第108話 御伽の世界17 VS桃太郎 後編
残酷な描写が含まれます。
クロエは叫んだ。
御伽の世界の星空に、ただ”ムック帰って来て!”と叫んでいた。
欠けた心を埋める様にムックとの思い出が流れ込んで来るも、決して埋まることの無い心の空白。
壊れそうな心は、焼け付く様に苦しく……
深く抉る様な痛みを感じさせる。
”ムック、私1人じゃ強くなれないよ……”
どんなに願っても、ムックが帰って来ないなんて分かってる。
伸ばしたその手が届かないなんて分かってる。
でも、もしも我儘が叶うのならば……もう一度ムックに会いたい。
夢なら覚めて欲しいと思うけど、これが現実なんだとも自分に言い聞かせる。
でも、やっぱり何か違うって思う私は、結局、目の前の現実を受け止められない。
”涙が止まらないよ……ねぇ、どうして?”
「まだ生きてたか?やるじゃねぇか!」
そう、桃太郎が存在している現実も。
この身体の外に溢れ出す感情は何?
クロエの背中からは、黒い天使の翼が現れる。
それは、可視化された魔力等ではなかった。
その壊れそうな心を維持する為に発現した”赤銅月の瞳”
クロエの紅く染まった瞳は大幅に効力が上昇し、敵意を持つ者を光る点で捉えていた。
「この痛みが和らぐなら……もう味わわなくて済むのなら……私は、自ら堕ちるわ……」
周囲を取り囲む鬼達の頭部が吹き飛び、鮮血が降り注いだ。
”赤銅月の瞳”の成長の効果は、鬼達の脳に作用し、強制的に細胞分裂を促進させ肥大させた。
結果、頭蓋骨内部の圧力は限界に達し破裂したのだ。
「……なっ!!どうなってやがる!」
鮮血が降り注ぎ、辺り一面血の海という惨状に、桃太郎は嘗てない程に動揺していた。
(早く始末しないと不味いな!!)
目の前の脅威に対し、渾身の”蛟龍”を放つ桃太郎だったが、それが届く事はなかった。
紅く光る瞳が衰退と破壊の効果を発生させ、”蛟龍”を無力化しているのだが、桃太郎には理解出来なかった。
御伽の世界でも、魔力で発生させる障壁や魔法が殆どだ。魔力を喰らう龍を発生させる桃太郎の能力は稀有であり、物理魔法共に有効だった。
しかし、目の前の相手が使っているのは魔力でも物理でもない、第3の”何か”なのである。
攻撃に転じた桃太郎は、クロエの目前まで0.001秒程というスピードで踏み込み、頭から胴体にかけて唐竹割り……逆八文字にて斬り伏せようと迫った。
仮に躱されたとしても、俗に言う燕返しによる下段からの斬撃で仕留める……一撃目を躱し、重心が偏った状態では下段からの攻撃は対処しにくいのだ。
しかし、桃太郎は一撃目を振り下ろす事さえ叶わなかった。
振り下ろそうとした刹那、驚異的な踏み込みで眼前に現れたクロエの斬撃を受け、切断された桃太郎の両腕は宙を舞ったのだ。
その腕が地面に落ちる間もなく、両足の膝上から両断するクロエ。
両手両足を切断され、最早地面に転がるしかない桃太郎の首を、クロエは掴み取り宙吊りにしていた。
息も絶え絶えの桃太郎を、塵芥を見る様に眺めるクロエ。
「待ってくれ……俺の負けだ……」
命乞いをする桃太郎に、クロエは言い放った。
「負け?そういう次元の話じゃないの。死になさい」
クロエの刀は、桃太郎の心臓の部分から、ゆっくりと体内に入り、頭部まで貫く串刺しにした。
絶命する桃太郎と、返り血で赤く染まったクロエ。
その様子を城の一室から見ていた魔女クイーン グリムヒルデは、腰を抜かし座り込んだ。
「……あれは、赤ずきんではないか!!」
御伽の世界史上最悪の殺人鬼 赤ずきん。
突如現れ、住民はおろか討伐に向かった兵士さえも徹底的に惨殺する神出鬼没の悪魔。
赤ずきんが現れた町には、引き摺り出された臓物が辺り一面に撒き散らされ、死体の山が残るのみ。
被害に遭ったのは、御伽の世界の全ての国だ。
ある日、消息不明となって以来、その姿を見た者は居ないが……住民達は夜が来ると、得体の知れない恐怖に震え上がったものだ。
「戻って来たのかっ!!あの悪魔が!!」
返り血を浴び、フェニックスからもらった白い外套を赤く染めたクロエと赤ずきんが重なって見えたのだろう。
妻達を救出し、俺が城に戻った時には、この有様だった。
「クロエ!!」
「……パパ?どうしてなの?」
「……?」
「……どうして涙が止まらないの?」
黒い天使の翼を纏うクロエの頬を、血の涙が伝っていた。
御伽の世界に降臨した天空の神々と超絶美人さんは、その姿を見て一様に驚く。
「……サリエル!?」
嘗て、神界には神の意志を執行する大天使が居た。
神の横に立ち、全ての天使を指揮する大天使は、ある日神界を去る事となる。
堕天し、神界を去る直前のサリエルは、その翼を黒く染め、美しく輝く赤い瞳からは血の涙を流していたという。
消息不明となったサリエル、未だにその所在は謎のままだ。
もしかしたら、自ら命を絶ったのかも知れない。
自分の器として相応しい命が生まれたなら……
それが、ありのままの自分でいられる世界なら、転生し見守ろう……
自我を委ねて、ただ私の力だけを”その命”に託して、その命に寄り添い生きよう……
癒しと死を司るサリエルは、器として相応しい命と巡り会った。
それは、神と魔族の血を引く、儚くも、強く美しい少女だった……その少女に、月の瞳の力を行使する権限を与え、暫く観察した。
少女は、殆ど力に頼らなかった。
使ったのは、犬の精霊を助けようとした時……
そして、今。
仲間を傷付ける可能性を排除した時だけだ。
私も、月の瞳を自分の思う様に使いたかった。
仲間を裁く為ではなく、仲間を守る為に使いたかったのだ。
サリエルの魂は、安心し暫く眠りに付く事にした。
少女に危機が迫る、その日まで。
桃太郎を制したクロエは、今回の騒動の元凶である魔女を探し始める。