7.
「おいー、代理。 そろそろ松浦のシフトは終わりだから、もう上がっていいぞ」
「は、はい。 やっと終わった…」
本来、松浦が入る予定だった午後6時から午後10時のシフトが終わった。
松浦の先輩に当たる大学生くらいのバイト店員から、今日の業務の完了が言い渡される。
そろそろ新規の客が現れなくなった店内は落ち着きを見せ始めており、自分が居なくっても残りの人たちで余裕で回すことが出来るだろう。
俺は慣れない作業の負担からヘトヘトになり、厨房に倒れこみそうになってしまう。
「おいおい、倒れるなら控え室に行けよ。 そのまま着替えて今日は帰りな」
「そ、そうします」
俺がふらつく姿を見た松浦の先輩が、アルバイトや社員が着替えに使う控え室に向かうように指示する。
先輩社員の薦めに素直に従い、俺は控え室の方へと向かった。
「あらぁ、お疲れ様。 今日は助かったわよ、ありがとうね」
「い、いえ!? こちらこそお役に立ててよかったです」
男子用と女性用で控え室は別れているようで、解りやすく青と赤で色分けされた扉が並んでいる。
当然のことながら俺は青色の扉を開いて、控え室に入っていく。
この店の控え室は6畳程度のこじんまりとした空間で、中央には一組のテーブルと椅子が置かれ、壁には社員やアルバイトが使用するロッカーが置かれている。
そして、控え室には先客としてこの店の店長さんが煙草を吸いながら椅子に座っていた。
店内や厨房は禁煙という話なので、一服するためにわざわざこの場所に避難して来たのだろう。
店長は恐らく身長180センチを超え、何かのスポーツをやっているのか明らかに鍛え上げられている体を持つ偉丈夫だった。
それだけでも恐ろしいのに店長はそれに加えて、外見上の強面なイメージをぶち壊すオネエ言葉を操る独特な人物である。
「本当に今日は助かったわぁ。
陽子ちゃんの代理って聞いて最初はビックリしたけど、ちゃんと戦力になってくれて助かったわよぉ。
もしかして何処か他の店で働いていた経験があったのかしら?」
「じ、実家が客商売をしているんですよ。
たまに手伝いで店番とかはやっているんで、まあその経験が生きたと思います」
実は俺の家は自営業をしており、暇の時に店の手伝いをさせられていたのだ。
この店のように直接食事を給仕するような飲食店では無いが、客商売と言う意味では全くの素人では無い。
そういえば松浦には実家のことはまだ話していない筈なので、あいつは俺がこの手の仕事に有る程度慣れていることなど知らない筈なのである。
それでよく俺なんかをアルバイトの変わりに寄越した物だ。
客商売を上手くこなすためには有る程度の慣れが必要なので、ずぶの素人を寄越しても逆に店が混乱する結果にしかならなかっただろう。
俺は現在使われてないらしい空きロッカーに掛けておいた自分の服に着替え、帰る準備をしながら店長と会話を続けた。
「あなた、やっぱり陽子ちゃんの彼氏さんなの?
彼女のピンチに彼氏が立ち上がったのかしらぁ、いいわねぇぇぇぇ、青春って感じで…」
「いや、そんなんじゃ無いですよ!?
俺は松浦が今日の仕事は絶対に休めないから、代わりに店に出て欲しいって言われて仕方なく…。」
「陽子ちゃん、そんなこと言ってたの…。
うふふ、ちゃんと約束を守ろうとしたのね、若いのに律儀な子ねぇ…」
「約束?」
店長は煙草を灰皿に押し付け、何かを懐かしむような遠い目をして松浦と交わした約束の話しを始めた。
「うちの店は本来、高校生は雇わないようにしているのよぉ。
けど手違いでバイトの募集広告に高校生お断りって注意書きを入れるのを忘れちゃってねぇ…。
それで面接に来た陽子ちゃんには残念だけど雇えないって説明したんだけど、そうしたら陽子ちゃん、お願いだからうちで働かせてくれって頭を下げてきたの。
うちの店の自給が無いと、生活がままならないなんて大げさなことまで言われて…」
確か話によると居酒屋のアルバイトはハードな分、他のアルバイトと比べて比較的に自給が高いらしい。
松浦としては出来るだけ自給の高い仕事に就きたいがために、必死に店長を説得したに違いない。
生活がままならない云々の話は、店長は冗談と受け取っているようだが…。
「それでね、陽子ちゃんはうちの店で働かせてくれるなら、絶対無断欠勤せずに真面目に働くって私に約束してきたのよぉ。
結局、私の方が折れて陽子ちゃんを雇うことにしたんだけど…」
「ああ、その欠勤しないって約束を守るために、代理で俺を寄越したってことですか…」
「律儀よねー、陽子ちゃん。 流石に病気になった時くらいなら休んでくれても構わないのに」
楽しそうに松浦の話をする店長は、彼女の約束に律儀に守ろうとする姿勢を微笑ましく感じているようである。
しかしその約束とやらに巻き込まれた俺にとっては微笑ましいで済ます訳にはいかず、自然に愚痴の一つでも出てきてしまう。
「まあ、約束を守るのはいいことだと思うんですが、それに他人を巻き込むのはどうかと思いますけどね…」
「いいじゃない、彼氏なんだから彼女の面倒を診るのも甲斐性の内よぉ。
あらやだ、もうこんな時間、ちょっと休憩し過ぎちゃったわー」
腕時計を確認した店長は仕事に戻ると言って、俺が彼氏彼女の話を否定する前にそそくさと控え室から出て行ってしまう。
一人控え室に残された俺は店に残る用事も無いので、裏手にある裏口からお先に失礼させて貰うことにした。
今日は思わぬところで松浦の見知らぬ一面を知ってしまった。
俺は今度彼女と一緒に昼食を取る時に、今日の話をネタにからかってやろうと心に誓うのだった。