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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

101号室

作者: 吠神やじり

 『101号室』、そう呼ばれているテキストがある。古い小説に登場する洗脳するための部屋、それにちなんで名前をつけられたテキスト。それは人を全体主義へと傾倒させるためのノウハウをまとめた文書。


 少なくとも俺はそう思ってた……。


     ***


 今日は来てくれてありがとう。


「ああ、別に構わないよ。それで、用ってなんだ?」


 随分前に話した事なかったか? 『101号室』の話。


「えっと、ネットで拾ったんだっけ。噂の怪文書を見つけたとか騒いでたよな」


 ああ、そうなんだ。あれの話がしたい。


 『101号室』はただの都市伝説だった。洗脳術なんてものはネットを検索すればゴマンと見つかる。本屋に行けば、それに関する本だって普通に売られている。

 俺が手に入れた文書は、そんな常識的な範疇には入らない。確実に洗脳する? 違う、そうじゃない。

 最初に断っておくと俺にも理由は分からない。ただ『101号室』を手に入れたヤツは、みんな消えた。失踪するか、あるいは自殺してる。

 手に入れたら失踪か自殺を考えるような文書だ。興味が無いとは言えない。俺はな、そこにどんな事が書かれているのか知りたかったんだよ。ただそれだけだった。


「それで、手に入れたんだろ? その文書のコピーかなにかを、ネットで……」


 そうなんだよ。それはテキストファイルだった。印刷された文書じゃなくて、ただのテキストファイルだった。スマホでも普通に閲覧出来るような、ごく普通のテキストファイル。なんならお前にもメールで送ってやってもいい。


「……それは遠慮しておくよ。お前の今の様子を見た限りでは、そんなもんに手を出したいとは思わない」


 ははっ、そうだな。でも、そんなに俺おかしくなってるか? まあ、確かに飯は食ってない。それに寝てもいないな。少なくともこの世界では……。

 なんだよ、その目は。俺は狂ってない。ただ理想郷になるかも知れない楽園を見つけただけだ。今は違う、そこはただの管理社会だ。でも変わる。いや、可能性を見つけた。


「落ち着けよ。まるで支離滅裂だ。それで用件ってなんだよ」


 ああ、頼みたい事がある。俺にはもう時間がなさそうなんだ。でも簡単な事なんだよ。ネットで拡散させて欲しい、その『101号室』を。


「なに言ってんだ? そのくらい自分でやればいいだろ」


 俺じゃ無理だったんだよ! 出来なかったんだ! もうモニターが見えない。パソコンでもスマホでもだ。画面が表示されてても、そこに『先生』が出てくるんだ。テレビをつけても同じだ。どこをみても『先生』がいる!


「落ち着けよ、これで七度目だ。何度繰り返すんだ、この話を」


 え? なにを言ってるんだ……。いや、いいんだ。それよりも頼むよ。この文書を広めて欲しい。とにかく多くの人に読ませたい。


「それになんの意義がある?」


 ………………意義? あ、ああ。そうだ。この文書の可能性? いや、あれ、すまない。なんの話だったかな……。


 気が付けば友人はいなかった。俺は自室で一人。


     ***


 なにを見ても『先生』が映る。テレビをつけても、スマホを取り出してもだ。


「個の利益を至上とした末に行き着くのは競争であり格差だ」


 友人に電話をかけようにも『先生』が俺を邪魔する。どうしてこんな事になった……。あれはネットで『101号室』を見つけてからだ。ネットの掲示板で都市伝説の噂話を読んでいた時、その書き込みの中に『101号室』のファイルがダウンロード出来るリンクが張られていた。

 大抵は悪い冗談だ。くだらないポルノ画像の詰め合わせだったり、意味の無いゴミファイルだったり、タチの悪い奴になるとウイルスを仕込む。

 俺も多少は警戒していた。だからウイルスチェックくらいはしたよ。だけど、それだけだ。都市伝説が実話だったなんて思ってもみなかった。


「では全体の利益を至上とした末に行き着くのは? …………腐敗と弾圧だ」


 だけど、それは事実だった。『101号室』を読んだヤツは病んでいく。そして『101号室』に呑み込まれる。


「この世に完璧な政治体制なんてものはない。歴史上、あったためしもない」


 俺はどこにいる? ここはどこだ? 薄暗い部屋、コンクリートがむき出しの殺風景な部屋にいる。そして木製の質素な椅子に腰掛けて、目の前にある木製のテーブルに肘をつき、手を組んでる。

 正面には『先生』が立っていた。ここはどこだ?


