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2話 愚かな選択の末路


 彼──と呼ぶべきか、彼女と呼ぶべきか。

 見た目だけでは判断できないため、仮に彼としているその人は、恐怖で心を縛り、服従させる魔物を従える魔物の王。

 ウルと名乗る彼は、貴族の子として生まれた。

 彼が幼少時過ごした屋敷には、男女の双子がいると噂されていた。しかし夫婦の子は一人。

 男の子か女の子かも分からない、そんな可愛らしい子供。

 見た目だけはとてもとても可愛らしい。

 癖のある肩まで伸びた赤い髪は、飾らなくても美しい。

 細い手足は未発達の危うさから、その手の趣味のある者を寄せ付ける。

 しかし中身は悪魔も逃げ出す、血の衣を纏う墜ちたる神の子。

 身分の高い彼はその力を隠され続け、何も知らぬまま無垢に育ち、そして歪みああなった。

 なぜああなったのかは分からない。

 初めの頃に彼の洗礼を受けた、人語を解す人間に擬態する魔物は、成り代わりやすいと思い近づいたら、気づけば支配されていたらしい。

 彼がウルと出会った頃には既に主はすでにこうで、相手が人間であろうがバケモノであろうが、分け隔てなく平等に跪かせた。

 跪かされて、不思議と屈辱はなかった。

 他の誰かであれば罠にはめて自由を得ていただろうが、彼に足してはそんな気にもならなかった。

「ロバスさん、妹を見ませんでしたか?」

 最近ウルに捕まってしまった少女が、最愛の妹を捜しているらしく声をかけてきた。

 彼女の決断を皆が手放しで褒め称え、一目置いている。

 人間でありながら生き残るための選択を誤らなかった。

 これが主の前でどれほど困難か、知らぬ者はいない。

 間違った選択を一つでもすれば、終わってしまうことも多いのだ。

 だが、無事生き残ったことが幸運なのかは分からない。

「さきほど、ウル様とお散歩に出ていましたよ。

 ウル様にとっては、あれぐらいの年頃の女の子と縁がなかったので、珍しいのでしょう」

 献上品としてなら少年も少女も所有したことはあったが、彼はそれを賞品にして皆を争わせたりと、本来望まれた使い方をされたことはない。

 食わせない同年代の少女は、彼にとっては珍しい。

 だが、彼女はそれを知らないか不安そうに胸を押さえた。

「悪さは教えていないので、大丈夫ですよ。

 約束は守る方ですから、裏切らない限りは安心なさい」

「裏切ったら、生まれてきたことを後悔するような目に?」

「さあ。誰に食べられるかによるのでは」

「そうならないよう、願うしかありませんね」

 彼女はため息をつく。

 関わってしまったが最後、彼から逃れる術などない。

 敵意を持つ者と裏切り者は、世界の果てまで追いかけて殺す。

 追いかけるのは支配されたバケモノどもの仕事。

 主のご機嫌のためならば、彼らは何を犠牲にしても遂行する。

 支配されているからとか、そんな些末なことは関係ない。

 彼らにとって主がすべてで、主の不興は心臓を凍らせる。

「ロバスさんはどうしてウル様にお仕えしているんですか」

 彼女が言いたいことは理解できる。

 あの時、いかにも強面のバケモノではなくロバスを選んだ彼女は、実に運が良い。

 今もその幸運に腹がよじれそうになる。

 正体を明かしたのは、すべて終えてからなのだから。

「私はただあの方を堕落させようとして近づいただけです。

 彼にあるのは深い闇でも、体面上、彼に欠点など一つもありません。

 どんな悪魔でも騙されるほど、今だって彼の手は清らかです」

 ベルは顔を顰める。清らかなどという単語が、彼ほど似合わない者も珍しい。

 穢れきった、腐臭漂う世界で生きていながら、彼はどこまでも穢れていない。

「あの方は、一度たりとも自分の手で誰かを殺したこともなければ、傷つけたこともありません。

 いつも命令してやらせるだけ。

 それがあの方の穢れを防いでいます。

 私はそうと気付かずのこのこと現れた愚かな羽虫の一匹に過ぎません。

 あの方は財を餌に人間を、身体を餌に魔物を呼び寄せます。

 私が出会った頃にはもう、今の体制が整っていました」

 今思えば、なんと愚かなのだろうか。

 しかしその愚かさが、彼との出会いとなり、ロバスのすべてを塗り替えた。

 悪徳に染まった人間など見慣れていたはずだ。

 無邪気に、楽しんで殺す者はいくらでもいる。

 その中にいるカリスマ性で周囲を引きずるものも知っていた。

 しかし、彼は特別だった。

「あなたは自分が難題を突きつけられたと思っているのでしょうが、人間の王族を殺すなど、易い部類に入るのですよ」

「易い、ですか」

