13 パラソルをさす女 ⑥
眩しいくらいの瞳を、こんなにも至近距離で正面から受け止めたことがあっただろうか。
(お前って、本当……)
そんな目で見られたら、何でも言うこと聞いてやりたくなっちまうだろうが。
「描くよ」
「へっ……?」
俺の落とした言葉が、信じられないとでも言うような顔で、俺の胸ぐらを掴んでた手から力が抜ける。
「描くよ、もう一度。お前に言われたからじゃなくて、俺が描きたいから……だから、いつまでも描く。お前らが望んでくれる限り、ずっと」
言葉が、想いの全てが、届くようにとその目を見つめる。
一瞬だけ泣きそうに歪んだ瞳は、次の瞬間……見たこともないくらい、眩しい色を浮かべて、笑った。
(確かに、お前の言う通りだったよ。神代)
八神の感情は驚くほどに純粋な原色で、こんなにも、綺麗だ。
いまこの瞬間、本当に『帰ってきた』んだと、そう感じた。
(そう、だな……俺にとっての絵は、こんな風に大切なものと繋がるためのものだった。そうだった、はずなんだ)
大切な人を喜ばせるため。今この瞬間の愛しく想う感情をとどめておくため。未来の俺に、その絵を見る誰かに、この美しさを幸福を、どうか届けと願いをこめて。
これが、俺の何より大切な、原点なんだ――
「帰ろうか」
「……はい、先生」
右隣に目を向ければ、微笑んで頷く神代がいる。そして、左隣には……
「ちょぉぉおっと待ったぁっ!」
必死の形相で俺と神代の腕を掴んで引き止める、ツインテールゴリラがいた。
「どうした、八神。まるでゴリラみたいだぞ……」
「アンタ、後で覚えてなさいよこの鳩男っ。ここに何しに来たってのよ!」
その言葉に、俺と神代は顔を見合わせて、それから同時に青ざめた。
慌てて時間を確認する。ヤバい、職員会議に遅刻しそうな校門が閉まるギリギリ一分前よりも、多分ヤバい時間だ。
「急ぎましょう」
「そうだな、って、あれ」
安心したら、なんだか腰が抜けた……なんて言ってる場合じゃないぞ、俺。
「ああもう、こんな時まで使えないヘボ教師っ。さっきの前言、全部撤回!」
叫びながら、八神が驚異的な腕力でいつものように俺を引きずっていく。そんな八神の奮闘のおかげで、何とかギリギリ時間前には桜花賞の授賞式に滑り込んだ俺達は(俺は引きずられてただけ)チラホラと視線を受けながらも仮設の会場の最後尾に落ち着いた。
俺が席に就いたのに気付いたのか、審査員席に座っている数少ない俺の理解者……であるはずだけれどいつまで経ってもファッションセンスで理解し合えない(花柄のシャツに全身ショッキングなピンクのスーツ、そして総白髪な)爺さんが、チラっとこっちを向いてバチリとウインクを飛ばしてくる。こっち見んな。
(相変わらず、ファンキーな爺さんだな……)
ただ、そのウインクの直撃を食らった瞬間、俺は自分が緊張していたことを思い出してしまった。そうだ、あの爺さんはただ格好がぶっ飛んでるだけじゃなくて、自分自身が桜花賞どころか世界でアレコレ賞をとりまくってる恐ろしい実力派の芸術家なのであって。
『そろそろ腰も痛いし引退したいぜ』
なんてこと言いながら、まだまだ居座る気満々なのはみんな知ってるんだぞ……
とにかく、そんな恐ろしいモンスター爺さんはもちろん桜花賞の審査員なのであって、この爺さんがいれば桜花賞、桜花賞と言えばこの爺さんって意識が染み付いてトラウマみたいになってる。つまり、いま俺は桜花賞の授賞式にいるのだということを、運悪く思い出してしまったのである。
開会の挨拶を長々と述べる、ファンキーじゃない爺さん(ほとんどの審査員が、真面目なスーツを着ている)の言葉も右から左へ抜けていき、吐きそうなくらいの緊張だけが頭の中をグルグルと回る。どうしよう、と左隣の八神に訴えるように視線を向けた瞬間、呼吸が止まった。
(あの八神が、緊張してる……?)
何も視界に入れたくない、とでも言うようにギュッと目を閉じて、握りしめた手がかすかに震えていた。思わず右隣を確認すれば、ここに到着したばかりの時はあれだけ飄々としていた神代も、八神と似たような格好で青ざめるを通り越して真っ白な顔で座っていた。
そう、だよな。お前達だって、普通に緊張くらいするんだよな。
きっと、本当に俺が緊張しすぎているから、二人とも緊張できなかっただけなのかもしれない。まだ高校生だ……こんな時くらい、俺がしっかりしてないで、どうするよ。
今だけはシャンとして、結果を聞き届けようと姿勢を正す。かつてこの席に座った時、これっぽっちも緊張していなかった、恐れなど知らず大切なものの存在さえ忘れかけていた、あの時のガキはもういない。
ここにいるのは、挫折も無力感も痛みも苦しみも、一通り味わったタダのくたびれたオッサンだ。それでもきっと、あの時より少しはマシな『人間』に、きっとなれるだろう。
「それでは発表致します。今年度、大賞の受賞者は――」
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