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第13話 記されざるものたち

記される前に、選ばなければならない。

静かに目覚めた雷は、言葉にならぬ問いを投げかけてくる。

監視、記録、忘却──そのすべての中で、コバルトは何を見るのか。

 ──雷脈が、静かに揺れていた。


 鍛錬を終えた夜、手入れ中の剣をふと握り直したとき。

 胸の奥で“何か”がきらりと震えた。


 外では雨が降っていないはずなのに、部屋の中に微かな湿気と火の匂いが混ざる。

 それは風の気まぐれではなく、内側から滲む気配だった。


「……今の、なんだ」


 答えるように、左手首の腕輪(バングル)──シアンの宝玉が、淡く光を帯びる。


『雷脈が反応している。……外部に、似通った“因子”の目覚めがあったのだろう』


 静かだが、重みのある声。

 その一語一語が、まるで時間を噛み締めるように降ってくる。


『力そのものが揺らいだわけではない。……ただ、“呼応”が起きた。遠くの火種に、火花が誘われたのだ』

「どこで?」

『……あの祠だ。ティカバの森の奥、かつて我らが訪れた場所。』


 脳裏に、黒ずんだ石造りの祭壇がよぎる。

 歪んだ魔法文字。燻るような気配。

 “何か”がそこに刻まれていた──あのときは気づききれなかったが。


『あの場に、残り香があったのだ。雷に似た、かすかな祈りの痕跡。主殿が今それを辿っている』

「……誰かが、“雷”に触れた?」

『あるいは、触れようとした。あるいは、あらかじめ“刻んで”いた。』


 内側で蠢くものが、はっきりと形を成しはじめている気がした。

 雷脈は、ただの異能ではない。

 何か、もっと深く、古いものとつながっている。


(けれど、今は──監視が入っている)


 王都に戻ってから、すでに幾日。

 ギルドで受けられる依頼は制限され、動向はすべて記録されるようになった。


(下手な動きは、疑念を招く……)


 けれど俺にはひとつ、保険があった。

 ──「ティカバ村からの追加報告調査」

 数日前、兄の勧めでギルドに提出しておいた書類。


 異常魔物に関する追加記録、術式痕跡の再確認──形式上はあくまで“過去の依頼の延長”。

 その依頼票を控えに忍ばせ、俺は密かにティカバへの旅路を選んだ。


* * *


 再び訪れたティカバの森は、静けさを保っていた。

 エルムはすでに村に先行しており、俺は彼女と合流してから、再調査の名目で森に入った。


「──この空気、やっぱり変だよ。結界、まだ生きてる」


 かすかな揺らぎに、彼女の指先が反応する。


「でも、ただ維持されてるわけじゃない。……一度、誰かが“内側に触れた”形跡がある」

「外から?」

「ううん。内側から。“中にいた者”が、再び力を流し込んだみたいな……そんな痕跡」


 (ほこら)の前で、視界がふっと揺らぐ。

 再び結界を抜けると、そこはやはり、異質な空間だった。

 古木の根元にぽつりと佇む石祠。

 黒く煤けた壁。歪んだ紋様。


 そして──その奥に、“見落としていたもの”があった。


「……これ、魔法刻印の石盤だ」


 エルムが呟く。


 奥の壁に嵌め込まれた、黒曜の盤面。淡く魔力の粒子を纏っている。


 俺が手を伸ばした瞬間──その石盤が、かすかに震えた。

 意識が引き込まれる。

 だが、それは記憶ではなかった。誰かの思い出ではない。


 それは、“雷”が刻み込んだもの。

 剣を振るう腕。祈る者の影。

 青白い稲妻の閃き。

 そして、最奥に──


 《雷は、目覚めよと囁く》


(……俺に、か?)


