第7話 静かな朝と騒がしい疑念
調査の朝は静かに始まる――でも、その奥には。
夜が明けた。
鳥の声と共に、村の一日が始まる。
昨昼の襲撃は、誰にも被害を出すことなく収束した。
集落の外れ、放牧地の一角での戦闘だったこともあり、避難していた村民たちの多くは、異変の詳細にすら気づいていない。
戦闘を終えた俺たちは、村長の提案でそのまま村へ戻り、再び村長宅の一室を借りて休息を取った。
幸い、避難していた村人たちに被害はなく、大きな混乱も起きなかったらしい。
静かな朝だ。けれど、俺の胸の内は波立っている。
(あのとき、何が起きた──?)
剣を振るった。斬った。倒した。
それはいつものことだ。けれど、違った。
腕に走った感覚。刃を通じて伝わった光。
確かに、青白い雷が剣に宿った。
意図していないのに、発現した“力”。
あれは……本当に、俺のものなのか?
コンコン、と扉がノックされる。
「おはよう、コバルト。朝ごはんできてるよ」
エルムの声だ。
努めて明るい声色だけれど、どこか気遣いが混じっていた。
「……ああ、すぐ行く」
着替えを済ませ、食堂へ向かう。
村長と村長婦人、その息子ゾイル、そしてエルムがすでにテーブルについていた。
席につくと、村長が笑顔で迎えてくれた。
「おはようございます。昨夜はゆっくり眠れましたかな?」
「ああ、おかげさまで。騒がせてしまってすみませんでした」
「とんでもない。村を守ってくださったんですから」
村長が柔らかく笑う。
そのとき、隣にいたゾイルが少し声を落として言った。
「……実は、戦闘中の様子、物見台から何人かが見ていました。村の若い衆が“俺たちも行く!”って、クワやスキを持って加勢しようとしてたんです」
「……それで?」
「僕が止めました。あの戦いは、戦いに不慣れな者が入れる場所じゃなかった。けど、皆、自分の村を守ろうとしてました。……心配してるんです、今後のことも」
ゾイルの声には、誇らしさと責任感がにじんでいた。
俺は小さく頷いた。
「俺たちが引き受けた依頼だ。必ず、原因を突き止めてみせる」
朝の光が、食卓のパンとスープを優しく照らしていた。
けれど、その温もりの裏に、まだ残る“異物”の気配は消えていなかった。
夫人は湯気の立つスープを前に、俺に向かって穏やかに微笑んだ。
「昨昼は本当にありがとうございました。おかげで、村の者に被害は一切出ませんでした」
婦人の目には、心からの安堵と礼がにじんでいる。
「まだ安心はできません。調査は続けます」
「ええ、承知しています。ゾイルにもできるだけ協力させますので」
ゾイルは真剣な面持ちでうなずいた。
「昨日のことがあって、若い衆の間でも“何があったのか”って話になってます。みんな、自分の村のことだからって……落ち着かないみたいで」
「……それだけ、この土地を大事に思ってるんだな」
「はい。だからこそ、僕もちゃんと役目を果たしたいと思ってます」
言葉はまだ青いが、その瞳には覚悟が宿っていた。
その真っ直ぐさに、自然と胸を張って応えたくなる。
食卓には、香ばしいパンと具だくさんのスープ、炙ったベーコン、そして冷たいティカバ産のミルク。
平穏な朝の光景が、昨日の戦いが夢だったかのような錯覚すら呼び起こす。
だが、忘れるわけにはいかない。
この村の“日常”を守るためにこそ、俺たちはここにいるのだ。
食後、ゾイルの案内で俺とエルムは再び調査に出発する準備を整えた。
村長宅を出たところで、彼女がふと歩幅を合わせてきた。
「……コバルト」
「ん?」
「昨日のこと、食卓じゃ話せなかったけど……聞いていい?」
「……ああ」
歩きながら、俺は言葉を選ぶ。
言いづらい。でも、話さなきゃならない。
「戦ったとき……何かが、俺の中で騒いでた。力が勝手に流れ込んでくるみたいに。あれは……俺の意思じゃない」
エルムは黙って聞いていた。
しばらくして、ぽつりと口を開いた。
「やっぱり、“反応”だったんだね。私も見てた。剣に宿ってたあの雷、完全に“発現”してた」
「……偶然だと思うか?」
「思わない。タイミングが良すぎるし、反応の質も普通じゃない。“何か”がきっかけを作ったとしか思えない」
彼女の声は、学者としての冷静さと、友人としての優しさが混ざっていた。
「魔力じゃ説明がつかない。でも、確実に“力”だった。……それだけは、確かだよ」
その言葉が、不思議と心に落ち着きを与えてくれた。
これが何なのかはまだ分からない。
けれど、俺一人で抱え込む必要はない。
そう思えたのは、きっと彼女の存在があったからだ。
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午前の陽が、村の空気をゆっくりと温めていく。
濡れた牧草の匂いが、土と風に溶けて広がっていた。
ゾイルの案内で、俺とエルムは昨日戦闘があった周辺を再び訪れた。
村の外れ、放牧地の柵沿い。牛や羊の姿はすでになく、今朝は近づけていないのだという。
