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魔法

俺はパンドラの匣を開けてしまったらしい。


『私も一人寝は淋しいわん』


へへーイは話せることがバレたせいか箍が外れたように喋り始めた。


「寝室には入れん」


『なんでだよ!自分だけ巨乳エロフと猫耳少女とギシギシアンアン隣の部屋まで響かせやがって!壁が薄いから音も振動も丸聞こえなんだぞっハアハア…!おれっちの竿ならぬ柄も少しは突っ込ませ…』


カーン


『ぐはああ』


「それは悪かったな」


ということで隣室の壁に立てかけてあるだけだったへへーイをロッカーにしまった。


防音設備とかあれば良いのに。


『監禁…密室…こうして私は性の奴隷に…』


「勝手にやってろ」


『SMプレイならおれっちお任せ…!』


ガチャン


『なんと!扉を締めたらミナリー姐さんの衣装が見えないじゃないか!もっと光を!』


「却下!」


ゲーテに謝れ!


あの変態をミナリーの服と同じ空間に置いておいていいのか少々不安だが、ミナリーの服はロッカーの右はじにピッタリ寄せてもらい、へへーイは左の壁に仰角大きめに立てかけてある。


触れることすらできまい。


しかしそんな俺の甘い推測は、明朝ロッカーを開けた瞬間ミナリーの服をくんかくんかしているへへーイを発見して砕け散った。


「どんな力が働いたらあの角度から右に倒れるんだよ!物理的に不可能だろ!」


『愚か者め…これぞおれっちの必殺技、強靭な背筋で海老反りイントゥパンティー!!』


「なん…だと…?」


『まだまだ!か~ら~の~ウェルカム!グッドスメリングパンティー!!』


「グハッ…なんてヤツだ…垂直抗力も摩擦力も無視して…なわきゃねぇだろ!!」


『イタイタイタイタ!!連続で叩くな!おれっちの鋼の肉体が!…刃金なだけに…むふっ』


「上手いこと言ったつもりか!全然上手くねえから!」


つ、疲れる…!


しかし背筋疑惑といい、ヘヘーイは物理的にも普通の剣ではないのだろうか?


動かれたり、ましてや神聖な閨を覗き見されたらかなり困るんだが…。


徹底的に検証しよう。


『いてぇーよ!!何回二階から落とせば気が済むんだよ!おれっちは子ライオンか!逞しく育っちまうぞ!』


「うん、やっぱり物理的には普通の剣と一緒だな」


それから、本当のライオンは子どもが崖から落ちると助けるんだぜ。


何か似たような諺が翻訳されたんだろう。


その後様々な物理実験を行った結果、やはりヘヘーイは平常時においては喋ること以外他の剣と同様と判明した。


つまり、動いたり背筋が存在することはない。


「本当にお前は何を原動力に動いたんだ」


『そこにパンティがあったから』


「気合いかよ!てかそのドヤ顔やめろ!」


何もないところに力が働く原理はなんだ、磁場でも発生したか?この山は富士の樹海か?フレミングの法則か?


…とまで考えてここが魔法が存在する異世界であることを思い出す。


いかんいかん、また異世界ノイローゼになるとこだった。


にしてもコヤツどうしてくれよう。


「ご主人様、はやくはやく~!」


当のミナリーはダンジョンのことしか目にないようだ。


身体から滲みでているミナリーのウキウキ感を無視するのは忍び難く、まだグダグダ言い訳するへへーイをハンマーで黙らせ家を出た。


『ミナリー姐さんが走る度におれっちの身体をしっぽが撫ぜて…ハアハア』


「ミナリー、やっぱり今すぐヘヘーイを寄越せ。俺が背負う」


『邪魔をするな!このまましっぽりいかせてくれ!』


「オヤジか!」


「へヘーイ、ご主人様を困らせちゃめっ!」


『は~い、すみません…』


ミナリーが口をぷくーっと膨らませてへヘーイに怒っている。


可愛い…けど、俺もついついカーっとなって大人げなかった。


反省反省。


しかしやはりとんでもない剣を買ってしまったな。


へへーイが目の端に入ると、俺の頭の中で、海に捨てて~!という警告音が響く。


くっそ、もう少し切れ味が悪くて、ミナリーが気に入ってさえいなければいつでも投げ捨ててやるのに。


ハッハッハッ剣がゴミのようだ!


