表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/32

第21話 王都に戻りて・後編

雷が導くのは、力の真実か、それとも過去の残響か。

いま、扉の前に立つのは――変わりゆく“自分自身”。

 2日後、王都を背にして俺とエルムは塔へ向かい、歩いていた。


 土の匂いが、季節の変わり目を告げている。

 整備された街道を外れ、草の覆う小道へと足を踏み入れるたび、空気が変わっていく。


 湿り気を帯びた風、低く茂る草のささやき、鳥たちの羽音。そのすべてが、俺たちの歩みを静かに見守っているようだった。


 ……けれど、静かすぎた。


「こんなに音が少なかったかな、この道」


 エルムがふと口にした。

 前に塔へ向かったときよりも、森の気配が遠い。風の流れも鈍く、空は晴れているのに、どこか曇っているように感じる。


「いや……違う。感じてるのは、“俺たち”かもしれない」


 答えながら、俺は無意識に左胸を押さえた。

 そこに宿る、雷の因子――雷脈が、今もしずかにざわめいていた。


 疼くわけじゃない。けれど、静かに、確かに脈を打っている。

 まるで、呼ばれているように。

 塔に。

 そこにある何かに。

 ……あるいは、そこに“いた”誰かに。

 エルムが足を止めた。


「コバルト……怖くは、ないの?」


 その問いは、ふいに胸の深い場所を突かれたようだった。

 彼女の表情には迷いはなかった。けれど、瞳の奥に、ほんの僅かな不安の影が揺れていた。


「……わからない」


 俺は正直に答えた。


「怖い、のかもしれない。自分の中の“何か”が変わっていくのを感じるたび、それが俺のままでいられる保証なんて、どこにもない」


 足元の小石をひとつ、つま先で跳ね飛ばす。

 石は短く転がって、枯れ葉に飲まれて消えた。


「でも、それでも行く。……あの祠のこと、歪んだ魔物のこと、そして“俺自身”のことを、知らずに済ませたくないから」


 エルムは静かに頷き、ほんの少しだけ歩幅を近づけてきた。


「……私も、怖いよ。でも、見たい。あなたの雷が、どういう力で、どんな意味を持ってるのか。それを一緒に見たいって思ってる」


 その言葉に、雷脈がまた、脈打った。

 穏やかに、だがはっきりと。

 俺は深く息を吐いて、うなずいた。


「じゃあ、いこう。もうすぐ、見えるはずだ」


 森の道を抜け、やがて、あの塔の輪郭が遠くに見え始めた。

 薄曇りの空を背景に、古びた石造りの塔が、森の中で静かに立っている。


 風が吹いた。

 ただの自然の風ではなかった。

 雷脈が、それに反応した。


 塔が、俺の雷に応えている――いや、“共鳴”している。

 その感覚が、背骨の奥からじわじわと広がる。


「エルム……感じるか?」

「うん。ここ、もう完全に“空気が閉じてる”。風も、土も、拒んでるわけじゃないの。ただ……すべてが静まり返ってるの」


 塔は、待っている。

 それは、人なのか、記録なのか、あるいは……何かの終わりか始まりか。

 答えはわからない。


 けれど、もう止まらない。

 塔の入口まで、あとわずか。

 そこから先は、きっと元には戻れない。


***

 

 石造りの古塔は、以前と変わらぬ姿で森の奥にそびえていた。

 けれど、そこから感じる“気配”は、前とはまるで別物だった。


 扉は開かれている。

 だが、誘うようでも拒むようでもない。


 ただそこに、無音のまま存在している――

 それだけのはずなのに、足が自然と止まった。


 身体ではなく、心が引き返そうとする。

 俺はそっと、胸に手を当てた。


 雷脈が、じんわりと熱を帯びている。痛みではない。

 だがそれは確かに“目覚め”に近い感覚だった。


「……何かが、変わってる」


 ぽつりと漏れた声に、エルムも小さく頷いた。


「風が入っていかない。塔の中、完全に魔力が閉じてるの。誰かが結界を張ったわけじゃない……これ、多分、“死んでる”の」


 “死んでる”。

 その言葉の意味を、すぐには飲み込めなかった。


 でも、そうだ。

 塔の気配からは、あの老人の存在が消えている。


 気配も、魔力の残滓すらも。

 まるで最初から、誰もいなかったかのような“空虚”が、塔の石壁にこびりついていた。

 俺の喉が、ごくりと鳴った。


「……エルム。もし、あの老人がもうここにいなかったとしても……それでも中に入る。いいか?」

「うん。だって私たちは、“聞きに来た”んでしょ。真実がここに残ってるなら、絶対に逃しちゃいけない」


 真実。

 誰のものでもない、“俺の雷”の真実。

 それを掴むために、ここまで歩いてきたのだ。


 剣の柄を握る。雷脈が、そこに応えるように脈打つ。

 塔の空気に触れた瞬間、それがはっきりとわかった。


 ――雷が、目覚めかけている。

 塔と、俺の雷脈が“共鳴”している。


 心臓の鼓動が早くなる。思考が一瞬だけ、霞みそうになる。

 だが、それでも手は止めなかった。


 扉の縁に触れ、軋む石を押して開く。

 中は、かつてよりもひどく静かだった。埃は増えている。


 空気は澱んで、魔力の波も感じない。

 だけど――だからこそ、“残された痕”が際立っていた。


 奥の机。

 積まれた書類。魔導具の残骸。そして、床に砕け散った……雷紋の彫られた石板。


「……これ」


 エルムが目を見開いた。

 雷脈に呼応する文様。


 それを見た瞬間、雷が、明確に震えた。

(これだ。……これが、俺の力の、出処)


 確信にも似た直感が、胸を貫いた。

 塔の中にはもう誰もいない。


 けれど、“記録”は残されている。

 俺の雷は、それに呼ばれて目覚めかけている。


 そしてこの先――誰かが、それを奪おうと動いている。

 剣の柄を強く握った。


 これは、ただの追跡や報告の旅じゃない。

 “雷をどう生きるか”

 その選択が、俺の目の前に置かれようとしていた。


「行こう、エルム。奥を確かめる」

「うん。……ここからは、本当の始まりだよ」


 扉の前に立つと、ふと背後の風が静まった。

 その一瞬に、なぜか心の奥で、誰かの視線を感じた気がした。


 ――あの老人は、何も言わずに去ったわけじゃない。

 きっと“何か”を、残してくれている。


 その想いを胸に、俺たちは扉を押し開いた。

 軋んだ音が、静寂の中に広がる。


 塔の中、雷脈の鼓動とともに、確かに新しい記録が綴られようとしていた。

誰かが残した“何か”に触れて、物語は動き始める。

これは、ただの発見じゃない。“雷をどう生きるか”という問いの始まりだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