2話 愚かな選択の末路2
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「ボクはね、基本的に地位とか名誉とかには興味ないの」
ウルはテーブルに寝そべりながら、足を曲げてぶらぶらさせる。
今日は外出しているためか、少年のような服装だ。
彼は普段あまり街から出ない。
しかし明確な目的があるなら、それなりに活発に動く。
ここが王宮の一室で、王族を雁首揃えて占領してしまう程度には、活発だ。
彼にとってはこれが遠足らしい。
「だからね、お国のことはぁ、どうでもいいんだよ」
寝そべっていたウルは、身を起こしてテーブルに胡座をかいて、ワインのボトルを手に取った。
「でも権力を持つボクのペットになるというなら、別かなぁって思うんだ」
彼はグラスにワインを注ぐ。こぼれるほど注ぎ、床を塗らした。
ここにいるのは王族だけで、それ以外は一人もいない。
すべて排除され、自らが仕える王族がいないことに気づかない。
助けを呼んでも誰も駆けつけず、部屋の窓からはごく当たり前の日常を過ごす使用人の姿も見える。もちろんそれに喉がかれるまで呼びかけた者はいたが、呼ばれた相手がその声に気づくことはなかった。
そして、うるさいその王族は、現在は腕だけの存在となっている。
その光景を見た時の、王族達の絶望の表情は見物であった。
「権力者って、美味しいモノ食べてるでしょ」
ウルはグラスにワインを注ぎ続けながら言う。
「ボク、美味しいモノは好き。
あとねぇ、綺麗な服も好きだなぁ。きらきらする物も好きかも」
ボトルの中身が全てなくなると、今度はワイングラスを傾けてすべて床に零す。
まるで血溜まりのようだった。
次に彼はテーブルの上に置いてあったナイフを手に取った。
「それに、権力者って血みどろでしょ?
端から見ている分にはとっても楽しそうだね」
手にした果物ナイフを弄りつつ、どうでもよさそうな雰囲気で投げ、離れたところにある林檎に突き刺さった。
「ウル様すごぉい」
リファが手を叩いて喜んだ。大道芸でも見ているつもりなのだろう。
的の林檎の下、頭頂部を台座にされている男のことは気にしていない。
台座の男は、林檎を頭に載せたまま気を失っていた。
「ボク、基本的に何でも出来るんだ。縫い物だってできるし、剣の心得もあるよ。
男の子としても女の子としても、恥ずかしくないように育てられたからね。えへん」
「ウル様すごぉい」
「本当に君はベルの妹にしては、底抜けに素直だねぇ。やってみる?」
「私にも出来るかなぁ」
「できるよ。君の力なら刺さりもしないから、簡単には死なないよ」
「でも、ここじゃ壁を傷つけたら怖いです。私には弁償できません」
「確かに、民草の血税で飾られた部屋だからね。
君の姉さんが苦労して稼いだお金でもあるから、穴を開けるのは心が痛むね」
ウルの心にもない言葉に、ベルが小さく吹き出した。
「この裏切り者がっ」
集められた王族の青年がベルに向かって吠えた。
まだ叫ぶ気力のある者がいるとは思いもしなかった。
人間とは認めたくないことを認めないために、都合のよい解釈をする生き物である。
「ボクね、騒がしい男は嫌い」
その言葉でペットの誰かが動いて、騒がしかった男の姿が消えた。
まるでそこに存在しなかったように、ぱっと消えた。
あの男が、誰に、どこへ引きずり込まれたのか、ロバスにも分からなかった。
ウルは魔物達を力で支配しているが、支配した者達に愛されている。
