傾国2
非人道的な表現が有りますので、苦手な方やお子様はご遠慮ください。
傾国の続きですので前の話を見ないと分かり辛いと思います。
「……殿下は眠ってしまわれたようだな。丁度良いだろう。コンスタンティン、殿下を馬車へ。ここではゆっくりとお休みになることも儘ならない」
「は、畏まりました」
オルトールが部屋の外に控えていた己の忠臣にそう命じると、彼は素早く部屋に入り殿下を抱きかかえた。その様子にオルトールは満足気に頷くと彼に目で行けと合図をした。
無理矢理にでも我が許へお越し頂く予定ではあったが、意識を失ったのは好都合だった。抵抗がない今の内に馬車に詰め込んでおけばいい。そうして屋敷に連れ帰り、支配者としての完璧な教養と身分を与えよう。折角見付けた私の殿下だ。私の主人として相応しい様に育てなくては。
オルトールは見る者に不安を与えるような暗い笑みを浮かべた。
「くれぐれも丁重に扱え」
「心得ております」
オルトールは忠臣のその言葉に目を細め、足早に馬車へと向かう彼を見送ると獣のように煩く唸るオーギュスタへと向き直った。彼のその表情は殿下へと向けていた憐憫の情など一切なく、ただ醜い女を嘲る嫌らしいものだった。
「少し黙っていてくれないか、オーギュスタ。今そのような体でお前に何ができるというのだ。どうせお前は明日にでも死ぬだろう。そうすれば殿下はどうなる。このような汚らわしい場所で生きていけると思うのか。ただでさえ今にも亡くなられてしまいそうな程、衰弱されているというのに。そうしたのは誰だ。非力で何も出来ない貴族の女が一人。落ちぶれスラムの片隅でひっそりと息を引き取ったとしても、もはや私には何の感慨もない。ただ殿下は違う。あの方は私のものだ。誕生されてから14年もの間、お前は私からあの方を奪っていたのだぞ。その罪はとても重い。もういい加減に返してもらおうか」
本来であれば殿下は、王宮で健やかに成長されるはずであった。オルトールが彼の教育係となり、帝王学や経済学など様々なことを教え導き、そうして将来はこの国を統べる王となった彼の隣に腹心として立つはずであったのだ。それがどうであろうか。殿下を宿した女にまんまと逃げられた挙句、父からは見放され周囲には嘲りの笑みを向けられ、終いには薄汚い下級貴族の女が産んだどこぞの馬の骨の血を引いた赤子とその後見人に地位を奪われと散々なものだ。しかしそれも今日で終わりだ。これから復讐が始まるのだ。
ぴたりと静かになったオーギュスタを一瞥し、オルトールは部屋の外へと足を向けたが、ふと再びオーギュスタへ向き直った。
「ああそうだ。言い忘れていたが、ここはもうすぐ燃えるだろう。私からお前への最期のプレゼントだ。ディズール侯爵からも直々に頼まれているんだ。我が家の娘はとうに死んだ。愛娘と同じ名の娼婦など跡形もなく焼き殺してくれないかとね。今迄散々と格式ある家名を汚してきたのだから、最期くらいは役に立てて嬉しいだろう」
そう言い残すと今度こそオルトールは部屋を後にした。悍ましく暗い笑みを浮かべ、意気揚々とアパートの前に止まっている馬車へと向かい、扉の前に立っている己の忠臣コンスタンティンに声を掛けた。
「殿下はどうだ」
「眠っていらっしゃいます。ですが一刻も早く屋敷へお連れするべきかと」
忠臣が馬車の扉を開けるとオルトールはそれに乗り込んだ。既に馬車へとお連れした殿下の顔色は青白く、お世辞にも具合が良いようには思えなかった。痩せ細った筋ばかりの体では、さぞやこの冷たさは辛いものだろう。正直に言えば、この有り様で今まで良く生きていたものだと感心する。そっと触れた頬は血が通っているのかと思うほどに冷たかった。
「分かっている。あちらはどうだ」
「すでに準備は終わった様子。こちらも時間は無いかと」
オルトールは着ていたジャケットを脱ぎ、殿下に与えていたコートの下にそれを忍ばせた。コンスタンティンが思わず閣下と咎めるように声を掛けたが、彼はそれに軽く首を振って答えた。
「大事ない。どうせすぐに熱くなる。それより出発するとしよう」
「は、畏まりました」
コンスタンティンは馬車の扉を閉めると、その場に控えていた数名の部下たちに出発せよと命令した。馬車が動き出すのを感じるとオルトールは、左隣に座っている殿下の頭に手を当て、己の膝にそれがくるように彼の体をそっと倒した。それから彼の体が少しでも温まるようにと優しく擦って差し上げた。
「もう暫くの辛抱です殿下。すぐに温まりますから」
ちらりとオルトールが後ろにある窓をカーテンの隙間から覗くと、先程までいたアパートから轟々と炎が踊っていた。