4.
放課後、松浦が誰にも話を聞かれたくない場所で話したいとのことで、俺たちは駅前のカラオケボックスに場所を移していた。
余り娯楽が多くないこの街でカラオケは貴重な娯楽であり、店には俺たちと同じような高校生が沢山集まっている。
友達と何回か来ているらしい松浦は手慣れが感じで店員とのやり取りを行い、俺たちは少人数ようの狭いカラオケルームまで案内された。
とりあえずドリンクバーから飲み物を取ってきた俺と松浦は、改めてお互いに向かい合った形でソファに座った。
これでいよいよ話が始まると思いきや、余ほど話しにくい話なのか松浦は暫くじっと口を噤んだままだった。
お互いに一言も話すことは無く、耳にはカラオケルームのディスプレイから流れてくる五月蝿いサンプル曲しか聞こえてこない。
数分ほど気まずい時間が経ってから松浦は意を決したらしく、今日の話は他言無用と前置きを置いた後にようやく昨日の事情説明が開始された。
そして、俺は数十分もの間、彼女の愚痴交じりの話を聞かされることになった。
「つ、つまり両親の借金のためにあんな生活を強いられていると…」
「まあ端的に言えばそうね…、あー喉が渇いた…」
松浦の話が一段落付き、彼女は話し疲れたのか先ほどドリンクバーで入れたアイスコーヒーに漸く手を出していた。
すっかり氷が溶けて温くなったように見えるアイスコーヒーを美味しそうに飲む松浦、よほど喉が渇いていたのか。
一方の俺は松浦のとんでもない話を咀嚼するため、彼女に確認を取りながら先ほどの話の復習を始めていた。
「それで松浦の家族は松浦の父親の弟のヤク…、会社からお金を借りていると…」
「別に堂々とヤクザって言ってもいいわよ。 私の叔父さんはヤクザで、昨日あんたが会った男は叔父さんの子分よ」
彼女曰く、彼女の両親には大層な借金が有り、昨日のヤクザが勤める組からで松浦の一家は借金をしているらしい。
そして、昨日のヤクザの親分は松浦の父親の弟、つまり彼女の叔父さんから借金をしているのだ。
「けどいくら借金をしてるからって、相手は身内だろう? そんなに…」
「身内って言っても、うちの父親はヤクザになるのが嫌で実家とは縁切りしているのよ。
それなのにお金に困ってアッサリ、縁切りした実家に頼るなんて情けないったら有りはしない…」
松浦の父親は先祖代々から続く由緒正しい、地元密着型のヤクザ屋さんの家に生まれだったらしい、
しかし、彼女の父親は跡目を継ぐことを拒否して、長男で有るにも関わらず実家を出奔していた。
そして、実家を出た父親は一端の事業家を気取り、色々な商売に手を出したらしいが全部失敗。
彼女の父親には商売の才能が無かったらしく、お金を稼ぐ所か逆に減す日々が続いてしまう。
松浦が幼い頃にはまだギリギリまともな生活が出来る余裕はあったらしいが、彼女が中学に入った頃には限界が来てしまい借金取りから追われる生活になってしまった。
そんな状況で松浦父は最期の手段として、実家でヤクザの跡目を継いだ弟に助けを求めたのだが…。
「一応、叔父さんは借金の一本化をしてくれたんで、現在の所は叔父さん以外の所かは借金はしていないわ。
その代償としてうちの両親は借金返済のために何処かで強制労働に借り出されているらしいけど…」
もしかしたらマグロ漁船とかに乗っているんじゃ無いかと冗談めかしに松浦が言うが、話を聞く限り本当にそうなってそうで笑うに笑えない。
話を聞く限り松浦父の人生は、まるでテレビに出てくるような駄目人間の典型的な転落ストーリーである。
「と、とりあえず松浦の家の状況は解ったんだけど、その状況で松浦はよく高校に通えてるな?