「しかしだ、人間とは進歩していかなければならない。それは文化や科学技術のみにあらず。我々は思考も、そして感情も進歩させなければならない」


 『先生』が声を張り上げる。俺はそれを聞く。どれだけ繰り返したのか分からないやりとり。『先生』……、ここはどこですか?


「思考を進歩させろ。そして利益のあり方を考えろ。競争も格差も腐敗も弾圧も、所詮長くは続かない。それらは社会を消耗させて、そして全体を蝕み、個を潰す」


 はい、わかります……


「新たな政治体制を、君は発明できるかね。それが出来ないのであれば、一つの力を持とう。『奉仕』という力を」


 いえ、『先生』。俺はこの場所がどこかと……


「思考を進歩させろ。無駄な事は考えるな。思考を自動化するんだ、流れ作業のように、ルーチンワークのように。ただ繰り返す。疑問を持たず、奉仕する。奉仕を自動化する。それが進歩した思考、洗練された思考というものだ」


 やめろ! やめてくれ!


     ***


 俺はどこにいる……。ここはどこだ……。灰色だ、灰色の街。俺は街と同じ色の灰色の服を着てる。俺は雑踏の中に紛れ、そして歩き続ける。

 自分がどこにいるのかも、もちろんどこに向かっているのかも分からない。どこかに到着した。俺の他にも多くに人間がそこにやってきた。なんの特徴もない灰色のビル。両隣に立ち並ぶ他のビルと違いが分からない。どうしてこのビルなのか、本当に俺の目的地はここだったのか……。


