02 最後の晩餐 ⑥
(うぅ……はい、バカでした!確認しないで勝手に納得した私がバカでした!でもまさか、結ちゃんの好きな人が私のお兄ちゃんだなんて、誰が思うのよぉおおっ)
いや、一瞬だけ答えにたどり着きそうではあった。でも、私の心がそれを信じたくなかっただけだ。私はまたゴロゴロとベッドの上を転げ回りながら、抱き締めたパンダさんの枕に深々と溜め息を閉じ込めた。
「それにしても部活の顧問にって、結ちゃん結構思い切ったなぁ……」
ボソボソと呟きながら、溜め息をもう一つ。いや、別に芸術部に結ちゃんが入るのを嫌がってるんじゃない……むしろ、そこに関しては芸術部がどんな風に変わるのか楽しみではある。問題は、結ちゃんの好きな相手が他でもない、私のお兄ちゃんであると言うことだ。
(分かってる。おかしいのは、私……)
私には、秘密がある。それこそ、誰にも言えないこと。
私はお兄ちゃんが……穂高燿が好きだ。それも兄としてではなく、一人の男として。
この気持ちを自覚した瞬間から、誰にも言わずに墓場まで持っていくと心に誓った。お兄ちゃんの幸せを願うなら、この気持ちだけは絶対に口にしてはいけない。家族を大事にしてる人だから、私の気持ちを知ればどう接すれば良いのかと真面目に考え込んで、冗談じゃなく心を壊してしまうかもしれない。それくらい脆くて繊細なんだと、家族だから知っている。
何より、この生活を私のエゴで壊したくはなかったし、私がこの『妹』というポジションを自ら失うような真似だけはしたくなかった。だって、妹なら無条件に家族として愛してもらえる……愛の形を自分の都合のいいように解釈して、お兄ちゃんを騙し続けてるみたいで時々どうしようもなく虚しくて申し訳ないけど、真実を告げる事だけが誠実さじゃない。
でも、そんな人としておかしくて真っ当な道をはずれてしまってる私だけど、それでもたった一人の兄妹であるお兄ちゃんの幸せを願ってる。
(ずっと、お兄ちゃんは頑張って頑張って、心を壊して……それでも苦しみながら立ち上がって生きてきた。それが報われない世界なんて、嘘だ)
お兄ちゃんは……穂高燿はかつて、次代の美術界を担う天才ともてはやされていた。中学生にして名のある絵画コンクールで賞を取り、高校入学と同時に個展を開いて成功をおさめ、子供とは思えない深みのある世界観と既に完成された技術力とで、その界隈では一躍有名人となり名前を知らない人はいなかったくらいだ。
私に美術の難しいことは良く分からないけど、お兄ちゃんの作品が他の人とは違うことくらいは、素人目にだって分かるレベルだった。作品をどこかに提出する時、お兄ちゃんがこだわったのは印象派の技法……あの有名なモネとかルノワールとか、日本人が好きな画家のやつだ。それを真似るだけではない独自の世界観と、特に光の表現が素晴らしいと誰もが褒めたたえた。ついた通り名は『現代印象派』『光の魔術師』『天才少年・穂高燿』
天才、なんて一言で片付けるのは、お兄ちゃんの作品とその人生に対する冒涜だ。もしも彼にその言葉を使おうと思うなら『努力の天才』以外に言い表すことはできないと、妹の私が断言する。お兄ちゃんは小学生の時に絵の世界にのめり込んでから、それこそ食事とお風呂を除けば、ほとんど全ての時間を絵を描くことに費やしていた。誰かが一流の壁は一万時間がどうとか言っていたけれど、そんなものは遥か遠く昔に過ぎ去っているに違いない。
誰に強制されたワケでもないのに、学校に行く間も惜しんで、学校に行ってる間さえも絵を描き続けているくらいに、その世界にドップリ浸かって。好きだとか愛してるだとか、そういう次元の言葉では表せないくらいに、絵を描くことはお兄ちゃんの一部で。それが、ある事件をきっかけに、たったの一枚も描けなくなった……それが、高校二年の時。
それでも、長い長い時間をかけて、いっそ死んだ方が楽になれるんじゃないかってくらいに苦しんで、ようやくお兄ちゃんは今みたいに普通の生活を送れるようになった。今でも紙に向かって筆を持つ、昔ながらのやり方で絵を描くことはできないけど、仮想世界で絵を描かなきゃ居ても立っても居られないくらいには回復してる。
(お兄ちゃんは、あの時……あのまま壊れてしまうこともできたのに)
それでも苦しんで、この世界に戻ってきてくれたのは、自惚れでなく私のためだと知っている。