見知らぬ土地―5
「疲れましたか? 明日には、王都にご案内します。ここは闇の者……魔物がいて、危険ですから」
「闇の者、ですか」
もう、これ以上言われてもわからないかもしれない。とぼんやりと目の前にいる人物を見上げれば、彼は優しそうに微笑んだまま。
「ええ、先程説明した町の民以外に、闇の神の加護を受けた……闇の民も存在します。最も、魔物と呼ばれる存在で人間を攻撃してくるものが多く、拠点はありますが町があるわけではありません。先程の大きな生き物もそうです。王や長達が結界を張る町を一歩出ればそこはいつ魔物が現れるかわからない危険な場所になります」
「……怖い、世界ですね」
「すみません。こうなったのも……いえ。そろそろ、休みましょうか」
「えと、最後に一つだけ、いいですか?」
突然顔を上げた私に、カイトさんは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに穏やかに笑う。何でしょうか、と言われて私は少し戸惑い視線を泳がせたが、一度ぎゅっと目を瞑り、そして真っ直ぐカイトさんを見た。
説明してくれたのは、この国の事、だけ。
「……あなたは私が異世界から来たってすぐに認めてこの世界の事を教えてくれたんですよね? ……つまり、こんな事をすんなり信じる理由あるんですよね、知ってるんですよね? 私はそれが一番知りたいです」
ぐ、と前に詰め寄り、私はじっとカイトさんを見る。彼は視線を泳がせることなく真っ直ぐに私の瞳をしばらく見つめ、その後一つ息を吐いた。
「……すみません。そうですね。……ですが、申し訳ありません。心当たりはあるのですが、詳しくは」
「いいです、教えてください。何もわからないほうが、その、落ち着かなくて」
「……占い、で。異世界の少女現る、と。探すように言われて、私はここに来ました。けど、まさか本当に異世界から来られた少女に私がこうして会うことが出来るとは思わず」
「占い……?」
「ええ、数ヶ月前、ですね。王都の占い師が、そう預言しました。異世界の光の加護を受けた少女現る、と」
「え? 光の加護、ですか」
「すみませんが、ここでは詳しくは……」
「あ、そう、ですよね」
つまりどういう事なのだろう、と考えて首を捻った。よくわらかない。今まで普通……かどうかは置いておいたとしても、日本で暮らしてきて、魔法なんかなくて。
そんな話をいきなり飲み込めといわれても難しい。
そう考えて俯いて……視界の端に映る輝きに、私はぎょっとした。
「えっ!?」
「どうしました?」
カイトさんが、急に髪の毛を引っつかんで驚いた私を覗き込む。
私は少しばかり青いであろう顔ををあげて、自らの……濃い金色……蜂蜜のような色の髪を見つめた。
「金、色……!?」
「……え? そうですね、綺麗な色だと」
「で、でも私、黒髪の筈で」
「黒? ですが、あなたは光の加護を受けた者の筈ですから、金で間違いないと……」
光の加護を受けた者は、ほとんどが金色の髪を持っています、とカイトさんは首を傾げて呆然としている私に教えてくれて。
色、変わるんだ……もう驚く事がありすぎて、あまり驚けなくなってきた。
「……私からも一つ、いいですか?」
「え? あ、はい」
考え込んでいる時に、突然カイトさんから話しかけられた私はびくりとその顔を見上げた。
「その……怖くは、ありませんか」
「……怖いですよ?」
どうして? 今だって、びっくりして、怖くなって、あ……
そうか。もしかしたら、普通に考えたらいきなり異世界になんて飛ばされたら……もっと、泣き叫んで、喚いて、……帰して、なんて訴えるものかもしれない。そう、泣くはずなんだ。けれど、もともと私は感情が表情にあまり出ない上に……それをする事ができない。いや、泣くことを思いつくことすらなかった。痛みで自然に涙が出る事はあっても……辛い、寂しい、そんな涙は……そんな事は、言うなれば『慣れてない』
「……驚いて、ます。ただ、そうですね。驚きすぎて、どうするのが普通かわらかなくなっちゃいました」
上手く説明ができず、俯いて私は小さく言葉を続けた。カイトさんは少しだけ黙ったあと、ゆっくりと口を開く。
