11.
「やっぱりあの選手は腰の動きが上手いんだよ! こうだよ、こう!!」
「へー、すごいなー」
ある日の昼休み、昼食を終えた俺は教室で野球部の友人と雑談を交わしていた。
雑談と言っても俺は一方的に、友人から昨日のプロ野球の試合の解説を聞かされているのだが…。
余り野球に興味が無く実を言うと昨日の試合もろくに見ていない俺に対して、友人の解説にはどんどんと熱が入っていく。
こいつは俺の意見などを端から求めておらず、ただ自分の話を聞いて貰いたいだけなのだ。
長い付き合いである友人の野球トークには既に慣れっ子の俺は、やる気の無い相槌を打ちながら友人の話を聞き流していた。
「ゴメン! ちょっと山下君を借りていくわよ」
「はっ!? 何だよ、突然!!」
友人の話が佳境を迎えようとしていた時に突然、松浦が俺たちの前に姿を見せた。
そして、松浦はこちらの断りも無しに俺の腕を掴み、そのまま引き寄せて俺を何処かへ連れて行こうとする。
「おうおう、お暑いね、お二人さん」
「いや、だからそういんじゃ無いって…。 てっ、おい、あんまり引っ張るなよ」
野球部員は松浦のインターセプトに一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに人の悪い笑みを浮かべて俺たちのやり取りを面白そうに傍観し始める。
目の前で攫われそうになっている友人を見捨てた野球部員の野次を受けながら、俺は何が何だか解らずに松浦に引っ張られ行くのだった。
「…で、何だよ、わざわざ此処に連れてきて。 教室で出来ない話でもあるのか?」
松浦に連れて来られた場所は、俺たちがよく昼食に使用しているお馴染みの校舎裏であった。
この日当たりの悪い校舎裏に好んで来る奴なんてまずは居ないだろう、人に聞かれたくない話をしたい場合を除けばだ。
そして、もう昼休みも残り少ない今の時間帯で、今更松浦が昼食のために俺を呼んだとは考え難い。
「実はちょっと相談したいことがあったのよ…」
「相談、一体何があったんだ? 先に行っておくが金は貸さないからな…」
松浦の困り事としてまず思い浮かぶのは、やはり金銭的なトラブルである。
俺はとりあえず予防線を張りながら、松浦の相談事とやらを聞くのだった。
「はぁっ、バイトのことがバレた!? しかも委員長にかよ…」
うちの学校は基本的には、学校からの許可が無い者はアルバイトをしてはならないという規則がある。
しかし、松浦は借金返済のためにアルバイトをしているとは学校側に説明する訳にもいかず、許可を取らずに無断でアルバイトを行っているのだ。
仮に学校関係者にアルバイトのことが知られてしまったら、松浦は何らかのペナルティを負うことになるのは間違い無い。
そのため松浦が無断でアルバイトをしている事実を知ったのが教師で無く、我がクラスの委員長である事で首の皮一枚繋がった状態と言えるのだが…。
「あいつ、規則とかうるさいからな…。 下手したらもう先生の耳に入っているんじゃ無いか?」
「一応、その場で泣きついて学校側には秘密にして貰ったわ。
それでバイトを止めるなら学校には黙っていてくれるけど、このまま続けるならバイトのことを伝えるって言われて…」
松浦の家庭状況的にアルバイトを止めることは、即ヤクザの愛人コースとなる破滅への第一歩である。
しかし、このままでは委員長から学校へアルバイトのことが伝わってしまい、松浦は学校側から制限を受けてアルバイト所で無くなってしまうだろう。
「進退窮まったなー。 いっそ委員長に見付かったバイトだけは止めて、他のバイトはコッソリと続ければいいんじゃ無いか?
