第3話 大気の亡霊
お待たせしました第3話です。 バリトラとエアゴーストの対決の行方はいかに!?
一見長そうですが、1話のアニメを見ている感覚で結構サクサク読めちゃうと思います。
ではどうぞ~!
西のファームはこの地域最大のファームで、過去に何頭も名竜と言われるレース竜を輩出している名門だ。所属しているレース竜の数が最も多く、訓練設備や優れた人員が充実しているおかげで、大きなレースには必ずと言っていいほど西のファーム所属の竜が出場しては結果を残している。
「今日、ウチの連中を負かしたバリトラに会ったわよ。訓練で」
夜。西のファームのひときわ大きな厩舎の中で、エアゴーストが今日あったとこを誰かに話している。
「大したことなかったわね。楽勝よ」
「そうか。じゃあ、あいつらが負けたのはやっぱり」
「ええ。あの子たちが負けたのは焦って作戦通り飛ばなかったせいよ完全に。言われた通りやってれば負ける相手じゃない。バカねぇあの子たち」
「まあ、そう言うな。過ぎたことはしょうがない」
エアゴーストと話をしているのは琥珀色をした大きな雄竜だ。窓から射す月明かりの下で、平均的なドラグレッドより一回り大きな体を堂々と寝そべらせて話をする姿は、一目見てここの主のような存在だと感じさせる。
「あいつらだって反省してる。次はちゃんとやるだろ」
「だといいけど。でも、今日あの坊やにいろいろ仕込んじゃったからもう勝てないかもね、あの子たちじゃ」
「おいおい、どっちの味方だお前は」
「でもその方が狩りを楽しめるんでしょ?あなたが教えてくれたことですよこれは。 ふふ、じゃあ私は行きますから。明日の勝利、期待しててくださいね。・・・おやすみなさい。先輩」
「ああ、おやすみ・・・」
◇ ◇ ◇
「エアゴーストさんのこと知ってるんですか!?」
南のファームでは、バリトラがシルバーランスに詰め寄っていた。目の前の先輩竜は今日会ったばかりのエアゴーストという親切な牝竜について何か知っているらしい。
「ああ、よーく知ってる。あいつはな、お前の勝てる相手じゃないよ」
真剣な面持ちで語るシルバーランス。バリトラはそれに聞き入る。
「あの牝竜は、エアゴーストはGⅡのレース竜だ。GⅢで二勝、GⅡで一勝、GⅠで二着・・・若手最強の牝竜とも言われるとんでもないバケモンさ。正直、俺でも勝つ自身はない。まさかあいつがこのレースに出てくるなんて・・・」
「そ、そんな・・・」
凍りつくバリトラ。先輩竜のシルバーランスでさえこの前GⅢに上がったばかりだというのに、その先輩よりさらに上のクラスの竜だったとは思いもしなかった。
「バリトラ、お前は勝ちにいかなくていい。どうしようもない。無事に精一杯飛んで来い、それだけで十分だ」
「・・・・・・」
何も言えなかった。どうあがいても太刀打ちできない相手だと聞かされて、バリトラはオープンクラスに上がるということが、どういうことかを思い知らされた。
しかし、実力も経験もはるかに上の竜を相手に戦わなければならないこの現実は理解できるが、勝ちにいくなという先輩の言葉には納得できないでいる。
「・・・いいえ先輩。僕は逃げません。逃げたくはありません。たとえ勝てる相手じゃなかったとしても」
これがバリトラの正直な気持ちだった。ここで逃げてしまったら、勝ちを諦めてしまったら、ただ速くなりたいと心の底から望んで努力してきた自分を失ってしまう、そんな気がしてならなかった。
「ぶつかってみたいです。今の僕がどこまで通用するのか、エアゴーストさんを相手にどこまで出来るか僕自身も知りたいです」
「バリトラ・・・」
共に同じ環境を過ごしてきた親しい者同士だからこそ見えにくいものもある。この言葉を聞いて、まだあどけなさの残る後輩のこの心の強さをシルバーランスは羨ましいと思った。
もし、自分がバリトラの立場だったらどうしただろうか。薄っぺらいプライドを守るために、経験不足を言い訳にして戦いもせず無難にやり過ごそうと考えただろうか。不運だったと諦めて、半笑いを浮かべながら仲間に負けを報告するときの口上でも考えていただろうか。容易に想像できる自分の後姿を頭に描くと、偉そうに後輩に対して勝負をするなと言った自分がなんだか急に情けなく思えて仕方なかった。
「全力で戦います!先輩。オープンクラスに上がるって今まで自分でも良く分かりませんでしたけど、こういうことだったんですね」
