第27話 記録照合室戦
「記録されることで力は秩序となる」
その常識が揺らぐ今、分類も記録もされぬ雷が、制度の心臓へと踏み込む。
記録なき者が、“記録そのもの”を守る皮肉を抱えて。
王都第二区画の地下――そこに、王国制度の心臓部とも呼ばれる場所がある。
記録照合室。
騎士団、魔導研究所、王家直轄部門、各貴族領、冒険者ギルド。
あらゆる“報告”と“記録”が集まり、整理され、国の制度を支えている場所だ。
だが今、その中枢が狙われていた。
「敵勢力の動きは明確になった。狙いは“制度そのもの”だ。そして、その要を破壊する方法として……記録照合室への干渉を選んだ」
ブリーフィングを行うターコイズの顔は、これまでにないほど険しかった。
「記録は力の証明であり、制御の前提だ。それが崩れれば、王国の制度は機能不全に陥る」
コバルト、エルム、トーガはそれぞれに準備を整え、簡素な指示だけで頷く。
「この任務は非公式だ。君たちの働きがどれだけあっても、記録には残らない」
「上等だな」
トーガが笑う。
「俺たちのことなんざ、記録されなくても地味に強いって証明してきただろ?」
「ええ。でも、照合室に踏み込むってことは……制度の影に入るってこと。覚悟、いるわよ」
エルムが真顔で返し、コバルトが小さく頷く。
「制度が記録に縛られているなら、その裏側に立つのが今の俺たちだ」
ターコイズはわずかに口角を上げた。
「それでいい。“分類されない者たち”が、記録を守る……皮肉な構図だが、王国にとって必要なことだ」
王都地下区の魔導転移路を抜け、三人は慎重に照合室へと接近していく。
風の通わぬ通路。沈黙した石の回廊。
誰もが気づかない場所で、制度の根幹が守られてきた。
「……雷が、静かだ」
コバルトが呟く。
「でも、張り詰めてるわ。何か……感じてるのかも」
エルムの感覚も、何かを探るように尖っていた。
「なら、まずは入ってから確かめようぜ」
トーガが先に動く。
誰にも記録されることのない戦いが、今始まろうとしていた。
* * *
記録照合室――その正門は存在しない。
王都第二区画の旧水路に隠された魔導転移陣を通じてのみ到達できる、王国最奥の“中枢”。
転移の光が収まったとき、三人は石造りの広間に立っていた。
空気は重く、張り詰めていた。
長く使われていないはずの通路に、なぜか焦げたような臭いが漂っている。
「……誰かが、先に動いてるな」
コバルトの言葉に、トーガが無言で頷いた。
次の通路に入ると、すぐに異常が見えた。
魔導照合装置――力の出所を記録分類する、照合室の根幹装置のひとつが、焼却されていた。
無残に割られた魔導符、焦げた分類票、吹き飛ばされた記録格子。
それらすべてが「記録を記録ごと壊す」という意図を帯びていた。
「この破壊の仕方……術式妨害を通して、装置そのものの“意味”を消そうとしてる」
エルムが目を細める。
「物理的に壊すんじゃなく、“記録装置”としての働きそのものを壊してるのよ、これ」
「つまり、“記録を消すために装置を壊した”んじゃない。“記録できないようにするために、意味を潰した”……ってことか」
コバルトの言葉に、トーガがひとつ唸る。
「なんだか知らねぇが、やってることが徹底してやがるな」
そのとき、奥の回廊で気配が走った。
「分断狙いか……!」
敵の存在を察知した直後、三人は左右へと飛び散る。
術式罠が炸裂し、床が裂け、黒い霧が通路を遮断する。
「チッ……!」
トーガとエルムが向こう側に押しやられ、コバルトだけが中央エリアへと進まざるを得なくなる。
「コバルト! 私たち、こっちから回る!」
エルムの声が遮蔽霧の向こうに消える。
「頼む。こっちは任せろ」
剣を抜く音が、石壁に吸い込まれる。
雷脈が静かに脈を打ち始めていた。
照合室の核へと、コバルトはひとり、踏み込んだ。
記録照合室の中核部へと続く通路。
その奥には、制度の根幹とされる“照合原本”が保管されている。
だが、そこへ至る道は異様な術式干渉領域に包まれていた。
空気が粘りつくように重く、歩を進めるたびに視界が滲む。
足元の術式封印陣は、本来なら侵入者を排除する王国側の防御装置だ。
だが今は、その“正規の術式”すら歪み、何者かの手で妨害されていた。
「……まともに通れって言ってる顔じゃないな、こりゃ」
コバルトは一歩を踏み出す。
瞬間、封印陣が反応。
警戒波が足元に走り、空間がきしむような音を立てる。
だが――次の瞬間、その警戒波は霧散した。
「……通れた?」
彼の足元にだけ、封印術式が干渉を起こさなかった。
「いや……術式が、俺を認識してない……?」
警戒の構えを崩さぬまま、さらに進む。
複数の術式層が張られた通路を抜けるたびに、確認は深まっていく。
術式が、まるで“通過者”を認識できず、反応しない。
まるで、そこに存在していないかのように。
「……そうか。“分類されてない”から、干渉されないんだ」
術式妨害や封印の呪文は、あらかじめ“対象”を想定し構築されている。
だが雷脈――この力は、制度にも分類されず、型にもはまっていない。
