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第23話 塔を焦がす者、記録を継ぐ者

塔の静寂を破ったのは、かつての悪夢か、それとも新たな災厄か。

封じられた術式と名を持たぬ力が、今、再び呼び起こされる――。

 塔の奥に静けさが戻ったのも束の間、扉の向こうから足音が響いた。


 


 踏みしめる音がひとつ、またひとつ。乾いた靴音に混じって、蹄のような異形の足音が床を引っかくように響く。


 


 「来る……!」


 


 俺は剣を抜いた。雷脈が反応し、刀身に微かな青白い光が走る。


 


 扉が軋みながら、ゆっくりと開いた。現れたのは、黒衣に身を包んだ数人の男たちと、それに従うようにうごめく異形の魔物。


 目に光はなく、皮膚は裂け、骨の一部が露出している。かつてティカバ近郊で遭遇した魔物と酷似していた。


 


「……あいつら……」


 


 エルムの声が震える。彼女も覚えている。あの祠、あの瘴気、あの不気味な沈黙。何者かが異形を育て、野に放っていた。


 


「塔の術式回路、確認。情報媒体は回収対象。魔力源は……干渉優先」


 


 黒衣の一人が機械的に呟いた。無感情、無表情。生きてはいるが、人形のようだ。


 


 彼らは“塔の術式そのもの”を目的に来た。俺やエルムに注意を払っている様子はない。


 


 ……なら、これは偶然か。


 塔の反応を呼び起こしたことで、外部に何らかの“魔力波”が漏れた。それを探知して現れたのが、こいつらだ。


 


 「こいつら……記録の破壊か、もしくは回収……!」


 


 エルムが歯を食いしばる。塔に残された雷因子関連の記録、あるいは古代の観察術式。それを完全に葬るつもりだ。


 


「黙って見逃せる相手じゃなさそうだな」


 


 俺は踏み出し、剣を振るった。一閃がきらめき、異形の一体が吹き飛ぶ。


 


 黒衣の男たちは一斉に構えを取った。武器は短剣、呪符、魔術道具――戦い慣れしている。


 


 異形の魔物も唸り声を上げて突進してくる。


 


「コバルト、私が魔物を引き受ける! あなたは人間のほうを!ラムミナ・ヴェンティ(風よ、敵を切り裂け)


 


 エルムが風の刃を放ち、魔物の動きを封じる。俺は頷き、黒衣の先頭へと踏み込んだ。


 


「……塔の術式を奪うつもりか。ふざけるな!」


 


 雷脈が反応し、瞬く間に体が軽くなっていく。


 魔物でも人でも関係ない。この場を荒らす者を、俺は――許さない。


 扉を破って侵入してきた者たちは、塔の構造など意に介さない様子だった。


 


 黒ずくめの男たちは床の魔導回路を踏みつけながら進み、傍らにはうねるような形状の異形魔物――実験場から逃げ出した個体と酷似した造形を持つ――が並ぶ。目に光はなく、ただ命令のままに動く器だった。


 


「塔の術式回路、確認。情報回収優先。雷反応は――不明因子。想定外だ」


 


 傭兵の一人が淡々とつぶやく。彼らの目的は明確だった。雷因子ではない。この塔に残された術式装置、あるいは記録痕跡の破壊・奪取――それが彼らの本来の任務。


 


 だが、雷因子に共鳴して起動した塔の反応を見て、興味を示したのだ。


 


「因子反応が出てるな。収束装置がまだ稼働中か? こいつ……人間の中で、制御されてる?」


 


 その視線の先に、俺がいた。


 


「なるほど……おまえか。名のない雷を宿す器、か」


 


 ぞっとするような無感情な声。雷を、まるで“異物”のように見る目。


 


「黙れ……これは俺の力だ」


 


 剣を構える。雷脈が脈動し、刀身に青白い光が走る。異形の魔物が咆哮し、飛びかかってきた。


 


 「来いッ!」


 


 一呼吸(ひといき)の間に無数の斬撃が走り、雷が爆ぜ、空気を裂く。何体もの魔物を一瞬で弾き飛ばし、火花が壁に散った。


 


 すぐさま、別の一体が横から迫る。エルムの魔法(風の刃)が先に走り、魔物を吹き飛ばす。


 


「コバルト、落ち着いて! 雷が、暴れ始めてる!」


 


 彼女の声が届いたその瞬間、俺の右腕に痛みが走った。雷が、体の中で暴れている。あふれ出した力が、皮膚の下から抜け出そうとしている。


 


「っ……くそ……!」


 


 床の魔術陣が反応し始める。塔と俺が、共鳴している。


 


 ――ダメだ、このままじゃ制御できない。


 


 敵が迫る。魔物が歯をむく。剣を構える暇もない。


 


 次の瞬間、空気が爆ぜた。


 


 空が落ちたような衝撃。


 


「ッ……!?」


 


 激しい熱風と光が、塔の内部をなぎ払った。


 爆炎。赤熱の衝撃波。直撃した魔物と傭兵たちの一部が、抵抗する間もなく蒸発する。


 


「……なっ……」


 


 思わず顔を覆ったエルムが、ぽつりと呟く。


 


