03 民衆を導く自由の女神 ⑥
(やって、しまったぁぁぁあああっ)
もう、顔から火は出ていないだろうか。いや、出て欲しい。俺の顔面の片鱗も残さず、いっそのこと誰だか分からないくらいに焼き尽くしてはくれないだろうか。
調子に乗りました済みません。忘れて下さい。なかったことにして下さい。そんな感じで土下座して数十分前の過去をやり直したい。恥ずかしい。恥なんか知らん、なんて思ったのは嘘だ。恥ずかしさで死ぬことだって、多分あるに違いない。
「芸術家なんだろう?って、なんだよ……何様だよお前……カッコつけ過ぎかよ……」
教室を出た瞬間に襲ってくる後悔と、数十分前の自分に対するドン引きカーニバルで、俺は押しつぶされてしまいそうだ。何てことを宣言してしまったんだろう……あの場で『えっ引くわ』みたいな反応をされなかったから、まだ良かったものの、もしされていたら俺の精神は立ち直れない領域にまで踏み込んでズタズタになっていたに違いない。
(んで、どうしてお前らは『かっこいい……!』みたいなキラキラした目で見てくれちゃったワケ?)
明らかに(物理的にではなく精神的に)クサくて自分に酔ってる感じのオッサンを前にして、異様な熱気があの教室にはこもっていた。教壇の上って、生徒が思っている以上に教室中が良く見えるんだが、確かに誰も冷めた表情で『何言ってんだこのオッサン』とか言う顔は見えなかった。そういう顔をしてくれていたら、俺ももっと早く正気に戻れたはずだ。
それどころか、自分の好きなアイドルのライブ会場にでも行ったみたいな顔で、俺の言うことなす事に頷きを返してくるのである。いや、断じてアイドルのライブ会場の雰囲気を知っているワケじゃないが。とにかく、うっかり乗せられてしまったじゃないか!
いや、人の所為にすんのは良くねえけどさ……と、俺はガシガシ頭を掻きむしった。明日から、どんな顔をしてあいつらの前に立てば良いんだろう。
「はぁぁぁぁあぁぁ……」
一生分の幸せが逃げていきそうな感じの溜め息を吐き出していると、背後からパタパタとした足音が聞こえてくる。これって、廊下は走っちゃいけませんとか言わなきゃいけないヤツだっけ?ああ、でも俺も会議に遅れそうな時とかよく走るしな……まあ、走るよな。
そんなボケボケしたことを考えていると「先生!」と背後の声が誰かを呼び止める。特に誰の返事もない。そこでもう一度「先生!」と今度は別の声が誰かを呼び止めた。やはり返事はない。反応くらいしてやれよなーかわいそうに、と思っていた矢先だった。
「ぐえっ」
蛙の踏み潰された音、ではなく俺の首がしまった効果音である。
白衣ごと首根っこを引っ掴まれたのだ、と気付くのに暫くかかって、俺は慌てて振り返った。そこには見覚えのありすぎるツインテールと日本人形。
「お、おおおおお前ら、しっしょ傷害致死罪で訴えんぞっ」
ずざざざざ、っと勢いよく距離を取りながら涙目で叫ぶ。女子高生怖い。ボヤケた視界の中で、ツインテールが呆れたような溜め息を吐くのが分かった。
「死んでないじゃん、大げさ。こっちが呼び止めたのに、振り返らないからでしょ……ってか、さっきまでの穂高燿と本当に同一人物?雰囲気違いすぎ」
「実物は随分とうだつの上がらない風貌、おっと失礼……浮き世に囚われない自由を感じさせる、独特な格好をしていらっしゃいますね」
やっぱこいつら嫌い、とますます涙で視界がボヤける。俺のズタボロの心に塩が塗り込まれていく。それでも、生徒に呼び止められたら無視できないのが悲しい教師の性だ……正直、廊下で話してるから他の教室から丸見えで、仕事してないのを学園長にチクられたら困る。
「で、何か用か?質問があるなら、さっきしろって言ったはずだけど」
「いえ、質問ではありません」
きっぱりと、神代が首を横に振る。俺はこいつの話し方が何となく苦手だ。何ていうか、くたびれたオッサンには厳しすぎるっていうか、もうちょっと優しさが欲しい。ま、俺が言えた口じゃないけどな!
「先生に用事があったから来たの……ってか、なんでアンタまでいるわけ?」
八神が鋭い視線を神代に向ける。思ってたんだけど、お前らなんでそんな仲悪いの。
「それはこちらの台詞、と言いたいところですが、あなたとの会話に無駄な労力を使うヒマは現在ありません。効率性の重視、あとは抜け駆けを許すことはできない、と言ったところでしょうか」
「その持って回った口調、心底ウザい。まあ良いわ、どのみち同じ用事でしょ」
しばらく睨み合っていた二人に、そろそろ俺帰っていいかな……いいよな?という心の声が聞こえてしまったのか、ギンッと今度はこっちに鋭い視線が飛んでくる。
「先生」
「先生」
目の前にはとんでもない美少女が二人。それでも、こんなシチュエーションは、断じて嬉しくなんてない。もう、帰らせて欲しいと思う俺に、容赦なく言葉は浴びせられた。
「「私を弟子にしてください!」」
「いやだ!」
「「………え」」
そして、俺は逃げた。人生で一番の走りを見せた。
廊下を全力疾走しながら、背中から追いかけてくる「廊下を走るな穂高ぁぁぁあっ!」と言う恩師の声の幻聴を聞いた。だが、人生止まれない局面ってものがある。今がそうだ。
そんなことを思い辿り着いた美術室で、その声が幻聴でなかったことを知り、仁王立ちになった先生に高校時代以来の説教をされるのは、今から僅か一分後の話であることを俺はまだ知らない。
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