見知らぬ土地―8
「あら、お帰りなさい」
少女の楽しそうな声が、暗い室内に響いた。月明かりすら届かない部屋で、ギィ、と扉が開く音がする。
「そう、あいつを殺すのは失敗したの。……いいわ。話を聞いて、どう抵抗するか見せてもらうのもいいかなぁなんて思っていたところよ。こちらにも、準備が必要だものね……?」
クスクスクス……しんとしたその場に少女の楽しげな笑い声が広がっていく。
少女以外にこの部屋に『人間』はいない。少女が話しかける相手は、暗闇に溶け込んでいるのか、そもそも、『いない』のか。
「楽しそうだから、あいつらにおもしろい事だけ先に教えてあげようかしら。ねぇ、あなたにも身体をあげる。あいつらに勝てる、極上の身体よ? 嬉しいでしょ?」
少女がそう言って、今度は高らかに笑う。暗闇の中で、闇が集まる。
少女の目の前で、背の高い影がにやりと笑った。
◇ ◇ ◇
「よぉ」
王都へ入る門が見えてきたところで、とすっと後ろで何かが落ちたような音がした。敵か、と体が震えたが、カイトさんは門を見つめたままはぁとため息をひとつ。……え?
「遅かったなぁ? カイ」
「……ライ兄さん」
振り向いてそこいたのは、カイトさんと同じ長身で、金の長い髪を一つに横で括った青年で。腰には長い剣を携えていた。
顔、似てるなぁ……今、カイトさんお兄さん、って言ったよね。
すっと整った金の眉に、長い金の睫。微笑む口は薄く引かれ、カイトと同じく吸い込まれそうな青い瞳。 少し違うのは、彼はカイトさんより焼けた小麦色の肌で少し筋肉質。
ちらりと顔を見れば、その人物はじっと私を見下ろしていて、私は少し怖くなってカイトさんの影に隠れるように一歩下がった。
「ああ、私の兄なんですよ。怖がらなくて大丈夫です」
「あ! す、すみません。はじめまして、ルイ、です」
「ライトって言うんだ。よろしく。で? お前が連れてきたって事は、母さんの占い当たってたわけ?」
「……そうですよ」
ライトと名乗った青年はおもしろそうに私をじろじろと見ていて、身長差のせいで見下ろされたままの私はどうすればいいのか戸惑ってカイトさんを見上げた。つい、カイトさんの背の辺りの服をきゅっとつかんでしまう。
「ん? お前に懐いてるな。珍しいな、何かしちゃったのか?」
「何かって何です。兄さんが怖いんだと思いますけど」
「何でだよ。美男子に見つめられて悪い気する奴はいないだろ? なぁルイちゃん」
「……怖いです」
「っ……くくっ」
あっ!
懐いてる、という言葉について考えていたせいで、つい正直に口にしてしまった私の横で、カイトさんは口元を手の甲で押さえて笑い出した。私はといえば、「あ、あの、」と謝罪しなくちゃーって慌てておろおろするばかり。当の言われた本人は、「ちぇ」と呟きながら笑ってるのだけど……。
「いいんですよ、ルイさん。ほっといて」
「なんだよ。結構言うなぁ。で? 何でそんな格好なわけ?」
彼が指差すのは、私の服……だろう。だってほんとに、がぼがぼだし……あぅ、門の横に立ってる門番さんもなんかこっち見てる。
「ああ、ちょうどよかったです、兄さん。彼女の服あまりにも寒そうだったから、小屋の着替え借りたんですけどサイズ合わなくて。どこかいい店知りませんか?」
「まぁこの格好のまま母さんのとこ行ってもなぁ。よし、案内してやる」
ライトさんはにかっと笑ってそう言うとさっさと王都の門を抜けてしまった。門の脇の兵士が、ぱっと肩膝を付き右腕を曲げて前に出し頭垂れた。この世界の敬礼なのだろうか。
う……通っていいのかな。
不安になって上を見れば、私の様子を見ていたのかカイトさんがにっこりと微笑んで「大丈夫ですよ」と手を引いてくれた。
門の兵にご苦労様です、とカイトさんは呟いて、私は手を引かれたままあっさりと門の中へと連れて行かれた。
「わぁ」
そこで見たのは、たくさんの人、人、人。
門の中はいきなり人が増え、思わず息を呑む。
商店街……? かな?
