16.
ヤクザに連行された俺は、そのまま彼らの仕事場である事務所に連れて来られていた。
前に母が言っていた通り松浦の家と同じ地域にヤクザの事務所があるらしく、俺は数分ほど歩かされただけで目的地に着く事になった。
「初めに言っておくが、茶は出さないからな」
「お、お構いなく…」
ヤクザの事務所は、平凡な小さなビルのワンフロアにあった。
ビル内の事務所はテレビドラマで見るような怪しい雰囲気は無く、規則的に机が並んでいる普通の会社のオフィスのような感じだった。
事務所内には俺を連れてきたヤクザの同僚らしい強面たちが数人居り、明らかに場違いな俺の姿を物珍しそうに横目で見ていた。
俺はヤクザたちの視線に怯えながら、事務所の奥にある部屋まで通されることになる。
恐らく来客対応用のソファに座らせれた俺は、物珍しさから部屋の中を眺め回していた。
「坊主、ヤクザの事務所がそんなに珍しいか?」
「は、はい!? ヤクザの事務所なんて入ったことなんて有りませんから…。
ピストルとか刀とかは置いて無いんですね」
「ぶっはははっ、そんな物を事務所内に解るように置いておくかよ! すぐにお縄に付いちまうぜ!!」
「そうですよね、ははは…
そ、それで俺に何の用があって、ここまで連れて来たんですか?」
今のところ、どういう訳か目の前の厳ついヤクザは俺に対して友好的に接してくれている。
しかし、相手は腐ってもヤクザである、油断することはできないだろう。
脳内で昔テレビで見たヤクザ映画のワンシーン、ヘマをやらかした下っ端が指を詰める映像が頭に過ぎった俺の中に今更なが恐怖が湧き上がってきていた。
俺は未だに意図が掴めないヤクザに、俺をこの場所まで連れてきた理由を恐る恐る尋ねるのだった
「…坊主、お前はもしかして松浦の嬢ちゃんのこれか?」
「…だったらどうだって言うんですか」
徐にヤクザは小指を立てて、暗に俺が松浦の彼氏であるか尋ねてきた。
ヤクザの口から松浦の名前が出た事に対して、俺の中に芽生えた感情は納得であった。
そもそも普通の高校生をしていた俺とヤクザの接点などは、松浦と言う少女しか有り得ないのだ。
しかし、松浦の名前を出された事で、俺の中に先ほどまであった怒りまでが蘇ってきてしまう。
俺は怒りを押し殺して、あえてヤクザの問いに否定せず挑発するような言葉を返した。
「まー、大人らしく若者にアドバイスをしておこうと思ってな…
悪いことは言わねぇ、もう嬢ちゃんと関わるのは止めて置け」
「っ!? 何故ですか!!」
「その様子だと、お前さんは嬢ちゃんの事情を知っているんだろう?
嬢ちゃんはもうすぐ家の人間になる、堅気の人間とこっちの世界の人間が関わってもいいことはおきないからな…」
このヤクザは組長の愛人となる予定の松浦と関わるなと、俺に忠告をするために此処へ連れて来たようだ。
松浦の傍をうろちょろとしている俺が、このヤクザに取って邪魔だったのだろうか。
「ま、まだ松浦が愛人になるって決まった訳じゃ無いんでしょう! だったら…」
「もう決まったような物だよ。 あの駄目親父が逃げ出した時からな…」
「だったらあんたらがその駄目親父を力付くで連れ戻せば…」
「俺たちがそこまでする義理は無い」
「…っ!?」
俺は一縷の望みを掛けて、ヤクザに松浦の父親を強制的に連れ戻してくるように願った。
流石の松浦の父親も、この強面に凄まれたら大人しく収容所とやらに帰る筈に違い無いのだ。
しかし、ヤクザはわざわざ松浦の父親を強制労働に帰して、松浦を救うような事をするつもりは無いらしい。
そもそも松浦の父親の脱走は、ヤクザの親分である組長が松浦を愛人にするまたと無い好機なのだ。
この機会を組長の部下である、俺の目の前に居るヤクザがする訳が無かった。
「裏の世界の人間が表の世界の人間に関わりを持っても、後で辛くなるだけだ。
本当に嬢ちゃんのことを思うなら、もう嬢ちゃんに関わるな」
ヤクザはあくまで俺に松浦と関わらないようにしろと、丁寧に諭してくる。
実感の篭ったその言葉にはヤクザの雰囲気も相俟って説得力があり、既に松浦が俺たちと違う世界に足を踏み入れよとしている事を嫌でも理解させられた。
しかし、そこには松浦の気持ちなどは全く考慮されておらず、俺にはヤクザの言葉を到底受け入れる事が出来ない。
「…そもそも松浦は此処の組長の姪なんだろう…。
自分の姪を愛人にするなんてどうかしているよ!」
「てめぇぇぇぇぇっ、人が大人しくしていたらいい気になりやがってぇぇぇぇ!!」
「ひぃ!?」
俺は目の前の男の身勝手な理屈に反発して、叔父が姪を愛人にするという構図が間違っていると不満をぶつけてしまう。
しかし、これは正面のヤクザの上に立つ組長の行動を否定する物言いであり、ヤクザの逆鱗に触れる行為となってしまった。
今までの落ち着いた様子から一変して、激昂したヤクザはソファの前に置かれた机に拳をぶつける。
ヤクザの拳が叩きつけられた机は激しく軋み、机の上に載っていたガラス製の灰皿がぶれて音をたてた。
俺は目の前のヤクザが発する威圧感に萎縮してしまい、体が震えだしてしまう。
「す、すいません!? 生意気な口を叩いてしまって…」
「あんまりヤクザを舐めるんじゃねぇぞ、ガキ!
次にそんな真似をしたら体に直接、礼儀って物を覚えさせるからなぁぁぁ」
「は、はいぃぃぃぃ!!」
あっさりヤクザに屈した俺は頭を下げて、先ほどの無礼に許しを請うこととなった。
ヤクザは俺の謝罪を受け入れてくれたらしく、次は無いと脅しを掛けるだけで許してくれたようだ。
「とにかく…、あの嬢ちゃんが組長の愛人になるのはもう決定事項だ。
まあ、あの馬鹿親父が数日以内に強制労働に戻れば話は別だが、そんなことは万に一つも起きないだろうからな…」
「…」
「坊主と嬢ちゃんは何にも関係無いただの他人同士だ。
変に同情して引きずるくらいなら、このままキッパリと嬢ちゃんとの縁を切るのが得策だと思うぜ」
ヤクザは俺に念を押すように松浦と関わるなと告げた後、事務所から俺を解放した。
所詮、ただの高校生である俺が松浦を救うことは出来ないのか。
俺は何も出来ない自分に無力感を覚えながら、とぼとぼと家に帰るしか無かった。




