3-4
しかし、この時ばかりは違った。昼間受け渡しの予定だったお客が急に出張になり、代理人が逢えなかった。そして返品された品物がたまたまポーチに入れてあったのだ。
※
運命の選択は常に偶然を装って訪れる。
※
ボムはカウンターの上に茶色い紙袋を置くと純恋に言った。
「一回だけよユキミン、心が落ち着く薬だから使ってごらんなさい。楽になるわ」
純恋は紙袋を見つめた。
あの男もボムの常連客の一人だった。付き合う女との火遊びに覚醒剤を使っていた。
ボムは純恋の事も勿論知っている。お金を溜め込んでいる事も、あの男に心底騙されていることも…。しかし、男は純恋には薬を使わなかった、というより使えなかった。それは、結城純恋が余りにも美しかったからである。同じ役者として、その美しさを傷付ける事ができなかった。
「心配しないで、初心者用の弱いやつだからビタミン剤のようなものよ」これもいつものやり口だ。一度使ったら最後、長い付き合いが始まる。
純恋は受けとらなかった。紙袋をテーブルの上に置いたまま、心の隙間を埋めるために、何杯も強い酒を飲んだ。どうしようもなく飲み続けた。泣いては飲み、ボムに男のいいところばかりを話した。男に騙されたと思いたくなかった。
ボムは全てを知っているくせに一切否定せず表面的には親身になって話しを聞いた。勿論新しい客は一人も入ってこない 。
そして零時を過ぎた頃ボムは言った。
「さあそろそろ帰りなさい。そしてゆっくり休むの、何もかも忘れて眠りなさい」
「うん」純恋はそういうとふらふらと立ち上がった。
「ユキミン忘れ物」カウンターの上に置かれた紙袋を持って純恋に渡した。
「ビタミン剤のようなものだから持って行きなさい、楽になるわ」
「…」
「初心者用の弱いやつだから」
「うん」
そういうと純恋は紙袋を手にした。
ボムの目が光った。
「今日のお代はいらないわ、私の奢り、元気出してユキミン。そしてまた遊びにきて頂戴」
「いいんですか? 」
「うん、辛い時はお互い様よ」
「あ、ありがとうございます」
「ゆっくり眠るのよ、何も考えず」
「うん」
純恋は嬉しかった。
そして紙袋を持って店を出た。
これがいつものやり口である。上客が一人増えるわ──去って行く純恋の美しい黒髪を見送りながらボムは満足だった。