門からまっすぐ石畳の大きな通りが続き、両脇にはたくさんの店が並んでいた。カゴを持って買い物を楽しむ人、店先で商品を持ち呼び込む人、ずっとまっすぐ続く道の先には、それこそファンタジーだ! なんて思っちゃうような大きな城も見える。道を歩くのは人だけじゃなくて、馬車とか……う、馬なのかどうかは角がある気がするけどとりあえずおいといて。
店と店の間にある細い通りを覗けば、洗濯物が干された一般の家のような建物も見える。少し時代は違うかもしれないが本で見る西洋のような町並みだ、と私は見入った。
「兄さん何で門に? 王女はいいんですか?」
「母さんに言われてね。来るから、迎えに行けって言われて。まぁ、いちゃついて帰って来るとは思わなかったけど」
「……いちゃついて?」
「お前が珍しく顔赤かったから。手なんか引いちゃってたし?」
「違います」
なんとなく話についていけず、というか物珍しさに店先を覗きながら歩いていた私は、急に振り返ったライトさんに帽子を取られて足を止めた。
長いストレートの金の髪が、さらりと落ちて驚く。
「ひゃっ!?」
「お、可愛いじゃん!」
「兄さんっ」
「なんだよ、服選ぶなら似合う服選びたいだろー? 髪で顔隠すのもったいないな。ついでに髪留めも買うか?」
ライトさんは楽しそうに言いながら、私の頬に手を伸ばし……触れ、そのまま、垂れた長い髪を耳にかけた。
ど、どうしよう……!
かっと頬が熱くなる。暖かな指が頬を滑りそして耳に触れて、するすると髪を梳く。私はもちろん今までそんな事を男性にされた事はなく、まして目の前で私に触れた男性は自分で美男子だと言っていただけあって本当に綺麗な顔をしていたから、私の脳内は大パニック。
と、ぴったりと固まってしまった私の髪にそのまま触れていたライトの手が、ぴしゃりと叩かれた。
「何してるんです兄さん。女性の髪に勝手に触れるのは失礼ですよ」
「でも、せっかく可愛いしさぁ。ルイちゃん大人になったら俺とどう?」
「え? ど、どう?」
「兄さん! 早く服屋に案内してくださいっ」
とうとう怒ったカイトさんが私の肩を引いて離した。何だこの状況。私が混乱したまま辺りを見渡せば、店先で何事かとこちらを見ている数人を見つけて、恥ずかしくなる。
ふ、二人ともかっこよくて目立ってる気がする……っ!
今更ながら自分を連れて歩く二人の顔は美形すぎると認識して、私は手を伸ばしてライトさんから帽子を奪い取ると、慌てて被った。は、恥ずかしい……っ!何かわかんないけどめちゃくちゃ恥ずかしい!!
