10秒の彼女
14歳の誕生日、ぼくは「時間を10秒間巻き戻す」能力に目覚めた。超能力が発現したということに対して最初は喜んでいたが、少し経つとどうにも使いにくい能力であること気がついた。10秒前に戻ったところで何の得もないということがだんだんわかってきたのだ。
これが1日とか、せめて1時間であれば色々なことができるのかもしれない。テストの問題を見てから勉強するとか。だけど、10秒では全く役に立たないのだった。ぼくは消しゴムを落としたら10秒前に戻って落としたという事実を変えることによって消しゴムを拾うとか、じゃんけんに必ず勝利するとか、そういう地味な方向性で能力を活用していた。
そんなある日、ぼくに好きな女の子ができたのだった。同じクラスの委員長のエヌ子さんだ。エヌ子さんは奇天烈な名前ではあるものの、頭脳明晰、容姿端麗な美少女女子中学生であった。ある日偶然一緒に下校したときに話が盛り上がったので好きになってしまった。
ぼくはある日告白しようとエヌ子さんを中庭に呼び出した。「好きです!」ぼくは唐突に切り出した。「だから付き合ってください!」と言ってぼくは直角に頭を下げた。ぼくは直情的なおとこだったのでこういう時には直角に頭を下げて真っ直ぐに交際をリクエストするのが良いと思っていたのだった。
その瞬間だった。ばーんという大きな音が後ろから聞こえて、その瞬間に頭上を何かがかすめるのを感じた。頭を上げるとエヌ子さんの制服の胸のあたりに小さい穴が空いているのが見えた。その穴からみるみるうちに血がぶわっと広がった。エヌ子さんは狙撃されたのだ。
「エヌ子さん!!!」ぼくは叫んだ。エヌ子さんが狙撃されてしまった。ぼくの好きなエヌ子さんが倒れてどばどばと血を流している。人生ではじめて狙撃される現場に出くわしたのでぼくはどうすればいいのかわからずただただエヌ子さんの名前を繰り返し呼んでいた。「エヌ子さん!!!」
その時に気付いたのだった。ぼくには力がある。このエヌ子さんが撃たれる10秒前に戻ってエヌ子さんを助けることができる。ぼくは眉間に力を込めて10秒前に戻った。
「好きです!」
ぼくはそう言った瞬間に巻き戻った。目の前には撃たれる前の何も知らない彼女が立っていた。胸に穴が空いてもいなければ、血も出ていない。ぼくはそれを確認してほっと一息をついた。「よかっt」まさにその時再びどーんと音がした。それだけじゃなく今度は首を貫く鋭い痛みを感じた。
「おおあ」
声にならない声が出た。首から猛烈な勢いで血が出ているのを感じる。肩から下に生温い液体が垂れていくのを感じる。エヌ子さんの悲鳴を遠くに感じる。視界は既にホワイトアウトしている。やらなきゃいけないことは明確だ。ぼくは遠のく意識の中で眉間に力を込めた。リセットしなければならない。
「好きです!」
三周目だ。ぼくは考える。このままだと一秒後には狙撃されてしまう。それを避けるためには頭を直角に下げてエヌ子に交際を迫ったり、横に飛んだりして狙撃を回避しなければならないが、狙撃を回避してしまうとその銃弾がエヌ子さんに当たってしまうのだ。まさに将棋でいうところの王手飛車取りのような状況である。
10秒前にはいくらでも戻れる。この事態を回避するためにはどうしたら良いかを考える。まずは情報が必要だった。ぼくはこの10秒間に関しての情報を集めることに決めた。しかしぼくが撃たれて即死してしまったらおしまいだ。物事は注意深く進めなければならないだろう。申し訳ないが情報を集めている間はエヌ子さんに撃たれ続けてもらう必要があるだろう。
「付き合ってください!」
僕は銃弾から避けるために直角に頭を下げた。エヌ子さんが撃たれる。ぼくは後ろを振り返る。学校の校舎があった。そしてその二階の窓には高雄君いた。高雄くんは右手の親指と人差し指で銃の形を作っていて、こっちを向いていた。
ここからわかることは3つあった。狙撃をした犯人は高雄くんであること。高雄くんは手からエネルギーか何かの弾を射出できる能力者であること。そして高雄くんが狙っている相手はエヌ子さんではなくぼくであること。
高雄くんはぼくに恨みを持っていたのだった。高雄くんはとても頭が良いCIAのエージェントだったのだけれど、ぼくはある日高雄くんがCIAのエージェントであることに気付いて、それをクラスのホームルームでばらしてしまったのだった。
先生は「中学生はバイトをしてはいけません。」と高雄くんがCIAのエージェントをして稼いでいることを問題視し、結局高雄くんは米国政府からクビになってしまったのだった。ぼくはそれを申し訳ないなと思ってはいたのだけれど、でもCIAのエージェントであることを隠しきれなかった高雄くんにも責任があったと思っている。
高雄くんが素手でエネルギー弾を発射できる能力に目覚めているのであればCIAからスカウトされるのも頷けるところである。すべてが繋がってきた。時間が来たのでぼくはリセットする。
「好きです!」
犯人がわかったところで、次に二人とも撃たれない未来に到達できるかどうかを試してみることにした。まずは横に飛ぶのを試してみる。ぼくは思いっきり横に飛んだ。エヌ子は「好きです!」と自分に告白してきた男が、すぐに続けて横に飛んだことに対してかなりびっくりしたようだったが、すぐに撃たれてそれどころでもなくなったようだった。エヌ子が撃たれてしまった。失敗である。リセット。
「好きです!」