だから主を不快にした者を捨て置けない。
圧倒的なその器に抱かれた者にしか分からないこの陶酔は、一度知ってしまうと逆らいがたい。
主が侮辱されれば怒りで目の前が見えなくなり、耳が聞こえなくなる。
彼が「ムカツク」とでも言えば、その元凶を処分せずにはいられない。
人間よりはよほど感覚に優れた者達だから、なおさらそれに引きずられる。
人間であっても、腹の中に魔物を抱えているリファには分かるのだろう。
ウルが何をしても肯定し、何をさせようとしても肯定してしまう。
さっきも場所が場所でなければ、リファは戸惑いながらもナイフを投げていただろう。
台座になった男に当ててしまう可能性があったとしても。
「一人でいいんだよね。一人で」
ウルは呟きながら、王族達を見回した。
恐怖で固まる者、息を飲む者、小さな悲鳴を出す者もいた。
もし大声で叫んでいたら、その者は死んでいただろう。
「野心のある子はいる?」
ウルは言葉を発しながらもう一度見回す。
ほとんどはウルの言葉の意図を掴めず、茫然としていた。
その中でただ一人、すっと手をあげたのは、あまり上等とは言えない服を着た少年だった。
この城にいる王位継承権のある者を集めろという命令なので、彼も歴とした王族なのだろう。
「ふぅん」
ウルは興味を持ったらしく、少年をまじまじと見つめる。
目鼻立ちが整った、儚げな少年だった。
「いい顔をしてるね」
顔立ちではなく、表情のことだ。
彼は飾ろうという対象でない限り、他人の容姿にはあまり気をかけない。
「ボクに感謝しているの?」
「はい」
少年は迷わず肯いた。
縋るように、そして恍惚と。
「君はあの女が嫌いだったんだね。いや、ここにいるみんなをか」
ウルは声もなく震える王族達を見て笑う。
彼らはこの少年に嫌われているようだ。
「ナイフ一本で気を失うほど気概のない父に、陰湿なその妻。
祖父は一族の女共の動きすら把握できず、女共は手を出していけないモノに手を伸ばした。
ああ、愚かだね。正妃様。
君があの女をそそのかしたのは分かってるんだよ。
本人は手の平で転がされてるなんてつもりはなかったみたいだけど、端から見れば、ねぇ」
ウルはテーブルの上から件の女へと視線を向ける。
老いた王よりもずいぶん若作りで、様々な努力の痕跡が見られる。
幼い子供の姿をした、夜の王などと呼ばれている存在と、不老の技術を持っているなどという噂を知り、他人をそそのかした。
信じていたとは思えないが、間違いなく興味を持っていたらしい。
そんな下心さえ起こさなければ、このような場所に集められ、助けも来ない密室で、恐怖に震える必要などなかったのに。
人生、何が切っ掛けで破滅するか分からないものである。
「自分に威厳があり、管理できていればこんなことにはならなかったのにねぇ、王様」
ウルは胴体に笑みを向けた。
王の胴体の上には首がない。
胴から離れて転がっているという意味ではなく、首はもうこの世に存在しない。
ウルのペットの腹の中にあるはずだ。
カーペットには血溜まりが広がっているが、元々赤いのでわかりにくい。
それでも、普通であれば忘れられないほど強烈な光景だろう。
「わ、私だって、その女には辛酸をなめさせられている!」
王太子だか、その兄弟だかなのだろう、中年の男が主張する。
ようやく、ウルの意図に気づいたようだ
「夜の王よ。私を選んで下されば、必ずやあなたの」
「つばが飛んだ。汚い」
ウルが嫌そうな顔をした瞬間──
