『アナザーサイド……二巨頭激突』
「だぁれが長州まで来といてただで帰るかッつーの! こっそりあちこち忍び込んで色々見て回ってやるぜ!!」
近藤勇は長州訊問使永井尚志の元を辞し、彼より遅れて帰郷の途につくと見せかけて、実は長州藩内をウロウロしていた。もっとも、近藤の顔がそれほど知れ渡っているわけでもなく、先に九州を訪れた土方同様、京に足を踏み入れたことのあるような尊攘志士にさえ見つからなければ、わりあい悠々と歩き回ることができるのであった。
尊攘志士にさえ、見つからなければ。
「おい、貴様」
あっさりと見つかってしまうのは物語の性質というべきか。馬に乗って近藤を追い越していった人物が鼻先を翻し、彼を呼び止める。馬上の男はまだ若く、近藤と同格かあるいは少し年下に見えた。だが、彼の鋭い目つきはそれを補って余りある。
「なんか御用ですか? 知り合いじゃあ……ないですよねぇ」
「貴様の顔に見覚えがある。長州ではなく京都でな。何をしている、近藤勇」
名指しで呼ばれた近藤は、身分を偽ることを止め男を見上げる。じっくり見れば、それはよく見知った人物であった。
「へぇ……アンタかい。それにしてもさぁ、馬の上からヒトに声かけるってのぁ、あんまりに不躾じゃあないかい?」
「……確かにな、これは失礼した」
男は馬から飛び降りて近藤に相対する。身の丈は彼の方がやや上か。腰には刀だけではなくS&Wの銃……土方が持ち帰ってホクホクしていた物と同種の銃を携帯していた。
「改めて問おう。近藤勇、貴様はここで何をしている」
「何って、オレぁ単に旅してるだけだぜ? このご時世、関所だってろくに機能しちゃいない。どこに行こうがオレの自由だろ? アンタだって京都に出入りしてたじゃねぇか」
一陣の風が吹く。人の通りの少ないこの山中の街道で、立ち止まるのは彼ら二人だけであった。いや、むしろ人の姿自体がほとんど見えはしない。
風がやんだ時。この場に誰かがいれば、あるいは二人が刀を交えたかのように見えたかもしれない。互いに尋常ではない殺気を放ちながらなお、二人は立ち話を続けていた。
「貴様一人なら好都合……近藤という旗頭を失えば新選組は自ずと瓦解するだろう。そうは思わないか?」
「残念でした。オレぁただのお飾りでね。いなくったってちゃあんとやっていけるんだよ。新選組にはまだ、歳がいる。宗もいる。幹部達がいる。それに、オレだってそう簡単にやられるようなタマじゃあないぜ。何なら試してみるかい?」
近藤は刀の柄に手をかける。対して男は微動だにせず、ただ近藤の言葉に出てきた一人の男の名を聞き止めた。
「土方歳三……噂は聞いている。あれが新選組の幹部というのもおかしな話だ。俺の下に来ればもっとその才を役立てることもできるだろう。なぜ貴様があれを飼っている。奴の思想はむしろ、俺達の方に近い筈だ」
長州征伐の際に身の危険を顧みず救ってもらった恩人、野村望東尼から聞いた内容を、男は思い返す。
異国をそう簡単に追払う事など出来はしないということを、男は身を持って知っていた。その考えとまったく同じ、国力増強とそれによる異国排除。日ノ本の国を守る為にはそれしかないという事を、土方という男も同様に考えている……そう、手紙で伝え聞いていた。尤も、聞いた限りでは土方の考えでだと生温い。血を流してこそ革命、悪しき慣習を打ち破るためには相応の犠牲が必要であると、男は考えていたのだが。
それにしても、新選組の思想などよりはるかに自分と通じ合うものがある。そう、感じていた。
「残念ながらねぇ、トシはトシだ。譲ったりなんかしねえよ。アイツが望んでオレの元を去るっていうんならともかくな、アイツはモノでも家畜でもねぇんだ。自分で考えて行動するさ。長州がいいってんならアイツはとっくの昔にアンタんとこに居るだろうよ」
近藤は知っている。土方は何よりも争いを好まない事を。
近藤は知っている。土方と長州が相容れる事のない、それこそが最大の要因であると。
近藤は知っている。土方は誰よりも己を憂い、だからこそ同様に同等に国を憂いている事を。
近藤は知っている。土方は、絶対に自分を裏切らないという事を。
近藤は知っている。だからこそ、彼の期待に応えるべく己も動かねばならないという事を。
「オレはアンタなんかより歳のことをよぉーく知っているんでね。アンタの考え方じゃアイツを手懐ける事は絶対にできねぇよ。池田屋の一件を思い返してみな。誰よりもあの陰謀を滅したいと思っていたのは、アイツなんだぜ?」
男もやがて気づいた。彼のその甘さこそが、彼と自分を分ける絶対的な境界線を敷いているのだと。己の方が国を憂う気持ちで勝っているとは言わない、劣っているとも思わない。ただ、違っている……それだけのこと。
「京でも評判の壬生狼の中に、あんな平和ボケした人間が居るということ自体が、俺にとっては驚愕に値したのでな。貴様が奴をどう評しているかは知らんが、奴と同じ事を考えているのならば、果たしていつまでそんな戯言を言っていられるかどうか……見せてもらうとしよう。歴史は確実に動いている。貴様等にそれを止める事が出来るのかをな。土方歳三にも、よろしく伝えておいてくれ。良くも悪くも俺は貴様に興味を持っている、とな」
男は軽く馬にまたがり、颯爽と去っていった。近藤は彼から見れば明らかに不審人物であり、要注意人物だ。この場で殺されてもなんら不思議ではない。だが、彼はそうしなかった。近藤、土方、新選組……彼らもまた己と同じように歴史を動かす歯車の一部であると、男は無意識の内に感じていたのかもしれない。
「よぉーっく理解しましたよ、高杉サン。オレらは別に、歴史を止めようなんて微塵も思っちゃいねーけどな」
近藤自身の思想はいまだ明確に定められたわけではない。ただ、武士として生きたいと思う一念が、幕府に認められたことで報いられた、そう考えている。幕府に、将軍に恩を返す、それこそが己の貫くべき武士の心意気であると。
もしかしたら、やがて土方とは袂を分かつことになるかもしれない……そう思い近藤は、僅かな寂しさを覚えたのであった。
日本一周したい。