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第25話 鍋を愛する男、再び

雷を振るう力は得た。でも、それは“誰かと向き合う”とき、本当に使えるのか?

久々の再会が、答えを教えてくれる――鍋の湯気と、拳の重さとともに。

 塔の崩壊から1週間ほどたち、俺はエルムとともに兄上から王城の一角 ───訓練場に呼び出されていた。



「……模擬戦?」


 


 眉をひそめて兄に問い返す。


 


「そうだ。おまえの雷が“他者と向き合ったとき”にどう反応するか。それを試す」


 


 ターコイズは芝居じみた口調を抑え、少しだけ真剣な声音で言った。


 


「観察とはそういうものだ。だが、今回は俺ではない。……相応の相手を用意した」


 


 その瞬間、木々の向こうから声が飛んできた。


 


「よお、元気か兄弟!!なんかとんでもねぇ力を出すようになったって聞いたぞ!」


 


 聞き覚えのある、明るく野太い声だった。


 


「……その声は……」


 


 現れたのは、大柄な体格に日焼けした肌、肩に大荷物を背負った男。

 かつての同行者――トーガだった。


 


「久しぶりだな!お、ちょっと見ないうちに雰囲気変わったか?……いい面構えだ」


 


 エルムと共に驚きながら問いかける。


 


「ぇ……トーガがコバルトと模擬戦するの?」


 


「トーガ……なぜお前が兄上と??」


 


「ぁー、坊っちゃんとは何年か前に顔見知りになってな。ときどき頼まれごとをされてるんだわ」


 

 意外な呼び名にエルムがたまらず吹き出した。



「坊っちゃんだってぇっ!」



 兄上は咳払いをしつつ、説明を補足する。 



「彼は、領内の村で自警団に加わっていた。腕も強く、素行も良好。信頼できる人物だ。ただな、トーガ……」



「なんでぇ、坊っちゃん。あらたまって。」



「坊っちゃん呼びはともかく……コバルトの兄弟は私だけだが?」



「ハッハッハッハッ!確かに血はつながっちゃいねぇ。でもよ?一緒に旅して鍋でも囲みゃあ、もう家族同然よ。相変わらず次期領主様はオツムが硬いこって」



 気づけばトーガはそのたくましい腕をターコイズ兄上の肩に回し、抗議も笑い飛ばしてまるで意に介さない。



「ま、俺は俺でやってくだけさ。……ところで兄弟、ひとつ聞いていいか?」



「ん?」


 

「お前さん、ほんとに――領主一家(ブルー男爵家)なのか?」


 


 心底驚いたような顔。

 そしてコバルトが「うん」と頷くと、トーガはその場でしばらく固まった。


 


「……うわ。……うわぁ。マジか。いや……でも、それならそれで、ちょっと安心したわ」


 


「安心?」


 


「だってほら。領主様(おやっさん)次期領主様(坊っちゃん)も普段ツンと済ました顔してやがるだけで、領民思いの家族思いだかんな。」



 気づけばエルムも同調するように「うん、うん」と頷いている。

 


 あまりにも真っ直ぐな物言いに、俺は思わず苦笑した。


 


「話が長くなったな!ってことで、そろそろ模擬戦はじめっか。全力でいくぞ?遠慮すんなよ、兄弟!」


 


 そう言って構えるトーガの姿に、以前と変わらない“安心感”があった。

 比べない。競わない。それでも、どこまでも真っ直ぐで、強い。


 


 俺はゆっくり息を吐いて、構えを取った。



 兄は簡素ながらも干渉遮断の術式を張り、整えた地面の中央に二人が向き合う。


 


「これを使え」


 


 差し出されのは鈍く光る、刃引きの鉄剣。


 


「万が一……ということもある。念の為だ」


 


「了解」


 


 短く答え、剣を抜いた。

 刃が抜ける音に、対面の巨躯――トーガが目を細める。


 


「おう。……こっちも準備できてるぜ」


 


 砕けた口調のまま、彼は構えた。構えといっても、明確な型ではない。ただ、全身が自然に動くように整えられた、鍛えられた体の“流れ”だった。


 


「双方、準備はいいな?それでは……はじめっ!」


 


 開始の合図とともに、地を蹴った。足元で砂が弾け、鉄剣を一閃。


 


