09 ヴァトーのピエロ。俺って、そんな風に見えてたか?
「せんせー、どうせ来てるなら手伝うとかないんですかー?」
「……え、なんで?」
「『なんで?』と来たよ、この人は……」
ボヤケた視界の中で、愕然とした表情で教え子が立ち尽くす。
「このナマケモノより怠惰な生物に何を言ってもムダよ、青木。そんな非生産的なことに労力を割くくらいなら、自分の手を動かすべきだわ。学びなさい」
ピシリとした八神の正論?に、哀れな青木君はすごすごと帰るかと思いきや、謎の使命感に突き動かされてるのか、頭が茹だって正常な判断が出来なくなってるのか、あろうことか教卓にべったり貼り付いてる俺をそれごと揺り動かした。
「先生、そこで寝てるくらいなら!せめて!エアコン直すように、交渉してきてください!」
「あばばばばばば」
ガッタガッタと揺れる俺の安寧の地に、それでも必死になってしがみつく。だって、このうだるような暑さの中で、この教卓が一番『ひんやり』してるんだよ……
「おやめなさい。ただでさえ思考の溶け出している先生の脳が、これ以上ポンコツになったらどう責任を取るおつもりですか。先生をただの粗大ゴミにしたいのですか」
神代のひんやりした声に、青木君の猛攻が止まった。止めてくれたのは嬉しいけど、俺はちょっと悲しいよ、神代……涙が出そうになるのを必死に堪える。プライドのためじゃなくて、ムダに水分を逃さないためだ。水分補給するために身体を動かすのもダルくてな。
そう、現状として夏の真っただ中。それも楽しい夏休み、のはずなんだが、毎日通勤させられている悲しき社会人の性。その上、教室のエアコンが切れている……っていうかぶっ壊れている上に、そんな中で学園祭の準備をしなくちゃならないなんてクレイジーな状況だ。
「だーらーいっれるらろー……れんきららら……」
あつい。ろれつが回らない。とりあえず面倒だから、意識が遠ざかってるフリをしたい。
「……神代さん、あれは何を言ってるんだ」
「先生は『だから言ってるだろ、電気屋が来れないってんだから俺だって我慢してるんだ』と仰っています」
神代の的確な返答に、青木君が絶句した。
「ウソだろ……」
「ここで虚偽の申告をする意義が見出せませんが」
「あ、なんか、スミマセン……仕事します」
すごすごと引き下がった青木君の足音が遠ざかっていくのを聞きながら、俺は危機が去ったことを理解してダラリと安心して脱力した。
「ほんっとうに、サボることにかけてはムダすぎる精神力を発揮するわよね……」
「まあ、先生に動いて頂いたところで、作業が進むとは思えませんから。合理的な判断です。私達もキリキリと仕事しますよ」
淡々と、そして相変わらずヒドい言葉を無自覚に並べる神代に、八神がムッとした声で返した。
「私に指図してんじゃないわよ。さっきからバリバリ働いてるし」
「昨日まで補習漬けで、泣きながら先生に補習期間の短縮をお願いしていて、クラスの学園祭準備に参加できなかったのは、どこのどなたでしたでしょうか。私は非常に!面倒!でしたが不承不承!期末試験の前は泣きついてきたあなたに勉強を教え、更にはテストの山まで張って差し上げたはずなのですが、それにもかかわらず他のクラスに比べて緩いカリキュラムである芸術科のテストごときで、あれだけの数の赤点を取ってくるとは、いやはや驚きを禁じ得ません」
平坦な調子で言葉を並べる神代が、メチャクチャ怖い。聞いている俺が冷や汗かいちゃうレベルだ。さすがの八神もこれにはぐの音も出ないようで、チラリと盗み見れば人差し指をツンツンと突き合わせて目をそらしていた。子供か。子供だな。
「ごめん神代さん!こっちのシャンデリアのデザイン、確認してもらっていいかな」
「はい……ああ、こちらのテクスチャ……もう少し金属的で艷やかなものを作れませんか。それから……」
「八神さん、カップの上絵付こんな感じで揃えていい?」
「今回のカフェのテーマ分かってる?アール・ヌーヴォーでしょうが、植物の表現にもっとこだわりなさいよ!」
「すみません、すぐ直しまっす!」
「師匠に窯の予約取れました!仕上げ焼き準備オッケーです!」
「でかした!絵付け班急げ!しかし命がけでこだわれ!骨は拾ってやる!」
「梱包準備だけでも始めとくね」
「うわ、音楽のこと忘れてた……BGMどうなってる?」
「いま、このクラス唯一の音楽担当・佐藤クンが、そこのノーパソでクラシック音楽をバリバリアレンジしてる。むしろ作曲してる。寝てない」
「マジか、凄まじいな……寝ろよ。ってか、そもそも音楽担当いたのかよ。なんで美術特化の『芸術科』に来たし」
「なんかインスピレーション湧くらしいよ」
「そこの採光、もうちょいどうにかならない?」
「窓広げろってのかっ」
「なんのためにレゾナンスあると思ってんの、光くらいちゃちゃっと描きなさいよ!」