 「…火炎魔法?」




 閃光とともに、塔の天井を突き破るような轟音が響いた。


 


 炎――いや、それは握りこぶし大に収束された灼熱の塊だった。無数の魔術式が描かれることもなく、詠唱の気配もない。唐突に、矢のような速度で飛び込んできた。


 


 そしてそれは敵の中枢、指揮を取っていた黒衣の男の頭上に、寸分の狂いもなく命中する。


 


「っ……何――!?」


 


 男が振り返る間もなかった。火球は次々と無数に飛び込み、地を割り、空気を灼き、雷と風と血の混じった戦場の中心を、一瞬で焼き尽くした。


 


 爆音。


 光と熱と衝撃。


 


 直撃した男も、魔物も、術具も――残ったのは黒焦げの跡と、爆心地にできた焦土のみ。


 


 あまりの威力に、戦っていた者たちが全員動きを止めた。俺も、エルムも、残った敵も。


 


「……あの火力を連続無詠唱だなんて」


 


 エルムが呆然と口にする。信じられないものを見た目だ。魔法の原則――魔術とは詠唱と構築式によって発動されるのが一般的。無詠唱は詠唱を省略するかわりに発動に時間がかかる上、威力も大幅に落ちるはず。なのにこれは…。


 


「随分と荒れたな、まったく」


 


 煙の向こうから、乾いた声が響いた。


 


 姿を現したのは、黒い軍用外套を軽く羽織り、蒼銀の髪を風にたなびかせた男だった。冷たい瞳が、戦場の残滓をなぞるように眺めている。


 


「エルム嬢、ケガはないか?コバルトも……無事のようだな」


 


 よく聞き覚えのある耳に馴染んだ声――その顔を、忘れるはずがなかった。


 


「……兄上?」


 


 ターコイズ・ブルー。


 俺の兄にして、王都で書類仕事をしているはずの、内務省の“木っ端役人”――の、はずだった。


 


 だが、目の前の男は、ただの書記官には見えなかった。


 無詠唱でファイア・バレット(圧縮火炎弾)を大量に放ち、この戦場を一瞬で制したのは、他でもない――この男だ。


 


「悪いが、こちらも仕事でな。派手に騒いでくれたおかげで、反応を特定できた」


 


 そう言って、ターコイズは焼け焦げた床の中心に視線を落とした。


 


「塔の術式、雷因子、異形魔術。これだけ材料が揃えば、さすがに無視もできん」


 


 俺は混乱しながら問いかけた。


 


「……兄上。たしか『まあ、たまに魔法を使うこともある雑用係みたいなものだ』とか、言ってなかった?」




 ターコイズはふっと鼻で笑い、眼鏡の中央を人差し指でクイと持ち上げる。


 


「……ああ、内務省末席の五等書記官だ、間違いない……表向きはな」



 なおも混乱が続く。思えば、これまでの行動も普通の書記官(下っ端役人)ではなかった。


 しかし、そうでないなら、これはどういうことだ。


 ターコイズは懐から銀糸で縁取られた漆黒の紋章を取り出すとこう告げる。

 紋章は闇夜で銀色に輝く大鷲を(かたど)っている。



「宰相直属・特務補佐官――と言えば、話が早いか?」

 


 その響きに、エルムが小さく息を呑む。



「……宰相直属・特務補佐官」――


 


 ターコイズが放ったその肩書きの重みに、空気が変わった。



 俺もエルムも、言葉を失った。王国の宰相。その直属というだけで、どれほどの権限が与えられているか、想像に難くない。




「特務補佐官……聞いたこと、ある……。王国内のあらゆる機関から情報を集め、表沙汰にはできない案件を裏側でひっそり処理をする……噂は本当だったのね……」


 


 エルムが震える声でつぶやく。



 存在証明も、記録もなく、ただ“そういう者がいる”とだけ伝えられている闇の中の役職。


 

 ターコイズは肩にかかった外套の埃を払うと、芝居がかった口調で続けた。


 

「そう硬くなるな。任官辞令なんて紙切れの話だ。……それよりも、現場に来た理由の方が重要だろう?」


 


 彼は塔の奥へと一歩、ゆっくり踏み出す。


 


「ここは、かつて“因子の監視施設”として王国が用意した観測拠点の一つだ。……もっとも、記録上は“未活性・封鎖済み”になっていたがな」


 


 そう言いながら、彼は焼け焦げた床の魔導痕を足でなぞる。そこには、塔の術式が暴走的に再起動した痕跡が残っていた。


 


「ティカバの村の魔力偏位、アシュレイ・コルドからの報告、おまえ達が冒険者ギルドに提出した活動記録。全部、俺のところに回ってきた」


 


 静かに、淡々と話を続けるターコイズ。


 


「雷因子は死んだと思われていた。記録も封じられた。しかし、雷脈の因子はひっそりと我がブルー家で受け継がれていた」


 


 黙って雷の紋様が浮かぶ右腕を見下ろす。


 

「『太刀いらず』の異名を持つ闘気(オーラ)使いの父と魔法研究所で主任まで務めた母の間から生まれたブルー家嫡男。にも関わらず、どちらの特性も受け継がない……そんなことを起こり得ないだろう?」