「昨夜の戦いのあと、一応こっちには誰も入れてません。痕跡が残ってるかもしれないと思って」
ゾイルが真面目な顔でそう言った。
「助かる。できるだけ“手が加わっていない状態”を見たいんだ」
俺はうなずきながら、草地の一帯を見渡した。
昨日、あの白目の魔物が跳びかかってきたあたり。踏み荒らされた草がまだ乱れたまま残っている。
エルムは地図と採取記録を手に、地形と照らし合わせながら歩を進める。
その動きに迷いはない。魔法学の研究者としての、確かな“職人の手付き”だった。
「……ここが、魔力の反応が途切れた地点ね。昨日も一度通ったけど、今朝は空気の質が微妙に違う」
彼女が低く呟いた。
その横顔は冴えていて、どこか戦闘中よりも緊張しているようにも見えた。
「やっぱり、痕跡が残ってるか?」
「残ってる……けど、すごく微弱。まるで拡散させられたみたいな反応なの」
「自然に拡散したんじゃなくて、何か“消された”って感じか?」
「その可能性、あるかも。……ねえコバルト、これ見て」
エルムが草をかき分け、昨日戦った一角のすぐ傍を指差す。
地面の色が、周囲よりわずかに沈んでいた。
俺はしゃがみこみ、指でその土をすくい取って、鼻先に寄せる。
「焦げた匂い……魔力の残り香とはちょっと違うな。もっと“鉄っぽい”」
「うん。私もそう思ってた。……なんていうか、自然界の反応じゃない。無理やり何かを変質させた跡」
「生体変質……錬成系の魔術か?」
「可能性はあるけど、あの個体の行動からして“完全制御”はされてなかったと思う。失敗作、あるいは試作段階かも」
俺はわずかに目を細めた。
失敗作──なら、作った奴がいるということだ。
「……ゾイル」
「はい?」
「この村の近くに、研究施設とか……実験用の離れみたいな建物って、何かあるか?」
「いえ、公式には聞いたことがありません。ただ……少し離れた森の奥に、昔、開拓が中止された集落跡があると聞いたことがあります」
ゾイルの言葉に、エルムが目を上げた。
「それ、場所わかる?」
「はい。案内できます」
「午後はそこを見たい。下調べなしに踏み込むのは危険だけど……ここに何があるのか、もう少し確かめたいの」
その声は静かだったが、決意に満ちていた。
昨夜の戦いで命を懸けたからこそ、見過ごせないものがある──そんな意思が、彼女の背に見えた。
俺は小さくうなずいた。
「わかった。昼までにここを一通り調べて、午後はその集落跡へ行こう」
集落跡へ向かう前に、俺たちは午前の調査を終えることにした。
エルムは探知魔法を小まめに切り替えながら、記録と地図を照らし合わせている。
「……この辺りの反応は昨日とほとんど変わらない。濃度は落ち着いてきてるけど、やっぱり普通じゃない」
魔力濃度の“異常な残り方”。
魔物の痕跡とは思えない、不自然な拡散。
それらが示すのは、“力”の種類そのものが異質であるということだった。
「村に入ってきた魔物が、偶然この土地を通ったってわけじゃなさそうだな」
「うん。なんていうか、あの魔物、はじめから“このあたりを拠点にしてた”みたいな……そんな感じ」
エルムは指を広げて地図の上にかざすと、魔力の反応を点で示していく。
昨日から今日にかけての記録が幾重にも重なり、不気味な曲線を描いていた。
ちょうどそのとき──ゾイルがやや離れた場所から声を上げた。
「コバルトさん、こっちを見てください。……これ、土の色が違います」
俺とエルムが駆け寄ると、ゾイルが指差した先の地面には、円形に枯れた草がぽっかりと空いていた。
その中心、わずかに地面が盛り上がっていた。
「焦げた跡か?……いや、これは──」
俺は剣の柄尻で軽く土を突き、表層を払う。
出てきたのは、赤黒く変色した金属片のようなものだった。
「これ……金属?」
「鉄、じゃない……魔道金属の反応がある。しかも、加工されてる」
エルムがそっと指先で触れると、微かに青白い光が走った。
それはまるで、“反応すること”が前提で仕込まれていたかのようだった。
「何かの“装置”の破片……それとも、“注入具”みたいなものかも」
「つまり、あの魔物……誰かの手で作られていた可能性があるってことか」
エルムは黙って頷いた。
ゾイルも言葉を失ったまま、土の上にしゃがみ込む。
「これ、村の人には……」
「伝えないほうがいいな。まだ断定はできないし、下手に不安を煽るのもよくない」
俺の言葉に、ゾイルはきりっと表情を引き締めた。
「わかりました。僕の口からは何も言いません。でも、今日の午後……絶対に何か掴みましょう」
「ああ。そうする」
俺は立ち上がり、空を見上げた。
陽は少しずつ傾き始めている。
空気はまだ穏やかで、風は清々しく、雲も澄んでいた。
──けれど。
この静けさの裏に、確かに何かが潜んでいる。
それが何かは、まだ見えない。
だが、“兆し”は確かに現れはじめていた。
何もない静けさが、一番こわいのかもしれませんね。