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墜ちたる神子 3

3


 男は先ほどよりも力なく、薄汚くなっていた。

 それでもまだまだ死なないだろう。

 食料と水を口に押し込んでおけば、まだしばらく生きていられる。もちろん、そんなに時間をかけるつもりはない。

 ボクの隣に立つベルは一言も声を発しない。

 彼女は彼が拷問されているのを知っている。野良猫らしく、盗み聞きしていたから。

 だいたいのことを知っているはずだ。

 だからボクは聞かせた。

「ボクはね、殺すことには何の楽しみもないんだ。

 ボクは変態じゃないからね、殺して喜んだりはしないよ。

 拷問だって、可愛い飼い犬が好きだって言うからさせているだけ」

 誰もが勘違いをする。

 ボクがサディストで、好き好んで拷問をしていると。

 冗談ではない。

 ボクは人を殴ったこともない、とても潔癖な人間だ。

「君はどう?」

 振り返り、野良猫のような少女に問う。

「君は自分のオナカマが痛めつけられるのを見て、どう思う?」

 彼女は動かない。

 何も感じていないように、猫の無関心さで動かない。

 彼女の心は、この程度で痛むような良心は残っていない。彼は赤の他人だから。

「何のことでしょうか」

 まるで見えていないとでも言うように、ベルは無関心に言う。

「君は野良だけど、餌は与えられているよね」

 この男と違い、組織に忠誠を誓うようなことはなくとも、金で動いてここに忍び込んできた。

 ボクの秘密を探ろうと。

「ボクはね、他人の忠犬は嫌いだけど、野良を飼い慣らすのは、結構好きだよ」

 彼女の背後にボクの忠犬が潜んでいる。

 目の前では絶望の拷問。後ろにはボクのイヌ。

 ベルは背後の気配に気づいて、びくりと震えて振り返った。

 実体の見えない存在に怯えていた彼女は、背後に現れた男を凝視した。

 男は人成らざる白皙の美貌に艶やかな笑みを浮かべた。

「ロバスさん……」

 ベルが呟いた。彼は彼女によく仕事を教えていたから、ある程度は親しいのだ。

 親しくしたと、勘違いしたと言うのが正しいか。

「ロバス、君は綺麗な女の子がいると沸いて出てくるよね」

「怪我をした……いや、怪我を負わされたじいやさんの代理ですよ」

 不愉快なことを思い出し、目を伏せた。

 ボクはベルの手を引いて男の前まで歩いた。

 裸足のままで、血で汚れていない綺麗な場所に立つ。

「吐いた?」

「いいえまだ」

「そう。じゃあ、もう好きにさせてもいいよ」

 許可を出すと拷問吏の目が輝いた。

「はい」

 ボクが男に近づくと、拷問吏が髪をつかみ顔を上げさせる。

 血と汗で汚れた顔。既に力はないが、話すことぐらいはできるだろう。

 その目はボクの背後に立つ少女へと向けられていた。

 予備がいるというその事実が、この男にとっては何を意味するのか、ボクの知るところではないが、彼にとってはきっと大きいに違いない。

「ボクに特別な秘密なんてないのに、本当に君たちの主は馬鹿だね」

 彼らは秘密を探りに来た。

 よくあることだ。ボクが特別だから。

 その特別さを、愚かにも自分達も得たいと欲を出し、彼らのような密偵を送り込む。

「ボクはいくつに見える? ボクが千年生きた化け物だとでも思ってる?」

 大抵、それが目当てだ。

「これでもまだ若いんだよ。じいやはボクが生まれた時からじいやだったしね。

 あんまり背が伸びなかったから、小さく見られるけど」

 男らしくも女らしくもない、いつまでたっても痩せた身体。

 だからボクはいつまでも子供に見られる条件は揃っているのに、疑うなんてとってもおかしい。

「悪魔と契約したと思ったのかな?

 神殿の連中が来ても返り討ちにし、放置されるほどの高等悪魔と」

 普通の人間にとって、不老といえば悪魔との契約だ。

 神殿は神の道に背く悪魔との契約を禁忌とし、粛清対象としている。

 そしてボクは堂々とこの屋敷に住んで、度々武装した神殿の奴らが押し掛けてくる。そして誰一人帰らない。

 それで変な噂が立ってしまったのは理解できた。

「馬鹿だよ、君達。君達の主は、実に馬鹿だよ。

 秘密ほしさにボクのところに部下を寄越すなんて、なんて愚かだろう」

 頭の隅に描かれる光景では、捕まった女の子が泣いている。

 恐怖で顔は引きつり、声も出ない。

 瞳孔が開き、唇を引き結んで手足を縮めて小さくなっている。

 彼らの主が愚かでなければ、起こらなかった不幸な出来事。

 そして自分に火の粉が降りかかることもなかっただろうに。

「やめっ」

「じゃあ言っちゃう?