そう言うバリトラの真っ直ぐな目には、否定的な感情は微塵も感じられなかった。負けて傷付かないように、心に防御を張っておくようにと後輩を案じて掛けた何気ない一言が、かえって自分の心の弱さを露呈する切っ掛けになってしまったようで、シルバーランスはその目を直視することができなかった。
帰り道。満月を見上げながらシルバーランスは考える。この先きっと、バリトラと勝負をする時がやってくるだろう。そのとき自分は、あんな目をしたバリトラに勝つことができるのだろうか。小手先の技術ではなく、あの真っ直ぐな目を向けて追いすがってくるレース竜を退けることができるのだろうか。弟の様に可愛がってきた後輩を相手に、どれだけ熱く、勝負に徹することができるのだろうか。
「こんなとき、あの竜がいてくれたらなー」
何かを思い出すようにして、シルバーランスはポツリと漏らした。
「お前が羨ましいよ・・・エアゴースト」
◇ ◇ ◇
レース当日。
パドックを歩くのはバリトラを含めた18頭。これは一度にドラッグレースに出れる上限の数だ。
グレードレース以外で最も賞金が高いこのレースには、西のエアゴーストを筆頭に各ファーム選り抜きの実力者たちが顔を揃えていた。バリトラも何頭かの南のファームの仲間と共にこのレースに参戦する。
最若輩の彼は事実上新世代の代表といった扱いのようで、賭け率は上々、下馬評もなかなかの高評価だ。
レース会場への出発前、バリトラはシルバーランスから対エアゴーストについての作戦というか、戦う上でのひとつのアドバイスを受けていた。
曰く、
「コースに入るときにもしエアゴーストがお前より先行していたらその時点でお前に100%勝機はないと思え。勝つ可能性があるとすれば、お前はコースに入るよりも前に必ずヤツを抜いて、かなりリードしておかなければならない。頑張ってこいよ・・・」
コースでは彼女の方が早い以上この作戦に対しての疑問は全く感じなかったが、シルバーランスがなぜこのような作戦を立てられるのかについては出発前の忙しさのせいで聞きそびれてしまっていた。口ぶりから察するに、以前に対戦したことがあるのだろうかとも思ったが、それを確かめることはレースが終わるまで既に出来そうにない。
余計な考えを捨ててとにかく先輩の言うとおりにやってみよう、もしそれでダメならあとは思い切っていくしかないと腹をくくり、パドックの最中、バリトラはずっと少し前を歩くエアゴーストの背中を見つめていた。
「何か考えがあるみたいねあの坊や」
後方からの視線を察知したエアゴーストは、わざと気付かないふりをしてすまし顔で歩いている。
「まあいいわ、格の違いを見せてあげる。うちの連中を負かしたお手並み拝見と行こうじゃない」
どこの誰がどんな作戦でこようとも勝てる自信があるとでも言いたげに、彼女は不敵な笑みを浮かべる。パドックは各々の交錯渦巻く静かな緊張感に満ちていた。
◇ ◇ ◇
全竜がスタート地点についた。バリトラとエアゴーストとは奇しくも9番・10番という隣同士のナンバーを与えられていたようで、ゲートの中で双方まともにかち合う事となった。
「エアゴーストさん、あなたがGⅡクラスの竜だったなんて知りませんでした」
さきに開口したのはバリトラ。先輩から教わるまで彼女のことについてまったく知らなかったという事実を素直に話し、会話の切っ掛けを作る。
「あら、言ってなかったかしら?ゴメンナサイね。でも聞かれなかったから知っているものだと思ってたわ」
さらりと流すように答えるエアゴースト。そのルビーの瞳からは挑発的な意思がにじみ出ている。
「先輩が教えてくれたんです。でも、たとえあなたがGⅡクラスでも僕は逃げる気はありません。全力でいきます!」
負けじと強い目線で見つめ返すバリトラ。彼女を見つめると一気に鼓動が高鳴るのは、彼女が美しいからだけではない。前日までとは全く別の感情、目の前にいるGⅡの竜に勝ちたいという思いがレース竜としての本能を刺激するからだ。
「ふふ、かかってらっしゃい。こっちも手加減する気はないわ。ところで・・・」
挑発的な目線は変わらないがそう言うルビーの瞳は本気のようだ。次に何を言われるのかとバリトラは構える、しかし会話は予想外の方向に。
「ところでその先輩って誰?もしかしたらかもしれないけど、知ってる竜かもしれないわ。名前を教えてちょうだい。一応聞いといてあげる」