 彼女はそれなりに苦労と努力をした結果、ほとんどロバスに頼ることなく結果を得た。

 ロバスが助けたのは、逃亡の時だけ。

 彼女は死ぬ覚悟をしていたので、あまりにももったいないと手を貸した。

「竜をおびき寄せるために、竜の里に侵入して、家政婦にしていた小人を誘拐させられた者もいたそうです。

 誘拐して帰ってくるのが前提です。しかも竜が追えるような目印をわざわざつけてです」

「竜……ですか」

「私が出会った頃にはすでにいたので、本人達の主張に過ぎませんが」

 人間と、竜と。

 人間はそれで忠誠を示し、竜は逆らえぬ絶対的な支配下に置かれている。

 同族以外のすべてを、彼の器が許す限り下僕となせる。

 それが彼の特別だが、ありふれた力。

 ただの魔物使い──人々が神の子と呼ぶ彼らは、竜の一匹を支配下に置くことすら困難な力しかないのが普通である。

 彼が特別な理由は、竜を配下にし、悪魔すら配下にし、さらに他の魔物を配下にし、それでも埋まらない許容量にある。

 間違いなく、歴史上で最も力のある人間だと断言できる。

「あの方は私のような悪魔すら、簡単に抱えてしまわれる。

 今まで竜と悪魔を同時に抱えた神子はいませんでした。

 それに止まらずこの数の魔物ですよ。本人ですら途中から数えていないそうです。

 器が大きいのもよろしいですが、躾ける身にもなっていただきたいものですね。

 ウル様は清潔好きだから、獣臭くなるとお怒りになる」

 しかし、強い魔物を支配下に置く度に、ロバスは主の器に打ち震える。

 魅せられ、陶酔している。

 彼のすべてが輝いていて、その足下にある影の濃さが自分達だ。

 彼に支配され、支配することが出来たら、どれほど──

「ロバス?」

 くいと後ろ襟を引かれ、振り返るとウルとベルの妹、リファが並んでいる。

 二人はおそろいのドレスを身につけた。ウルも女性用のドレスだ。

 リファは赤毛のカツラを被って、遠目で見れば一瞬間違えてしまうだろう

「またやらしいことを考えてた?」

「心外な。あなたに支配される喜びを噛みしめていたところですよ」

「いいかい、リファ。

 悪魔っていうのは、肉体関係を結ぶのが契約になるんだ。もちろん言葉によるものもあるけど」

「契約すると、何かいいことがあるんですか?」

「不老の肉体を手に入れて、すごい力を得るんだよ。その代わりに支配される。

 ボクの力とちょっと似ているかな?

 こいつはそれを使って下克上を狙っているの。

 可愛い子は悪魔には気をつけないといけないよ?」

「はい、ウル様」

「ベルも、気をつけるんだよ。

 ボクは魔女を増やすことは禁止していないから、甘い言葉と笑顔に騙されると、堕落の道を歩くことになるんだよ。

 もちろん、君が魔女になりたいのであれば止めないけどね。年を取らずに済むし」

 ウルはくすくすと笑いながら、リファの手を引いて歩く。

「ウル様、どちらへ?」

「ベル、リファが心配?」

「ええ、身体の弱い子ですから」

「大丈夫だよ。この子の中にはボクのペットがいる。死なないよ」

 薬で誤魔化せるのは後数年。

 数年後には病で死ぬはずだった少女は、まさに悪魔の契約に等しい方法で生きながらえている。

 寄生型の魔物で、宿主を決して殺さない。殺すときは見放すとき。

 しかしウルの支配下にある以上、永遠に見放すことはない。

「ボクが死ぬか見捨てるまでは、死ねないよ」

「死ねない、ですか」

「そう、死ねない。リファ、気味が悪い?」

「いいえ。ウル様とご一緒なら、どこまでも」

「いい子だね。じゃあ、明日の遠足には連れて行ってあげるよ。きっと楽しいよ」

「ありがとうございます」

 二人はくすくす笑いながら、手を取り合って行ってしまう。

 あの方向は庭園だろう。

 ベルは目を伏せ、重いため息をつく。

 毒されている妹の将来が心配でならないようだ。

 逃げることも、刃向かうことも出来ない。

 彼女たちの命はウルの手の平の上に、危ういバランスで置かれているだけなのだから。

「手だてがあるのは、どうか覚えていて下さい。私は貴女のことは、それなりに気に入っています」

「考えておきますね」

 笑顔でかわされ、ロバスは舌なめずりをする。

「私は女性なら幅広く受け入れていますが、薹が立つまでには声をかけて下さいね」

「ええ。でも私はまだ若いので」

 考える時間は、いくらでも。

 そう思っている内に、人間などすぐに老いて、悪魔に縋ってくるのだ。

 彼女は縋るのか、高潔な老いる道を進むのか、それを考えているだけでも十分楽しめる。


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