幕間 第2話「誰も命じなかった道」
本編で冒険者として登場するコバルトが、なぜその道を選んだのか。
その背景を、兄ターコイズ視点で描いた幕間です。
闘気ではない。
それでも、あの剣筋に混じる“揺らぎ”は、何かを拒絶する性質を帯びていた。
闘気でもない、魔法でもない。
それ以外の、“名前のない力”。
訓練場を離れたあと、俺は屋敷の書庫に足を運んだ。
この書庫は、先代──つまり祖父の代まで使用されていたもので、今では記録に触れる者もほとんど途絶えていた。
城の公文書ほどではないが、それでも五十年分の記録と資料が詰まっている。
王都学院の休暇に合わせて、俺が勝手に目録の整備を始めてから、少しは整理されてきた。
目的は一つ。
あの“力”が何に属するものか、確認するためだ。
書棚の一角、“分類不能”のラベルが貼られた木箱を取り出す。
魔力系でも闘気系でもない資料群──つまり、王国による正式な学術体系から外れた記録の断片。
内容は未検証、信憑性不明、そして取扱注意。
そんな曖昧な資料群の中に、それはあった。
──拒絶反応を伴う神経伝達過多。
──生体オーラとの交錯を拒む“衝動波”。
──雷性因子との遺伝的干渉。
(……やはり)
いくつかの文献は、あきらかに“魔法でも闘気でもない第三の反応”を扱っていた。
書き手は不明。内容も断片的。
それでも、読み進めるほどに嫌な一致が浮かび上がる。
「対象は、特定の血統に限って出現する」
「魔力と闘気の通路が“塞がっている”者にのみ確認」
「若年期における暴発的反射に注意」
「かつて封印処理された例が存在」
「識別名:──ライミャク(雷脈)」
そこで、視線が止まった。
(……あった、か)
ページの中央、朱書きのように浮かぶその単語は、まるで俺の疑念を証明するかのように残されていた。
雷脈。
かつて、存在した異能。
失われた血の名。
雷脈──そう名付けられた因子は、正式な闘気理論にも、魔法体系にも分類されていない。
その特性ゆえか、記録の扱いも不自然だった。
古い貴族系譜の文書からは切り落とされ、系譜学の教本では「逸話」に近い扱いで語られている。
だが、その中にひとつだけ、奇妙な記録があった。
「かつて、辺境の青の家系に“雷返り”あり。名は記されず、末裔の記録も抹消」
──青の家系。
青。それは偶然だろうか。
俺たちブルー家の名もまた、青を冠する。
もちろん、王国には“色”を冠した貴族家は複数存在する。
だが、そうであるほどに、そこから先が意味を持つ。
俺は棚の奥、領地内の家系管理簿を取り出した。
封印のかかった年代別の台帳。
そこに、ターコイズ・ブルー、コバルト・ブルー、父インディゴ、そして祖父祖母、さらにその上まで──十代分ほどの家系図が記されている。
雷脈に関する記述が出てきたのは、第六代当主・アジュールの時代だった。
そこにはこう書かれていた。
「第六代アジュール、雷因子により禁呪適応の兆しあり。王国監査局の通達により“表系”から除籍。子孫は記録のみ残すこととする。」
(除籍……?)