お前、複数のバイトを掛け持ちしているんだし…」
「駄目よ、あのバイトを止めたら来月から智ちゃんと遊ぶための資金が足りなくなってしまうわ!!」
「その位、我慢しろよな!! そのバイト止めても月々の返済額は足りているのか、一応…」
どうやら松浦はバイトを止めた所で、即愛人コースと言うほど悲惨な状況にはまだなっていないようだ。
そもそもこいつは借金返済に加えて遊ぶ金欲しさに、複数のバイトを掛け持ちしているのだ。
バイトを一つ止めた程度ならば、収入を借金返済にのみ充てれば愛人コースを回避することが可能なのだろう。
「確か見付かったのは隣町のラーメン屋だったよな?
隣町の店とは言っても客商売の場合、うちの学校の生徒や先生が来る可能性があるんだ。 見付からないように気を付けろよな…」
「気をつけているわよ! ちゃんと伊達メガネをを掛けて変装して働いているんだから!!
けど丁度、湯気が目に入って思わずメガネを外しちゃった所を見られて…」
「なんで委員長の前でそんな迂闊な真似をした!!」
「あの子の方は学校と違って、眼鏡を外していたらからクラスメイトだって気付かなかったのよ!?
委員長なんだから四六時中、眼鏡をかけときなさいよね、もう!!
普段だったら店に学校の人が居たら、流石に中の方で働かせて貰う様にしているのに…」
どうやら今回の一件は、不幸な偶然が重なったことで起きてしまった事件のようだ。
うちのクラスの委員長は肩書きに恥じない眼鏡属性の女子だからな、松浦も委員長の最大の特徴を眼鏡だと認識しても仕方ないだろう。
しかし、松浦は知らないだろうが、実はあいつはそこまで目が悪いわけでは無い。
授業中に黒板の内容がはっきり見えるように学校では常に眼鏡を着用しているが、学校の外では結構眼鏡を外してる時が多いのだ。
「あー、もう遊ぶ金は諦めろ。 それが一番手っ取り早い解決だろう」
「嫌よ!? 将来が暗く閉ざされている私が輝かしい青春を満喫できる、この貴重な時間を一瞬たりとも無駄にはできないわ!!」
「大層なことを言うけど、結局友達と遊びたいってだけなんだろう?」
「私が夢にまで見た女子高生活よ! これは絶対に妥協できないのよ!!」
もっとも有効な解決方法を松浦が拒否したため、話が面倒くさい方向になってきた。
見付かったアルバイトを辞めるという手は駄目、だからと言って何もせずに委員長が学校に松浦のアルバイトの件を報告することを見逃す訳にもいかない。
「もうそれだと、後は委員長を説得するしか手が無いじゃないか、これ。 あいつを説得するのは骨が折れるぞ…」
「ねぇ、さっきから気になっていたんだけど、山下君はあの委員長と仲がいいの?
何か彼女のことをよく知っているような口ぶりだけど…」
「ああ、顔見知りって言う程度だけどな…」
俺たちのクラスのクラス委員を務める少女、確か名前は水戸 良子と言う名だった筈だ。
件の委員長と俺の関係を説明するには、小学校時代にまで話を遡らなければならない。
水戸と最初に出会ったのは小学校一年生の頃、俺とあいつが同じクラスになった時になるだろう。
以降、水戸とは小・中学校で常にという訳では無いが、結構な確立で同じクラスに配属されてきた。
「だけど委員長とはクラスで顔を合わせて、偶に用が有った時にだけ話す程度の関係だったからな…。
委員長のことを知っていると言えばイエスと答えるが、仲がいいと聞かれたノーの言うような関係だと思うよ」
しかし、少なくとも松浦よりは俺の方が委員長がどういう人間であるかを把握していると思っている。
俺は松浦のアルバイトの件を見逃して欲しいと幾らお願いしても、水戸が首を縦に振る姿は想像できないのだ。
何せ水戸の奴は、小学生の頃から数えて10年連続でクラス委員をやっている筋金入りの委員長なのである。
「兎に角何とかするよの、私の夢の女子高生活のために! 」
「はぁ…」
俺の説得も空しく、松浦は自身の残り少ない女子高生活を妥協するつもりは無いようだ。
松浦を思い留めることが出来なかったことによって、なし崩しに俺と松浦による委員長の説得作戦が始まるのだった。