レース直前になっての意外なこの質問に少し拍子抜けしまう。しかしバリトラにとっても自慢の先輩だ、落ち着いて堂々と返事をする。
「この前のレースで勝ってGⅢになった竜です。名前はシルバーランスっていいます」
「・・・え?」
その答えを聞いて、すこし間を開けたあと突如として大笑いを始めるエアゴースト。騎手がそれを制するのに必死になるほどで、それに気づいた周りも何事かとざわつく。
バリトラも今度ばかりは動揺を隠せない。驚いた表情のまま、激しく身を揺さぶる彼女の隣で固まるしかなかった。
「あははは!よりにもよってあのバカの後輩だなんて!こんな事ってあるのかしら!?あはははは!」
何がなんだかさっぱりわからなかったが、どうやらエアゴーストはシルバーランスのことを知っているようだ。それも彼を「あのバカ」呼ばわりするとはただの知り合いという訳でもなさそうだ。
「し、知ってるんですか先輩のこと!?」
ひとしきり笑ってようやく落ち着いてきた彼女に質問する。
「はは、知ってるわよ、よーく知ってるわ。多分あなたよりね!」
「どういうことですか!?」
さらに問いただそうとするバリトラ。しかしエアゴーストが落ち着いたことでレースの準備が整ったことを知らせるように人間たちが離れていく。それに気づいたほかの竜は、この騒ぎのことを忘れたかのようにいつの間にかスタート体勢に身をかえている。そして、
「・・・そうねぇ、レースが終わったら教えてあげるわ・・・!」
エアゴーストがそう言い終わると同時に、あの独特の金属音が響いてスタートゲートが開く。
またしても油断していたバリトラは、前回同様、自分の意思とは関係ない低空スタートを余儀なくされることになってしまった。
◇ ◇ ◇
今回のコースは全体のルートの中でも、とりわけフリー飛行区間が長いという特徴がある。ここをいかにして体力を温存しながら飛行できるかがこのレースのポイントだ。
バリトラがこのレースに勝利するための条件は
1、フリー飛行区間で体力を使いすぎないこと。
2、コース区間の直角コーナーの攻略。
そして3、先輩に言われたとおりコースに入る前にエアゴーストを抜いておくこと、という3つ。
話しに気を取られやや出遅れ気味の彼は無理をしてでも皆についていかなければならず、この時点で既に1の条件はかなり厳しいものになっている。しかしそうしなければ3の条件を満たせず敗北してしまうかもしれない。
「またやっちゃった!くっそ!」
最悪のスタートを挽回するためにがむしゃらに加速する。レース序盤からひとりフルスピードで飛ばざるを得なくなったが、なんとか集団に食らいついていこうと試みる。しかし、
「うっ!?気流が凄い!めちゃくちゃに振られる!!」
前を飛ぶ17頭の竜たちが通った後の空には凄まじい乱気流が発生していた。そのせいで体が右へ左へともみくちゃにされ、ただ飛んでいるだけでもジリジリと体力が奪われていく。
高度を変えてこれを回避することは可能だが、しかし上にあがるとその分タイムロスが生じ、下にさがると後半の重力による加速を得られなくなってしまうというジレンマに気付き焦るバリトラ。その間にもどんどん皆から離されていく。
そして、どうしたものかと思案しているところに手綱伝いに騎手からの指示がきた。
『もっと加速しろ』
乱気流のなかでこれでも必死に飛んでいる自分に対して、もっと加速しろと言う騎手のこの指示。屈辱以外の何物でもない。
「くっそー!やってやる!やってやろうじゃないかあッ!!」
バリトラは吹っ切れた。若さと体力にものをいわせ全力で翼を動かし、空気を大きく後ろに払いのけるような力強いストロークで乱気流を切り裂く。その途端、景色が歪む。遠く左右に漂っていた流線型の雲の端が針のように鋭くギザギザしたものに見えてくる。乱気流が体にぶつかって聞こえていた不規則な不協和音がひたすら続く空気抵抗の重音に変わっていく。
「うおおおおおおおおお!!」
呼吸すら忘れての全力飛行でそのひとかきごとに前の竜との距離を縮めていく。乱気流の抵抗がすごい。目もまともにあけていられない程だ。予想以上の急加速に振り落とされまいと騎手が必死に握りしめている手綱が耳の横でビリビリと激しく振動している、その音すら置き去りにして一直線に乱気流の中を突き進む!