「被っちゃうの?」
「……すみません」
「兄さんのせいで目立ったんじゃないですか。ほら、とっとと進んでください」
どん、とカイトさんに背中を押されて、ライトさんは漸くぶつぶつと文句を言いながらも歩き出してくれた。
「ほら、ここ」
私の顔の火照りもとれた頃、そうライトさんが指差して案内してくれた場所は、木造の柔らかい雰囲気で、店先に花々が咲き可愛らしい外装の店だった。
ライトさんが扉を開けると、カランカランと音がして「いらっしゃい」と奥から優しそうな女性が現れた。
三十後半位だろうか。綺麗な金の髪を巻いていて、大人っぽい。
「ライトくんじゃない」
「お久しぶり~、ミラさん」
店員さんとライトさんは知り合いなんだ、と私が考えていると、ミラさんのお店はこちらだったんですね、と驚いたカイトさんの声が聞こえて、どうやらカイトさんとも知り合いのようだなと私は二人を見た。
と、急に腕をつかまれて前にいたライトさんに私は引っ張られ再び帽子を取られた。
「ふぁ!」
「突然で悪いんだけど、この子の服上から下まで見立ててくんない? あと出来れば髪留めとかあるといいんだけど。いくらかかってもいいから」
「あら、新しい彼女さんかしら? 随分若い子捕まえたのね」
「ら、ライトさん、困ります。私、お金……」
「いいんですよ、ルイさん。私が出しますから」
後ろからカイトが現れて、優しく頭に触れてそういった。
そ、そういう問題じゃない……って頭撫でないでーっ!?
「あら? カイトくんの方の彼女だったのかしら?」
「ち、違」
「くそ、カイのいいとこ取り。まぁ、任せていい?」
「大丈夫よ、うちには雑貨も結構あるから、気に入るアクセサリーも見つかると思うわ」
私の否定の声はあっさりと無視されて、ミラと呼ばれた女性が微笑むとこちらにどうぞと私を奥へ案内してくれた。可愛らしい服がたくさんあって、出入り口付近には確かに髪留めやネックレスなどが並び小物も揃っている。着るのは似合わない、と今まで拘った事はないが、こういったふわふわとしたレースの施された服や小物を見るのは昔から好きで、つい目移りしている私の横で、ふふ、と小さな笑い声が聞こえた。
「どういった服が好みかしら」
そう言われて、私は首を傾げた。並んでいる服にはレース、リボン、フリルなど施されていて確かに可愛らしいが、自分には似合わない気がしてつい俯いた。シンプルなものが見当たらない……。それに向こうで見るような服とは雰囲気が違う。この世界の服ってどういうのが普通なんだろうと考えてみたが、知らないものはどうしようもない。
「……えっと、あの、お任せします。できれば、あまりその……」
「ルイさん、値段は気にしないでくださいね」
いつの間にか横に来ていたカイトさんにそういわれて、私はまさに言おうとしたことを止められて更に俯いた。
とりあえず、隣に来てくれたのはチャンスだとちょいちょいと袖を引いて、小さな声で少し屈んだカイトさんに「私、どういう服が普通なのかわかりません」と訴えてみれば、カイトさんは少し考えるように口元に手をあて私をじっと見つめると、後微笑んだ。
「そうですね……ルイさんが特に希望がなければ、私も一緒に選んでも?」
「はい、助かります」
「少し待っていて下さいね」
そう言うとカイトさんはミラさんの元へ行き、何やら話し出すと二人で服を選び出した。
その間どうしようかときょろきょろしていると、後ろでライトさんに呼ばれ、手招かれる。
「ルイちゃん、いつこっちにきたの?」
「えっと、多分昨日ですけど」
「……え? 昨日?」
驚いたように目を見開くライトさんの様子に、私は首を傾げた。
「ごめん。驚いた。……結構落ち着いてるから。いい子だね」
不安そうにしたのに気がついたのか、ライトさんがぽんと頭に手をのせてゆっくりと撫でた。
……どうしよう、ライトさんも、私が子供だって思ってるっぽいなぁ……。
否定しようかと口を開く前に、カイトさんに呼ばれる。どうやら服を選び終わったようだ。
「一着、着てみてください」
