02 最後の晩餐 ⑤
「ふむふむ」
根が真面目なのか天然なのか、結ちゃんはいつの間にかいそいそとメモを取り始めていた。私は何だか気恥ずかしかったけど、こうなったら後には引けないと『結ちゃんの恋路を成就させよう作戦』を、とうとうと伝授する。
「やっぱりさ、教え子ってポジションだからこそ出来るアタックを、がんがん仕掛けてくべきだよ。勉強教えて下さいーとか、進路の相談乗って下さいーとか、単におしゃべりしに行くだけとかも良いんじゃない?とにかく、その先生にとって結ちゃんが周りにいるのが当たり前ーみたいな認識されるのが理想だよね。まだ、あんまり仲良くないんでしょ?」
「う、うん、そうだけど……でも、それってズルっこ、みたいじゃないかな?それに先生って忙しいんだろうし、迷惑とかになっちゃうんじゃ……」
不安そうにメモへと視線を落とす結ちゃんに、まあその気持ちは分からなくもないと思う。ウチの学校は小学校の職員室とかと違って、それぞれの教科担当とか高等部・中等部のくくりとかで、細かく職員室が分かれていて一部屋ずつが小さいからまだ入りやすい感じだけど、それでも職員室の扉を叩くにはかなりの勇気がいる。
大人の空間って、つまりはそういうことだ。教師がどれだけ私達に近い存在に見えても、やっぱり大人達だけの世界があって、そういうのを強く感じる瞬間は時々どんな他人よりも遠い存在に感じさせる。結ちゃんみたいな性格だと、話しかけるだけでも『迷惑かも……』とか思って躊躇してしまうだろう。でも、だからこそ私は自信満々に言い切ってみせる。
「ただでさえ、先生と同い年の大人なんかと比べてたら、子供ってだけでアドバンテージないんだから、使える武器は何だって使わなきゃ……その人、独身で彼女いなくて、それでそこそこ若いんでしょ?うかうかしてると、大人の女の人に取られちゃうよ」
「っ……」
結ちゃんの瞳が、確かに揺れた。その隙間に見えた色の正体を、私はよく知っている。それはまず間違いなく、独占欲という名の化け物だ。それでも、いつも他人の欲しがるものをあげてばっかりで、何が好きとか何が欲しいとかを一度も言ったことのない結ちゃんが、初めて見せた強い気持ちを……それも恋心を、どうしても叶えて欲しかった。
「向こうだって仕事なんだろうけど、子供好きでもなきゃ教師なんてやってられないんだからさ。生徒が困ってたら放っておけないだろうし、よっぽど無理なことでもなきゃ、多少のワガママ聞いてくれると思うんだよね。それこそ、教え子の特権だよ」
「高校生のうちだからこそ、できること……」
目の色が変わった結ちゃんは、しばらく考え込んだ後に、何か心が決まったように力強く頷いた。その瞳に、もう迷いの色はなかった。
「ありがとう、灯ちゃん……おかげで勇気出たよ。私、やれるだけやってみる」
「うん!こうやって話くらいしか聞けないけど、応援してる!今度どうなったのか聞くの楽しみにしてるから。半分くらいは、野次馬根性ね」
私がニヤリとしてみせれば、結ちゃんはおかしそうにクスクス笑った。
「もう、灯ちゃんてば……」
その、どこか吹っ切れたような笑顔を見つめながら、こんなに結ちゃんから想われてる若い男性教師っていったい誰なんだろう、と今度こそ本物の野次馬根性が顔を出す。目の前の本人に聞いてしまえば一瞬で済む話だけど、名前を直接出さないってことは誰を好きだか知っていて欲しいとは思っていないんだろうし、それを無理に聞き出すのも悪い。
まあ、こういうのは想像して楽しんでるのが一番いいんだよね、と思いながら独身でそこそこ若い男性教師とやらを指折り数えてみる。ウチの学校は中等部を受け持っている人や、非常勤講師まで数えればかなりの数の先生がいるはずだけど、条件に当てはまる人っていうのは実はそんなにいない。
(まずは人気どころだと体育の爽やかハンサム須賀先生でしょ、世界史のちょっとイジワルだけど面倒見のいい三坂先生、あとは……ユニーク枠だとミステリアスな保健医の戸田先生とか、あとは事務の頼れるお兄ちゃん西村さん、ってここらへんは先生じゃないし。あとはフツメンだけど、数学に英語に一人ずつ独身いたっけ……うーん、そもそも結ちゃんの好みとか分かんないしな……)
と、そこまで考えて、自分がもう一人だけ存在している候補を、無意識にはずしていることに気付く。学校の誰にも、結ちゃんにすら言っていない、先生達しか知らない私の家族。
(ウチの、お兄ちゃん……)
心の中で呟いて、私は即座にブンブンと頭を振った。
(いやいやいや、いくら何でもそれだけはない。お兄ちゃんなんて、いつも白衣ヨレヨレで『だらしない』って他の先生達から怒られてるし、いつまで経っても子供みたいだし、たまにって言うかしょっちゅう無精ひげ生やしててオッサンくさいし、面倒見悪くて無愛想で芸術のことしか考えてない変態で、女子高生が好きになりそうな要素とかイチミクロンもないし?心配しすぎっていうか、考えすぎっていうか、ブラコンすぎだわ)
そう、自分の中で結論付けて、百面相を続ける私を見て首を傾げていた結ちゃんにニッコリ微笑みかけ、心穏やかに休日の午後を楽しんだのである。
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