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第16話 嵐の外から来た男

王都という場所には、何もしていなくても“見られている”気配がある。

それがただの気のせいなら、どれだけ楽だったろう。


朝の一杯の茶が冷めきる前に、俺は再び“観察される側”に呼び出されていた。

 朝食を終えた頃、俺が根城にしている安宿の扉が控えめに叩かれた。

 宿の主人が「ギルドの使いの方ですよ」と、俺を呼びに来る。


 扉を開けると、紋入りのマントを羽織った若い使者が立っていた。ギルドの連絡係らしい。


「コバルト・ブルー殿ですね。ギルド本部より至急の呼び出しです。エルム・フィンレイ殿もすでに来訪されています」

「……わかった。すぐに向かう」


 扉を閉め、旅装をまとめながら、胸の奥でかすかな予感がざわめいた。


(やはり、動き出したか)


* * *


 王都・冒険者ギルド本部、奥の応接室。

 そこにいたのは──灰色の髪と瞳、冷ややかな無表情の青年──アシュレイ・コルドだった。


「ブルー殿、フィンレイ殿。久しいですね。ご足労、感謝いたします」


 整った口調だが、そこに温度は感じられない。

 男の胸元には、内務調査局の紋章とともに、《魔力記録官》の徽章がつけられていた。


「本件については、私が観測筆頭です」


 彼は一礼しながら、懐から筆記型の魔導具──薄い板状の写録具を取り出す。

 魔力が走るたび、表面に淡い光と文字が浮かんでは記録されていく。


「本調査は、“現象の継続的観察と状況追跡”を主目的とするもの。対象地点における魔力構造および雷脈影響下の反応を再確認する必要があります」

「……俺たちが、対象ってわけか」

「いえ。“対象との接触経験者”としてです。もっとも──あなたの剣技と雷脈反応に、著しい魔力の逆流が観測されているのも事実ですが」


 エルムが眉をぴくりと動かした。


「なかなか、ストレートね」

「事実を記録するのが私の役目です。主観や婉曲は観測を歪める」


 冷淡とも思える口調だが、彼の指は正確に写録具を走らせていた。


「では──正式な依頼書を」


 アシュレイは書状を差し出す。封には銀の双蛇、王都内務調査局の紋章。


《王都内務調査局 臨時出向班》

《観察対象地点における再調査協力を要請》


 依頼地:ティカバ村近郊

 内容:“祠跡地における地形・魔力痕跡の変化確認”


 そして、追記された一文が目を引いた。


《※魔力探知および結界解析の専門術者を帯同のこと。王都魔法研究所より、エルム・フィンレイ殿に臨時協力を依頼済。前回調査における記録実績を参照し、同一構成での再出向が望ましいと判断する》

 

 ──つまり、この依頼は“俺とエルムの再出動”を前提としていた。


「予想通りね。魔研にもすぐ通知が来てたし、装備も支給されてた。向こうも、“本気”ってわけね」


 エルムがローブの裾を整えながら、息を吐く。


「“(ほこら)の痕跡”が何かを呼び込んだ──そう仮定した場合、再調査は妥当です」

 

 アシュレイがペンを止めずに言った。


「……もし、あなた方の行動に“応じるもの”がいたとすれば──それもまた、観測すべき“現象”です」


 アシュレイ・コルドの声は、ペンが走る音と同じくらい無機質だった。

 表情はなく、ただ記すことに徹しているような口ぶり。


 ──まるで俺たち自身が、術式の一部に組み込まれた存在かのようだ。


 けれど、否定はできなかった。

 雷脈。封印の塔。器に刻まれた記憶。


 誰かが、確かにこちらを“見ている”。

 それも、ただの視線ではなく──“記録するまなざし”で。


* * *


「……やれやれ。森か。道、ぬかるんでないといいけどな」


 俺のひと言に、隣でエルムがふっと笑った。

 張り詰めていた空気が、少しだけ和らぐ。


 彼女は肩の背負い袋を持ち上げ直しながら、ひとつ息をつく。


「ほんとに……こうもタイミングよく調査依頼が来るなんてね。ねらってたとしか思えない」


俺はふと悪ふざけがしたくなり、エルムをあえて家名で呼ぶ。


「皮肉がうまくなったな、()()()()()殿()