 


「それは俺が出来損ないだからと…」

 


 ターコイズはふと柔らかい笑みを浮かべた。


「おまえが初めて領内の武術大会に出たときのこと、覚えてるか?」


「ああ、もう10年も前の話だけど」


「あの時からもう片鱗はあった。」


「…ぇ、どういうこと?」


「対戦相手のファイア・ボール(火球魔法)をな、剣で弾いたんだよ」



 そういえば、そんな対戦相手がいた気がする。無我夢中だったから、どうやって勝ったかは記憶が曖昧だったが。


「闘気と魔力が干渉するように、雷脈もそれらと干渉する。つまり、蒼雷返りのおまえは才能があるとかないとかじゃない、そもそも体質的に相容れないんだよ」


 ターコイズはなおも続ける。


「たいていの闘気(オーラ)使いはな、軽い身体強化がせいぜいだ。並の剣士なら、一生かけて闘気剣(オーラソード)の初歩まで辿り着くのが精一杯。日頃から涼しい顔して、鉄どころか金属ですらない木剣に闘気を這わせて振り回している父上(オヤジ)がおかしいのさ。息子だからといって、それを基準におまえを評価するのもおかしいし、そもそも剣の技量だって父上に匹敵しつつある。そこらの中途半端な剣士なら闘気(オーラ)ありで束になっても敵わんだろう」


 そう言い終えると、兄は俺の肩をたたきながら笑みを深めてこう言った。


「よく耐えてきたな」



 一瞬こみあげた涙をグッとこらえる。


「俺には剣しかなかったから……それで、兄上は俺をどうするつもりだ?」

 


 問いに、ターコイズは小さく肩をすくめた。

 


「何もしないさ。お前はお前の道を行け」


 


 そして、ぐいと顔を寄せてきた。


 


 「ただし、忘れるなよ。名を刻んだ力は、“記録される責任”を背負う。おまえが暴れれば、それは国が動く理由になる」


 


 一転して、高圧的な言い回し。だが、その中にはどこか――微かに、弟を気遣う気配がにじんでいた。


 


 「……兄として来たんじゃないのか?」


 


 俺の問いに、ターコイズは目を伏せたまま言った。


 


 「違う。俺は“記録者”として来た。それだけだ」



 焼け焦げた塔の床に、雷の紋様が淡く残っていた。


 俺の足元にも、同じ形の光がうっすらと浮かぶ。まるで、塔そのものが“認めた”ように。


 


 ターコイズは、焼けた空気の中で静かに息を吐いた。

 


「……ここに残された観測装置も、術式も、すべて死んだ。だが、それで完全に終わったとは思えない。今回おまえたちにちょっかいをかけてきた連中……正体は定かではないが、“旧式術式の掘り起こし”に執着してる一派だ。古代の因子実験施設の痕跡を追い、魔物を媒介にして失われた術式を再現しようとしているらしい。内務調査局でも掴めない領域の動きでな。名称も定まっていない。内部では便宜上“反秩序因子探索派”と呼んでいるが……要するに、因子の“名なき力”を、無理やり別の名で塗り替えようとしているわけだ。つまり、“記録されていない雷”は、やつらにとって実験の素材でしかない」


 ターコイズの言葉は、まるで捨て置けるゴミを分類するような冷たさだった。


 だがその背後には、“名を奪われた力”がどれだけ酷使され、使い潰されてきたかという事実を、彼が誰よりも知っていることを示していた。


 視線が、俺の右手に向けられる。


 


「因子が“記録”されれば、それを利用しようとする者も現れる。あるいは……抹消しようとする者も、な」


 


 重い言葉だった。


 だが、俺の中の雷は、不思議なほど静かだった。


 


「なら、俺が……記録する」


 


 そう口に出していた。


 剣を通して戦ったすべて、雷に導かれて見たもの、感じたもの――それらを、俺自身の意志で“刻む”と。


 


「誰かに勝手に定義されるくらいなら、自分で意味を与える。……それが、名を持つってことだろ」


 


 エルムが、小さく頷いた。彼女の瞳には、もう恐れはなかった。


 


 ターコイズは短く笑った。


 


「そうか。面倒ごとは増えるが……まあ、悪くない結論だ」


 


 そのまま背を向けた彼に、俺は最後に問いかけた。


 


「……兄上」


 


「……どうした?」


 


「兄上は自分の名を、どう記録してる?」


 


 ターコイズはしばらく黙ってから、振り返りもせずに言った。


 


「俺の記録は“他人の中”にしか残らんよ。……それが役目だからな」


 


 それだけ言い残して、彼は塔の外へと歩いていった。


 


 空はすでに夕暮れ。塔の上部からの光が、ほんのりと橙に染まり始めている。


 


 風が吹いた。


 雷の気配は、まだ俺の中でかすかに鳴っていた。


 


 これは始まりだ。


 名を持った力の物語の、第一章にすぎない。

焦土に刻まれたのは、力の名か、それとも兄弟の覚悟か。

“記録”をめぐる戦いはまだ始まったばかり。

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