やんごとなき出会い
文化祭の喧騒が背後へ遠ざかっていく。
こうやって客観的に耳にするとウチの文化祭もそれなりに賑わっていたようだ。ますます、もうあの場に僕の居場所が無いのかと思うと少しやるせなくなる。
「えっと、こっちの方が近いのか?」
眼前にある脇道。裏門から出たことなど無いからこのあたりには詳しくないが、方向で考えればここに入るのが最短ルートのはずだ。
僕は少し考えてから、その随分細いわき道へと踏み入る。
雨水用の排水溝に沿うように続く道は舗装もされておらず頼りない。道幅も人二人がすれ違えるかどうか程度で、両脇を高い塀に挟まれているために随分圧迫感がある。
「これは……行き止まるかもしれないな」
父との約束の時間は10分間。さすがにあの親でも少々遅れたくらいで怒りはしないだろうが、迷子になって30分も遅れれば顔を真っ赤にして怒鳴りちらすだろう。
引き返したほうがいいかな。
振り返って確認してみるが、脇道の入り口はまだそう遠くない。あそこが出入り口だと判明してから引き返すのは嫌だなしあ。
なんてくだらない事に頭を悩ませていると、少し行った曲がり角の向こうから話し声が聞こえてきた。
「本当にこっちで合ってるのかい?」
「まー大丈夫だろ。あんずがここ通って来いっつったんだぜ?」
「確かに彼女の言うことなら信用できるけど、凄く行き止まりくさくなってきたよね」
「だーいじょぶだって」
声の主達もどうやら道の行く末に思いをはせているようだ。
反して僕は安心していた。向こうから人が来ると言うことはこの道は通り抜け出来るってことだ。向こうとの間にデカイ壁でもあれば話は別だけど、まあないだろう。
前方から届く声は両方とも男性の物だ。少なくとも僕より年上のような気はするが、正直声だけで年齢を当てる自信はない。
「あ、角だよ。曲がってすぐ行き止まりとかじゃないと良いけどね」
「そのときはよじ登るしかねえな」
「壁を?」
「塀を」
登るときはお前が下な。
とか言って笑いあいながら、ついに男たちが曲がり角から姿を現した。
予想通り声の主は二人の男。
そのうちの、やたらと品質の良いシャツに黒のスラックスを履いた男が僕のほうを見て少し驚いた。この服装で真面目そうに見えないのは、きっと引っ掛けられただけの状態になっているネクタイが一役買っているのだろう。
「おぉ、人がいるとは思わなんだ。ってことは行き止まりの線は消えたな」
「彼が引き返して来たんじゃなければね」
なるほど。
と、僕はポロシャツとジーンズを着た好青年風の男の発言に心の中で頷く。
確かに対面から人が来たからって行き止まりじゃないってことにはならないよな。
少し行けば分かることではあるが、一応親切のつもりでこの道の先を伝える。
「行き止まりじゃないですよ。もう少し行ったらすぐ出口です」
「おぉ、サンキューサンキュー」
だらしない方の青年が礼を言うのを聞きながら塀によって道を空ける。
こういうのは出るほうが先だからな。まあ僕の視点から見れば僕も出る方なんだけど、あんまり急ぎたいわけでもないし。
むしろ積極的に遅れたいくらいだった。誰がせっかくの祭に家で勉強していたいと思うと言うのか。まあ父の命令に背く度胸は無いんだけど。
「ん? よく見たらそれ礼修高校の制服だよね」
礼修高校、僕の通う高校の名前だ。
年齢的に僕が高校の制服を着てるのは別に変じゃない。だから興味をもたれたのは別の点だろう。
「そうですが、それがなにか?」
「いやどうってわけじゃないんだけど、礼修高校って今日文化祭だよね。帰るの?」
「……や、ちょっと用事で」
ポロシャツの青年が少し怪訝そうに隣の青年に視線を送る。
だらしない方の青年は黙って首を振った。それで何が伝わったというのか、再びポロシャツの方が話し始める。
「ちょっとした用事なら後回しにして文化祭を楽しめばいいんじゃないかな? 実は僕らも今からそっちの文化祭にお邪魔しようと思ってるんだけどね」
「いや、大事な用事なんで」
「文化祭より?」
「……はい」
そう、何より大事な用事だ。
ただし僕の親にとっては、だが。
ポロシャツの視線に耐えられなくなって下を向く。つま先しか見えない。
靴の底で地面を踏みにじってみても、土の擦れる音しか聞こえない。
「ところで少年」
だらしない方の発言。
「なんですか」
「お前、ひどい顔だな」
「……は?」
なんか、馬鹿にされたぞ?
唖然として顎がストンと落ちる。開いた口が塞がらないってのはこのことだ。
「ひどい顔だってんだ。ひどくつまらなさそうな顔をしてる」
「え」
「何かあったのか? いや、あったんだろう」
なんだこいつら。
疑問に次いでの断定。僕が落ち込んでいるのを分かった上でそれを尋ねる暴挙。普通の人ならここまで踏み込んでこないだろ。
ズカズカと人の事情に踏み入る姿は眼前の二人に共通していた。不思議なのはその両方が大して不快じゃないことだ。
だけど僕の悩みは人に話したところで意味なんかないんだ。誰も僕を救うことなんて出来ない。
だって両親の言う事は正しいから。誰も正論には勝てないんだ。
「どうだ? 俺達に話してみる気はないか?」
「いえ、遠慮しておきます。それより僕、急いでるんでそろそろ」
「そうか、残念だ」
僕は少々無理やり気味に青年二人とすれ違う。
おかしな会話をさせられたせいで家に帰る足が一層重くなった気がした。
帰ったらまた勉強か。いや、勉強自体は別にいいんだ。特に嫌いってわけじゃないし。ただ、文化祭くらいは楽しみたかったなってだけで。
「なあ少年。最後に一つ」
「……なんですか?」
僕は振り返りもせずに答えた。
「文化祭に行きたくないわけじゃないんだよな?」
どういう意図の質問だ?