「あなたの相手してれば、ね!」


 軽口を交わしながらも、俺たちの足取りは重かった。

 再び、あの祠へと向かう──あの、“何かが生まれかけた”場所へ。


* * *


 祠の中は、以前と何も変わっていなかった。


 空気は乾いていて、風もない。

 魔力の痕跡も、揮発した名残が残るばかりで──あの時のようなざらつきは、どこにもなかった。


「……石盤。前に反応があった場所、今は完全に沈黙してる」


 エルムが測器を手に、淡々と確認していく。


「むしろ、その“静かすぎる”のが怖いんだよね。まるでこの祠自体が、『もう用は済んだ』って言ってるみたいでさ」


 その言葉が、胸の奥で引っかかった。


 ──必要がなくなった?


(応えを得たから、沈んだ……? それとも──)


 俺が、“何かを起こせる段階”に入ったということなのか。


『主殿。雷脈の動き、極めて穏やか。……あの時のような反応は、今は見られぬ』


「ああ。むしろ……遠ざかったような感覚がある」


 石盤に手を当てても、剣を抜いても、雷は沈黙していた。

 シアンも、微かに震えるだけで──それ以上は何もない。


 けれど、それが不気味だった。


 まるで、嵐のあとに訪れる静けさ──それも、

 “観測されることすら計算に入った静寂”のような。


 調査そのものは、呆気なく終わった。

 痕跡はほぼ消失。地形も魔力流も安定。

 雷の気配は、まるで“満ちたから沈んだ”かのように、深く、静かだった。


「……異常なし。そう報告すれば、それで済むのかな」


 エルムが測器の針を収めながら、どこか不安げに眉を寄せた。


「……なあ、エルム。お前、ちょっと疲れてないか?」

「うん。まあ、正直に言うと……ちょっとね」


 彼女は珍しく、素直にうなずいた。


「王都の空気も張りつめてるし、魔研でも妙に騒がしくて……私の立場、報告を“出す”だけじゃなく、“誰が見てるか”にも気を配らなきゃいけないの」

「……それは、俺も同じだ」


 “雷を纏った冒険者”──そう呼ばれることはまだ正式じゃない。

 けれど、その存在だけで視線は集まる。


 俺が雷を振るった瞬間から、世界の圧が、わずかに変わった。

 言葉にはならない──でも確かに“見られている”感覚。


『主殿。雷脈は、今、沈黙しておる。だが……これは“眠り”ではない。“記されている”静けさ、である』


 シアンの声が、少しだけ低くなった。

 記されている。


 誰かが、俺たちを“文にしている”。


 観測──それは、単なる記録じゃない。

 いつか来る判断のための、“定義づけ”だ。


 だからこそ──今の沈黙が、ひどくざらつく。


* * *


 森を出た頃には、太陽は西に傾きかけていた。


 雨は降っていない。

 けれど、空気はねっとりと湿って、額に張りつく髪が不快だった。


 俺もエルムも、ほとんど口を開かなかった。


 疲れは、身体よりも意識の奥にあった。

 この静けさが、不気味なほど心にこびりつく。


「……あの調査局の人、アッシュ……なんとかって言ったよね?」


 森を抜けた道で、エルムがぽつりと口を開く。

 日が傾く頃合いの空気の中、どこか疲れと好奇心が混ざった声音だった。


「アシュレイ・コルド。魔力記録官だって言ってた」

「あー、それそれ。名前の響きが硬すぎて頭に残らなかったんだよね……」


 エルムが苦笑しつつ、背負い袋の紐を引き締め直す。


「でもさ、あの人──魔力の逆流について話してる時、一瞬だけペンの動き、早くなかった?」

「……気のせいじゃないと思う」


 写録具に走った光。それは、“驚いた”よりも“確かめた”という手つきだった。

 書き留めるのではなく、すでに記されていた記録に線を重ねるような──


「うん。なんか、“あー、やっぱりあったか”って反応に見えたのよ」


 エルムの言葉に、俺は黙って森の方へ目をやった。


(……あれは、本当に観測だけだったのか?)


