雨の日に
「あっ、傘がない」
突然の雨に折り畳み傘を取り出そうと鞄に手を伸ばして、いつもの鞄じゃない事に気付いた。
今日は授業が少なかったから、鞄を小さい方にしていたんだった。
「傘入れ換えるの忘れてた。どうしよう……」
この雨の中を傘無しに帰るのはかなり無理がある。
それに濡れながら帰るなんて絶対に嫌だ。
「教室で止むまで待とうかな」
そう思って、靴をまた上履きに履き替えて教室に向かった。
誰もいない静かな廊下が新鮮に思えた。
「あら、今井さん。どうしたの? 忘れ物?」
私だけだと思っていた教室には、いつも本を読んでいる清水さんがいた。
「ううん。雨が降ってきたから、止むまで待とうかなって思って」
「雨? ……本当ね、気が付かなかったわ」
窓を見た清水さんはそっと本を閉じた。
「止むまで少し、お話をしましょうか」
清水さんは、前の席の椅子を叩いて、合図を送ってくる。その椅子に座ると、誰も座っていなかった冷たさを感じた。
「何の話をするの?」
「そうね、女の子らしく恋愛の話なんてどうかしら?」
その時、私の背筋がひんやりとした。恋愛なんて言葉が出てきた所為だろうか。それとも……。
「恋愛って、ここ女子高だよ? 別に好きな男の子とかもいないし……」
そう言うと、清水は「そうじゃなくて」と続ける。
「これについてどう思うかしら」
そう言って、恐らくさっきまで読んでいた本のカバーを外してタイトルを見せてくる。
「女の子同士の……恋愛。えっ?」
私は清水さんを見た。しかし、特に変わりはない。
「貴方はどう思うかしら」
「ど、どうって言われても……」
一拍置いて清水さんが言った。
「私ね、好きな子が出来てしまったの。でも、どうしていいのか変わらない。変よね、女なのに、女の子を好きになるなんて」
「……」
私は清水さんの噂を聞いた事があった。
去年、清水さんの入っていた部活に後輩が入部してきた。その後輩は3ヶ月ほどで部活を辞めたが、その原因が清水さんがその子に手を出したからだと噂された。
その後輩はそのまま学校を辞め、真相は分からず仕舞いになってしまった。
「ごめんなさい。突然こんな話をされても困るわよね」
「清水さん」
私は、思い出した反動で気になってしまった。
「清水さんの、その好きな人って誰ですか? 辞めた後輩の子の事ですか?」
そう聞くと、清水さんはバツの悪そうな顔をした。
「私に変な噂が立っているのは知ってるわ。でもあれは、あの子が勝手に暴れて辞めただけ。噂話もあの子が嘘を言いふらしたのだけの話。学校を辞めたのは素行が悪かったから。……それとは別よ。私はもっと前。1年の時から好きな人がいるの」
清水さんはそう答えて、少し目元が赤くなる。
一呼吸置いてから清水さんは続けた。
「私……、貴方の事が好きよ」
「……!」
私は目を見開いた。告白した清水さんが泣きそうな顔をしていたから。
「貴方は覚えてないかもしれないけど、1年の時、同じクラスで貴方の席の横に座っていたわ。その時にね、可愛いなって思ってしまった」
「思った」ではなく「思ってしまった」。それが私の胸にも響いた。
「ごめんなさい。気持ち悪いよねこんなの。……雨、弱くなったみたいだから私、帰るね」
そう言って去ろうとする清水さんを私は止めた。
「雨。止んでないよ」
「……!」
「まだ、止んでないよ。止むまでお話するんでしょ?」
清水さんの足が止まる。そして私の方を向いた。
「……貴方は私を。貴方を好きになってしまった私を、どう思うの?」
罵倒を覚悟するように頭が俯く。そんな恰好しないで。
「……とても素敵な人。忘れてないよ私も」
清水さんの頭が上がった。赤くなった顔がよく分かった。
「1年の時、清水さんが横にいた事、忘れてなんかいないよ。私は、素敵な人だなと思った。ううん。思ってしまった」
清水さんはハッとした表情をする。けど、私は恥ずかしくなって、目の前の《素敵な人》と目が合わせられなくなってしまった。
「えへへ。恥ずかしいな、こんなこと言うの」
顔が熱くなっているのが分かる。きっと茹で蛸みたいになってるんだろうな~。
「……」
「ねえ清水さん。私ね、思ってしまった事は悪い事じゃないと思うの。だから、2人で思ったにしない? 私は清水さんを素敵な人だと思った。清水さんは……、えへへ、自分じゃ言いにくいね」
「私は、貴方を可愛いと思った。そして……」
言葉を詰まらせる清水さんにフォローを入れる。
「好きだと思ってしまった?」
「いいえ。私は貴方が好き」
そう言った清水さんは、何か吹っ切れたような、そんな感じの表情だった。
「じゃあ私も答えないとね。……私も清水さんの事、好きだよ」
瞬間、清水さんは堪えていた涙を目一杯零した。
私はそっと清水さんの肩を引き寄せる。
「私もごめんね。もっと早く、私も言えたら良かったのに」
私も急に何かが込み上げて来て、堪らず泣き出した。
しばらくして落ち着いた私は、清水さんに聞いた。
「一緒に帰ろっか」
「……うん」
外の雨はすっかり止んでいた。