しか作れない。
今回のは灯としても会心の出来であるらしく、得意気に頷いた灯は盛り付けたライスの上にポン、とオムレツを乗せると俺にナイフを渡した。
俺は息を止めてオムレツを縦に割るように、そろそろとナイフを引いた。
「ふぉおお……」
この瞬間は、どうしても気色悪い歓声をあげてしまう。
レモン色のフワフワしたオムレツを割れば、とろとろした金色の半熟卵があふれ出す。こぼれた卵がチキンライスの山を滑らかにすべり落ちて、キラキラした斜面を作り上げる。カンペキな『ふわとろオムライス』だ……
灯が自分の分をささっと作り上げてしまう数十秒の時間も惜しく、うずうずしながらスプーンを持って落ち着きなく歩き回る。
「はい、できたよ」
「待ってました」
二人分の皿を食卓に運び、うやうやしく妹君にスプーンを渡す。
「「いただきます」」
ぱんっ、と手を合わせて合唱。素早くスプーンを持ち直すと、眼の前の『ふわとろオムライス』に挑みかかる。いそいそと、けれど出来る限りそっとスプーンを金色の海に沈み込ませると、閉じ込められていたチキンライスの甘酸っぱい香りがフワリと立ち上る。
それらを胸いっぱいに吸い込んで、とろりとした卵と一緒にほんのりと赤く色付くケチャップライスをすくい、パクリと一口。
「ふはぁ……」
(訳:うまぁ……)
口に入れた瞬間に広がるバターの香りと、舌の上いっぱいに感じるとろけた卵の優しい甘み。ホクホクと熱いケチャップライスに、ゴロリと入った鶏肉が噛めば噛むほどにジュワリと味が滲み出てくる。たまにアクセントみたいな感じで入っている玉葱の他には余計な野菜もないから、卵と玉葱の自然な甘みと肉のうまみだけを最大限に楽しむことができる。
「お兄ちゃんってば、ホントにオムライス大好きだよね」
苦笑する灯の瞳には、口いっぱいにオムライスを頬張りながらニコニコと笑み崩れるオッサン(俺)が映り込んでいる。我ながらキモいとは思うが、我が妹君には我慢して頂こう。だって美味いんだから仕方がない。オムライスが悪い、いや良いけど。
「かーちゃんのより、いや、レストランのより美味い」
「おおげさ」
俺の言葉を笑い飛ばす灯に、俺は勢いよく首を横に振った。
「お前のオムライスなしに俺は生きていけん」
「そんなこと言って、私がお嫁に行っちゃったらどうするの?」
俺はその時をリアルに想像した。このオムライス、いや、妹が俺の生活から欠けた世界。
「……お前の新居の地下室か天井裏に住むわ」
「それは普通に引く」
灯は引きつった表情でオムライスを口に運んだ。
「そこは嫁になんて行かせるか、とか言うトコなんじゃないの……」
ボソボソと何か呟いている気がするが、俺はちょっとオムライスに集中していて反応してやる余裕がない。済まないな、妹よ。
黙々と『ふわとろオムライス』を片付けた俺は、俺よりもずっと食べるのが遅い灯をボンヤリ眺めながら、食後の幸福感に浸っていた。死ぬ直前にもオムライスを食いたいな、なんてことを考えていれば、さっきまでジメジメしてキノコになりたかった気分なんて吹っ飛んでしまった。だから、心穏やかにこの話を切り出せる。
「お前、来栖結って知ってるか」
「えっ……うん。友達の中でも、かなり仲良しな方だけど。どうしたの、いきなり」
俺はその答えを聞いて安心した。彼女の勢いに押されて頷いてしまったが、灯の苦手な人間だったら断ろうと思っていたから。
「いや、彼女が『芸術部』に入部することになった」
「へえ……って、はいっ?」
灯が、オムライスを思い切り飲み込んでしまったみたいな顔をした。実際そうだったかもしれない。もったいない。
俺はアンニュイっぽい溜め息を吐いて、灯のジト目を受けながら事の顛末を話した。
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