 返しながら、俺は肩越しに森を振り返った。

 そのときだった。


 ──ズズン。


 足元が、かすかに揺れた。

 まるで、何かが“這い出した”ような、重たく鈍い震動。


 次の瞬間、森の奥から黒い影が飛び出してきた。


 森の奥から飛び出してきたのは、熊に似た──

 だが、それよりも遥かに膨れ上がった魔物だった。


 筋肉というより腫瘍のように肥大した体躯。四つ脚のまま地を這い、血のように赤い双眸が俺たちを捉えてくる。


「来るぞ!」


 剣を抜き、エルムが詠唱に入るより早く前に出る。

 けれど、疲労の抜けない身体では、わずかに反応が遅れた。


 ──ガアアアアッ!!


 魔物の前脚が振り下ろされる。

 俺の足が地を蹴ろうとした、その瞬間。


「──あんちゃんたち、大丈夫か? 勝手に加勢するぜ〜〜!!」


 陽気すぎる声が、斜め上から落ちてきた。


 風を割って飛び込んできた何かが、俺たちの視界を一瞬で覆い──


 次の瞬間、

 分厚い拳が、魔物の顎を真正面からぶん殴った。


 ──ドガッ!!!


 雷ではない、衝撃の音が森に響く。

 熊型魔物の巨体が横飛びに吹き飛び、木を二本へし折って沈黙する。


 俺とエルムが呆然と立ち尽くす中、

 その“何か”が、ゆっくりと振り返った。


 ──いや、“誰か”だった。


 そこに立っていたのは、まるで山そのものを歩かせたような男だった。


 身の丈は2メートル近く、骨格からして異常なほど大きい。

 日焼けした褐色の肌に、赤茶色の髪を高く結んだ“マンバンヘア”。


 上半身には、色褪せた麻布のシャツ──

 洗い晒され、ところどころ継ぎが当てられたその半袖は、まさしく農の営みに染まった労働着。

 襟元は緩く、風通しの良い布地は汗を吸い、幾度となく土にまみれ、また洗われてきた跡が見える。


 前腕から拳にかけて、細い麻縄を幾重にも巻いた縄籠手(なわごて)

 下半身は、補修の跡が目立つ作業ズボン。

 膝と腿には泥汚れと草の跡が染み込み、裾は脚に絡まぬように細く絞られている。


 裸足に巻かれた草履は縄で指と踵を留めるだけの実用重視──

 鍛え上げられた足裏で、大地を感じるためのものだ。


 背には舟のような巨大な竹かご。

 山菜、薪、茸、毛皮、鍋、乾燥唐辛子──生きるために必要なものだけが詰まっていた。


 それは戦士の装備ではない。“暮らし”を背負う者の証だった。

 どこまでも静かで、どこまでも強い。


 その佇まいには、力を誇示するでもなく、恐れを煽るでもない、

 ただ「必要ならば殴る」という、静かな確信だけがあった。


 笑顔は快活。だが、その奥の眼だけが獣の勘を帯びていた。

 その笑みのまま、男は拳を振るった方向とは逆、俺たちの背後に目を向ける。


「よし、これでおしまいだな!」


 そう笑った彼の顔に、焦りも怒りもなかった。

 ただ、ひと仕事終えた農夫のような、晴れ晴れとした響きがあった──


 その瞬間だった。


 男の背後──森の影から、もう一体の魔物が躍り出た。

 赤い双眸がぎらつき、地を蹴って一直線に背中へ飛びかかる。


「う、うしろ──っ!」


 エルムが叫びかけた、その刹那。

 男は、一歩も動かず。 振り返りもせず。

 ただ、右腕を背後に向けて、軽く振り上げた。


 ──ゴッ!!