指差された方向を見れば、五着は並んでいる。どれもワンピースのようだった。一着どこのお姫様ですかと突っ込みたくなるようなドレスがあるのでそれは除外して、他の四着を眺めた後、私は黒い長袖のワンピースを掴んだ。
生地はやはり知っている物とは違うようだ。袖口や裾、胸元に白いレースが施されていて、可愛らしい。
……こんな可愛いの、似合うかなぁ。
悩んだものの、その服は一番レースなどが控えめなものだった。ピンクのフリフリしたワンピースにはさすがに手を伸ばせないし、その他の二着はスカートが短い。ごめんなさいカイトさんミラさん、それは無理です。
「それがいい? じゃあこっちに試着室があるから」
ミラさんに言われて私は素直に試着室に入ると、もともと着ていた大きい男物の服を手早く脱ぎ黒のワンピースを頭から被る。もちろん着こなす自信はないけど、男物のサイズが合わない服よりはいい……と思う。
ここは好意に甘えよう。そう思いながらボタンを止め終わり、膝丈のふわりとしたスカートを少し摘んでどきどきしながらくるりと鏡の前で一回りした私は、そのまま自分の顔を見つめて硬直した。
金の髪もひどく違和感があるのだが、それを見つめる自分の瞳の色が……まさかの緑。いや、よく見ると緑というよりは、青緑。
……はぁ。これも、光の加護が何とかって、関係あるのかな。
正直な話、髪が変わってるので驚いてしまったから今更瞳の色なんていいや、と軽く考ることにした。うん、私順応力きっと高いかも、なんて珍しく自分を褒めつつ改めて全身を見て、黒いワンピースは随分と長い金の髪を目立たせている事に気づく。以前であったなら、黒髪に黒いワンピースは目立たなくてよく選んでいたはずなのだが、今回ばかりは失敗したかもしれないとため息をついた。
「ルイさん? 試着、終わった?」
ミラさんの声が聞こえて、慌てて私は返事をして外に出る。
出てすぐに目が合ったのは、カイトさんだった。カイトさんはしばらくじっと見たあと、似合っていますよ、とにっこりと微笑んだ。……あの、そんなきらきら笑顔で言われたら……なんか顔が熱くなりますが。
「サイズが合っていて良かったです。ミラさん、髪留めも見せていただけますか。あと、残りの服と後数点はミラさんが選んでうちに送っておいてください」
「ええ、わかったわ」
「の、残りの服?」
「気にしないで。ああ、これがいいですね」
私の疑問そっちのけでカイトさんが微笑んだまま手に取ったのは、黒地の布に白いレースが縫い付けられた細いリボン。
ルイが何か言う前に、ミラがつけてあげると言ってすぐにルイの髪を結い上げ、リボンを結んでしまった。
その間どこかに行っていたカイトさんが戻ってくると、満足そうに頷いて私に手を差し出す。
「いいですね。とても可愛らしいです。では行きましょうか」
「え? でも」
「お金ならもう頂いているわ。また来てね? ……ライトくんは?」
言われて、そういえば扉の傍にいたはずのライトさんの姿がない事に気づいた。
「母さんに呼ばれて、先に」
「……そう。わかったわ」
……? あれ? なんか、ミラさんが複雑そうな顔をしているような……
ミラさんにお礼を言って、カイトさんに少し急かされるように手を引かれて店を出た私の目の前を、数人の男の人達が走り抜けた。
なんだか店に入る前と街の様子が違う気がする。そう思ってきょろきょろと見回す私に、カイトさんはゆっくりと声をかける。
「少し慌しいですが、大丈夫です」
「……? あ、はい。あの、服、ありがとうございます」
「ええ、どういたしまして。それで、この後ですが……お気づきでしょうが、王都の占い師……あなたがこちらに来ると預言した占い師は、私達の母親です。これからそちらに向かう事になりますが……具合は大丈夫そうですか?」
「大丈夫です」
どんな人だろう。どんな話を聞くことになるのだろう。
私はいったい、何故ここにいるのだろう。
きっとその答えがわかる筈だ、と私はきゅっと唇を引いてカイトさんに続いてなぜか先ほどよりあわただしい様子の街を歩き出した。