5話 舞踏会1
噂を耳にした。
何日か前に、王宮で舞踏会があったそうだ。
その舞踏会への誘いが、ケトルの名義で、今日届いた。
「ふふっ、おかしいね、郵便事故かな」
「ウル様、ケトル様に苦情を送りますか?」
領民が届けてくれた林檎の皮を剥きながらベルが尋ねた。
とっても甘くて美味しい林檎だ。後で褒めてやらなければならない。
「いいや。それをしたら犠牲になるのは責任を押しつけられる哀れな郵便屋だ。
ボクは慈悲深いから、仕事を真面目にする者が処分されるのは好かないよ」
「ウル様を信じていらっしゃるあたりが、ケトル様らしいことですね」
「そうだね」
ボクには来て欲しくなかったけど、送っておかないといけないことがあったのだろう。
そのため消印だけはずいぶん前の手紙が、ようやく今日届いた。もしも指摘すれば責任者を処分しますで終わるのだ。それをボクが見越して何もしないことまで分かっていて、このようなことをしたのだろう。
それはいい。イヌはイヌなりに考えを持って動いているだけ。逆らう気がなければいい。
ボクを少し利用したり、そういうことは目をつぶってやる。
なにせボクはボクのモノに対しては、心が広く慈悲深い。
「それはいいけど、リファは知っている? ケトルは花嫁を捜しているんだよ」
「あの噂って本当なんですか? 町の人も言ってました。国中から女の子を集めて、お后捜しの舞踏会を開いているって」
「そうだね。ただし、国中の良家のお嬢さん、だよ。年頃の娘はほとんど参加」
「どうしてウル様にも届いたんですか?」
「男か女か分からないから、一応は出しておこうっていうのが、建前かな」
ボクが女の子なら、年齢的にも家柄的にも送っておかなければならない相手だ。
もちろんそんな事はどうでもいい。面白みもない。
「一番肝心なのは本音の方。ケトルはね、探しているそうだよ」
「何をですか?」
「舞踏会の最中、消えた花嫁候補」
「ミステリーですかぁ?」
リファは浮かれた声を上げた。じいやがその手の本を集めているから、その影響だろう。
「残念だけど、ケトルが嫌われて逃走しているだけ。ひょっとしたら、逃げる女を追いたいタイプなのかもね。
前にリファをくれって言われたこともあるし」
「聞いてません」
「言ってないからね」
「どうして教えてくれなかったんですか? 知っていたら面白かったのに。
王子様に求婚されるなんて、一生に一度あるかないかじゃないですか!」
「王様だよ」
「あ、そっか」
「王妃なんて、面倒な物にはなりたくないだろうと思って」
「はい。でも、求婚は一度されてみたかったです。男の子を惑わす悪女になるんです」
力説するリファを見て、黙っていたベルがやめなさいと窘める。
リファに男を惑わす悪女はまだ早い。ベルならともかく、リファでは似合わない。出来ないではなく、似合わない。
ボクはそんなことをしないから、彼女もしないのだ。
「でも、ケトル様はその女性を捕まえて、どうなさるおつもりかしら」
「結婚するようだね。彼の所にいるボクのペット達は、理解できずに苦しんでいるよ」
かわいそうに、変人の思想に振り回されているのだ。彼はイヌというよりネコだから。
引っ掻きはしないし、粗相もないし、最低限の言いつけは守るが、とても自由奔放である。
「で、その賞金首はまだ捕まらないんですか?」
「花嫁候補だよ、ベル。未来の王妃だから、ボクのペットのお嫁さんってこと。つまり、飼い主としては見定めたり、躾けたりしてあげないと、ねぇ」
彼がそれを一番嫌がっているからこそ、その通りに構いたくなる。
ボクは子供だから、ダメと言われると手を出したくなるのだ。
子供らしい残酷さで、ボクは何をしようかと悩む。
「手配書が欲しいなぁ。あの子達の声は聞こえるけど、聞いてもどんな子かよく分からないし」
ボクが口にした瞬間、肩に紙を持った手が置かれた。ロバスの手だ。
それを受け取り──ボクはケトルの正気を疑った。
「ウル様、どうして手配書に人よりもピアスが大きく描かれているの?」
「リファ、それはね、このピアスを持つ女を妻にするんだって」
「え、逃げた人じゃなくて、ピアス?」
これを用意したロバス以外の者は驚いた顔をした。
「きっと片割れをケトルが持っているとか、そういうことだろうね」
「偽者とか出ないかな」
「出るだろうね。女は化粧で変わるし、似顔絵の雰囲気に近ければ、化粧とその場の雰囲気で見え方が変わる。
ケトルは仮にも王様だし、必死な人達はそれぐらいのことはするだろうよ」
ケトルは意外とロマンチストなのだろう。普通に育っていれば。
手配書の女の特徴は、どこにでもいる栗毛の女。特徴があまりないからこそ、このように書かれている。