あっという間に最後尾をとらえた!1頭抜いた。2頭抜いた!突如として抜き去られた竜たちは何事かという顔をしている。しかしバリトラは加速をやめない。さらに後方の小集団を抜いた!やがて目の前に中盤の大きな集団が見える。このままあれも抜き去ってやろう!と、終端に突っ込んだところで再び騎手から指示がとんでくる。
減速!
「ぐうぅっ~!?」
翼を広げたまま体を立て、前につんのめるような格好で慌ててブレーキをかける。自分が今まで体にまとっていた風が体をおいてけぼりにして前に突き抜けていく。
「ぶはぁ~!つ、疲れる~!」
出遅れ分を取り戻し、中盤集団のど真ん中に身を落ち着けることができたが予想以上に体力を使ってしまった。背の騎手がまるで鉛の塊のように重く感じる。
荒い息遣いで顔をあげるとそう遠くない位置にトップの小集団が見えた。そしてその中にあの白く美しい牝竜、エアゴーストの姿をとらえる。
「み、見つけたぞ、あれだ」
今すぐ抜き去りたい気持ちを抑え、このまま集団の気流に乗って体力を温存しつつ期をうかがう。長丁場でこれ以上消耗するのは危険だと自分でも理解できる。たとえ次の瞬間に再加速の指示がきても従わないつもりだ。
しかしいま必要なのは小休止、ここで我慢して一旦落ち着くことが重要という考えは実は騎手も同じだった。序盤から体力を無駄遣いしてしまった以上、これからはできるだけ良い位置でチャンスを待つしか手はない。そしてそれには大集団の整った気流で楽をできる中盤集団がベスト。無理をして前方の小さなトップ集団に混じっても、そこは気流が少なく体力の消費が激しい世界だということをこの騎手は知っているため、この良いポジションを最大限に利用して竜を回復させる腹づもりだ。
「勝負はコースに入る前。それまでは仕掛けない方がいいな」
まだ息が荒い体を気流に乗せて一息つく。引き波にさらわれるような感覚が心地く、頼もしくも思えた。
「出遅れたと思ったのに頑張るじゃない」
後方から吹き抜けてきた風を感じ、エアゴ-ストは振り返る。そして中盤集団の中にあって一頭だけ息が上がっているバリトラを認め、彼に何があったのかを悟った。わざと話し込むことでスタートのときタイミングを外させたなのに今あの位置にいるということは、先の分の体力を消費して最短距離でここまで駆け上がってきたということ。
大頭数の乱気流を制圧することは並みの竜にできる芸当ではなく、彼女はそこに少なからぬ驚嘆を感じる。
「その体力が羨ましいわ。にしてもまた上手いところに陣取ったものねあの坊や」
レースにおいて最も体力の消費が少ない位置がバリトラがいる平坦な大集団の中心だ。経験豊富な竜ならば一旦陣取ったら絶対にそこを譲るようなことはしない位置なのだが、若竜の驚異的な突進に驚いた者たちが道を開けるように左右に反れてしまったため、ぽっかり空いた絶好の空間をバリトラが独占していた。
レースはまだ序盤、フリー区間の半分にも達していない。彼女はこのままトップ集団を維持していたずらに体力を使うか、それとも思い切ってバリトラの隣に後退してそれを抑えた方がいいか思案する。そして、
「決めた。ちょっと付き合ってあげるわ坊や」
翼をやや立てゆっくりと減速を開始する。掴んだ気流を手放すし、トップ集団から離れていくが気にしない。騎手も彼女の意図を理解したようで慌てる様子はなかった。
やがて中盤集団の先頭が迫ってきた。激突と進路妨害を避けるため彼女は高度を上げそれを見送る。そして集団の速度の合わせるようにして飛行し、ゆっくりゆっくり降下してバリトラのいる集団の中心に滑り込んだ。