「きゃあああっ」
飛んできた腕が顔に当たった姫君が悲鳴を上げた。
なかなか美しい、赤毛の姫君だ。
気の強そうなところが、ほどよく加虐心をそそる。
「ウル様、あの騒がしいのを頂けませんか?」
ロバスが尋ねると、ウルは振り返った。
「別にいいけど、ちゃんと自分で片付けるんだよ。うちには置かないからね」
「ええ、もちろん」
髪を切って、少年のような姿をさせたら、ウルのように似合うだろうか。
ああ、もちろんウルの方がよほど可愛らしい顔立ちをしている。
しかし化粧をさせればそれなりにいけるのではないだろうか。
「ロバスさん……」
「おや、ベル。妬いている?」
「まさか。ただ……いえ、なんでもありません」
怯えながらも生の可能性を見出した姫君に哀れみの目を向け、賢明なベルは首を横に振る。
生き残るというのは難しい。
特にこの主の意志に反して生き残るのは、難しい。
「ボク、見栄えなんて気にしないけど、やっぱり清潔で品がある方が好き。
あとね、ボクは騒がしいのは嫌いだよ」
ウルは再びナイフを手にして、上へと投げて、受け止める。
それを繰り返し、静まりかえったのを確認して、再び林檎へと投げる。
的の下にいるのは、王子のはずだ。
だらしなく気を失っている中年男だが、王子だ。
最初は王子様に会えると喜んでいたリファも、年齢やら威厳のなさに幻滅したらしく、的の台座以上の興味を示していない。
ウルの台詞から、彼が少年の父だと推測できる。
「一体、何が目的なん……でしょうか」
王太子よりは若く、逞しい中年の男が声をかけてくる。
言い直したのは、なかなか適切な判断だ。
「目的? さっき言ったよ?」
「美味と装飾品がお望みなのですか」
「ボクがそんなモノのために、こんな事してると思ってるの? バッカじゃない」
動こうとしたウルの魔物がいた。だが会話をしている上に許可が出ていないため、まだ動かない。
馬鹿に始末しろの意味はない。
本来、そのように空気を読む存在ではないのだが、ウルに支配されて彼らは賢くなっているように思えた。
「ボクが欲しい物は欲しいと言えば誰かが持ってきてくれるから、君達に差し出してもらう必要はないんだよ」
ウルは笑みを浮かべて言う。
「暇だったから、ちょっとからかってやろうと思ってねぇ。
みんなはそのオバサンのついで。
下手な親戚を持つと、人間って不幸になるんだよ」
理不尽な不幸を振りまくウルが言うと、その言葉は重く感じられた。
「どうせ権力者っていうのは、ほっとくとくだらないことをするしね。
たかが優れた人間の子孫と言うだけでうぬぼれて、不死を欲するのはいつの時代も同じだろうから、せめて自分がいる国ぐらいは、どうにかしておこうかなって」
けらけら笑いながら、足をばたばたと動かす。頭から落ちた帽子を蹴り飛ばし、弧を描いて小柄な少年の腕の中に落ちた。先ほどから面のように表情の動かない男の子である。
先ほどの少年とは同母の兄弟なのだろう。二人の顔立ちは似ている。
「こら」
兄は弟から帽子を奪い取った。
その仕草を見て、ウルは笑うのをやめた。
「帽子」
頭を差し出す彼を見て、少年は緊張した様子でその頭にそっと乗せる。
ウルは帽子のつばを指ではね、テーブルの上で立ち上がり、仁王立ちになる。
「迷わなかったね。えらいえらい。
キミ、ボクのペットになる?」
「ペット……ですか。奴隷ではなく?」
「奴隷って、なんか馬車馬のように働かせてぽいってする人達のことでしょ?
