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07 洗礼者ヨハネ ④

 きっと、目の前にいるこの天才少女は、そんな壁にぶち当たったことはないだろう。俺の知る限り、今の代で八神に対抗できるような天才なんて神代だけで、それだってレゾナンスのせいで分野の壁が薄くなったと言うだけで、元はといえば全く関係のない分野の相手であるはずだ。本来ならライバルになんてなるはずもない、優劣もつけられない相手。


 それとは真逆に、俺と一樹はいつでも同じコンクールに出場し、同じ分野の同じ舞台で腕を競った。お互いに、お互いだけがライバルと認めていた。そのはずだったのに。


「題材だって同じはずなのに、俺のは単なるエゴと傲慢(ごうまん)を詰め込んだだけの肖像画だったけど、一樹はそれを普遍的な美にまで昇華させてた。所詮は俺の想像力も技術も、既存の枠から飛び出すことはできなかったんだ。天に手を伸ばすことすら、俺には許されていなかった。それをさ、納得させられてしまったんだよ」


「っ、違う……穂高燿はそんな程度の才能なんかじゃっ」

「都合よく逃げ道もできた」


 八神の反論をぶった切るようにして言葉を落とす。今はもう、何も聞きたくなかった。とにかく、早く終わらせたい。もうすぐ終わるんだから、ちょっと黙っててくれよ。


「事故にあったんだよ。ありがちな話だろ」

「っ、でも……普通に手、動いて」


 何故か怯えたような表情を浮かべる八神に、こいつがこんな顔をするくらい、今の俺は荒れてるのかとどこか他人事(ひとごと)のように思う。自分の心が少しずつ死んで無機物になって、ガラスか金属のように鋭さと冷たさだけが増していくのを感じる。


「今はな。あれからもう、何年も経ってる。人並みの絵を描くくらいなら問題ない。それでも事故にあって、どれだけリハビリをしても、完全に元通りの腕には……なんだっけ、神の腕とか冗談みたいな名前のついてた、芸術家の腕には戻らないと告げられた時、正直言うとホッとしたんだよ。神なんて信じちゃいないけど、目に見えない何かに感謝した。誰かが俺に、最後の言い訳をくれたんだって。それで、芸術家としての俺は死んだんだ。誰が何て言おうとな」


 本当に死んでしまえば、その方がある意味幸せだったかもしれない。絵を描く他に、俺が出来ることなんて何もなかった。画家としてさえ凡人の域を出なかったのに、普通の人間としてクズ以上になれるはずもなくて。俺は何者にもなれないまま、ただ息をして植物のように生きるしかなかった。


 単に怖くなったのかもしれない。これ以上、他人に評価され続けることが。永遠に舞台の上で(さら)し者になり続けることが。その点、彼女達は……八神や神代は、なんて強くて美しく輝いているんだろう。自分たちにのしかかる世界の重圧にも、目を逸らさずに立ち向かい、自分の才能に対する覚悟は揺らぐこともない。


 つまるところ、他の誰でもない自分自身が自分の才能を肯定し続けること。それに甘んじず、ひたすらに修練を積み重ねた者だけが辿り着ける高みなのかもしれない。なあ、お前達は、どんな景色を見てる?


「俺は、天に手が届かなかった。お前と違って、俺は選ばれなかった……もう、放っておいてくれよ。やっと、大人になれたんだ。現実を見れたんだっ。こうして細々と教師やって、自分の好きに絵を描いて、生徒を見送って……それで良いと、それが俺の幸せだと、やっと思えるようになったんだ!俺の平穏を乱さないでくれよっ?俺がとうの昔に捨てた過去を、他人のお前が勝手にひっくり返すなよ。お前の人生じゃないだろ?こんなクソみたいな、それでも俺の人生だっ!」


 ああ、言ってやった。ずっと、これが言いたかった。この天才に、叩きつけてやりたかった。クズはクズなりに、自分の人生を苦しんで苦しんで、それでも踏みしめて歩いてきて、その成れの果てにここで生きてるんだよ。


 ずっと苦しかった。なんで俺が、って思ってた。このグチャグチャに見る影もなく壊れた俺の中身を、誰かに吐き出したくて傷付けてやりたくてたまらなかった。八神は事故か災害に遭ったようなものだけど、それを引き起こした張本人である俺は、途中で言葉を止めてやる思いやりも、罪悪感を感じるような余裕さえ、心のどこにも残していなかった。


 だからきっと、俺は獅子の尻尾を踏んづけるどころか、頭を蹴飛ばして歩いていたことにさえ気付かなかった。


「……さっきから聞いてれば、グダグダグダグダうるさいっ!何が他人に生き方を押し付けるなーよ、アンタの方がよっぽど私に押し付けてくるじゃんっ。事あるごとに、やれ天才だ俺とは住む世界が違うんだって、バカにしてんのっ?未だに私は……私達の世代は穂高燿、アンタを超えられなくて苦しんでんのよ?」

「そんなの、お前らの勝手な思い込みだって言ってるだろうがっ」


「そーよ、思い込みよ!アンタが、越えるべき壁として立っていてくれなくて、勝手に自分で自分を追い詰めてスタコラ画壇からいなくなったせいで、作品だけが残ってアンタは伝説になったの!だから、どれだけ自分で納得のいく作品を生んでも、アンタの作品を見るたびに打ちのめされる。私がどれだけ足掻(あが)いても、私と同じ年でアンタが描いた作品のたった一つだって越えられない。そんな才能を持ってるのに『俺は選ばれなかった』ですって?ふざっけんじゃないわよっ!」


 その、怒りと嘆きのエネルギーが凝縮された叫びに、全身の細胞が凍りついたような気がした。いま、初めて正面から見つめた八神の瞳は、燃えるように激しい熱で満ちていた。そこには涙の欠片もなくて、ただやり場のない痛みだけが渦巻いていて。


 だからこそ、俺は何か途方もない罪を犯してしまったような、そんな事実にいまさら気付いた。もう、後戻りできないほどに、八神を傷付け尽くした後で。



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