「うお、速っ……!」


 


 トーガが闘気(オーラ)を纏った拳で受け止めるが、刃引きでなければ弾けていたであろう強烈な踏み込み。


 剣と拳が打ち合い、互いに一歩下がる。


 


「へぇ……お前さん、見違えたな」


 


「……まだまだ、こんなもんじゃない」


 


 トーガが眉を上げた瞬間、第二の踏み込み。


 ――蒼白い軌跡が、足元にだけ走った。


 


「っ……!」


 


 トーガの反応がわずかに遅れ、鉄剣の一撃が肩をかすめる。


 雷が爆ぜたのではない。速度そのものが、読みを越えたのだ。


 


「へぇ……面白くなってきやがったな」


 


 トーガが自然体のまま踏み込んでくる。拳が剣と打ち合い、力が直に伝わる。


 


 だが、俺は退かない。


 蒼雷返りの力――オーガ戦で発現したあの感覚が甦って来る。


 音が遠ざかり、心臓の鼓動が耳に響く。

 ──ドクン、ドクン、ドクン


 思考が加速し、踏み込めば景色は一瞬で流れ、意識を向けた瞬間には無数の斬撃を放っている。

 

 ただその意思だけが、雷と共に在った。


 剣と拳が、再び交錯する。


 驚くことに、トーガは遅れることなく追従してきた。

 鉄剣を振るうたびに、巨体の拳がそれを迎撃する。



 金属の重みと肉体の厚みがぶつかる音が、静かな訓練場に響いた。


 


「ずいぶん鋭くなったな、兄弟。……でも、まだ遠慮してねぇか?」


 


 トーガの声は軽く、笑っている。けれど、その言葉は的を射ていた。


 


「……ああ。お前を斬るつもりはない」


 


 その一言は、強さというより“ためらい”だった。

 剣を振るうことはできる。だが、誰かを“傷つける前提”では動けない。


 


「そりゃ助かるけどな。でも、それってつまり――“信じきれてない”ってことじゃねぇか?」


 


 トーガは一歩踏み込み、拳を繰り出す。

 俺は剣で受け、重さに押されながらも体勢を保った。


 


「俺なら、大丈夫だ。ちゃんと、受け止めてやるよ」


 トーガはいつもと変わらない調子で、ニカッと笑って見せた。


 


 その言葉が、雷脈に触れた。


 皮膚の下で雷が脈打ち、筋肉に力が走る。

 あのときのような暴走ではない。確かに、今の自分の意思で走っている。


 


「……なら、一撃。いくぞ」


 


 雷脈、加速。青白い光が俺の体を覆い尽くし、俺は一歩踏み込むごとに地面をえぐりながら爆発的な勢いで飛び込んでいった。



 トーガが静かにつぶやく。



「へぇ……これが坊っちゃんの言ってた、英雄闘気(ヒロイック・オーラ)ってやつかよ」



 蒼白い軌跡が地を走る。

 踏み込みと同時に剣が閃き、鋭く、まっすぐに――トーガを狙った。


 


 その瞬間。


 


「――闘気城壁(オーラ・キャッスル)


 


 トーガは声を低く発し、両腕を構えた。



 闘気(オーラ)がいっそう強くほとばしり、白い揺らめきとなって肩から腕へと広がる。そこには

 防御に特化した構え。真正面から“受ける”ための技だった。


 


 だが。


 


 剣はその城壁に触れる前に――止まった。


 


 俺が自らの意志で、動きを止めた。



 空気が震え、砂が弾ける。

 斬撃の余波が地を削るが、刃はトーガに触れていない。


 


「……ふう」


 


 呼吸が一つ、細く漏れた。


 雷は、止まっていた。暴れず、従っていた。


 


「……止めたな」


 


 トーガが目を細める。

 そして腕を下ろし、うっすらと残っていた闘気の気配を解いた。



 

「こっちも構えてたけど……お前が止めたのは、すげぇよ」


 


「……怖くなかったのか?」


 


「そりゃ怖かったさ。でも、お前が信じてるもんを、俺が疑うわけにいかねぇだろ?避ける選択肢はなかった。受け止める気だったさ」


 


 俺は、短く笑った。


 それは――心からのものだった。


 模擬戦は終わった。


 だが、沈黙は残っていた。


 


