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4話 選択の先3

 毒を吐く。

 吐いた毒が自身を蝕むことがあっても、人は毒を吐く。

「ああ、腹が立つ」

 男はグラスを壁にぶつけ、中身を用意した女が密かに顔をしかめた。

「あの女、何が得意様だ」

 荒れた男を女は快く思っていない様子だ。

 金払いは悪くないのだが、物に当たる男はそのうち手も出る。

 そうなってしまうと、金では足りぬほど害ある客になる。

 この男が落ちない女に躍起になっているのは知っていた。評判の美人で、仕立屋の娘。

 彼女もよそ行きのドレスを頼んだことがあるので、値段なりの仕上がりになる事を知っている。

 ケチらなければ思った以上に立派な服が、ケチればそれなりの服ができあがる。それにしても、素人では素材の差などなかなか分からない。

 揶揄するように、値段相応の出来になるのだ。

 相応の対応をされたのだと、容易に想像がつく。

 彼女はどこまでも冷めた気分で男を見ていた。

 先のない男よりも、兄のほうがよほど客としてはよかったが、現実はこれだ。

「一番はじめに生まれてきたからと何が偉いんだっ。無能の兄貴ですら、長男ってだけで家を自由に出来る。ああ、馬鹿らしい!」

 その無能な長男と彼にどんな差があるのか。

 節度のある兄の方がよほどいい男だ。

 この男に比べて、裕福で金払いのいい子供なら、願ってもない客ではないか。

 可愛くて裕福で金払いのいい男の子の相手を出来るなら、彼女だってそちらを選びたい。この口だけ男よりはよほどいい。

「落ち着いてくださいませ。ただのお針子でしょう。身の程をわきまえて身を引いているのですわ」

 これの愛人になるのは大変だろう。

 店に通われる分にはまだいいが、囲われるとなると彼の母親が黙っていない。

 悪い女に騙されて可哀想な坊や。そうやって始末するのだ。

 そこまで落ちるわけにはいかないが、何が気に入ったのかこの男は彼女のもとへ通ってくる。

 面倒なことになりそうだから、出来れば縁を切りたいものだと思っているとも知らずに。

 ふと、部屋の隅で何かが動いたような気がした。目をこすってからもう一度見るが何もない。何もないと思ったところに、いつの間にか見知らぬ女が立っていた。

 女の子だ。まだ幼さのある、可愛らしい女の子。それこそ先ほど話していた仕立屋で作られそうな上等のドレスの、人形のような愛らしさの少女は、目が合うと、にぃと不気味に笑った。