「ちょっと入れてちょうだい坊や」
「エ、エアゴーストさん!?」
突然後退してきたエアゴーストに驚くバリトラ。彼はレース経験が浅いせいで、自分が今どういう位置にいて、彼女がなぜここに後退してきたのか全く理解できない。そのせいで思わず言われた通りに彼女を隣へ入れてしまった。
「どうして下がってきたんですか?」
「そんなの私の勝手よ、どうだっていいじゃないそんなこと。それよりあなたやっぱりやるわね、あの子たちが負けるわけだわ」
「あの子たち?」
並んで飛行しながらの会話。心当たりのない言葉にバリトラは疑問を覚える。
「覚えてる?前回のあなたの初陣、そこであなたにぴったりとくっついてきた連中がいたはずよ」
「え・・・あ!そういえば」
思い出した、自分の気流を利用され、最後の最後まで背筋を凍らせた5頭の集団がいたことを。
「いました、確かに。あの中に知っている竜がいるんですか?」
今でも脳裏に焼き付いて離れないほどの恐怖。追いつめられるということがどんなに恐ろしいことか、しかと胸に刻み付けられたあの集団の中にどうやら彼女の知っている竜がいるらしい。
あのときのことを思い起こし動揺するバリトラ。そして連中と言うからには多くて3頭くらいだろうと思っていた彼のところに、さらに動揺をさそう意外な答えが返って来る。
「全部よ。あれ全部ウチの新米連中よ」
「ええ!? ご、5頭全部ですか?」
「そうよ。それだけじゃないわ」
流石に予想だにしなかった。
エアゴーストはさらりと答えているが、実は西のファームはバリトラの初陣となった新竜レースに合計8頭の大集団を送り込んでいた。全11頭立てのレースのうち実に7割以上が西のファーム所属という有様で、そのうちの誰かが勝利していち早くオープンクラスに上がることはほぼ確実視おり、ファームもそれを念頭に今後の計画を立てていた。
しかしフタを開けてみると勝ったのはただ一頭南のファームから出場した無名の竜バリトラ。それも4頭身差という完全勝利。南のファームは評価を高めた一方、西のファームは大いに笑われ最大級ファームのプライドをひどくキズ付けられる結果となってしまった。
今回の通常レースにわざわざGⅡクラスの彼女が出場することになったのもそうしたことが一因にある。優勝賞金もさることながら、脅威となり得る若い目は早いうちに摘んでおこうという西側の露骨な嫌がらせというわけだ。
「仲間が負けた仕返しに来たってことですか」
「さあ、人間の都合なんて私には分からないわ。私はただこのレースに出るように言われただけ。そして出た以上は勝つ、それだけよ」
さも当然と言わんばかりの勝利宣言、一点の曇りもないエアゴーストのルビーの瞳はその発言に絶対の自信があることを示していた。
「僕だって負けるつもりはありません。あなたにも、他の竜たちにも勝ってみせます」
虚勢ではない言葉で負けじと対抗するバリトラ。大空の中で2頭の視線がぶつかり合う。気流が歪むほどのプレッシャーだ。
「ふふ、やってごらんなさい坊や。レースはこれからよ」
長い長いフリー区間の間中、互いを牽制しあいながら無言の重圧の応酬は続いた。
やがてコース区間を示す対になったオレンジ色のバルーンが見えてきた。フリー区間ももうすぐ終わる。コースではベテランのエアゴーストに分がある以上、ここで勝負を仕掛けなければ彼女を抜くことはもうできないかもしれない。先輩の作戦通りここは彼女より先行して、コースに入る前に少しでもリードを広げておく方が得策だ。
「いきます!エアゴーストさん」
「そう。いい判断ね、せいぜい頑張りなさい」