いずれにせよ、行けもしないのにその質問に答えるのはひどく億劫だ。
叶わない夢を語り続けるようなものじゃないか。
「さあ、どうなんでしょうね」
「そうか」
答えたときにはもう歩き始めていた。青年たちが追ってくる気配は無い。
もう青年は話しかけて来ないし、僕を引き止めない。
ただ青年は溜め息をつき、指示した。
「隼斗、お客様をご案内だ」
「了解だよ」
そして突如、口元に走る引き裂かれるような痛み。
いたい! なんだ? 猿ぐつわ!!?
いつのまにか手首も縛られている!
「ふぁふぃすんふぁ!! ふぁふぁふぇ!!」
青年達はそのまま僕を肩に担いだ。
やばい、このままじゃ拉致られる! 拉致なんて遠い世界の話だと思ってた!!
っていうかなんで拉致られなきゃならないんだ!? もう解散ムードになってただろ!!
「そんなに暴れるな。誘拐犯に抵抗してまで家に帰りたい理由なんて無いだろ」
ふてぶてしい方の青年が言う。
全く理不尽な言い様だった。
全て自分が正しいと確信しているような。自信に満ち溢れた態度。
ふと、自分にはないものだ、と感じた。
自分が完全に正しいと思えるほどの自信は、つまるところ全ての発言を正論に変える力を持っている。
僕は少し考え、体の力を抜いた。
誘拐されたんなら仕方ない。家に帰れないのも頷ける話だ。
§
「ありがとうございましたー!」
しんどいっ!!
なんだこれ! 俺の仕事量尋常じゃないだろっ!!
「ほら義光君、午後ティー残り少ないわよ。補充して」
「委員長厳しい!」
言いつつ俺は午後ティーのダンボールを開封して冷蔵庫にぶっこんでいく。
これがまた結構しんどい。水分ってのは案外重いもんなんだな。ダイエットしたい女子は今すぐ乾燥したらいいと思うぞ。
ダンボール1箱分のペットボトルを冷蔵庫につめ終え、空になったダンボールを丁寧にたたんでゴミ箱に放りこむ。
ふう、一仕事だぜ。
あぁ喉渇いた。飲んでもいいかな。いいよな。
カチチっと新品のペットボトルが開く音がして、委員長に殴られた。
「また勝手に商品開けて!! 篠田君はもっと真面目に働いてたわよ!」
「委員長、朝の喫茶店と昼の喫茶店を一緒にしちゃだめだ」
ちょっと喉渇いたなー、気分で来る客と腹減ったぜひゃっほー、気分の客とでは活きが全然違う。実際タスクが店番してた時間帯の3倍は売ってるはずだ。さすが俺!
殴られるだけなのも納得いかねーので開封した紅茶家伝を豪快に飲む。廊下から俺の飲みっぷりを見た少年が物欲しそうに来店した。
見ろ、このCM効果を。
「仕事してよ」
またバキっと殴られる。飲んでる途中に殴るもんだからちょっと鼻に入っちゃったじゃねーか。小学生の頃にプールとかで感じた懐かしい感覚が俺の鼻を包む。
「げほっげほっ!!」
飲食店で咳き込むというあるまじき行為!!
やべえこれはまた殴られる! と、頭をガードするが予想していた衝撃は来ない。
「委員長? ん、何見てんの?」
おっかなびっくり様子を伺うと委員長の視線は教室の入り口に向かっていた。なんとなく俺もそっちに目がいく。
すると丁度ドアの向こうを男女が通っていくところだった。
「こっちこっち!! りんご飴買おう!!」
「ちょっ、待てって。それに高校の文化祭だぞ。りんご飴なんて置いてあるはず無いだろう」
「文化祭の可能性をなめちゃいかんよ!!」
「うちの文化祭にそんな期待しちゃだめだ」
可愛い女の子と、タスク?
……なに!? あの野郎彼女なんかいたのか!? ちくしょう許せねえ!!!
「おい! 今のタスクだったよな!! 隣の女子は誰だ!?」
あんなレベル高い女子見たことないぞ!
隣でレジを打っていた友人に尋ねる。大丈夫、俺は冷静だ!!
「え、いや、知らねえけど。なんかトリトリのボーカルに超似てなかったか?」
トリトリ、正確にはトリックオアトリートというバンドは、最近グイグイ来てる超ホットなバンドだ。演奏もカッケぇんだけどメンバーのヴィジュアルも良いってことから人気沸騰中! よろしく!!
「莉奈たんにクリソツだと!? やっぱり超可愛いんじゃねえか!! 妬ましすぎるぜタスク!!」
後で事情を聞かねば。ただの知り合いとかだったら紹介してもらおう。
よしんば彼女だったとしてもムカツクから別れさせてやる!
「あなた達さぼってんじゃないわよ」
と、いつの間にか仕事に戻っていた委員長のお叱り。
なによー、委員長も見てたくせに。良い子ぶってんじゃないわよー。
「なにか文句あるの。義光君」
「ないッス」
俺の不平を目ざとく捕らえた委員長に降参の意を示してから仕事に戻る。
まあ、そこそこに頑張ろう。文化祭はまだまだ続くんだしな。
義光は苗字です!
委員長と義光が特別親しいわけではないのです。きっとそうです。
というのはおいといて、ここまで読んでいただいてまことにありがとうございます。
なんか根暗な展開にしちゃったせいでモノローグがのっぺりしちゃっていますね。反省です。
では、また次回も読んでいただけるとうれしいです。