 声が出なかった。金縛りに遭ったように動けず、ただ茫然と見ていると、男はその八日に気づいて視線を追い、少女の存在に気づく。

「お前は昼間の!」

「こんにちは、若様。私、ウル様の飼い犬、リファと申します」

 ウル、という名にはあまり良くない意味がある。だから誰も子供に付けない。

 最近、その気味の悪い名を持つ子供の姿をしたモノがいると、怪談話のように囁かされてる。

 堕落のウル。

 狂乱のウル。

 殺戮のウル。

 関わる者は近い身内から殺されていく。

 契約もなく悪魔が傅いた。

 実在するかもどうか分からない噂だけが広まるその名を、少女は出した。

 部屋に突然現れた少女が、その名を口にする意味。

 その小さな手には、不釣り合いな大きな槌を持っている。

「いつの間に、どうやって入ってきた!?」

 彼女は少女から目を逸らし、そっと男から離れて床に跪く。

 噂だ。

 ただの噂。

 しかし、それが本当であった場合、こうすべきだと本能が告げていた。

 この商売は危ない橋を渡ることが多い。

 聞いてはいけないことを聞いてしまったり、見てはいけないものを見てしまったりする。

 そんな時に自分はどうすべきなのか、それを探り出す嗅覚が大切なのだ。

 案の定、少女は彼女をちらと見るが、すぐに視線を馬鹿な男へと向けた。

 目当てでないのなら、下手に動くよりも服従の意志を示す。

 逃げても外に別の誰かが待ち構えているかもしれない。それこそ『ウル』がいるかもしれない。

 彼の愚痴から、彼が『ウル』を怒らせたのは容易に想像がつくから。

 噂は噂。火がなくても噂という煙は立つ。

 しかし、火があるから立つ噂も数多くあるのだ。

「やっぱり、空気が読めない人ですね。あちらのお姉さんの方が心得ている」

 顔を下げ、息を潜める。殺されるかもしれない。殺されないかもしれない。

 逃げるならば、本当に逃げるべき時を待たなければならない。

 慌てて逃げる者から死に、逃げ遅れた者も死ぬのだと誰かに聞いた。

 誰か、おそらく傭兵か何かしている客から聞いた。

「本当はウル様も来たがったんですけど、あの仕立屋のお姉さんが止めるからまず私が来ました」

 彼女には大きすぎる土建用の槌を右手だけで持ち上げる。左手には杭。

「ウル様は不機嫌です。とてもとても不機嫌です。

 私はウル様の不機嫌が恐ろしい。ウル様が動くと、三親等ぐらいまでは皆殺しだから。

 私が出ている今が、一番被害が少なくてすむんです」

 そう言って笑う。

 笑顔だけは妖精のように可愛いらしい。

「大変なんですよ、後始末とか。その愚痴を聞くのは私の姉さんだから」

「何を訳の分からないことを!」

 お坊ちゃまが少女に寄ると、躊躇なくその頬を叩いた。少女は叩かれるままに叩かれ、顔を背けたまま頬を撫でる。

「私を誰だと思っている!」

「刃向かう相手が何なのか理解できないほど本能の薄れた馬鹿ですね。

 普通は、感じ取るモノなのだけど」

 赤く腫れた頬。その頬が割け、気味の悪い虫が飛び出た。

「なっ」

 ミミズにもウジにも似た長い虫は、傷口を広げながら頬から這い出て、耳から体内へと戻っていく。

 少女はそれを気にする様子もなく、ただ不気味に微笑んでいた。

 それが完全に頬から出ると、その傷は瞬く間にふさがり、少女はわずかに出た血を手の甲でぬぐうと頬の腫れも引いて、虫が体内に隠れてしまうと完全に元の綺麗な姿に戻る。

「気色の悪い!」

 命知らずなお坊ちゃまは、無謀なことを叫んで後ずさった。

 怒らせた。

 彼女の心臓は破裂しそうなほど早く鼓動し、汗が全身を濡らす。

「ウル様に頂いた虫です。怪我や病気や老いから守ってくれるけど、大人が寄生されると頭まで乗っ取られるんですよ」

 杭を持った手を伸ばされ、若様は後ずさる。

「でも、痛みはあります」

 少女は笑う。小さな口を横に伸ばし、不気味に笑う。そんな不気味さも、また妖精のようだった。

「私も良心の呵責なしに行えます」

 少女は一歩前に出て、さすがに何かあることに気づいたお坊ちゃまはその分さらに後ずさる。

 やがてお坊ちゃまは壁際に追い込まれ、足を止める。

「選ばせて差し上げます」

 少女は優しげな声音で言った。

「親殺し、兄殺しの罪で処刑されるのと、ここで苦しんで死ぬの、どちらがお好みですか?」

 どちらも死。