「さて、ベル、ばあやと着替えを用意して。リファ、ケトルに会うから着替えようか。
そろそろ偽者も出てきている頃だと思うし、婚約祝いだから、ちょっとオシャレしていこうね」
「はい」
混乱の渦の中にある宮殿は、その混乱を生んだ王を恐れて団結している。
そこに手土産を持ってボクが現れたので、混乱はさらに大きくなった。
ボクが表立って遊びに来たのは初めてだが、ウルという名の存在を知る者は多い。
王の友人こそ王を操る傀儡師だと。
「これはこれは我が最愛の方。掃きだめに等しい我が城にお越し下さるとは光栄です」
「やあ、ケトル。婚約したそうだね。土産はいる?」
「婚約はまだです。
土産など、あなた様の笑顔があればそれで身に余る幸せです」
穏やかさなど皆無の辛辣とも言える声音で発せられた言葉に、ボクはくすくすと笑う。
「花嫁の行方はすぐに分かった?」
「城下に潜伏していました」
二人で笑う。ボクはくすくすと、彼はくつくつと。
ケトルの配下が笑い合うボクらを不気味そうに見ている。
恐怖で縛り付ける場合、いくつか方法がある。
逆らう者がいなくなるほど徹底的に押さえつける。一時期はこれでいいだろうが、すぐに崩壊するパターン。愚王の進む道だ。
もう一つは、恐怖で縛りながらも、政治だけは正しく行う場合だ。
自分たちと関係のない私腹を肥やす者が殺されようと、税が適切で、治安がよく、国外にも目を向け、災害時に対応していれば、国民の不満は募らない。
貴族に対しても同じだ。適度に懐が温かく、不満が出ない程度はまともな政治をしていれば、情け容赦のない王に逆らおうとはしない。
たぶんケトルの代は問題ないだろう。問題は、その先だ。
よほどお馬鹿な子じゃなければ面倒を見てあげるつもりだけど、それは彼が選んだお嫁さん次第になるだろう。
「君がこんなに早く運命の人を見つけるなんて思いもしなかったよ」
「一日もあれば、女一人の居場所を掴むなど造作もありません」
「そう、おめでとう」
「結婚とは人生の墓場と言われています。しなければならないからするだけです」
ケトルとかみ合わぬ会話を楽しむ。
その会話を聞いてビクビクしている家臣達の反応が面白い。
生かされているということは、生きている価値がそれなりにある者達だ。
もう少し肝が据わってくれねば困る。ここはボクの国だから。
「で、その子の何が気に入ったの?」
「目が。どこかリファに似ています」
そう言えば彼は、リファが欲しいと言っていた。
使い道は決まっていたからあげなかったけど、本気だったみいだ。
「悪趣味だね」
「ちょ、ウル様っ、ひどいっ」
ボクとおそろいのデザインで男装しているリファが手を振り回す。
この子を嫁にもらおうなんて、実に悪趣味だ。
「きっと君の花嫁も悪趣味なんだろうね。楽しみだな」
「ええ、きっとお気に召していただけます。
これから行われる、私たちの結納式の余興も、どうぞお楽しみください」
「結納品はなぁに?」
「それはご覧いただくのが一番早いかと存じます。
見せ物としては面白味に欠けますが、よければご覧になられてください。
それよりも、花嫁が間もなく到着するかと思いますが、まだ躾が出来ていないので、ご不快な思いをされることがあるでしょう。野生の獣と思い、どうかご容赦を」
どんな飼い方をしているのやら。
「構わないよ。ボクは物を知らない子をいきなり始末したりしないよ。
野生の獣は恐怖で威嚇することもあるからね」
ボクのことを残酷なように言うが、ボクは何もしていない。
好きにさせているだけだ。止めることはあるけど、やれとは滅多に言わない。
ほとんどは、みんなが自分の好きでやっているだけ。
ボクはペットを離し飼いにしているからね。
「失礼します。陛下、支度が調いました」
「そうか」
知らせを受けたケトルは下を見た。
思った以上によく集まった小蠅ども。
十もいないだろうと思ったが、二十近くもいる。
王を騙そうという浅はかな者達がそれだけいれば、ボクらはもう呆れるしかない。
南国の珍しい鳥達のように着飾る愚かな女に、愚かな父達。
こちらからは見えるが、向こうからは見えないようになっている。
まさか王に見下ろされているとは思っていないだろう。
本当に愚かな者達。
「で、目当ての者は?」
ケトルは報告に来た配下に問う。
「確認いたしました」
「それはよかった。では、ウル様はここで」
ケトルは静かに、しかし珍しくわずかな興奮の色を含ませて、部屋から出て行く。
どうやら、誰かをおびき寄せるのが目的のようだ。
用意された菓子を口に含み、ケトルが何をするつもりなのかただ見守る。ボクは傍観者。ケトルがボクの望む王になれるかどうか、ボクは見守る。
だってここはボクの国だから。