バリトラは再び加速を開始した。高度を上げて一気に集団の中から躍り出る。フリー区間の長さを逆手に取った騎手の戦略のおかげで体力は十分に回復することができた。その分を使ってまっしぐらに先頭集団をとらえにいく。
「・・・こんなところで仕掛けるだなんて、私の弱点を教わっているとしか思えない。上等じゃない、シルバー・・・!」
バリトラを見送った彼女は発したこの一言は、気流にもまれて空の彼方へと千切れていってしまった。
◇ ◇ ◇
いまバリトラは先頭にたっている。加速を維持して先頭集団を抜き、さらにリードを広げつつある。しかし後方から感じる気配にバリトラは気が気ではなかった。
「なんて不気味なんだ!まるでピッタリ背後に付きまとわれてるみたいだ!」
自分が先頭に立っているはずなのに、しかも次点の竜とはすでにかなりの差が開いているはずなのに全く安心できない。それというのも先ほどから感じている「狙われている」という感覚のせいだ。
後ろにいる17頭の竜たちが向ける殺気を含んだ目、そしてその中にあってひときわ強い重圧を放つ深紅の視線が彼を掴んで離さない。
先ほどから何度も何度も振り返り、今にも誰かが迫ってきていないか確認している。
「怖い!怖い!!なんなんだこれはー!」
まるで見えない無数の亡霊に纏わりつかれたかのように翼の動きが、大気が明らかに違う。必死にもがくそのひとかきごとに明らかに体力が減っていく。しかしここで加速をやめてしまったら、大気の亡霊が待つ大集団の乱気流に引きずりこまれて、今度こそ2度と上がってこれなくなるのは確実だ。作戦通り先行した以上、この恐怖に打ち勝って逃げ続けるしか勝利への道はない。
「まだいない!まだ大丈夫だ!よーし、このまま突っ込んでやる!」
ヒヤヒヤしながら落ち着きなくコースに突入するバリトラ。
今回のコースは短い直線で直角のS字を描いているというもので、計4回も連続して直角にコーナリングしなければならず、優勝賞金にふさわしい相当なハイレベルコースだ。
コースに入ってすぐ左の直角コーナーがやってくる。そのため突入前にあらかじめ充分に減速しておかなければならないが、フリー区間で逃げるように加速し続けてきたバリトラはそのことをすっかり忘れてしまっていた。
コースに入りコーナーを目前にした彼がそのことを思い出したとき、速度とタイミングは既に危険な域に達していた。
「しまったああああッ!!くっそおおー!!!!!」
叫びながら体をまっすぐ上に立てて急減速を試みるバリトラ。ぐうっと大きく伸ばした翼いっぱいに空気を抱いて、骨を極限までしならせながら速度を削っていく。
肩の筋が目一杯伸びて激痛が走る!しかしその抵抗むなしく目前にコースの壁を形成する太い鎖が迫ってくる!速度はまだ落ちない。頭はもうパニックだ。
もうだめだ!ぶつかる!と覚悟した瞬間、突然背中の騎手が手綱を強引に左へと引く!
顎を無理やり左に倒され、それに釣られて体も左に傾く。その途端、翼が風をうけて旋回が始まる。だが速すぎる。でももう止められない。体を斜め下に落下させる重力を利用して激突寸前に回り込む!左下に地面を眺めながら体全体を鞭のようにしならせての強行コーナリング。自身の後ろから激しい金属音が響く。それと同時に尻尾に強い痛みを感じる。バルーンの1本が激しく揺れる・・・!
・・・間一髪、なんとか最初の直角コーナーをクリアした。
「イテテッ! あ、危なかった!」
ホっとしているヒマはない、すぐさま次の左コーナーが迫る。今度は、速度は?十分落ちている。翼の角度は?ちゃんとインになる方を下げている。よし大丈夫だ、いける!
