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第11話 帰還、そして約束

戦いのあとに、残るもの。


 オーガを斬り伏せてから、どれほどの時間が経っただろう。

 体内を駆け巡っていた雷脈は、まるで嵐が過ぎ去った後の静けさのように、ゆっくりと沈静化していた。


 蒼白い残光が剣からほどけ、静かに空気へと溶けていく。

 掌に残る熱は、確かに“力”を振るった証だった。


 立ち尽くしていた俺に、誰かが声をかけた。


「……コバルトさん!」


 顔を上げると、村長の息子・ゾイルがこちらへ駆けてきていた。

 その背後には、簡素な農具──(すき)(くわ)を手にした村の若者たちが控えている。

 しかし、彼らの目に浮かんでいたのは恐怖ではなかった。

 驚きと、敬意、そして何より──安堵だった。


「皆さん、ご無事でしたか?」


 問いかける俺に、ゾイルが深く頷いた。


「はい。物見台から異変を確認し、すぐに村の避難と防衛態勢に入りました。集会所の半鐘と狼煙、届きましたよ」

「……ありがとう。あれがなかったら、もっと危なかった」


 ゾイルはその場に立ったまま、地面に倒れたオーガの死体を見つめ、唇を引き結ぶ。


「……あんな魔物、見たこともありません。まるで、人の意志を持っているかのようだった」


 その言葉に、俺も黙って頷いた。

 白目の異形。

 進化する戦闘能力。

 あれは“ただの魔物”じゃない。

 何か、別の力が働いていた。


 だが今は、まだその正体に踏み込むには早すぎる。


「村は?」

「被害はありません。皆、あなた方が時間を稼いでくれたおかげです」


 ゾイルの言葉に、胸の奥がじんと熱くなる。

 間に合った。

 守りきれた。


 背後で、エルムが小さく座り込んだ。

 魔力を限界まで使い切った彼女は、さすがにもう立っていられない様子だった。


 俺はすぐに駆け寄り、しゃがみ込んで顔を覗き込む。


「大丈夫か?」


 エルムは、ぼんやりとした目で俺を見て──それから、ふっと微笑んだ。


「うん。コバルトが、ちゃんと戻ってきたから……それだけで、もう充分」


 その言葉に、思わず胸が詰まる。


 俺は、ようやく一歩を踏み出した。

 雷の力を、自分の手に取り戻した。


 だけど──それはまだ、始まりにすぎない。


 この力が、何を意味するのか。

 何と繋がっているのか。

 そして、俺がこれからどう生きるのか。


 問いは尽きない。

 でも。


 それでも、今日は。


 守れた。


 だからそれでいい。

 それが、俺の最初の約束だったのだから。


 夕暮れの村は、どこかしら神聖な静けさに包まれていた。


 倒れたオーガの亡骸は、既に村の若者たちによって覆いがかけられていた。

 死骸から漂う瘴気を嫌ってか、獣たちすら近寄ってこない。


 俺たちは村長の家へ戻った。

 ゾイルの手配で風呂と食事の用意がされており、泥と血で汚れた身体を清めることができた。


 湯の中で目を閉じると、瞼の裏に“あの時”の光景が浮かぶ。

 蒼白い雷光。

 火花のように舞った感情。

 体が勝手に動いたこと。


 俺は──あの瞬間、確かに力を望んでいた。

 誰かを守るための力を。


 風呂から上がり、着替えを済ませて食堂へ向かうと、村長とその家族、そしてエルムが席についていた。


 既に料理が並べられている。

 ティカバ名物のスモークベーコン、温野菜、牛乳を使ったスープ、そして……


「……ティカバ・プリン、だな」


 それは瓶に入った小ぶりな市販品ではなかった。

 淡い陶器皿にこんもり盛られた、“村の手作りサイズ”のプリンだ。


 ティカバで採れる牛乳の濃さが、そのまま色と艶になって現れている。

 とろりとした表面のカラメルは、まるで琥珀を溶かしたかのように艶やかで──


(……あのとき、憧れていたやつだ)


