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4話 選択の先1

1

 その女は目を伏せていた。

 拉致同然に連れてきたのだから、脅えてもらわなければならなかった。これは脅迫なのだ。

 しかし彼女は平然として、こちらの言葉を聞き流す。腕を組み、退屈だとばかりに息を吐く。

「とにかく、弟からは身を引いてもらう」

 彼がそう告げると、彼女はまぶたを持ち上げた。

 ただ分かりましたと言い、実行すればよい。

「玉の輿を狙っているのだとしたら、他所を当たれ。弟をこれ以上たぶらかすつもりなら……」

「ええと……若様?」

 彼女は微笑みながらも、こちらを軽視する色を含ませていた。

「玉の輿って、お貴族様の愛人になることですか?」

 揶揄するように言う。

 こちらを見下した目をしていた。

 彼女はとても可愛らしい、街の仕立屋の看板娘だ。

 彼女が笑顔で接客していれば、客も快く思い度々通わせる効果があるだろう。

 ただそれだけの娘だったはずだ。

 しかし彼女は笑みを浮かべ、彼を見上げながら見下げていた。

「玉の輿? 冗談でしょう。

 私はあんな次男でしかない上に、我が儘で飽きっぽそうなお坊ちゃまの愛人になるつもりはございませんし、今の充実した生活を捨てて甲斐性のなさそうな方と駆け落ちなど冗談でも勘弁していただきたいものです」

 隣で母がテーブルに両手を叩き付けた。

「この、女狐の分際で! 淫売がっ!」

 彼女は笑みは崩さず、片眉を持ち上げた。

「私はご子息からお代以外をもらったことはございません。二人きりになったこともございません。もちろんどこかに出かけたこともございません。

 お貴族様はそんなごく普通の接客ですら淫売と呼ぶのですねぇ。

 存じ上げませんでしたわ。予想以上に庶民とは感覚が違うのですねぇ」

 彼女は笑顔は崩さず、氷のような眼を母に向けた。

「私にはとてもとても入り込めない世界ですわぁ。ですからご安心下さいませ。そのように理解できない歪んだ世界に足を踏み入れたくはございませんので、頼まれても玉の輿など狙いませんわ」

「お黙り小娘っ!」

 母が激昂して怒鳴りつける。

 拉致されてきたのに、この少女はずいぶんと冷静だった。

 怒り狂う母が道化に見えるほど、彼女は落ち着いている。

「私にこれ以上どうしろとおっしゃるのですか? 店を閉めてどこかに行けと?

 お貴族様って庶民を何だと思っていらっしゃるのかしら。

 断ったら何か罪でもでっち上げ投獄でもなさいますの?

 できればそちらさまがご子息をうちの店に来ないようにしていただきたいものですわ。大して金払いもよくないのに接客を強要されて迷惑しております」

 彼女は微塵も迷わず迷惑だと言った。

「その気のない、もともと突き放した態度を貫いている私に言うより、ご子息を説得した方が早いでしょう。親子でいらっしゃるのですもの。まさか、まだ反抗期が続いているのでしょうか?」

 家庭のことは家庭で何とかしろ、と、トゲを含む言葉が容赦なく放たれた。

 それが出来るものなら、このような手段はとらない。

 弟は昔から親や兄の言うことなど聞かなかった。反抗期が続いているとは、的を射た言葉だ。

 それでも、親にとっては可愛い息子なのである。

「悪いが、弟は君の所にとても熱心に通っている」

「それがいかがなさいました? 私は一度だって他のお客様と違う接客などしたことはございません。

 どうせ落ちない女が珍しいのでしょう。甘やかされて育った様子ですもの。

 ああいう男性は、ほっといてもそのうち飽きて別の方を見つけるものです」

 実の親よりは、彼女の方がよほど冷静だ。

「分かったよ。君の言うとおりだ。君が本当に弟と何もないのであれば、こちらは何も言わない」

「お好きなように見張りでもつければよろしいかと。

 とは言っても、風呂場やら部屋の中までのぞかれたら、容赦いたしませんが」

 彼女は立ち上がる。

「以後このようなことがないよう願っております。お互いのためにも」

 薄ら笑い、少女は許しも得ずに出ていく。

 なぜだか分からないが、背中に汗をかき、鳥肌が立った。




 この仕立屋はとても繁盛している。職人の腕がよいのだ。だからルドはここで働いている。

 まだ日は浅いが、住み込みで働けて、優しく接してくれる店主親子と、気も腕も良い他の職人。

 働くにはまさに理想の店だ。

 しかし彼は今、店のことでとても困っていた。

 彼は今、一人で店番をしているのだが、店主の娘のアリサが買い物に行ったきりなかなか帰ってこないのだ。

 彼女が戻らないので、自分が接客をして客の不満を買った。彼女の笑顔を見るために店に足を運ぶ客もいるのだ。

 どこかで立ち話でもしているのだろうと気楽に考えていたのだが、日が傾き、女性の一人歩きは危険な時間が迫る頃、店主と職人が外に探しに行き、閉店間際に何事もなかったような澄ました顔をしたアリサを連れて戻ってきた。

