03 民衆を導く自由の女神 ④
頭痛を堪えるような表情で、溜め息混じりに冷ややかな視線を送る神代に、八神は全力でバカにしたような表情で応酬する。
「何がプライバシーよ、芸術家のクセして。自分は安売りしません、って?そこの本物だか偽物だか分かんない穂高先生も言ってたでしょ。私達は三年間も同じクラスで仲良くお絵かきするワケ……そうじゃなくても、アンタの絵なんて一発で誰のか分かるでしょ。どうせ似たような墨ぶちまけた落書きしか描けないんだから」
「……ダ・ヴィンチの下手くそな模写しかできない芸術家気取りがどの口で」
高らかに叩きつけられた八神の煽りと、神代の呪いにも似た呟きの重さに、教室が一瞬にして凍りついた。いま何故かヒートアップしている二人は、紛れもなく遠くない未来に世界で通用するアーティストになる『天才』であるに違いなかった。こうして本気で罵り合えるのは、言わば二人が同じ水準の高みに立っているからなのであり、その他の人間は二人と比べてしまえば誰でも凡人のカテゴリにくくられてしまう。つまり、今や二人がお互いに向けた刃は、お互いよりも周囲を傷付け始めていた。
「……芸術家同士が個性をぶつけ合うのは結構だが、教室の外でやってくれ」
珍しく教師面して俺が割って入ると、睨み合っていた二人の鋭い視線がギンッと俺に向けられる。おいおい、何なんだ……ったく、女子高生怖いわ。
「つい、無駄な会話に時間を取られてしまいました。申し訳ありません。ですが、先程の質問にまだ答えて頂けていません」
「……この女に賛同するのはものすっごくイヤだけど、こればかりは私も同意見よ」
一つの嘘も見逃さないという感じで俺を睨みつける視線に、ついさっきまでの緊張や過去のトラウマでの痛みが、ほとんど感じられないことに気付く。何と言うべきか、ただ、虚しさだけが残っている。俺も、ここにいる奴らと同じように、この二人の眩しさに焼かれて疲れ果ててしまったのかもしれなかった。今からこれじゃ、先が思いやられる。
何となく教室中を見渡すと、俺を窺うような視線が突き刺して来るのが分かる。どうやら、俺の嫌な予感は当たってしまったらしい。
「お前達のそれは、他人のプライバシーを根掘り葉掘り聞くマナー違反にはならないのか」
「我々は端的な事実として、普通科の生徒達とは違います。我々は三年間を、他でもないあなたに預ける立場です。本来なら盗作騒ぎのあった人間が、教師に……それも芸術科の専任教師として就任なんて、今の時代は叩かれてもおかしくないでしょう」
糾弾するでもなく、淡々とした神代の言葉に、俺は肩をすくめるしかなかった。全くもって正論である。
「でも、私達はそれをしなかった」
「っ……」
さっきとは打って変わって、子供っぽさの抜けた『芸術家の顔』で言葉を落とした八神に、俺はどうしてか呑まれてしまっていた。
「ここにいる誰もが、きっとあなたを目指して来たわ。穂高燿……私達の世代で名前を知らない芸術家なんていない。ずっと探して、やっと見つけたら私立の高校の美術教師?ふざけんじゃないわよ!……って、多分みんな思ったんじゃないかしら」
ごまかしてはいるが、それは確実にお前個人の感想だろうと思ったけれど、視界の中でいくつもの頭が『うんうん』と頷く。マジか……いや、十年前の俺自身が今の俺の姿を見ても、似たような感想を抱いたのかもしれない。恥ずかしくないのか、と。アホか、恥ずかしかろうと何だろうと、生きていかなきゃならないんだ。
(なんで、他人のお前らにそんなこと言われなきゃならない?)
勝手に憧れて、勝手に失望したのか?そんなの、お前らの都合だろ。
心の底からそう思ったし、実際そう言ってやろうとも思った、だけど八神の言葉は俺の言葉を粉々にしてしまった。
「仮にも芸術に携わる人間としてそこに立ってるんでしょ。なら、その名前の重さくらい自覚しなさいよ!芸術家なら、自分の名前と作品に責任くらい持ちなさいよ!あなた美術教師でしょ、どうして初っ端から私がこんなこと言わなきゃいけないのよ!」
そんなの、俺が知るかよと思う。俺は普通の教師と違って、別に子供が好きなわけでも、誰かに教えることが好きなわけでもない。教師としての責任をもってうんぬんかんぬん、なんてマトモな倫理観と責任感すらない、好き勝手やってる不良教師だ。
それでも、と思う。確かにこれはフェアじゃない。このクラスで今座っている生徒が提出した履歴書には全て目を通したし、ネットで検索できる範囲ではあるけど、これまでこいつらが世に出した作品は全て見た。どいつもこいつも美術の世界じゃエリート街道まっしぐらなヤツだから、それはもう膨大な量の作品に目を通した……ただ、その分こいつらのことはよく知っている。
けれど、俺は一切の経歴を提示しなかった。それが、芸術科を三年間引き受ける条件だった……それなのに、こいつらは俺の名前だけを見てやって来たんだ。
それは大人とか教師とか芸術家とか、そういう大それた責任感じゃなくて、もっと根本的に人間として最低限の礼儀を守るべき場面だと思った。
「悪かった」
俺が素直に頭を下げると、八神も神代も……クラス中が戸惑うように、揺れた。