体を横に立てて一気に曲がりこむ。何もかもうまくいった、練習通りだ。直角に空を切り裂く音が響く。今までこんな音は聞いたことがない。キレイな、完璧な直角コーナリングの音がする。
無事2つ目のコーナーを抜け、一旦体勢を立て直す。再び体を水平に戻しながらバリトラは後ろを振り返る。すると、いた。竜がいた。何頭も。最初のコーナリングミスで、大きくリードしていた分がほとんど無くなってしまっている。追いつめられる恐怖が蘇る。
「うわッ!?」
その恐怖をかき消すように絶叫しながら全速力で加速。そして3つ目の右コーナーが来る。減速したくない気持ちをぐっとこらえて速度を落とす。翼の準備はできている。背後に恐ろしい重圧を感じながら右旋回を開始。また音が聞こえる。何も問題はない、空を切り裂く聞きなれないこの音が何よりの証拠だ。
コーナーの立ち上がりで再び加速。ぐいっ、ぐいっと1ストロークごとに速度を上げる。列をなす横の鎖が残像で本当の壁の様に見えるほどの加速。
残すは4つ目、最後の右コーナー。ここを超えればあとは下のゴールまで一直線、ここまできたら振り返っている余裕はない。
しかし、突き放したことを信じて突入の準備を始めたそのとき、背後からいきなり突風が襲いかかってきた。
エアゴーストだ!
「惜しかったわね」
吹き抜けていく白い風の中にそんな言葉が聞こえてくる。
抜かれた!最終コーナーを目前にしてエアゴーストが先頭に立つ!何時の間に迫ってきたのか分からない、直前まで気配すら感じなかった。
「くッ!」
抜かれたまま最終コーナーに突入する。まるで昨日の訓練の再現のようだ。一分の無駄もなく飛行する彼らのコーナリング速度は互角、距離は全く離れない。この勝負、立ち上がりで決まる。
体に感じる遠心力とあの音が止む。目の前の景色がパッと開ける。コースが終わったのだ。遥か前方下に高さ12mのゴール塔が小さく見える。
バリトラは大きく、大きく翼を動かした。空気を掴んで体を前に引き出す感覚で、ありったけの力を使いエアゴーストのあとを追う。
まるでスローモーションのようにゆっくりと、ゆっくりとだが確実に彼女の背中が近づいてくる。あと少し。あと少し!あと少しだ!自分の方が早い!ゴールまではまだ距離がある、このままいければ勝てる!GⅡクラスの彼女に勝てる!!僕が勝てる!!
そう確信したときだった、突然彼女が振り返えってきた。ルビー色の瞳でバリトラを一瞬だけ見つめる。そして、
「じゃあね」
彼女は白い残像へと姿を変えた。轟音で聞き取れない言葉を残して、見たこともないほど加速していく。近づきつつあった距離が見る間に離される。こちらも全速力を出しているのに、それに加えて重力による加速も味方につけているのにまったくついていけない。距離を追うごとに掴みつつあった勝利が遠ざかっていく・・・。
とんでもないバケモン、先輩がそう言っていたことはウソでも誇張でもなかったとバリトラが悟ったとき、全てはもう手遅れだった。
◇ ◇ ◇
全18頭中 3頭身差 1着エアゴースト 2着バリトラ
バリトラの完敗。オープンクラスとグレードクラスの差をまざまざと見せつけられたレースだった。
「負けた・・・なんて牝竜だ」
表彰台に上る騎手とその横に堂々と構えているエアゴーストを遠目に眺め、彼は初めての敗北の味をかみしめる。
悔しさ、怒り、やるせなさ、とてもひとことで言い表せない複雑な感情が胸を締め付けてくる。負けることがこんなにもイヤなことだとは思いもしなかった。
あともうちょっとだったのに。スタートで出遅れさえしなければ。最初のコーナーを練習通りクリアできていたら・・・。そんな考えだけが頭をよぎり、ここにいると冷静さを失いそうになる。バリトラは一頭、彼女が見えない位置で閉会を待った。
「あなた本当に強いわねぇ。ここまでやるとは思わなかったわ」
帰り支度の最中、バリトラを見つけたエアゴーストは笑顔で彼に寄ってきた。その笑顔が彼を一層ぶすっとした表情にする。
「・・・エアゴーストさん程じゃありませんよ」
「あなた、なにまたしょぼくれちゃってんの。昨日も言ったじゃない、雄ならもっとシャキっとしてなきゃダメよ!」
そう言って張った彼女の胸には、勝利を示す紅白のタスキが誇らしげに掛かっていた。ベテランの本竜はそんなつもりじゃないのだろうが、初敗北を喫して気落ちしている彼はそれがチラチラと目に入るたびさらに顔が曇っていく。