 一人での接客は初めてで緊張しっぱなしだった彼は安堵して、腰が抜けた。

 近所でも評判の美人だから心配したが、どうやら荒事に巻き込まれたわけではなかったようだ。

「でも、どうしたんですか? お嬢さんがこんな時間に帰ってくるなんて珍しい」

「ちょっといろいろあったの。ルド君、ごめんなさいね。忙しかったでしょ」

「いえ、なんとかなりましたから。お嬢さんがいなくってがっかりして帰ってったお客さんもいましたけど」

「まあ、大変だったわね。お詫びに明日の夕食はルド君のリクエストを受けるわよ。今夜は簡単な物しかできないけど」

「いえ、そんな」

「言ってくれた方が、考える必要が無くて楽だわ。だから考えておいてね」

 彼女は可愛らしい顔を笑みにする。この笑顔を見たくて通う客の気持ちは理解できる。

 幸い、粗暴な客はほとんどいない。いるとすれば領主の次男坊だが、とりあえず紳士的な態度は保っている。無理矢理どうこうとか、そういうことはない。

 彼らにしてみれば、彼女の手料理を食べられるルド達は幸せだろう。

「か、考えときます」

 気恥ずかしくて頭をかく。幸せだ。幸せだと思わなければならない。幸せなのだから。

 アリサは奥にある台所へと向かう。夕飯の支度をするのだろう。

 本当に立派な子だ。幼くして母親を亡くしているから、実際の年齢よりもずっと大人びている。立派すぎて、手が届かない。

 ため息をついて、店の外を眺める。

 客足は途絶えたが、まだ閉店には少し早い──。

「まだ開いている?」

 声をかけられ、はいと跳び上がる。

 いつの間にか、身なりのいい十代前半の少年と少女がいた。

「あら、ウルお坊ちゃま」

 アリサが声を聞いて戻ってきた。

 領主の次男坊ではない。時々やってくる、アリサの知り合いらしい少年だ。

 一度見たら忘れられない美少年で、手足が細く、いつもこの店で仕立てた上等な服を着ている。

 今日は女の子を連れていた。こちらもなかなか可愛い子だ。ペアになっている服を着ているので、男女の双子のようにも見える。

 いつも同じ生地で同じようなデザインで、男の子と女の子の服を作っていくのは、これが原因なのだと初めて知った。

「今日は新しい子が一緒なんですね」

「うん。リファっていうんだ」

「体型が同じぐらいなんですね」

「そうだね。ところで、ちょっかいをかけられたみたいだけど、どうする?」

 ウルが首をかしげて問う。アリサにあった何かを見ていたのだろうか。

「どうもいたしません。可愛らしいじゃないですか。息子を心配する母親の凶行って、なかなか滑稽ですのよ」

「君の趣味はよく分からないね」

「でも、二度目の時はお願いいたします。あまりウル坊ちゃまの楽しみを奪っては申し訳ありませんもの」

「楽しみじゃないよ。ボクの楽しみは、ここで可愛い服を作ることかな?

 今日は新しい服のデザインを相談したくって。いつもセットで作ってるけど、それを二組にして欲しいんだ。同じドレスを同時に着たり、可愛いでしょ?」

「ええ、ウル様は男の子の格好も女の子の格好もとてもよくお似合いですもの。

 そちらの子も男装をさせるのですね。きっと可愛らしいわ。

 ああ、ちょうど上等の生地が手に入ったから、ウルお坊ちゃまにも見ていただきたかったの」

 お坊ちゃまは実はお嬢様だということだろうか。女の子の男装は珍しくない。

「リファよかったねぇ。この店の職人は腕はいいんだよ。アリサがいいって言うものは本当にいいんだ」

「そんなに信用なさっているんですか? じゃあ、どうしてお屋敷に置いておかないんです?」

「だって、昔からこの土地で商売している仕立屋なんだもん。ボクが囲っていたら意味がないよ。仕立屋をやっていてこその仕立屋なんだから。ボク専用なんてつまらない」

「そっか。ウル様かしこーい」

 何が賢いのか理解できない。とにかく、いかにも裕福層のお坊ちゃまは、仕立屋を召し抱えられるほど裕福で、なのにわざわざここに通っているようだ。

 本当に召し抱えようという気はないらしく、頻繁に来る奇妙だがいい客である。

 なにせ納期は指定しないし、無茶な注文はしないですべてこちらに任せて、しかも金払いがいい。そして何よりも大切なのは、文句を言わずに喜んで服を着てくれることだ。

 しかも顔立ちが整っているから、何でも似合うのだ。

 二人が騒いでいると、奥からこの店の主、アリトがエプロンを外しながら出てきた。

「おやおや。賑やかだと思えば、ウル様。ようこそおいでくださいました。誰か、お茶を二人分用意してくれ」

 誰かが準備していたのだろう。商談用の席に座ってもらうと、お茶と菓子はあっという間に出てきた。それだけウルが特別な客だということだ。

「このお茶美味しいね」

「美容にいいらしいですよ。そろそろいらっしゃると思ってたから、奮発しました」

「そうなんだ。いい子だね、アリト」

 ウルとリファはよく似た風にくすくすと笑う。

 上客だが、とても不思議な子達だ。

「アリサ、お腹すいたから夕飯食べてく」

「あらあら。まだ何も用意してませんのよ? いっそ、外に食べにまいりますか?」

「別に美味しければいいよ」

「はい。近所の食堂がとっても美味しいんです。庶民的な味ですが、ウルお坊ちゃまならお気に召してくださいますわ」

「じゃあ、アリト、宿の手配をして。忙しかったら他の誰かに頼むけど」

「構いませんよ。夕飯はうちの連中もご一緒しますが、よろしかったですかね」

「かまわないよ。ボクは寛大だから」

 尊大の間違いな気はするが、金持ちの割に庶民を見下さないのは彼の良いところだ。



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