「だから俺は、術式の外側にいる」
それは、制御不能でもなければ暴走でもない。
枠からはみ出しているだけの、ただの異端。
ゆっくりと手を伸ばす。
封印層の最後に触れたとき、雷脈が静かに応えた。
「……行こう。お前は、誰にも縛られてない。なら、俺が導く」
雷が、静かに走る。
足元に白い稲光が揺れ、術式が音もなく崩れる。
――突破した。
敵が手を加えたであろう妨害層を、雷は“干渉されず”にすり抜けていく。
その先に、ひとつの扉があった。
照合原本の保管室。
制度が存在を保証する最後の“記録”が、そこにある。
だが、その前に――誰かが立っていた。
原本保管室の扉の前に立っていたのは、全身を黒衣で包んだ中年の男だった。
年齢不詳、表情は乏しい。
だがその立ち姿からは、研ぎ澄まされた魔術師特有の圧が滲み出ていた。
「分類不能。未記録。制度外存在……なるほど。お前が、“あの雷”か」
男は口元だけで笑った。
「記録されぬ力が、記録の守護者を気取るとは……滑稽だと思わないか?」
「お前は……記録を壊すためにここにいるのか」
コバルトの問いに、男は頷いた。
「記録は秩序ではない。拘束だ。制度は分類によってすべてを測り、測れぬものを排除する。――そうして、王は力を独占してきた」
男の足元に魔法陣が展開される。
空間がわずかに軋む。破壊術式の波長だ。
「……だから壊す。記録という偽りの秩序を。すべてを無名に戻し、そこから再構築する」
「そんなことのために、制度の根幹を――!」
「制度こそが“枷”だ。自由を名乗りながら、人を数値に変える仕組みだ。その呪縛を断ち切るには、原本を燃やすしかない」
術式の輝きが増す。
周囲の魔導機構が共鳴し、異音を立てはじめる。
コバルトは剣を構えた。
「だったら俺は、お前を止める」
「お前に何ができる? 分類もされず、記録もされず、制度にも味方されていない――」
そのとき、雷が走った。
「……制度には味方されていない。けど、仲間は俺を信じてくれた」
雷脈がコバルトの脚へ収束し、一歩で間合いを詰める。
男の術式が発動するが、雷が接触の直前で逸れ、術の枠外を突き破る。
「――何っ!?」
分類外、想定外、記録不能――
それは、術式にとって最も“対象としにくい存在”。
「雷は俺の中にある。制度に分類されなくても、暴れなくても……“生きている”」
鉄剣が雷を引き、渦のような斬撃を描く。
男が放った防御魔法が弾け飛び、雷撃の残滓が衣を裂いた。
「っ……!」
「俺の雷は、誰にも奪わせない」
男は片膝をつき、睨み返してきた。
「……制度の異物め。だが、雷がどれだけ走ろうと、記録はすでに改竄されている」
そう言い残すと、男は瞬間転移でその場から姿を消した。
残された空気に、まだ魔導の余熱が残っていた。
敵が姿を消した後、静寂だけが残った。
だが、原本保管室の奥――封印扉の前には、確かな“爪痕”が残されていた。
剥がされた魔導封印。
再封印されたように見えて、術式の層が一部、別の符文で上書きされている。
「……改竄されたのか」
コバルトが呟く。
原本に直接手は届いていない。だが、保護術式が書き換えられた痕跡は明白だった。
トーガとエルムが、ようやく霧の向こうから合流する。
「やられたな。敵は最初から“完全制圧”なんて狙ってなかった。最小の手で、最大の混乱を」
ターコイズの声が背後から届く。
気づけば、特務補佐官の姿がそこにあった。
いつの間にか現れていたことに驚く者は、もういなかった。
「……制度は壊されていない。ただ、揺らいだ」
コバルトは問いかける。
「あの術師が言っていた。“記録は縛るための鎖”だと。……本当にそうなのか?」
「そう思う者がいるのは事実だ。制度は人を測り、記録し、管理する。誰かにとっては救いであり、誰かにとっては呪いになる」
それでも、ターコイズははっきりと断言した。
「だが、私は制度を守る。混乱の中で最も多くの人を救えるのは、いまだこの枠組みだからだ」
その言葉に、コバルトはふっと目を細めた。
「じゃあ、俺は……その外側から守るよ。分類されなくても、記録されなくても、“守れる”って証明する」
雷脈が、静かに鳴った。
仲間がそれを感じ取って振り向く。
トーガが笑い、エルムが頷く。
「ああ、それでいいじゃねえか」
「誰にも記録されてないけどね、今の名言」
「別にいいさ。……雷は、記録の外でも走る」
空を見上げると、王都の塔が夕日を受けて赤く染まっていた。
この雷が、再び誰かを傷つけないように。
この力が、誰かのために走れるように。
そう願いながら、コバルトは剣を握り直した。
次の戦地は、王都の外縁――制度の視線が届かぬ場所。
そこで敵の実働部隊が潜伏しているという。
だが、恐れはなかった。
雷は、自分の意思で走る。
術式が俺を“認識できなかった”――分類されぬことは、時に最大の自由を生む。
だけど、それだけじゃ終われない。
次の戦場は、制度の視線が届かない場所。雷はそこで、本当の“異端”とぶつかる。