 エルムが村に着いた初日、看板を見て目を輝かせていた。

 王都じゃ滅多に食べられない“高嶺の花”。


 それが今、目の前にある。しかも、あの戦いを越えた“ご褒美”として。


 テーブルの中央に、まるで主役のように鎮座していた。

 エルムがにっこり笑いながら、手招きしてくる。


「コバルト、お疲れさま。早く座って!」


 その笑顔に、自然と肩の力が抜けた。

 俺はゆっくりと椅子を引き、席に着く。


「では、ささやかですが、感謝の気持ちとして──」


 村長が穏やかな声で言う。


「ティカバ村一同より、お二人に心からのお礼を」


 その言葉に、俺とエルムは思わず背筋を伸ばした。


「……いただきます」


 口にしたスープは、身体の奥から力が戻るような味だった。

 そしてティカバ・プリンは──


 テーブルの中央に置かれたそれは、村で採れる濃厚な牛乳と、手作りのカラメルソースで丁寧に仕上げられた一皿だった。


 素朴な陶器の皿に、ふるふると揺れる淡黄色のプリン。

 表面には、ゆるくとろけた飴色のシロップが、まるで琥珀のように艶を放っている。


 スプーンですくえば、ほどよい弾力のあとに、するりと切れる柔らかさ。

 口に入れた瞬間、濃密なミルクの甘みと、ほんの少し焦がしたカラメルの香ばしさが、舌の奥にじんわり広がる。


 それは戦いの記憶も、雷の疼きも、遠く霞んでいくような優しい味だった。


「……うま」


 思わず、こぼれた。


 エルムがこくこくと力強く頷き、

 まるでそれだけで世界が救われたような顔をしている。


「でしょ。だからティカバの名物なんだってば、ちゃんと覚えておいてね」


 その笑顔に、心のどこかが、ふっとほどけた気がした。


 戦いの記憶も、痛みも、全てが遠ざかっていくようなひとときだった。


 俺たちは、確かに命を懸けた。

 だが、その先にこうして笑っていられる時間がある。


 それだけで、充分だった。


 食事のあと、俺たちは村長の書斎へ通された。


 木の香りが落ち着く室内。棚には古びた農業記録や土地台帳のようなものがぎっしり詰まっている。


「どうぞ、かけてください」


 村長の静かな声に促され、エルムと並んで椅子に腰を下ろす。


 ゾイルも傍らに控えている。やや緊張した面持ちだった。


「今回の件、改めて感謝いたします。あなた方がいなければ、村は──あの“何か”に蹂躙されていたでしょう」

「いえ、俺たちは依頼を受けて動いただけです」


 そう答えながらも、村長の眼差しから目を逸らせなかった。


 あのオーガは、ただの魔物じゃなかった。

 村を狙った“偶然”ではなく、“選ばれていた”ような……そんな嫌な予感が、どうしても拭えない。


「……コバルトさん。何か、気になることがあるのですね?」


 不意にそう言われ、言葉を探す。


 エルムが小さく頷く。


「村の近くに、妙な魔力の痕跡が残っていました。魔物の痕跡とは違う、明確な“術式”の名残が。しかも、かなり古い……」

「術式、ですか?」

「はい。あの歪んだ魔物たちは、自然発生ではない可能性があります」


 村長が静かに目を伏せる。


「……そうか。いや、実はな……ここ数年、村の近くで“不審な(ほこら)”を見たという話が、ちらほら出ていたのです」

(ほこら)?」


 俺とエルムが声を揃える。


「森の奥。土地神を祀ったという古い祠が、最近になって突然現れたと。今は獣道すら通っていないはずの場所に、です」


 エルムが眉をひそめた。


「空間転移、もしくは幻惑系の防護結界……普通の村人では発見できないはずです」

「俺たちで、調査してみましょうか」


 気がつけば、自然とそんな言葉が出ていた。


 もう依頼は達成済みだ。報酬も得た。

 それでも──まだ何かが、終わっていない気がした。


「……本当に、すまない」


 村長が深く頭を下げた。


「これ以上、村に被害が及ぶのは避けたい。ただ、あの森にはもう誰も近づこうとせん。だから……頼みます」


 俺は頷いた。


 この違和感を放置して、村を去ることなんて、できない。


 翌朝、俺たちは森へ向かった。


 案内はゾイル。

 彼自身がその“(ほこら)の噂”を最初に耳にした人物でもあった。


「……子供の頃、あの辺りでよく遊んでいたんです。昔は何もなかった場所でした。でもある日、確かに見たんです。石造りの小さな祠を」


 彼の言葉に、エルムが静かに頷く。


「座標は合ってる。魔力の揺らぎもある。……確かに何かが“ある”」


 木々が密生する奥地へ、獣道のような細い踏み跡を辿って進む。


 やがて──視界がふっと揺れた。


「……今、何か通った?」


 エルムが立ち止まり、目を細める。


「錯視……違う。これ、“結界”だよ。低級だけど、魔力感知に特化した者しか気づけないタイプ」


 俺の横で、彼女がそっと空気を撫でるように手をかざした。


 その瞬間──


 音もなく、景色が変わった。


 一本の巨大な古木。その根元に、ぽつんと石の祠が佇んでいた。

 歪んだ魔法文字が彫られた祭壇、黒く煤けたような石壁。

 不気味に、しかし確かに“そこに在る”。


「……これが」

「間違いない、異常魔力の発生源。しかも──これは……召喚痕?」


 エルムが魔法陣の跡をなぞりながら、目を見開く。


「古い……でも強力。下手すれば、あのオーガたち、ここから“出てきた”可能性がある」

「召喚、されていた……?」


 俺は祠の中へ一歩、足を踏み入れる。


 異様に重い空気。

 まるで空間そのものが押し返してくるような圧。


 次の瞬間、祠の奥──床に残された石板が、微かに光を帯びた。


「……これは、“観察されていた”痕跡ね」


 エルムが低くつぶやき、ゾイルが息を呑む。


「すると、この祠は監視用か?あの魔物たちは……もしかすると、外からこの村を“試していた”」


 村を。人を。俺たちを。


 観察の対象として。


 俺の中で、再び雷脈が小さく疼いた。


(まだ終わっちゃいない)


 これが“ただの村の依頼”ではなかったこと。

 この力が、どこに繋がっていくのか。

 その片鱗が、今ここに現れ始めていた。



そして、物語は“現在”へ。

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