前に飛ぶことにした。エヌ子を押し倒す形になった。エヌ子は「好きです!」と自分に告白してきた男がそのまま自分を押し倒してきたことに前回とくらべて30%増しくらいでびっくりしたようだった。しかし今度はぼくの背中に着弾した。これまた致命傷だ。やれやれ、ぼくはリセットした。
「好きです!」
逆にエヌ子の胸ぐらを掴み後ろに倒れる。エヌ子に着弾する。これもダメであった。リセット。
「好きです!」
「好きです!」
「好きです!」
ありとあらゆる方向に回避するのを試したが、すべてのパターンでぼくかエヌ子かどちらかが致命傷を負うことが判明したのだった。ぼくはどうすればよいか悩む。繰り返し繰り返し致命傷を追いながら、ぼくはだんだんと冷静に考えられるようになってきた。
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
ぼくには2つの道があった。一つは直角に頭を下げたり、横に飛んだりすることでぼくは銃弾を回避し、エヌ子を犠牲にしてぼくが生き延びるという道。もう一つはぼくが銃弾を受けることによってエヌ子に生き延びさせるという道。
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
ぼくはどちらの道を選択するべきかということについて思い悩んだ。深く深く考える。おそらくこの選択はぼくの人生の中でもっとも重大な決断になるのだろうと思う。ある日突然こんな重大な決断をすることになるなんて思いもしなかった。ぼくには全く心の準備ができていなかった。
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
何度も何度も繰り返して思考の時間を稼ぐ。もう何百回か繰り返しただろう。痛みは思考を鈍らせ、決断をぶれさせるので、思考の間はエヌ子さんに繰り返し撃たれてもらうことにした。告白の直後に反復横跳びをするぼくに対してびっくりした顔を見せるエヌ子さんを見つめ続けながら、撃たれて呆然とするエヌ子さんを見つめ続けながらぼくは考える。
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
何千回ほど繰り返した時にふと疑問に思う。エヌ子さんはぼくのことをどう思っているのだろうか?ぼくはエヌ子さんに告白したわけだが、果たして狙撃されなかったとしたらエヌ子さんはぼくの告白に対してOKと言ったのだろうか?それとも拒絶したのだろうか。
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
ぼくはエヌ子さんに直接返答を催促してみる実験を繰り返すも、ぼくが撃たれたパターン、エヌ子さんが撃たれたパターンの両方において10秒以内に返答が得られないということがわかった。ありとあらゆる文言をテストしたものの、すべてのパターンにおいてぼくが狙撃された場合は悲鳴をあげ、彼女が狙撃された場合には声にならない呻き声をあげるだけだった。確かに狙撃された直後にそんなこと言われても困るというものである。
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
あるときエヌ子さんが携帯を持っていることがわかる。それは数万回目くらいのリセットで、エヌ子さんを押し倒しつつ告白の返答を催促するパターンの実験中だった。制服のポケットに固いものがあるのに気づいたのだった。携帯は4桁の数字のパスワードロックをかけられていたが、そんなものは関係がなかった。ぼくはいろんなパスワードを試すことができる。時間だけは無限にあるのだ。ケータイを覗くことで何か彼女についてより詳しく知ることができるのではないか。
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
ぼくは1万通りのパスワードを全て試し、ようやくエヌ子さんの携帯のロックを解除することに成功した。そしてエヌ子さんには悪いが携帯の中のすべてのメール、メモ、カレンダーなどを順番に10秒の間に読める限り読むということを繰り返しながらエヌ子さんのことを知っていった。
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
エヌ子さんの日記アプリで書いていた日記や、友達に対するメールなどを総合して判断する限り、すごく控えめに見積もってもエヌ子さんはぼくに対してかなりの好意を抱いているということが分かった。初めて一緒に帰ったあの日、日記にはぼくに関して「やっとちゃんと話すことができた、うれしい!」と書かれていたし、友達に対して好きな人ができた云々というメッセージを送信していたし、ネット上の質問サービスに「好きな人ができました・・・・どうすればいいですか・・・?」と投稿もしていた。そしてその投稿に描写された「好きな人」というのはぼくとしか思えなかった。
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
これは困った。もしもエヌ子さんがぼくのことを好きじゃなかったらぼくは絶望してエヌ子さんを守りながら潔く死ぬことができただろう。「君がいない世界なんてなんの価値もない!」とかなんとか考えながら。しかしエヌ子さんもどうやらぼくのことが好きらしい。これは非常に厄介だった。余計死にづらいし、死なせづらい。そして繰り返せば繰り返すほどエヌ子と過ごした時間は長くなり、エヌ子への思いも募るのだった。そしてぼくはエヌ子さんに心の底から謝りながら一回だけおっぱいを揉んだのだった。