 胸の奥に、雷脈が応えるように脈打った。


 ──確かに、これは“俺のもの”と繋がっている。

 目を開ける。

 だが祠の空気は、もうそれだけではなかった。

 外で、何かが動いている。

 あの日と同じ気配が、森の奥で息を潜めていた。


 祠の奥で石盤に触れたとき──

 胸の奥に落ちた言葉が、今も残っていた。


 《雷は、目覚めよと囁く》


 目を閉じるたび、その声が心に響く。

 それは“誰か”の記録ではなく、まるで“雷そのもの”が訴えてくるようだった。


* * *


 その夜──王都の宿に戻った俺は、静かに待つ気配に気づいた。

 扉を開けると、部屋の椅子に一人の男が腰掛けていた。

 灰色の外套、内務調査局の紋章。

 アシュレイとは違う、まるで“空気ごと切り離された”ような存在感。


「──コバルト・ブルー殿で間違いないな」


 落ち着いた声音。だが、その奥に情はなかった。


「王都内務調査局・特命観察室より、通達を持って来ている。名はオルフェ・ハーヴェン。祠での接触と雷の反応について、然るべき処置を伝えに来た」


 男は立ち上がり、俺に正面から向き合った。


「そなたがあの場に触れたことで、内務の“観の灯”が反応を示した。その力は偶然ではなく、応じた。よって今後、そなたには“見定められる者”としての立場が求められる」

「……つまり、監視されるってことか」

「言葉を選べば、そうなる。だが我々は、“見張る”のではなく“記す”。刻まれるのは、雷の行く末。……それがそなたであればなおのこと」


 どこかで鐘の鳴るような、冷たい響きだった。

 そのとき、手首のバングル──シアンの宝玉が、淡く瞬いた。


『気をつけられよ、主殿。あの者には、かつて封印を執り行った者の気配がある』


 いつもより低い、しかし落ち着いた声。

 感情ではなく、見抜いた事実を伝える調子だった。


『その者はただの使者ではあるまい。……力に恐れを抱く者ほど、封じることを急ぐものだ』


 俺は目を細め、オルフェを見た。


「……選ばせるつもりか。進むか、止まるかを」

「選ぶのは、いつだって“力を宿した者”自身だ。封じられることを望むのなら、それでもよい。だが歩むというのなら、その一歩ごとが書に刻まれ、後に続く誰かの証となる」

『ふむ……“書に刻まれる”か。殊勝なもの言いではあるが、主殿。それは、己が“他者に読まれる存在”となるということだ。選ぶならば、その意味を理解したうえでなさるが良い』