「あそうそう、約束だったわね。教えてあげるわ、私とあのバカのこと」
「え?」
そう言えばすっかり忘れていた。スタートのとき、レースが終わったら、先輩のシルバーランスと彼女との間に何やら関係があるということを教えてもらう約束だった。彼女はそのために寄ってきたのだ。
「あ!お、お願いします」
「あなた忘れてたわね?まあいいわ」
そう言って、彼女は衝撃的な内容を語りだした。
「私とあのバカ、シルバーランスとは言わば同期なの。生まれた年もデビューした年も同じ、レースでの飛び方を教わった先輩も同じ。だからお互い知ってるのよ」
「はぁ・・・え?」
「彼とは何度も対決してるわ。デビュー以前から何度も、そうねぇ・・・数えきれないくらいよ」
「はい?デ、デビュー以前って??ええ?」
聞けば聞くほど疑問が募る、イマイチ要領を得ない説明にバリトラは混乱しきりだ。
「あのぉ、一つ聞いていいですか」
「なに」
「先輩とエアゴーストさんはデビュー以前からの知り合いなんですね?」
「そうよ、それがどうしたの・・・って、あなたまさか、聞いてないの?」
「な、何をですか」
ああ、と天を仰ぎため息をつくエアゴースト。そしてクールな彼女には珍しく、感情的な顔で大声を張りだした。
「あのバカ!本ッ当~に何を考えてるんだかッ・・・!あなたアイツから何も聞かされてないのね! いい、私はね、もともとあなたと同じ南のファームにいたの!そこでシルバーと同期だったのよ!」
「え?・・・・・・・・・ええええええええ!?!?」
世間は狭いとはよく言ったものだが、ドラッグレースの世間はバリトラが想像していたものよりももっと狭い。何らかの事情でファームを移籍した竜が、もといたファームの親しい竜と対戦することなどレースの世界ではごくありふれた日常なのだ。
「な、何で西のファームに移ったんですか!?」
「そんなの人間の都合に決まってるじゃない!私が分かるわけないでしょ!」
南のファームでシルバーランスと同じ年に産まれたエアゴーストは、デビュー前にもう1頭の雄竜と西のファームへ移籍するまでの間、彼と共に同じ環境で育ち、同じ訓練を受け、同じ厩舎で寝食を共にしてきた。つまりエアゴーストとシルバーランスは幼馴染のような関係というわけだ。
「ああもう、頭きちゃうわあのバカ!なんでこんなことも教えないのよ!ひとの弱点だけしっかり教えといて・・・!」
弱点、いま彼女ははっきりそう言った。バリトラがこの言葉にピクリと反応したとき、彼女はもう知らないとばかりに、既に空へと舞いあがっていた。
「あなたも苦労するわね!あのバカの後輩だなんて!」
「エアゴーストさん!」
「シルバーに伝えといてちょうだい!その性格なおせって!あと私も先輩も元気でやってるってー!」
「ちょ!ちょっと待ってくださーい!!」
呼びかけ空しく彼女は去って行ってしまった。一頭残されたバリトラの頭の中は今の話の整理でぐちゃぐちゃだ。
「う~。な、何がなんだってんだ~???」
しかしただひとつ明確に覚えていることがある。去り際に彼女が言った弱点という言葉、それだけが強く印象に残っている。
とにかく帰って先輩に聞いてみよう。沈みゆく夕日の中にエアゴーストのルビーの瞳を見ながら、バリトラは初めての敗北と共に大量の疑問を抱えながら帰路に就いた。
忘れ得ぬレースとなった。負けることの悔しさを学んだ彼が、その後の訓練でそれをどう生かすかが問題だ。彼の性格からすればこのまま腐るようなことはないだろうが、無茶な訓練で体を壊す可能性がある。そしてそれを止められるのは彼と最も親しいシルバーランスだけ。彼がバリトラの抱く疑問に全てこたえることができれば、信頼関係を損なうようなことはないのだが、彼はまだ何か隠しているのかもしれない・・・。
果たしてシルバーランスは素直に全て話してくれるのだろうか。そしてバリトラとの関係はどうなってしまうのか。
すべては、この夜明らかになる。
第3話 大気の亡霊
終わり。
いかがでしたか? 冒頭に出てきた紹介していない竜については次回分かります。あとエアゴーストの弱点についても。
レースシーンの疾走感を感じてくれればうれしいです~!
ご意見ご感想はお気軽にどうぞ! 次回を書く気力になります(笑)