…ダメだ、ダメだ、冷静に。


『ぅう~なんだか身体が~い~たい~』


「…」


なんて胡散臭さ全開の演技なんだ。


こんな三文芝居に誰が引っかかる…。


「だ、大丈夫ですか?」


エリーゼーーーー!!!


『ヒビが~うぅ入ったかも~。お手数ですが、治癒魔法をかけていただいて…ぐはあ~』


「ご主人様、ど、どうしましょう」


『ウ~ウオ~し~ぬ~』


無視しろ、と言いたいがエリーゼの心配そうな瞳に心が締め付けられる。


非情な人間に思われたくない。


「…診てあげてくれないか。ダンジョンで何かあったら困る」


「はい。ヘヘーイさん、生き物以外に治癒魔法が効くかわかりませんが、試してみますね」


『お願いしまっす!』


あいつ喜びで仮病忘れてるぞ。


エリーゼがミナリーの背中からへヘーイを外し抱えた。


『おお、これが聖なる二つの霊峰…!』


「エリーゼ、重いだろ。地面に置いたほうが良い」


『男の夢が詰まった神殿への参拝を阻むのか!おのれそのうち天罰が…ごめんなさい、だからハンマーはしまって下さい』


「…エリーゼとミナリーにセクハラしたら次はねえぞ」


へヘーイにしか聞こえないくらいの声で凄んだのだが、少し聞こえたのか、エリーゼがポッと頬を染めて俺を見つめてきた。


うん、俺もへヘーイのこと言えないな。


今すぐその二つの男のロマンへダイブしたい。


その様子にへヘーイはケッと舌打ちした。


完全に不貞腐れてやがる。


そんなへヘーイにも、エリーゼは優しく手を当てた。


「痛むのはここですか?」


『いや、もそっと下…』


「ここですか?」


『いや、もう少し上かな』


「ここでしょうか?」


『やっぱり下』


「こっちですか?」


「いや、上…そういう風に上下にこすって、うっい、いいぞ…上手だ、うあっで、出る!」


「バルス!!!」


滅びろ!!


思わず口から出てしまった呪文と共にハンマーを振り下ろす…はずが、目の前に青い光が放たれ、俺は急激な脱力感に襲われた。


「ご主人様!!!」


駆け寄るエリーゼの悲痛な叫び声を耳にしながら俺の意識は途絶えた。





どこまでも青い青い世界が広がっている。


澄み切った空間は波風の立たない湖面のようだ。


『…開いたか』


静寂に一滴の声が落ちた。


「誰…?」


『我はこの時を待っていた…この水底に祈りの光が届くことを』


凛と鈴が鳴るような声が身体に染み入る。


『人間よ、短き宿命を生きる弱き者たちよ…愚かでそれでも愛しい…』


声の感情が大きく震え均一な青の世界を揺るがす。


『…信じてよいか、お前を』


泣いてるんだ、このヒトは、世界を振り絞るように、泣いている。


「信じてください」


俺は強く言い切った。


そう言わなければならない気がした。


そんなに悲しく、苦しく、泣かないで欲しい。


耳が痛くなるような静謐の世界にフワッと空気の波が出来た。


風が笑った。






「ウホッ!」


「…気がついたかっ」


目を開いた瞬間に飛び込んできた男のムキムキの胸板に俺は思はず呻いてしまった。


「や、ヤリません!!」


「なんの話だ?まあいい。それより良かった、オヤジさん!気が付いたぞ!」


ガボさんは珍しく感情を露わにしてオズさんを呼びに行った。


…ここは、あ、オズさんの家だ。


「ぐおっ!」


そんなことを考えていたら、顔面に白いマシュマロが押し付けられた。


「…ヒック…ヒッ…ご、しゅじん、さまっ…」


や、柔らかくてプニプニ最高…だけど、このままじゃ窒息死する!我が人生に一片の悔いなし!…じゃなくて!