 俺は、わずかに息を吸った。


「俺は止まらない。“雷は目覚めよと囁く”──あれが、偶然じゃないと分かったから」

「了解した。……ならば、進むがいい」


 オルフェは一礼もなく、静かに扉を開けた。


「ただ、ひとつだけ」


 彼は振り返らずに言葉を残した。


「雷を纏った者は、皆、記された。だが、“書かれたまま生き残った者”は──少ない」


 その言葉が落ち、扉が閉まった。

 しばしの沈黙のあと、シアンが静かに言った。


『主殿。雷とは、ただ速く走るものではない。時に、人の目には“消えた”ようにすら映る。……それでも、進むか』

「進むさ。……その先で何を刻まれようと、俺は俺だ」

『ふふ……ならば、そなたが何を“選ぶ”のか。我が身に宿る雷も、きっと楽しみにしておるぞ』


 その声は、どこか温かくて──少しだけ、笑っていた。


 扉が閉まったあとの静寂が、いつもより深く染みこんでいた。

 オルフェ・ハーヴェン──

 内務調査局・特命観察室。その使者は、嵐の前触れのように何も残さず立ち去った。


 雷脈は、胸の奥でじんわりと熱を放ち続けていた。

 だがそれは、かつての暴れ馬のような疼きではない。

 静かに、深く、俺の内側に根を張るような感覚だった。


 ──見られている。


 その意識は、想像よりずっと重かった。

 剣を振るにも、言葉を選ぶにも、自分の行動が“記される”という前提がつきまとう。


『主殿、肩が張っておる。意識しすぎれば、歩みは鈍る。』


 腕輪(バングル)・シアンの声は、相変わらず静かだった。

 揺らぎも責めもなく、ただ“そこに在る”ことを告げていた。


「……分かってる。けど、簡単には切り替えられない」


 俺は机に剣を置き、深く息を吐く。

 灯りを落とそうとしたとき──

 また、誰かの気配があった。


「気を抜くなよ、コバルト。今夜は、風がうるさい」


 その声に、思わず振り向く。

 ──兄上だった。

 黒の外套を軽くはためかせ、窓枠にもたれかかるように立っている。

 さっきまで誰もいなかったはずの場所に、ごく自然に。


「兄上……どうやって……」

「“誰が見ていたか”を把握していれば、見られずに動くのは案外たやすい。特命観察室──あそこが動いたと聞いたからな。お前のところに来るのは、まあ順当だ」


 兄上は部屋を一瞥し、そして剣に視線を落とした。


「彼らは“記す”ことが役目だが──時に、“書かれる前に葬る”ことも選ぶ」

「……警告、ですか?」

「助言だ。兄としての、な」


 兄上の眼差しには、あの局員のような冷たさはなかった。

 けれど、その瞳はやはり全てを見ていた。俺の不安も、覚悟も。


「彼らが本気でお前を“記す”つもりなら、すでに目録は作られているはずだ。動きがあった以上……次は“周囲”が揺れ始める」

「周囲?」

「簡単に言えば──お前の力に、別の“意味”を見出そうとする者たちが現れる。雷は目立つ。だからこそ、利用しようとする者も増える」


 兄上は机の端に腰を下ろし、指先でバングル・シアンを見つめた。


「……語ったか?」

「ああ。あいつは……“選ばれた”とも、“目覚めた”とも言ってない。ただ、“見定められる”って」

「……らしいな、あの部門らしい」


 兄上の声に、皮肉と、少しの悔しさが混じった気がした。


「……兄上、俺はどうすべきなんだ?」


 思わず、言葉にしていた。

 問いというより、こぼれた声だった。

 兄上は、ゆっくりと目を伏せ、そして言った。


「“どうすべきか”を問ううちは、誰かに動かされるままだ。だが“どう在るべきか”を考えたとき──お前は、ようやく自分の力を扱えるようになる」


 それは、助言ではなく“背中を押す言葉”だった。


「なら、俺は……」


 そのとき、机の上の文書の中から、一通の封筒が目に入った。

 ギルドから届いた古い依頼の写し。

 ティカバ遺跡の調査記録──不自然に消えた調査員の名前。


「……兄上。この名前、何か引っかかる。ティカバの祠、“最初に記録を付けた者”が──途中で消息を絶ってる」


 兄上の視線が鋭くなった。


「調査局の書庫にはない名だ。……つまり“誰か”がその存在を削った。お前が祠に触れたことで、見えなかった糸が浮かび上がってきたな」


 風が吹いた。

 小さく、けれど確かに──雷の匂いが、窓の隙間から入り込んでいた。


* * *


 朝が来た。けれど、空は晴れていなかった。

 雨は降っていない。風もない。


 けれど、目を閉じれば、何かが世界の奥で動いている音がする。

 昨夜、兄上が置いていった文書には、確かに一つだけ──


 ギルド側の原本には記されていたはずの名前が、調査局の写しから消えていた。

 名は、「ヘルト・ヴァルディン」。

 かつてティカバ周辺の遺構を専門に回っていた独立調査員。

 五年前の活動記録に名前があるが、三年前を境に、急に途絶えている。


「……こんな名、聞いたこともない」

『無理もない。そもそも記録に残すことすら“認められぬ”者というのは、常にいる』


 シアンの声が静かに落ちる。


『主殿。記録は、真実の保存ではない。“何を残し、何を失くすか”を誰かが決めているにすぎぬ。』


 それは、誰かの行いだったのか。

 それとも、何か──消すしかなかったほどの“力”が、そこにあったのか。

(俺が、あの祠に触れたことで……削られた名が、浮き上がった?)

 雷脈が疼く。まるで、そこに反応しているかのように。


* * *


 昼、ギルドに立ち寄った。

 受付嬢は何事もなかったかのように笑いながら、依頼票を手渡してきた。

 けれど、彼女の後ろで控える文官の姿が、今は妙に目に付く。

 特命観察室が動いた──そう認識されている。


 だからこそ、「あえて普段通りを装う」ことが、逆に緊張を走らせていた。

 俺は、写しを返した。


「この記録……原本と写しに違いがある。何か知ってるか」

「……え?」


 一瞬、動きが止まる。

 だがすぐに笑顔が戻った。


「そ、そういうのはこっちじゃ分からないよ〜。記録室に回された時点で、私たちにはね!」


 ──記録室。なら、調査局の手に渡っている。


 “何を残し、何を削るか”は、そこが握っているということだ。


(兄上が言っていた。“情報の照合は、風向きを決める”って──)


 俺は軽く頭を下げて、ギルドを出た。

 その背後、誰かの視線が一瞬、こちらに向いていたのを感じた。


* * *


 夜。宿に戻ると、封筒が一通届いていた。

 差出人は不明。けれど、封蝋は王都政庁のものだった。

 中に入っていたのは、一枚の古い文献の写しと──走り書きされた短い手紙。


 > 「……ヴァルディンは、“雷に似た力”を見たと記していた。

 > それが本当に雷だったかどうか、今ではもう確かめようがない。

 > けれど──消された記録は、雷そのものよりもずっと怖い。」


 署名はない。けれど、この筆跡は──兄上では、ない。

 第三の手。

 おそらく、あの局とは別系統。だが、“何かを残したい”という意志が、この紙に宿っている。

 そして文献の一節には、確かにこう書かれていた。


 > 「深き祠にて、光なき雷が呻くを見た」

 > 「それは天の怒りに似て、けれど地より響くものであった」


(……光なき、雷)


 それは、俺が剣に感じた“焼け焦げるような熱”と、どこかで重なる。


『主殿。雷とは天の力と思われがちだが──古き伝承においては、“内より生まれ、外を焼き尽くすもの”とされていた時代もある』

『そなたがあれに応えたのは、雷を“振るった”からではない。……“呼びかけに応じた”からだ』

「じゃあ……俺だけが、あれを見たんじゃない」

『かつて、応えた者がいた。──そして、記されぬ者となった』


 文献を握る手に、じんわりと力がこもった。

 俺はまだ、雷のすべてを知らない。

 けれど、何かが始まりかけていることは、はっきりと分かる。

 これは、力の記録じゃない。

 ──忘れられた“誰か”の、手渡された“問い”だ。


(応えるさ。俺も──お前も、消させない)


 そう呟いた時、バングル・シアンが、静かに輝いた。

ただ力を振るうだけでは、雷には届かない。

その奥にあるものと向き合ったとき、ようやく「自分の雷」が形を持つ。

動き出したのは力だけではない。運命の書き手たちもまた、筆を取り始めていた──。

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