第12話 動き出す者たち
雷の余波は、まだ静かに渦を巻く。
ギルドからの帰り道、雲行きが怪しかった。
空はどんよりと重たく、風はまだないのに、肌寒さが忍び寄るように感じる。
俺はフードを深くかぶり、街路の人波を抜けていく。
王都──レイゼン・セントラル。
石と木を組み合わせた高層構造の建物、広場にそびえる魔導式の時計塔。 冒険者ギルドと行政庁が並び立つこの街は、人と金と情報が渦を巻いていた。
そんな喧噪のなか、俺は歩く。
──ティカバから戻って数日。
依頼の報告、装備の整備、消耗品の補充。表面上は何も変わらない日常だ。
だが、内側は違った。
一度は静まったはずの雷脈が、数日経っても沈黙せずに微かな余波を残している
雷脈が──ずっと、微かに疼いている。
(……あれ以来、完全には収まってない)
自覚はある。ある程度の制御も利く。
思い返せば──あの“最初”から、ずっとそうだったのかもしれない。
オーガを斬った、あの時。
剣が、自分の意思じゃない何かに突き動かされるように振るわれた。
腕に走った、焦げるような熱。
あれは“偶然”なんかじゃなかったんだ。
ずっと、俺の中にいた。
ただ──名前がなかっただけだ。
だがそれは“抑えている”にすぎない。
それでも。
「ただいま」
自分の部屋の扉を開け、誰もいない空間に呟いた。
細い階段を上った先の小部屋。 安宿の一室、六畳の空間にベッドと机と本棚。
魔導灯を灯し、腰を下ろす。剣を立てかけ、ブーツを脱ぎ、息をつく。
ようやく、気を緩められる時間──のはず、だった。
「──おかえり。やっぱり、ここだったか」
静かな声が背後から落ちた。
反射的に身を強張らせる。だがその声に、覚えがあった。
「……兄さん」
振り返ると、そこにいたのは──ターコイズ・ブルー。
黒の外套に身を包み、鼻梁には黒縁の四角い眼鏡。
その眼差しは静かで、けれど、何もかもを見透かしていた。
「勝手に部屋入るなよ」
「勝手に雷を撒き散らしてる奴に言われたくないけどな」
「……ティカバの件、聞いたのか」
「報告書が三通。“雷を纏った剣士が異形の魔物を斬った”──どれもそう書いてあった」
兄はそう言って、膝の上に置かれた短杖を指先で転がした。
手のひらに収まる細身のワンド。表面には炎術式が刻まれ、先端には赤い火石が燻っている。
「名前は伏せられていたが、現場の痕跡、活動記録、そして──今のお前の顔色。まあ、おおよその察しはつく」
俺はため息をつき、ベッドの端に腰を下ろす。
「……それで、わざわざ来た理由は?」
「状況の確認。それと、“伝えておくべきこと”がある」
「監視が入る、って話か」
「早いな。……その通りだ」
兄は窓の方を見たまま、穏やかに続ける。
「内務調査局の臨時出向班がギルドと連携してる。“蒼雷の剣士”という仮称が、すでに独り歩きを始めてる」
俺は無言で頷く。
「しばらくはギルド経由で行動した方がいい。依頼記録の方が足跡を追いにくい」
「……兄さん、そういうの得意だもんな」
「得意になっただけだ。必要だったから」
兄は短杖を指で止め、こちらを見た。
「痕の残り方が、放射じゃなく軌道状だった。斬撃の線に沿って細く流れていた。 つまり、“斬った瞬間に雷が走った”ってことになる」
その眼差しが、黒縁の奥で細められる。
「もし、ほんの一瞬でも“意図して動かした”なら──お前の中で、何かが“反応”し始めてるってことだ」
「……兄さん」
「なにか?」
「俺、まだ……ちゃんと使いこなせてない。むしろ、抑え込んでるだけの感覚の方が強い」
「それでいい。今はそれで充分だ。 重要なのは──お前が、それを“認識した”こと」
兄は立ち上がり、扉に手をかける。