 地響きのような一撃音が、森に鈍く響いた。


 頭を裏拳に撃ち抜かれた魔物は、鈍い音とともに、そのまま地面へと崩れ落ちる。


 二体目の魔物は、うめきもせずに沈黙した。


 男は、それでもなお笑ったまま、

 振り向くことすらなかった。


 魔物の巨体が土に沈み、静寂が戻った。


 けれど、俺たちはまだ動けなかった。

 息を呑むような数秒の後──エルムがぽつりと呟いた。


「……誰?」


 まるで“話しかけていいかどうかすら迷っている”ような声だった。

 男は、ゆっくりと振り返る。

 笑顔のまま、親しみすら込めた調子で、こう言った。


「通りすがりの山菜採りだよ。ちょうど腹減ってたんだ、お陰でメシにありつける。助けてくれてありがとな!」

「……いや、助けたのはあんたの方だろ」


 思わず突っ込んだ俺に、男は「へへっ」と笑って、

 背中の巨大な竹かごをずり下ろし、地面に置いた。


「まあまあ。いいじゃねえか。助けたとか助けられたとかは、腹がふくれてからにしようぜ」


 そう言って、魔物の死骸に目をやり、口角を上げる。


「おっ、こいつバルムクマじゃねぇか。……当たりだな。香草喰って育ったやつは、肉に風味がある」

「バルム……なにそれ?」


 エルムが警戒と興味の入り混じった声で問いかけると、

 男は竹かごから手慣れた様子で調理用のナタを取り出した。


 柄に草縄を巻いた、使い込まれた山用の道具。

 そのまま地面に葉を敷いて、手早く肉の部位を見極め、解体を始める。


「バルムクマはな、血抜きも熟成もダメ。香草の香りが抜けちまう。すぐ鍋で煮るのが一番うまい。だから、今ここで食う。それだけさ」


 刃は滑らかに筋を裂き、骨を避け、脂を落とす。

 迷いも力みもなく──まるで“台所に立つ誰か”のようだった。


 まな板も包丁もない森の中。

 けれど、目の前の男は、鍋のある世界にずっと生きてきたのだと分かる。


 鍋の中には茸と山菜が投入され、

 切りたてのバルムクマの肉が加わった瞬間──香りが一気に広がった。


「……うそでしょ?」


 エルムが呆然と呟く。


「あんちゃん、塩持ってるか? 香辛料はある。あんまり火を通すと香りが飛ぶから、沸いたらすぐ火を弱めるのが大事でな」


 言われるがままに塩袋を渡しながら、

 俺たちは、もはやツッコミすら忘れていた。


 数分後。

 焚き火の上では、素朴な土鍋がゆっくりと音を立てていた。


 炎に照らされるトーガの横顔は、戦士というより──

 疲れた旅人をもてなす、山の宿屋のようだった。


「……あの、俺はコバルトって言って──」

「ああ、剣士だろ? 腕は良さそうだな。……今日はちょっと、疲れてたか?」


 俺の言葉を、当然のように遮って、男はにやりと笑った。


「それと、そっちの魔法使いの嬢ちゃんは──」

「エルムよ」


 エルムが先に名乗ると、男は満足げに頷きながら鍋の蓋を少し開け、香りを確かめていた。


「さっきの動きでわかる。剣の重さと、後衛の立ち回り。俺はワァルト村のトーガ。拳闘士だ」


 その言い方は、どこまでも自然だった。

 まるで、何年も前から俺たちを知っていたようにすら思えた。


(動きを見ただけで、そこまで分かるものか……?)


 思わず問いかける。


「……それだけで分かるもんなのか?」


 彼は蓋を閉じながら、肩をすくめて笑った。


「んー、難しい話はいいじゃねぇか。おまえらも腹減ったろ?」


 そう言って、鍋の蓋をそっと開ける。


「──食え。うまいぞ」


 その言葉が、妙にすとんと胸に落ちた。

 今夜の雷は、どこか遠くで、眠っているようだった。

エルム

「なんなのあの人……でも、ちょっとだけ、ほっとした。お鍋って、いいよね。」

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