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
何回繰り返しただろうか?ぼくはある変化に気づいたのだった。顎から、髭が生えているのだ。これは重大な変化だった。ただ髭が生えてきたわけじゃないのだ。なぜならぼくはこれまで髭が生えていなかったのだから。
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
これは何を意味しているのだろうか?明白である。ぼくはリセットする度に成長しているのだ。体は連続してちょっとずつ成長している。こんなに長い間同じ時間を繰り返したことはもちろんなかったので気が付かなかったが、リセットしてもぼくの意識だけが元の時間に行くわけではなかったのだ、体全体が元の時間に戻るのだった。
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
その事実に気付いたとき、ぼくはこれからどうするかを決めた。エヌ子と共に一生を過ごすのだ。何度も何度もこの10秒を繰り返して、エヌ子と一緒にずーっと生きて、80歳になったらエヌ子の側で死ぬのだ。
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
ある時、とある角度でとあるダジャレを叫びながら倒れた時のみエヌ子は打たれるものの悲鳴をあげないということが判明した。そのパターンに持ち込むことで一往復だけだがエヌ子と会話ができるということがわかった。ぼくは泣いた。
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
それからぼくはエヌ子とありとあらゆる会話をした。一往復だけなので会話を深めることはなかなかできなかったが、ぼくはありとあらゆるステートメントを実験し、エヌ子はそれに応えた。気分転換にぼくは自分のケータイでネット経由で小説を読むことを覚えた。この10秒の世界も意外と広くて、ここで生きると決めてしまえばそれはそれでなんとかやっていけるものだった。
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
1年くらいぼくは変顔の練習をして、後ろから狙撃した高雄くんを笑わせることに成功したのだった。はるか昔に高雄くんのせいでこの10秒間に閉じ込められたわけだが、今となってみれば高雄くんもこの世界における重要な構成要素の一つだった。自分の行動によって反応が変わる要素というのは貴重な資源なのだ。ぼくにとっての人生はもはやそういうものに対していろんな刺激を入力し、反応の変化を楽しむということなのだった。
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
エヌ子と突然会話ができなくなった。理由は明確だ。ぼくが完全に大人になってしまった。告白されたと思ったら突然大人の体に変身したぼくに戸惑って反応が変わるのもわからなくはないだろう。ぼくはまた泣いた。
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
この10秒の世界の中で、ネットはぼくにとっての救いと言えた。もしぼくの右ポケットの中に高速回線のスマートフォンが入っていなかったらぼくは今とくらべてずいぶんと退屈していただろうと思う。幸運なことにネットは自分が一生かかっても読みつくせないほど広大なのだった。ぼくは日本語のネットを隅から隅まで読み尽くして、20代を過ごした。
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
新しいことに挑戦しようと思い、英語を勉強しはじめた。世界は更に広がった。
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
世界は多様だった。ぼくは好きな女の子と一緒に贅沢に時間を過ごしていったのだった。いつも驚いたり痛そうだったりするけれども、そこもまた可愛い。考えようによってはこれはものすごく平和で、ものすごく贅沢な世界なのだった。
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
中国語とイタリア語、フランス語を習得し。過去の偉大な哲学者のテクストを読み、ぼくは生や死について閉ざされた世界で思考を続けた。もはや僕は中年のおっさんで、白髪も増えてきていた。
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
死期が近いのを感じる。最後にラテン語について勉強をすることに決めた。古い文章を原著で読みたかったのだ。
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
「好きです!」「好きです!」「好きです!」
あるとき、突然目眩がして倒れた。彼女は撃たれる。
リセットをしようとするが集中ができなくなっていた。
寿命の限界が来たのだ。走馬灯が見える。
走馬灯とはいえだいたい同じシーンなのだが。
10秒が経つ。もうあの瞬間には戻れなくなる。
とてもいい人生だった。
はじめて小説を書いてみました。