「今はまだ、決めるには材料が足りない。だが、“兆し”は見えてる。……雷脈が動いた」
その言葉が落ちた瞬間、空気がわずかに震えた。
……その単語、俺はまだ誰にも話していないはずだ。
だが兄は、まるで当然のように口にした。
扉が閉まり、気配が消えた。
夜が来た。
雨が、静かに降っていた。
(……雷脈)
自分の中に、それがある。あのとき、確かに“応えた”感触があった。
(あれを、使いこなせるようにならなきゃ)
兄が言った。「風向きが変わってる」と。
遠くで、嵐が生まれようとしている。なら──
(……やるしかない)
眠れぬ夜の中、俺は鍛錬剣を手にした。
蒼雷を恐れずに振るう。そう思えた。
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翌朝、王都は晴れていた。
空気は軽い。けれど、胸の奥にはざらつきが残っていた。
ギルドに向かう途中、何度か視線を感じた。 振り返っても誰もいない。けれど、確かに“何か”が俺を見ていた。
裏路地に身を隠し、気配を探る。
──ついてきている。気のせいじゃない。
殺気はない。だが、明らかに“観察されている”。
ギルド前に着いたとき、その気配はふっと消えた。
(兄さん……これが“風向き”か)
ギルドの扉を開けると、受付嬢が明るく手を振ってきた。
「おっはよー、コバルトくん! 報告書、ありがとね」
「……ああ」
「特にあの“雷エフェクト剣術”、ギルド長がすっごい食いついてたよ」
「……強調した覚えはない」
「いいのいいの! 実名は伏せてあるし、広報資料にはぴったり!」
──それが一番、困る。
「で、今日は? 調査系も入ってるけど……あれ?」
「依頼票が……あったはずなのに」
そのとき、背後の扉が開いた。
「──その件、もう引き取りました」
灰色のローブ。無表情の青年。
「王都内務調査局・臨時出向班、アシュレイ・コルド。 ギルドの依頼票に干渉できる権限を持っています」
その目が、まっすぐ俺を射抜いた。
──これが、“公的な監視”の始まりだった。
あからさまな拘束ではない。だが、動くたびに記録され、報告され、“意味”を与えられる世界への一歩だった。 誰が、どこで、何を見ているのか。それを意識するだけで、足取りひとつにも影が落ちる。それでも、俺の日常は続いていた。
ギルドの依頼は、目に見えて減っていた。
──いや、正確には「割り振られにくくなった」というべきか。
名前を伏せても、“雷を纏った冒険者”という噂は、ひとり歩きを始めていた。
だから俺は、人目を避けるように、地味な討伐任務ばかりを選ぶようになった。
一角ウサギ、ゴブリン、獣型の下級魔物──危険度は低いが、剣を振っていられるだけで気が紛れた。
雷脈は、日ごとにわずかに反応していた。
怒り、焦り、苛立ち──そういった感情に、ほんのかすかに。
指先に火花が散り、足元を蒼白い閃きが走ることもある。
それがただの自然現象でないことは、自分が一番よく分かっていた。
制御のために、剣を振る。
鍛錬というより──これは、“自分への警告”だった。
(……俺はまだ、この力に飲まれかねない)
そうして今日も、森へ出ていた。
草を食んでいた一角ウサギたちが、俺の気配を察して跳ねる。
けれど、もう──俺の剣は、彼らにとって“天災”のようなものだ。
剣を抜き、静かに踏み込む。
……あれから、二週間。
雷を受け入れた俺は──再び歩き始めていた。
「……まだだ。何かが足りない」
(けれど今ならわかる。この“足りない”感覚は、かつて俺が切り捨てた“違和感”と同じだ)
呟いたそのとき、腕輪シアンの宝玉が、淡く光を放った。
ただの剣士だった日々には、もう戻れない。
──そして、ようやく現在に帰ってこれました!