 鉄剣を納めると、呼吸を整えながら両手を見つめていた。

 雷脈は沈静している。それでも、体の奥でまだわずかに脈打つ“何か”がある。


 


「もうちょい踏み込んでたら、マジでやられてたかもしんねぇ。ま、防御はガッチリしてたけどな」


 


 冗談めかして笑うその顔には、まったく怒りはなかった。


 


「……悪かったな」


 


「おいおい、謝るなよ兄弟。お前さんは自分で剣を止めた、俺もピンピンしてる。それでいいじゃねぇか。」


 


 その言葉に、コバルトは目を伏せた。


 


 遠い日の記憶がよみがえる。

 自分の雷が暴れ、何もかもを焼き尽くしそうになったあの日。


 


 けれど今――トーガは真正面から受け止めてくれた。

 止められると、信じて構えてくれた。


 


「信じてもらえるって……こういう感じなのか」


 


 独り言のように呟いたとき、別の声が背中から届いた。


 


「雷が、怒ってなかった。そんな風に見えたわ」


 


 エルムだった。そっと隣に立っている。


 


「暴れていたんじゃなくて、あなたの意思に従ってただけ……そんな風に見えたの」


 


「……ああ。俺もそう思った」


 


 雷脈は、思考と感情に反応する。


 だが、暴走だけが反応ではない。


 誰かのために振るわれるとき、雷は――応える。


 


「誰のために剣を振るうか。誰のために力を使うか。……それを決められるなら」


 


 コバルトはゆっくりと拳を握った。


 


「この雷を、信じてもいい」


 


 その言葉に、トーガが大きく頷いた。


 


「それでいい。自分(てめえ)の力ってのは、誰かにぶつけるためだけじゃねぇ。誰かの“前に立つ”ために使えば、それは“守る”力になるんだよ」


 


 エルムも頷く。


 


「きっとこの雷は、これからも強くなる。あなたの想い次第で」


 


 コバルトは、深く息を吐いた。


 


 雷は、まだ静かに体の奥で生きている。

 だが、それはもう暴れるものではない。


 ――共に、生きるものだ。


 夕陽が落ちかけた訓練場に、やっと緊張が解けた空気が流れた。


 


 トーガはおもむろに荷物の包みを解いていた。

 中からは鍋、野菜、乾燥肉、そして小さな香辛料の瓶。


 


「ほらな、やっぱ鍋の時間は必要なんだよ」


 


 コバルトが少し驚いた顔をする。

 トーガはどこ吹く風で火を起こし、慣れた手つきで湯を沸かしはじめる。


 


「お前、鍋の準備までして来たのか……?」


 


「そりゃそうだろ。再会ってのは、うまいもんで締めるのが筋ってもんだ」


 


 エルムが笑いをこらえ、コバルトも思わず吹き出しそうになる。


 


「――まったく、ウチの領民にも困ったもんだ。一応ここは王城の敷地内になるんだが?」


 


 言葉とは裏腹に兄は笑みを見せ、右手には酒瓶。



「さすが坊っちゃん!分かってらっしゃる」

 

 

「兄上、さすがにそれは……」



「訓練中の重症に備え、消毒薬を用意させたはずなんだが兵士が取り違えたらしい。発覚して処分されるのも気の毒だから、隠蔽する。これは人助けだ」



 ターコイズがふっと視線を逸らす。

 それは、兄としての照れか、それとも特務補佐官としての距離感か。



「力というのは、当てるだけでは意味がない。受け止めてくれる誰かがいることで、初めて“扱える”ものになる。コバルト、おまえはそれをこの野蛮な拳闘士から学んだようだ」



「おい、野蛮ってつけるな!せめて力強いとか言ってくれよ?」



「鍋の香りで台無しだけどね」


 


 兄弟や仲間とのやり取りに、訓練場には小さな笑いがあふれる。


 


 雷は、静かに宿っていた。

 誰も斬らず、誰も傷つけず、それでも――確かに強くあった。



 雷を暴れさせなかった。

 誰かを傷つけなかった。

 力を、信じて止めることができた。

信じてくれたから、止められた。

雷はまだ静かに脈打つ――次に問われるのは、「振るう覚悟」だ。

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