そういう方が好きなの?」
「いいえ」
「ボクはね、ボクに忠実なイヌは好きなの。
けっこう可愛がるんだよ。餌もあげるし、ご褒美だってあげてるよ。ねぇ」
リファは笑顔で頷いた。
「ウル様は私の病気を治してくれました」
姉が死ぬ思いをした結果だが、彼女にとっては助けてくれた恩人なのだろう。
人が殺されても気にしないのは、姉が生きて来た世界を知っているからだ。
隠されても、分かる者には分かる。
幼くとも、賢明な者はいる。
考え、否定せず、最良を受け入れる。
「キミはボクに何をしてくれる?」
彼は問われて一瞬戸惑った表情をした。しかしすぐに笑みに変わる。
「ええと……手始めに、あの女の宝石でもかき集めてきましょうか。
亡くなった私の母から奪い取ったものもあります。
あんな女に使われているよりは、あなたに使われた方が嬉しい」
「ママの形見を取られたの? ひどい女だね。
父親も父親だね。妻に逆らえず、子を捨て置き、気を失って情けない」
親、というものにウルはよく過剰反応をする。
ウルを男か女か分からないように育てた、身体がかった母親。
それを止めなかった父親。
母親はウルを守るために、そのように育てたらしい。
そう育てられなければ、きっと彼はここにいないのだろうと、本人が言っていた。
それらの積み重ねが彼を作り、親を死なせ、今を作った。
「どうして欲しい?」
「ご主人様のお気に召すままに」
「素直な方が良いよ」
ウルは首を傾げた。
「あなたに出会い、私のすべては塗り替えられました。
あなたの力、権力すら足蹴にするその大きな存在に、魂が震えました」
「へぇ」
「ああ、どうか、この足を引っ張り合うことしか考えない愚かな者達に、しがみつくそれがどれだけ些末なモノであるのか、分からせてやっていただけませんか」
「うん、いいよ」
どこまで本気かは分からないが、人間の中には彼のあり方に心惹かれてひれ伏す者も多い。
その結果──大抵は惨劇を生むことになる。それでもウルに微笑みさえ浮かべて命ぜられると、胸がうち震えるのだ。
利用するつもりなのか、魅入られたのか。
どれにしても、ウルは答えた。
「キミはボクの力が見たいんだね」
「はい」
「その身を持って知るといいよ」
ウルの言葉で、それは始まった。
姿を潜ませていた者達が現た。
ウルはテーブルから飛び降り、少年の手を取った。
そしてそのウルに選ばれた少年以外のすべてが、凄惨な最期を遂げた。
「ボクは、自分は特別で例外だなんて思い上がる馬鹿は嫌いだよ。ねぇ、君」
足から食われて泣き叫ぶ兄によく似た、感情の乏しいその少年は、ウルに撫でられて初めて不思議そうな顔をした。
少年は少しだけ、ウルに似ている。
姿でも雰囲気でもない。
それでも、似たものを持っている。
「君がね、一番早く反応したんだよ」
声無き強い主張。目は口以上にものを言う。強い意志は言葉以上に雄弁だ。
それを最もよく感じたのが、彼だったのだろう。二人の波長が合ったのだ。
「だから、始末してあげたの。
君の嫌いな家族達を」
それは、あの勘違いをした少年も含まれていたのだろう。
「嬉しい?」
「……はい」
「うん、素直だね。これから君には、王様になってもらおうか。
だって、君以外魔物に食べられて死んじゃったから。
悪魔の怒りに触れた王族が魔物をけしかけられて殺されてしまったけど、君は子供で静かだから偶然生き残った。
それでいいね?」
「はい」
「じゃあ、ボク帰るね。今度遊びに来てあげるよ。
ボクのペットが外で人間に擬態しているから、処理は全部してくれるよ」
少年を王にするための道を作ってやらなければ、まだ若い彼は、汚い大人達の餌食になってしまうだろう。
「ああ、そうそう。君にも名前を付けないと」
ウルはじっと少年を見つめる。
彼はいつも名をつけるわけではないが、外に出ることの多いペットには、自分を忘れぬようにとよく名をつける。
「ケトル」
「けとる?」
「そう呼ぶ者がいたら、ボクのペットだと思えばいいよ」
「はい」
「君は物わかりがよくて物静かで良いね。うん。
よい王様になるんだよ。じゃあね」
ウルはケトルの頭をくしゃくしゃと撫でて、ステッキを振り回しながら来た道──壁にぽっかりと開いた黒い門を通り、自らの屋敷へと帰っていく。
気ままな王と遠足に参加させられた姉妹が去った後、ロバスは出入り口を塞ぐ。
ふと、くれると約束した姫君も喰われてしまっているのに気付いた。
だが、あの程度の女なら、探さなくてもいくらでもいるだろう。
ロバスが処理をする間、何も言わずとも死体に混じるために部屋の隅の方に寝転がる賢い少年を見て、ウルの人選に苦笑した。
兄よりも、よほど意志がはっきりとして、賢そうだ。
そしてきっと──冷徹な、冷酷な王になるのだろう。