正直、そんな余裕は無さそうなんだが…」
「…うちの馬鹿親父がこさえた借金を全て返済しようとするなら、本当は私も何処かで働かないといけないのよ。
けど叔父さんは毎月、高校生が払える程度の金額を返済できれば高校に通ってもいいて言ってくれたの」
「へー、以外に懐が広いんだなー、松浦の叔父さんも…」
最近のヤクザは義理も人情も捨てたと聞くが、松浦の叔父さんの所は違ったらしい。
流石に組を捨てた馬鹿兄貴は憎くとも、その娘まで責任を負わせる気は無いと言うことだろう。
ヤクザなどは血も涙も無い連中だと思っていた俺は、松浦叔父の優しさに関心させられていた。
「…もし毎月の返済が一日でも遅れたら、強制的に叔父さんの愛人にさせられるって約束もあるけどね。
仮に毎月の返済をクリアしても、私が高校卒業するまでに家の借金が全て返済できない場合は愛人にさせられるわ」
「はっ、愛人!? えっ、だって…、叔父さんが姪を愛人にするってどんだけ…」
「どうやらね、叔父さんは家のお母さんに惚れていたらしのよ…」
前言撤回、ヤクザは所詮はヤクザだった。
俺は自分の姪を愛人にしようとする松浦叔父の所業に、掌を返すようにヤクザは糞だと言う感想を持つことになる。
驚愕する俺に対して、松浦は淡々と彼女の叔父が自分を狙うようになった理由を話し始めた。
松浦の母親、つまり松浦父の嫁は元々、松浦父の幼馴染だったらしい。
幼い頃、松浦父と母、そして叔父さんの3人は仲良く遊んでいた。
やがて3人は成長し、松浦父と叔父は松浦母に恋をする三角関係の状態になるという漫画のような展開になってしまう。
最終的に松浦母は松浦父とくっ付き、二人は手を取り合って叔父の下から離れていくのだった。
「どうやら私は母さんの若い頃とソックリらしいのよ。 そんな私を叔父さんは一目見て、昔の淡い思い出が蘇ってしまった…」
「それで自分の姪を愛人にしようとするって…、お前の叔父さんもぶっとんだ人だなー、おい」
松浦の取り巻く状況は、自分の予想を斜め上にK点超えをしたようなデンジャラスな状態らしい。
親父が借金まみれで、その借金返済のために松浦は実の叔父の愛人にならなければならない。
まるで漫画かテレビの中に出てくる、悲劇のヒロインの設定である。
「ていうか状況的にもう詰んでないか、お前?」
「一応うちの両親が真面目に3年間勤めてくれれば、高校卒業のタイミングで借金は全部返せるらしいわ」
「あ、それなら松浦が月々の返済とやらをちゃんとこなせば問題無いじゃんか…」
多分、ヤクザの叔父さんは松浦の両親にちゃんと借金を返させるために、愛人にするなんて性質の悪い発破を掛けたんだろう。
話を聞く限り松浦の父親は少しあれな人っぽいが、流石に娘を守るためには本気で強制労働とやらに勤めると叔父さんは考えた訳だ。
俺は松浦の今までの話しから、彼女は言うほど厳しい状況に陥っていないのではと思い始めていた。
「ふんっ、うちのチャランポランな両親が3年間も重労働を続けられる訳無いのよ。
自分の兄がどんな人間なのかは、弟である叔父さんが一番解っているでしょうからね。
私の高校卒業後の就職先はヤクザの愛人でほぼ確定しているんだから…」
しかし、事の張本人である松浦は、自分が身を置いている現在の状況をそんなに甘い物では無いと考えているようだ。
今にも泣出しそうな顔で松浦は、俺の楽観的な未来像を否定する言葉を吐き捨てるように呟いた。
今の様子を見る限り、松浦は本気で自分に未来が無いと思っているようである。
お前の父親は娘のために、3年間真面目に働くことも出来ないほど駄目な奴なのかよ…。
「し、借金をしているのはお前の両親でお前じゃ無いんだろう?
だったら借金のことは両親に押し付けて、お前は逃げてしまえば…」
「高校生の小娘の一人が何処に逃げればいいのよ、頼れる人なんて誰も居ないんだから!?