 つまらない。ここからが本番だよ。

 生きたまま腹を割いて、食らい、食らわせる。

 見物はここから。こういう残酷なのが好きな人にとっては、とっても楽しい光景だよ。

 ボクには理解できない趣味だけど」

 本当に実行するとは思わなかったのだろうか。

 それともまだ、これが幻覚であると思っているのか。

「ふふ、君にとって君の主はさぞ恐ろしいのだろうね」

 ボクが与える恐怖と同等に、恐ろしいと思っているのだろう。

 ここで話せば、あの母娘は今と変わらない目に遭うのかもしれない。

 だから、これが幻覚であると信じたかったのかもしれない。

 自分だけなら耐えられる、と。

「ああ、そうだ。君の身元を知っているという承認として、この子を連れてみたんだよ。

 ベルにも見えないと意味がないね。みんなにも見えるようにしようか」

 ボクは杖を振り上げる。

 見た目はごく普通のステッキだが、遠い国では、魔術師が魔術に使うらしい。

 軽くて固い、特別な骨で作られた、ボクへの貢ぎ物の一つだ。

 ボクは魔術なんて使えないから、意味はないんだけど。

「闇夜の宴を見せてあげて」

 ボクがお願いすると、黒い霧が立ちこめ、その光景が映る。

 空気がうごめき、音すらも運んでくる。

 脳内と、目の前と。幻聴と、外の声。

 彼は目をつぶっても耳をふさいでも逃れられない。耳をふさぐ手はどうせ縛られているから、目を伏せるしかないが。

「ベル、何が見える?」

「女の子が……男性に捕まって泣いています」

 青ざめた彼女は素直に答えた。

「どんな女の子?」

「暗くてよく見えませんが……五、六歳の長い巻き毛の、金髪の子です」

「どんな場所?」

「子供部屋。大きな熊のぬいぐるみが……あり……ます。あと……太陽を拝むような不気味な木彫りの人形があります」

 特徴を捉えようとする彼女の言葉は、説得力があっただろう。互いのことなどほとんど知らないはずだろうから。

「ボクは手を出してこなければ、大して害はないんだよ。他人に興味がないからね。

 手を出してくるから噛ませるんだ」

 生きていることが幸せかなど知らないけど、自ら不幸せになりに来ることもなかろうに、おかしな連中だ。

「ボクには秘密なんてないよ。ただ、近づく連中がぼくの飼い犬になるか、死ぬかしているだけで」

 ボクのイヌが子供の髪を引っ張ってわざと泣かせた。

 ぎゃーぎゃーと騒ぎ出した子供を心配して、やがて短剣を手に母親がやってきた。

「ボクはただ、たくさんのペットがいるだけ。勘違いをしている。君たちは」

「やめてくれっ!」

 ボクの犬が、母親の手から奪った短剣で、母親の手を床に縫いつけた瞬間、男は叫んだ。

「何でも言うから、やめてくれっ!」

 ベルの反応を見て、それが本当に行われているのだと知った男が、妻の手が駄目にされてようやく叫んだ。

「必要はないよ。ベルに聞くだけだから。ねぇ、ベル」

 彼女は青ざめてその様子を見ている。

「王族の一人売るぐらい、わけはないよねぇ」

「第二妃殿下です」

 男が答えるよりも前にベルが言う。素直な子だ。金で動いているから、分かりやすい。彼女は大切なモノの順序を心得ている。

「二番目。えらい人みたいだったから必要以上には手を伸ばさなかったけど、二番目だったのかぁ。

 野心家だなぁ。野心さえ持たなかったら死なずにすんだのに」

 ボクはくすくすと笑いながら、手をあげる。

「ハーセル、待て」

 イヌを一時的に止めて、ボクは男へと視線を向けた。

「選ぶといいよ。続けるか、自分の手で始末をつけに行くか」

 すべて言わずとも分かるだろう。

「ボクは気が短い。返事は?」

「…………っく……わ……」

 男は俯き唇を噛み、顔を上げた。

「ハーセル」

 男の唇が言葉を発しようと動かすが、はっきりしない。

「よし」

「待て! まだ何も言っていない! やるっ! やるからやめてくれっ!」

 許可を与えてから、ようやく男は乞うた。

「今になって、ようやく良い返事をしたねぇ。でも、だめ。もううるさいだけ。

 お前なんかのために、可愛いペットを待たせるのはかわいそうだから」

「やめてくれっ! やめてぐえぇぇ!」

 拷問吏に踏みつけられて、声が濁る。

 美味しい声だ。

 絶望が目の前にある者の声。

 嬉々としたイヌの声。

 静まっていたイヌが再び動き出したことで狂乱する母娘。

 母親は足を折れるほど踏みつけられ、子供はただママ、ママと泣き叫ぶ。

「もうねぇ、遅いんだよ。ボクの慈悲は迷わぬ者にしか与えられないんだ。

 一瞬でも迷う者は嫌いだよ。

 即時に選べぬ愚図にあげる慈悲はない」

 ボクほど恐ろしい存在はこの国内にいないと、ボクを目の前にしても分からない愚鈍な男はいらない。

 何か叫んでいるが、ボクはそれを置いたままベルへと笑みを向けた。

「君は迷うそれとも……」

