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そして昨日の夜、入り口に番記者がいないのを慎重に確認すると、マネージャーの命令に背き自宅マンションを抜け出した。
純恋はそれほど派手じゃない赤いエレガントなワンピースに黒い上着を羽織り、大きめのツバのついたキャップを目深に被っていた──前々から決めていた服装だ。
純恋はこの三日間、撮影も打ち合わせも全く入っていない。こんな事はここ三年くらいなかったので、早めの夏休みと喜んでいた。今は七月の中旬、観光地が混雑する手前のタイミングで休みが取れたのはラッキーだった。本当ならこれからの二日間はあの男と旅行に行き、一泊する予定だった。
待ち合わせはいつも、新宿歌舞伎町の裏路地にあるとあるバーだった。歌舞伎町の中にあるパーキングに車を停めて、男はいつもそのバーで待っていた。純恋はそこにいくと生ビールを一杯だけ飲み、男は辛めのジンジャーエールを飲み干すと二人で車に向かい夜のドライブへ行くというのが常だった。
この夜もいつもと同じ待ち合わせの予定だった。
純恋は走った。
約束は六時──あと五分もない。
混乱している心で一筋の希望だけを持ち、歌舞伎町の中へと入っていく。出勤前のホストやホステス、スーツ姿のサラリーマンやら配達の車に衣装の出前の車、買い物帰りにコーヒーを飲む人やらラーメン屋に並ぶ行列など、てんでばらばらの目的を持った人間たちで通りはいつものようにごった返している。
純恋を気にかける人間など一人もいないように思えたが、純恋はいつものように慎重に帽子で顔を隠して路地から路地へと足早に進む。
男はどんな事があろうと純恋を愛してると常々口にしていた。純恋はその言葉を何の疑いも無く信じていたのだ。妻とは別れて一緒になろうと言ってくれた。なにより大きな愛で包んでくれていつも優しかった。芸能界で初めて心を許せる相手に出逢った──そう思わせてくれる全てが揃っていた。
だから、それが全て嘘だったとは思いたくなかった。
きっとあのバーで笑顔を浮かべて待っていてくれるに違いない。そして私と一緒に思い出を作ってくれるに違いない。どんな事になろうときっと私を護ってくれる。