つまり──表向き、ブルー家から“存在しないことにされた”人物。
アジュールは、ブルー家の分流を担っていた。
表系から外され、後に“清算”された家系。
だが、その血は完全には絶えていなかった。
静かに本家に戻され、数世代を経て、再び混ざったのだ。
(俺たちの血の中に、“雷脈”の因子が眠っていた……)
手元の記録と、弟の剣を重ねる。
火球を鉄剣で弾いた、七年前の異常。
そして、先日の訓練場で見た“間合いの歪み”。
あれは、偶然ではない。
──血の記憶だ。
書庫を出たあと、俺は母の部屋を訪ねた。
西棟の二階。日当たりのよい小部屋で、紅茶と乾いた紙の香りが混ざり合っていた。
卓上には刺繍枠が置かれ、開きかけた本が文鎮の下で静かに頁をめくっている。
ノックに応じて、母はゆっくりと顔を上げた。
「まあ、ターちゃん。こんな時間にどうしたの?」
ネイビア・ブルー。王都魔法研究所の元研究員。
けれど今は、ただの男爵夫人として、屋敷の片隅で静かな日々を送っている。
「“雷脈”という単語を、書庫で見つけた」
俺がそう告げると、母は手にしていた糸巻きをそっと置いた。
表情は変わらない。けれど、目の奥に微かな揺らぎが走ったのを、俺は見逃さなかった。
「……そう。あれに辿り着くとは、さすがね」
「知っていたのか」
「知っていたというより……昔、そういう記録を見たことがあるの。研究所にいた頃、“分類不能”の因子を集めた資料があってね。名前のないもの、仕組みのわからない現象。誰も正式には触れたがらない、そういう類の記録」
母は紅茶のカップに手を伸ばし、一口だけ含む。
「その中に、“魔力を拒む反応”の記述があったわ。たった一件きり。たぶん、誰かがこっそり書き残したものだったのね」
「記録には、“生理的な拒絶”とあった」
「ええ。力としてではなく、本能に近いもの。魔力も、闘気も、通さない。触れようとするものを、内側から押し返す。……人間の体にしては、ずいぶんわがままだと思わない?」
冗談めいた口ぶり。けれど、その視線は真っ直ぐだった。
「そういった反応を、“雷脈”と記した一節があったの。あまりに扱いづらくて、学術分類からも外されていた。それでも誰かは、それを忘れたくなかったのね」
母は本を閉じ、しばらく黙ったあと、ゆっくりと語った。
「こういう力はね、名を与えられないまま消えることが多いの。自分でもそれが何か分からないまま、ただ“拒む”ことだけを繰り返して……最後には、抑えきれずに壊れてしまう」
「死ぬことも?」
「ええ。可能性はあるわ。でも、それ以上に大事なのは──気づいたときに、どう向き合うか」
そう言って、母はそっと微笑んだ。
あたたかく、けれどどこか、遠くを見つめるような笑みだった。
「名もない力に、意味を与えられるのは、きっと本人だけなのよ。だからわたしたちは……そっと、見守るしかないの」
夕餉の席で、弟はいつになく口数が少なかった。
領内兵団長が、王国騎士団への推薦を強く勧めている。
あいつの剣を知る者なら、誰もが「当然の進路」と頷くだろう。
父もその話を聞いてはいたが、今のところ何も書状にしていない。
本人の意思を尊重する腹づもりなのだろう。
あるいは──うっすらと“あれ”に気づいているのかもしれない。
弟の黙ってパンをちぎる手元が、どこかぎこちない。
目を伏せたまま、言葉を発さず席を立った。
食後、片付けを終えた頃合いを見計らって、俺はふと問いかけた。
「……決めたのか、進路」
コバルトは一拍遅れてこちらを見た。
「まだ。考えては、いる」
「十五で成人だ。そろそろ決めねばならん時期だろう。次男のお前は、いずれ家を出るのが通例だ」
「……うん、分かってる」
「騎士団はどうだ? 推されてはいるようだが」
弟は少しだけ視線を外し、言葉を選ぶように呟いた。
「向いてない気がするんだ、ああいうの。組織とか、命令とか。俺の剣って……なんていうか、誰かと並ぶ形じゃない気がする」
そこでふと間を置いて、続けた。
「学院も、たぶん同じだと思って。そもそも魔力、ぜんぜん通らないし……」
俺は少しだけ視線を外し、静かに答える。
「……そうか」
(本当は、“通らない”のではなく、“拒絶している”んだがな)
(……あのとき、母も言っていた。“こういう力は型に嵌めるべきじゃない”。自分で気づいて、自分で選ぶ──それを待つのが、大人の仕事だって)
「迷ってるなら、外を見るのも手だ」
「外?」
「王都でも、辺境でも。冒険者として各地を回る者も多い。自分の剣がどこで通じるのか、それを見てから決めるのも悪くない」
少し沈黙があって、弟はぽつりと訊ねた。
「……兄上は、どう思う?」
「従うより、選ぶ側の剣だよ。お前のは」
弟は目を見開き──けれどすぐに小さく、笑った。
「……考えてみる。うん、たぶん……それが、一番しっくりくる気がする」
「なら、そうしろ。誰もお前に命じたりはしないさ」
そう言って席を立ち、廊下に出る。
扉の向こうで、弟の「……ありがとう」という声がかすかに届いた。
けれど、それには応えなかった。
雷脈は、まだ“力”になっていない。
だが兆しはある。
いつかそれが目を覚ますとき、弟は選ぶだろう。
そのとき、俺は──
(誰よりも早く、その選択を肯定してやれる兄でありたい)
雷は従わない。
だが、導くことはできる。
選び、進むその背を──黙って見届けることくらいは、俺にもできる。
「誰も命じなかった道」は、命じなかったからこそ“選ばれた道”。
それがコバルトの出発点であり、兄としてのターコイズの在り方でもあります。
本編と併せて、今後もお楽しみいただければ幸いです。