「私が欲しいのは命とお金だけです」

 死ぬのはイヤで、ただ働きも嫌だと。

「正直にお言い。分かるよね?」

 身内がいる者は、それが弱点となる。

 待つ者がいれば力にもなるが、動きを鈍らせる時もある。

「私と私の妹の命。妹を助けられるお金だけ」

「生きていられるのはどちらかだけと言ったら?」

「妹を」

 彼女は恐怖に震える声で言い切った。

 健気なことだ。

 自分が絶対に譲れないことを知っている人間は、とても強い。

 この男への拷問を見ても、迷わずに言い切れるのだから。

「ではお行き。人間一人では大変だろうから、ボクのペットをどれでも一匹連れていっていいよ。

 諸刃の剣だけど、選ぶ時間はあげる。

 中には使えるいい子もいるから、君達の命は君しだい。

 女を殺したら、妹は必ず助けてあげよう。病気からもね。

 王族の暗殺だからね。人一人の一生を買うには十分な価値がある。

 この街は、医者が多いんだよ。小さな頃、ボクが病弱だったから」

 お金が必要なのは、病床の妹のため。

「ボクは慈悲深いだろう?」

 ボクは椅子に座り、足を組む。

 素足に見える淡い色の入れ墨のような模様。

「ボクに秘密なんてないんだ。だって今はもう隠していないもの」

 彼女はこの意味を知っていた。

 この痣を、神殿の連中は聖印だと言う。

「人はボクのような者を神の子だとか崇めるみたいだけど、ボクはそうは思わない。

 ボクらはただ、他人を支配するのに長けているだけだよ」

 だからボクのペット達は、ボクに飼われている。

 支配されているのだ。

「でもみんな、神の子と呼ぶ能力者がこんな事をしているなんて、誰も思わないみたい。

 力が付くまでは、隠されて生きていたからね」

 ボクの傍らに、影のような生物が寄り添った。

「ボクが成長しないのは、この子達に寿命を別けて貰っているから。

 ボクが死んだらみんな死んじゃうからね」

 これが神の意志だというなら、なんて残酷なのだろう。

「だから神に帰依しないボクは、墜ちたる背徳の王。バケモノ達の王。

 茨の王冠を頂き、血の衣を纏い、悲鳴を食らい生きる」

 別にそれが好きなわけではない。

 ただ、それが当たり前になっているだけだ。

「それがどこの誰のどんな悲鳴だろうが、ちっとも構わない。

 その悲鳴が、ボクを安堵させてくれるから」

 ボクは神の信徒達から隠されて、見つけられて、みんな食われて、食ったそれらを手懐けて、裏切り者だと誹られた。

 罪深いのはボクの両親。

 両親さえボクを手放せていたら、もう少しまともに育てていたら、きっと今のボクはないだろうに。

 だけどこう育ってしまったものは仕方がない。

「ボクはね、魔王とか呼ばれたりもするけれど、すべてを壊そうなんて大それたことは考えていないんだよ。馬鹿じゃないもん。

 ただ、ボクがボクであるためには、刃向かうものはすべて殺さなければならないんだ。

 恐怖で愚者が近づいてこなくなるまで徹底的に」

 だがその日が来てしまったらどうなるのだろう。

 ボクは悲鳴を聞くと満たされる。命乞いも好き。

 間違った育ち方をして、間違った出会いをして、間違った道を歩んだボクは、間違った方法で満たされる。

「そのような日は来ませんよ」

 控えていたロバスは苦笑しながら言う。

「人間というのは懲りない生き物ですから、簡単に忘れてしまうものです。

 忘れた頃にはまた来ますよ。ウル様はそのような星の元にお生まれですから」

 たまには平穏が欲しいのだが、彼が言うなら間違いないだろう。

 ボクは擦り寄ってきたイヌを撫でる。

 ぐろぉぉぐろぉぉと、ちょっと変な鳴き方をする。

「ベル、お土産を楽しみにしているよ」

「かしこまりました」

「いい子だね、ベル。いい子は、長生きするんだよ」

 バケモノと分かっている者の前で少しでも悩んだら人生終わりだって、分からない人間が本当に多いから困る。

 ボクは親切に口で言って分からせるつもりはないから、自分で分からなければならない。

 時間があったのだ。

 彼は見誤り、ベルは見誤らなかった。

 警戒の仕方を間違えて行動した男と、警戒して機会が目の前にあっても行動しなかった彼女。

「楽しみだなぁ。王に嫁ぐほど高貴な人って、どんな風に鳴くんだろうね。自決でもするのかな。楽しみだなぁ」

 ボクの影に潜むイヌ達が、選ばれないか選ばれないかと存在を主張している。

 可愛いペット達。

 神の使いであるボクの使い魔達。

「第二王妃を殺したら、そのうち暇な時に子供達も殺そうか。王族を飼うのも悪くないね。僕の前で生きていられる知恵があれば……」

 新しいペットにしてあげよう。

 恐怖で服従させ、足を嘗めるようなイヌにしよう。



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