「お疲れでしょうから、そちらでお休み下さい。簡易の休息所ですので、寝心地は……あまりよくはありませんが」
カイトさんが指差すのは、確かに硬そうな小さいベッド。しかし私はそれを見た後きょろきょろと辺りを見回して、あの、とカイトさんを見た。
「ベッド……」
「すみません。初対面の男がいては寝にくいとは思いますが……とはいっても、私が外に出ては守護壁も張れませんし、申し訳ありませんがこちらで休んで下さいね。私はここで休みます。もちろんあなたが困るような事はしませんから」
少し距離を取り、ここで、とベッドからは大分離れた位置でカイトさんは座り込んだ。私は慌てて、言いたい事はそうではないと手を振った。
「いえ、そうじゃなくて……あの、私、ここで休みますからベッド使ってください」
「……え? なにを言っているんです。女性を床で休ませるわけには」
「でも、見たところベッド以外に毛布の類もないですし。風邪ひきます」
私はどうしても守ってもらっているのにベッドで休むなんて、できなくて…………
◇ ◇ ◇
自分も床で寝たら風邪をひくかもしれないというのは、わかっているのだろうか……カイトはふっと笑い、どうするべきかと部屋を見渡した。確かにベッドに申し訳程度に薄い布があるだけで、他に体を包むような物はない。守護壁を張った事で多少部屋は暖かいが、気温は低い。今部屋を照らすのは小さな火一つで、守護壁を張っている今その火を大きくして気温を上げる事は……俺の体力的に望めなかった。
ふとそこまで考えたところで目の前の幼い少女の身体がカタカタと震えている事に俺は気がついた。薄明かりでわかりにくいが、指先も唇も白く、彼女の着ている服はかなりの薄手。小屋に到着した時にジャケットを渡したものの、スカートで足はむき出しで、おそらくとてつもなく寒いのだろう。
「……何もしないと誓いますから、一晩我慢できますか?」
「え?」
俺は怖がらせないようにゆっくりと立ち上がり、彼女の手を取った。たった一つしかないそのベッドに向かい布を寄せると、彼女の身体に腕を回す。
「手が、これ程冷たくなるまで気づかず、申し訳ありません。この薄い布団では身体は温まりませんね」
「え? あの」
彼女は抱き込まれ混乱した頭で、おろおろと視線をさ迷わせる。
俺は落ち着かせるように手を彼女の頭に伸ばして、髪を梳く様に上下に動かした。大切に、優しく。
「怖がらせて、すみません。絶対に何もしないと誓いますから、一晩だけ信じてください」
「信じる?」
俺は撫でていた手はそのままにもう片方の腕でゆっくりと彼女を引き寄せ、そのままベッドに座らせると、横たえる。自分が抱き込むような形で。
「……っか、カイトさん……!」
彼女が引き寄せられた俺の胸に手を添え、慌てたように押してみるも、まるで抱き枕の様に俺に抱えこまれた腕の中では動けない。頬を彼女の長い金の髪が擽り、暖かい体温がどこか俺の隙間を埋めてくれているようだ。
「初対面の女性に、とても礼儀の欠いた事をしているという事はわかっています。ですが……もう少し魔力が高ければ部屋を温める事もできたのですが、申し訳ありません」
「カイト、さん」
少女がぴたりと動きを止める。
何かを考えながら自分を包み込む腕を押すことを止めた彼女は、ふ、と一つ息を吐いた。
「……すみま、せん」
静かに俺の腕の中に収まった少女を、優しくあやす様に頭を撫で続ける。
と、しばらくぼんやりと目を開いていた彼女は疲れなのかうつらうつらとその綺麗な瞳を隠し始め、やがて規則的な吐息の音が聞こえてきた。
暖かな彼女を抱きしめているうちに、俺もゆっくりと夢の世界に引き込まれていく。
占いで告げられた彼女の事は、俺だけではない、各地の騎士が探していた。まさか本当に俺が見つける事になるとは思わずに……長らくいなかった光の神子が現れるなんて半信半疑で探していたのに、異世界の少女は確かにここにいる。
これから戦いに巻き込まれてしまう、幼い少女を引き込むのは俺の役目となった。少しだけ、唇を噛む。
ならばせめて守って見せよう。この世界の、希望の光を。