それに…、私一人だけなら何とかなるかもしれないけど、妹を連れて逃げるなんてことはとても無理よ」
松浦の妹、昨日俺のピンチを間一髪で救った少女のことか。
昨日見た限りでは妹さんは、恐らく小学校高学年くらいのまだ小さい女の子だった。
松浦の言うとおり彼女一人だけならまだしも、あの小さな妹さんと二人で家出なんて真似はとてもできないだろう。
「叔父さんは約束してくれたわ、約束を守れば決して妹には手を出さない。
妹にはまともな生活をさせてあげるて…」
「お前、もしかして妹さんのために叔父さんとそんな約束を…」
自分のことだけを考えたら逃げるという選択肢もあった筈だ、けれども松浦はそうしなかった。
最悪、自分を犠牲にしても妹だけは助けたいという気持ちがあったのだろう。
俺は身を挺して妹を守ろうとする松浦の姉妹愛に、感動の念を覚えていた。
「正直、私は自分の人生をもう諦めているわ…」
「松浦!?」
「だから…、私は花の女子高生活を思う存分満喫したいのよ!!」
「へっ…」
「さっきも言った通り、私が中学生の頃は家が借金まみれで苦しい生活を送っていたわ。
学校が終わったらすぐに家に帰って、両親を助けるために必死に働いた…」
何かのスイッチが入ったように、突如として松浦は今までに無い強い口調で話し始めた。
熱に浮かされるように己の中学時代の過去を語り始めた松浦、俺はただ彼女の話を聞くことしか出来なかった。
「お小遣いなんてとても貰えず、クラスメイトと中学生が興じる程度の遊びにさえ行く余裕が無かった。
それに化粧やお洒落なんて物に興味を持つ余裕も無く、流行に着いて行くことが出来なかった私はクラスの女の子たちと話が合わずに何時も一人だった」
それは松浦の心の底からの叫びだった。
家庭の事情とは言え、同学年の女子たちと同じように女の子らしい楽しみを何一つ出来なかった松浦の嘆きである。
「部活も中1くらいまではやれたけど、それ以降は金銭的な理由で部活も止めることになってしまった。
そんな生活をしていたら友達なんて出来る筈も無く私の中学時代は灰色の毎日だったわ…
私はずっと憧れていたのよ、周りの女の子と同じように煌びやかな学生生活を送ることを…」
松浦の語る彼女の中学時代は、今の松浦の姿から想像も付かないものだ。
少なくとも教室で見る松浦の姿は、友達と楽しそうに会話をして、放課後にショッピングの約束をしていた彼女の何処にでも要る普通の女子高生にしか見えなかった。
あの何処のクラスでも見られるような何でもない女子たちのやり取りは、松浦が心底望んでいた光景なのだろう。
「高校卒業後に叔父さんの愛人になることが決まっている私にとって、この高校生活は夢を叶える最後のチャンスなのよ!
だから私は高校に入学する前に必死にファッションや最近の流行について研究して、何処にでも居る普通の女子高生になれるように努力したわ。
毎月の返済額と合わせて高校で友達と遊ぶためのお金を稼ぐために、バイトを何個も掛け持ちしているのも全ては私の最後の夢を叶えるためよ」
つまり松浦は女子高校生活を満喫するために友達と遊ぶ時間を作りながら、複数のバイトを抱えて生活をしているのか。
そんな生活をしていたら、部活なんか行っている暇は無くなるわけである。
体にだって負担は大きいだろうに、松浦は学校で決して疲れた顔を見せる事無く彼女の言う普通の女子高生としての生活を満喫していた。
「普通の女子高生が借金で苦しんだりはしないでしょう? だから私は借金のことを誰にも知られるわけにはいかなかったの。
だから昨日、山下君に見られたときは私の夢が終わってしまったと思って、私はやぶれかぶれになって…」
ここで漸く話の本題、昨日の彼女の凶行の原因が判明したようだ。
中学時代から夢見ていた最後の望みが、僅か3ヶ月ちょっと潰えそうになったら誰でもヤケクソになってしまうだろう。
特に松浦の状況を鑑みると、今が彼女の望む女子高校生活を送るためのラストチャンスである。
叔父の愛人になるという最悪の未来が待っている松浦には、今の学校生活が全てなのだ。
「お、お前の事情は解った。 安心しろ、別に俺はお前の夢を壊すつもりは全く無い、今日の話は誰にも漏らさないと約束するよ」
「ありがとう…、助かるわ…」
今まで内に抱えていた物を全て出し尽くしたかのような、松浦の今の学校生活に対する強い拘りについての話は終わりを迎えた。
とりあえず今までの長い話を通して俺は、松浦の複雑な事情と並々ならぬ熱意は否が応でも理解させられてしまった。
もし仮に今日の話を周囲に語ったりしたら、失うものが何も無い松浦が何をするか解らないだろう。
俺は自己保身半分、松浦への同情を半分くらい織り交ぜたくらいの内心で、彼女の秘密を決して漏らさないと彼女に誓うのだった。