 すでに逃げられないところまで来ている。

 彼女はそれでも動かない。動いたら先に殺されそうな気がした。

「馬鹿なっ! どうして僕が死ななきゃならない!」

「ウル様を不快にさせた、それだけです。それだけで死ななければならなくなるようなお方なんです、あの方は」

 可愛らしい声で、恐ろしいことを言う。

「あの方が命じなくても、私達が許せないんです。だから私達はあの方に何か言われる前に動くんです。それが私か、他の誰かの違いです」

 彼女は軽々と槌を、まるで日傘のように肩に持ちあげた。

「生き残る道はもう閉ざされています。ウル様は貴方が生きているのが気に食わないから、私から逃げたらもっと苦しみますよ。

 未熟な私と違って、他の方々は苦しませることに長けていますから。

 もちろん私だって逃がすつもりはありませんけど。

 ウル様の気が済むように、多少は苦しんで死んでいただかなくてはいけませんからね」

 彼女だったら撲殺か、それともあの杭を使ってもっと別の苦しい死の準備があるのかもしれない。

「だまれ、なんなんだお前はっ」

「だから、ウル様の飼い犬です」

 聞き分けのないお坊ちゃまに言い含めるように言う。

 その手に凶器さえなければ、可愛らしい少女のいたずらにも見えただろう。

 しかし現実にあるのは狂気に命じられた執行人の姿。

「くそ」

 お坊ちゃまは着の身着のまま、逃げ出そうとドアへ向かう。

 このまま追いかけっこしてくれればいいのだ。そうすれば安全な場所に逃げられる。

 一人残され、忘れられればいいのだ。

「ダメですよ。そっちは危ないですよ」

 少女の言葉で彼女の背筋に寒気が走った。

 お坊ちゃまの悲鳴が響く。

 その声が吐き出しきる前に、声ごと気配が消えた。忽然と消えた。

 顔を上げてると若様の姿はなかった。ドアを開けた気配もなかったのに、いなかった。

「あらら。だからここで選択するのが一番楽な方法だったのに。あの人どうなるんだろう。

 え? ヘバちゃんが数ヶ月かけてかけて食べるの? その間生きてるの? すごいのね」

 少女は見えない何かと会話した。

 あそこに、何がいたのだろうか。いや、まだいるのかもしれない。

 もしも自分が逃げていたらと思うと、身体が震えて首も回らない。目もそらせない。

「お姉さん、もういないから動いていいよ」

 少女が普通に笑いながら声をかけてくる。

「ウル様は賢明な人は好きなんですって。うかつに逃げない、動かない、逆らわない、そんな人が」

 手が、足が震える。

 緊張がとけたとたん、叫び出したいほどのどうしようもない恐怖に襲われる。

 今は動きたくとも動けない。

 いなくなったあの男の途切れた悲鳴が、頭から離れない。

「さっきの人の姿をした子がそこから出て行ったから、お姉さんが疑われることはないよ」

 目が回る。それでも音を拾い、生き残るための道を探る。

 最後まで、最後まで気を抜いてはいけない。

「生活は普通に出来きますよ。おかしな事さえしなければ。

 だけどウル様は千里先の様子も分かる方。だからこそ、間違えないんです。

 だからお姉さんも、間違えないで下さいね?」

 少女は可愛らしく、語尾を上げた。

 どうすればいいかは、考えるまでもない。

 口を閉ざせばいい。

 見たことを忘れればいい。

 簡単だ。一人の男が殺されただけ。客が殺されるなどよくあること。

「もしも何かあったら、仕立屋のアリサさんに相談すればいいよ。

 アリサさんは賢明だから、ウル様のお気に入りなの。

 でも勘違いしないで下さいね。

 肝心な時で間違えなかった賢い人が、普通の生活の中で間違えてしまうのは、ちょっと悲しいですから」

 こくりと首を落とすように頷いた。これが精一杯で、倒れ込むことも出来ない。

「じゃあ、ごきげんよう」

 少女はそう言って、姿を消した。

 それから日が昇るまで彼女は震えが治まるのを待っていた。






 いつものように朝が始まり、以前よりも静かな昨日に感謝し、今日もそうであることを祈りながら店を開いた。

「今日は天気がいいですねぇ。最近、あのお坊ちゃまが来ないから気が楽ですし」

 ルドはうるさかった原因である男が来なくなったことで、心の底からせいせいしていた。

 何でも家出中らしい。

 母親は行方不明として探しているようだが、束縛が嫌になって出て行ったのだろうと噂されている。