「…え、ふぃーふぇ…くふひぃ…」


そう訴えるとエリーゼは、ごめんなさい…!と顔から身体を離しはしたが、首に回した腕を解くことなく俺の身体に張り付いている。


というか、その目…。


「…どうしたんだ、そんなに泣いて」


激しく泣いていたのだろう、嗚咽を漏らす程に泣いているエリーゼを俺は初めてみた。


「ご、しゅじん、さま…が…いきて…ヒック…」


「ご主人しゃま~!!」


そこへミナリーが走って飛びついてきた。


「ぐほっ!」


「うわ~ん!死んじゃったかと思ったにゃ~!」


あーんあーんとミナリーも子供のように泣いている。


「ミナリーちゃんもエリーゼちゃんも一端離れて。お兄さん、身体何ともない?」


「ああ、大丈夫だ」


「良かった~。今ミナリーちゃんが呼びに行ってくれたお医者さまが来るからそれまで一応安静にしててね。でも本当に良かった、流石に死んじゃったかと思ったよ、僕も」


そう言うと、ミケは安心したように椅子に座り込んだ。


「拭け」


「ありがと~」


ガボさんが気遣うようにミケにタオルを渡した。


普段飄々としているミケが汗だくだった。


「いてててて…診るか返事をする前に馬に乗せて、挙句馬上から下ろしもせずに自分だけ家に駆けこむ奴隷がいるかっ!全く!だから儂ゃ獣人は好かん!」


「ごめんね~先生、僕がタイミング悪く主人が目覚めたことを教えちゃったから~。忠誠心の篤い奴隷なんだよ、ミナリーちゃんは」


「ふんっ、礼儀がなっとらん。…お主、何故半裸なのだ?」


「暑いから~」


「ばっかもん!!はよ汗を拭いて、新しい服に着替えんかい!!」


「ミケ、服を貸すから、部屋に行ってろ」


「は~い…あ…安心したら腰抜けちゃった~」


あははと苦笑いするミケにガボさんはハァとため息を吐くと小さな身体をかつぎ上げた。


「先生、あいつのことお願いします」


「やかましい、はよ行け」


「大丈夫だよ~、先生は天邪鬼だけど、根は優しいから~」


「黙らんかい!小童が!!」


ケタケタ笑うミケに、お前もいいかげんにしろと小言を言いながら、ガボさんは退出した。


「まったく!…で、お主も獣人混じりか?」


「いや、俺は違いますけど、ご存知なんですね」


「ふんっ、オズとは付き合いが長くてな。ガボは儂が取り上げた。で?調子はどうだ」


「至って普通です、何故倒れたのかもわからないくらいで…」


「歩いてみろ」


支えようとするエリーゼを手で制し立ち上がる。


「あ」


「ご主人様!」


立ち上がろうとした途端、急に自分の足が無くなったかのような感覚に襲われ、バランスを崩した。


「…疲労感や眩暈は?」


「ま、まったくありません。せ、先生、これはいったい…!」


「落ち着かんか」


これが落ち着けるか!


身体を動かそうとすると、まるで動かしたい部分だけ幽体離脱して、本物の肉体を通り過ぎてしまうようだ。


「これを飲んで少し休め」


先生から渡された薬をエリーゼが俺に飲ませてくれる。


労るように背中をさすってくれるエリーゼの手に、俺の心はようやく平静を取り戻した。


「さて、お主らの話では、こやつが魔法を使って倒れた、ということじゃったな」


ま、魔法!?


そういえば、倒れる直前に青白い光が見えた。


てっきりエリーゼが放ったものかと…。


「そこの奴隷はエルフじゃな」


人間に変装していたエリーゼの肩がビクッと揺れた。


「衰えたとはいえ、儂も若い頃は迷宮に魅せられ世界を旅した者の一人じゃった、オズと共にな。魔法の気配くらいわかる」


「そうなんですか」


オズさんも冒険者だったのか…うん、ランクAって言われても驚かない。


「お主、主人のこの症状に覚えはないか?」


「…はい、魔力を使い過ぎた時に似たような症状になることがあります。その場合は休めば良くなりますが…ご主人様は人間ですから…」


「そうじゃの…『我らが魔の器、白魔族に遠く及ばず。呪を喚べば即ち肉の内より滅す』…古代から魔法を使った人間でその場から生き残った者はいない。しかしこやつはこうして生きておる」


「では…」


「大丈夫じゃろう。ほれ、坊主。腕を動かしてみろ」


「…あ!動きます!」


先程までの違和感はさっぱり消え、難なく歩くことができた。


医者はこれ以上何もすることがない、と言いながらも、念のためと一通りの触診をし、念のためと飲み薬を渡してくれた。


「では、儂は帰るが、念のため、体調の異変を感じたらすぐに来い」


「はい、ありがとうございました」


こういう人をツンデレと言うのだろう。


オズさんや、ガボさん、ミケにお礼を言い、俺たちは帰宅した。


『おい!みんなーー!おれっちを忘れてはいませんかね!?おーい!』


…忘れてた。

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