「どの建物でもいいんだよ、全部同じなんだから」


 俺に話しかけてきた男がいた。初老の男。灰色の服。ソイツは両目がなかった。眼球があるはずの場所になにもない。そこにはポッカリと穴が空いているだけ。


「必要ないんだよ、見るものなんてないんだから」


 俺たちは建物の中に入った。そこには俺たちと少し違う服を着た男が、それぞれに進む方向を指示していた。俺は階段を上って二つ目の部屋に入れと指示された。

 その部屋はまるで便所の様だった。狭く、汚く、そして臭い。便器があればまだ納得できる、でもそこにあったのは一つのレバーだった。

 意味も分からず俺はそのレバーを引く。力を抜けば、レバーは戻る。これに何の意味がある? 俺はなにも分からないままレバーを引いた。繰り返し、繰り返し。


「考えなくていいんだよ、どうせ意味なんてないんだから」


 時間が分からない。俺はどのくらいの時間、レバーを引いていたんだろう。それにどんな意味があるんだろう。どこかで鐘が鳴った。俺は建物から出た。

 時間が分からない。なぜか腹も減らない。ただ妙に眠くなった。男が俺に近付いてきた。確か建物の前であった男だ。


「お前、まだ外の人間だな。逃げるのか、それともここで生きてくか?」


 なにを言ってるんだ。俺は呆然と男を見つめた。男は俺を見つめているのか? いや、男には目がついていない。どこかで鐘が鳴った。また仕事の時間だ……。


「ここがどこだか知らないのか」


 レバーを引く。レバーを引く。コレが仕事。


「ここは『101号室』」


 レバーを引く。レバーを引く。コレが仕事。


「ここは思考の墓場。『先生』の恨み」


 レバーを引く。レバーを引く。コレが仕事。


「俺たちは『先生』の思考に囚われている。『先生』は俺たちに住む世界をくれた」


 レバーを引く。レバーを引く。コレが仕事。どこかで鐘が鳴る。仕事が終わった。


 男が俺に声をかけてくる。


「『101号室』は俺たちの理想社会だ。俺たちの理想は、一つの世界を作り上げた。これは俺たちの世界。『先生』の世界」


 男の顔が崩れてきた。顔の皮膚を突き破りウジ虫が這い出てくる。辺りに濫立する灰色のビルに亀裂が入る。そして世界が歪む。


「さあ、レバーを引け。仕事をしろ、奉仕しろ、この世界を支えろ」


 俺は叫び声を上げて逃げ出した。


     ***


 なにがなんだか分からない。幻覚か? 一体いつから幻覚を見てる? 思わず自分の顔を撫でる。顔からウジ虫が這い出てきた男を思い出しゾッとする。

 あの世界はなんだ、幻覚か、それとも……。俺はパソコンを立ち上げて、あのファイルを探した。『101号室』、俺のパソコンにそんなファイルは無かった。

 ファイルを手に入れたネットの掲示板へ行く。そこにはファイルをダウンロードするリンクは残されていた。だが肝心のファイルは残されていなかった。


「該当するサイト、またはファイルは存在しません」


 エラーメッセージが表示されたモニターを凝視する。そして不意に気が付いた。『先生』がいない。モニターのどこにも『先生』がいなかった。

 俺は安堵した。幻覚でも見ていたのか、それとも悪い夢か。どちらにせよ、もう終わったんだ。そうだ、俺は悪夢から覚めた。

 パソコンの電源を消した。モニターも消した。そのモニターに俺の顔が映っている。そして俺の背後には『先生』が立っていた。


 叫び声を上げた。喉が裂けるほどに。手が届くすべてのものを殴った。壁も机もモニターも椅子も、だけど『先生』には拳が届かない。

 床に落ちていたスマホを拾い上げる。表示されない液晶画面を叩き続ける。まるで奇跡が起きたように、スマホは友人への呼び出しを始めた。


 呼び出し音が鳴り、俺は救いを待った。呼び出し音が止まり、友人が救ってくれる事を祈った。そして願いの半分はかない、呼び出し音は止まった。


 ああ、良かった。つながった……。はあ、はあ、すまない。突然電話なんかして……。


「ああ、別に構わないよ。それで、用ってなんだ?」


 え? ああ、あのテキストだ。あのテキストを読んでから、なにかおかしいんだ……。


「えっと、ネットで拾ったんだっけ。噂の怪文書を見つけたとか騒いでたよな」


 なにを言ってるんだ? いや、俺がおかしいのか……。


「それで、手に入れたんだろ? その文書のコピーかなにかを、ネットで……」


 待ってくれ。この話、以前もしていないか? ああ、ダメだ。助けてくれ……。


「……それは遠慮しておくよ。お前の今の様子を見た限りでは、そんなもんに手を出したいとは思わない」


 俺はスマホを落とした。部屋にある姿見の鏡が目に入った。鏡の中の『友人』が俺を見つめてる。


「落ち着けよ。まるで支離滅裂だ。それで用件ってなんだよ」


 『101号室』だ。あれのせいで、俺はおかしくなった。あれだ、あれをなんとかしないと。


「なに言ってんだ? そのくらい自分でやればいいだろ」


 あれは呪いだ。いや、自分でもよく分からない。ただあれはテキストじゃない。読んだヤツを異界に引きずり込む呪いだ。このままじゃあの場所に、『101号室』に引きずり込まれる!


「落ち着けよ、これで八度目だ。何度繰り返すんだ、この話を」


 …………俺は姿見の鏡を叩き割った。そして鏡の破片を手に取る。それをのど元に突きつけて、そして祈った。

 『101号室』は呪いだ。誰かの怨念だ。人ではなく、社会というシステムを呪った怨念。誰も彼もを引きずり込んで、理想が歪み、腐りきった世界に閉じ込める。

 このまま狂った世界に閉じ込められるくらいなら死んだ方がマシだ。また鐘が鳴った。仕事の時間だ。

 仕事? どうしてそんな事を考える……。どうでもいいだろう……


 俺はどうする? 狂ったまま仕事に行って、またレバーを引くのか……。

 それともこのまま、理性を保ったまま死ぬか……。そうだ、狂ったまま異常な世界に囚われるのなら、死んだ方がマシだ。俺は理性を保って死ぬ、人間の尊厳を守って死ぬ!


「それになんの意義がある?」


 俺を射貫くように見つめる『友人』。あははははははははははははははっ。俺を見るな。お前も俺も、『先生』も誰も彼もだ。俺を見るな!


 俺は自分の手で、眼球をえぐり出した。もう見えなくていい。オマエらを見る必要なんて無い。でも耳は聞こえる。鐘が鳴る。


 さあ、仕事の時間だ。

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