 アリサを口説いていたら、母親はそのアリサを拉致同然に屋敷に連れ去り、脅しをかけたというのも噂になっていて、誰もが出て行きたくなるだろうと口にしている。

「本当にいい年して家出なんて、どこに行かれたのかしらねぇ」

 アリサはくすくす笑いながら、今日納品予定の服をチェックしている。

 今日はあの上得意の方のお坊ちゃま、男装の美少女、もしくは女装の美少年であるウルが来るのだ。

 お揃いの服を男女二着ずつを作るものだから、親方とアリサはそれに付きっきりだった。

 本当にほれぼれするように可愛らしい服ができあがり、あの尊大なウルお坊ちゃまが喜ぶ姿が目に浮かぶ。

 彼は裕福で偉そうだが、若様と違って下々の者を見下すことがない、素直で可愛い子だ。

 可愛い子のはずだ。

 なのに、なぜか引っかかる。

 嫌っているわけではないのだが、何かが引っかかる。

「どうしたの、ルド君」

「いや、ウル様も少しは大きくなっているかなと」

「ウル様は……ずっとあのままでいらっしゃるかと」

「え?」

「そのうち分かるわ」

「小柄な家系なんですか?」

「そうね」

 やはり女の子の男装なのかもしれない。体格のことは口にしない方が良いだろう。彼を怒らせるのはどうしてか恐ろしい。

 恐ろしいと感じて、ぎょっとした。

 なぜ恐ろしいなどと感じるのだろうか。

 裕福な家の子だが、横暴でもなく、とてもいい子のに。

「ルド君」

「は、はいっ」

 考え込んでいると、アリサに声をかけられた。いつの間にか、彼女が正面に立っている。

「悩むことはないの」

「え?」

「本能から感じ取るなら、それはいい事よ。感じ取れないで消えゆく者もいるの。何も知らずに、消えてしまう者が。

 君は、感じ取れるのなら、それを信じていて。

 それが君の将来を大きく左右することになるわ」

 アリサは背伸びをしてルドの頭を撫でる。彼女の微笑みは、心を麻痺させる。

「あら、もういらっしゃったわ」

 アリサが外へと迎えに行き、アリサのデザインらしきスーツとドレスに身を包んだウルとリファが店内に入る。

 一瞬、どちらがどちらか分からなくなった。兄妹のようには見えても、そこまで似ていなかったはずなのに。

「今度ね、友達が結婚をするんだ。だからお嫁さんのドレスを作ってあげて欲しいんだ。とびきり、最高のドレスを。ビックリするぐらいのがいいね」

「ビックリするぐらいですか?」

「ボクの威信にかけて、金に糸目は一切付けないよ。アリトと一緒に行ってあげて。これ住所」

「まあ……この方、ご結婚されるんですか。意外です」

「だからこそ、行ってあげて。ボクは優しいご主人様だから、ペットの見つけたお嫁さんには逃げられないように、たっぷりと金をかけてやらないと」

 彼の口にした単語に驚いた。

 ペットとは何だろう。言葉通りなら馬鹿馬鹿しいほど贅沢で、もしも人間だとしたら、それはそれで問題だ。

「では、腕によりをかけます。前々から作ってみたかったウエディングドレスのデザインがあるんです。

 手間と何よりも資金の問題があったので、なかなか作る機会がなかったのですが」

「アリサに任せるよ。君が作るならいくらだって払うさ」

「では、承ります。

 ルド君、お茶の準備を。これから忙しくなるわよ。今日からしばらく新規の注文は控えないと」

「はいっ」

 驚きと困惑と恐怖と畏怖が根本にあるのに、なぜだか楽しいと思えた。

 理由は分からない。しかし逸興な少年のために動く事を、恐怖達が後押しするこの訳の分からぬ状況は、悪くないとすら思えた。

 なぜだか分からない。

 分からないが、アリサもアリトも楽しげで、自分だけではないと思うと、その『本能』に身を任せるのは、悪くないことのような気がして、どうせなら思い切り楽しもうと決めた。

「じゃあ、今の仕事はさっさとかたさないとだめですねぇ」

「そうそう。その前にお茶ね。君のいれたお茶って美味しいのよ」

 褒められることがこれでは、楽しみに参加するのももう少し先だ。が、それはそれで構わない。

 自分が頑張ればいいだけだ。頑張れば、きっともっと楽しくなるのだろう。

 この店で働けて、本当に幸せだ。



個人的な本作のメインヒロインはヘバちゃんです。

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