第五話
元治二年。新選組は平穏無事に何事もなく一年を過ごしていた。事件といえば、隊の人数がどんどん増えていったせいで温厚なヤギさんがさすがにキレはじめたので、ちょっくらとあるお寺の坊さんどもを脅して屯所を移転したくらいだ。
あとは、近藤さんが江戸ぶらり旅で仲良くなったお医者の先生がわざわざ俺達を訪ねてきてくれた。なんか有名な先生らしいけど、俺から見るとただの変人。何で変な人が多いのかね俺の周辺は。普通の人っぽい斎藤あたりと一緒にいるとやけに落ち着くよ。一緒にお茶でも飲もうか。
「土方くん、ちゅおーっといいかネ?」
はいはい、変人医者の松本良順先生に呼ばれて飛び出て以下略。
松本先生ってまだ年齢は三十そこそこらしいんだけど、実は将軍様の病気診たりするくらい偉い人なんだって。ただの変なオッサンにしか見えんけど。
「こらこら、変なオッサンは余計じゃヨ」
やべっ声に出てた! けれど松本先生は優しいお医者様なので、かんらかんらと笑うだけで別に怒ってはいなかった。これが近藤さんだったりした日にゃ首絞められてますよ。
「そんなことはどうでもよくてだネ、まず、屯所汚すぎだヨ。もうちっと綺麗にしとかんと、それだけで病気が蔓延する元になるからネ。ほら、破傷風だって馬鹿にならないしネ」
そうですね、それには俺もうすうす気付いてました。どうしてもヤローばっかの集団はそういうトコ手を抜いちゃうんですよね。今後気をつけます。掃除当番決めて交代でさせる上に、毎月一回掃除大会も行うことにしよう。賞品付きでな。
「それからネ、食事についてはきちんと食べさせてるようなので問題ないヨ。以前はひどかったらしいネ、近藤くんがブツブツ文句言ってたヨ。身体が資本なんだから、そこはけちっちゃいかんヨ」
はいそれは理解しています。今は鶏肉やら魚やら、たまに奮発してウナギやら、精のつくものをしっかりがっつり食わせるようにしています。
「あと、島原遊びはほどほどにしておくようにネ。何人か梅毒の患者がいたから隔離しておいたヨ」
島原はあれだろう男のロマンだろう。女郎さんがたとイチャイチャハァハァすることまで取り上げたら多分暴動起こるんじゃないかな。仁先生がペニシリン持ってこの時代にきてくれんだろーか。
まぁ、確かに梅毒はシャレにならんし、何とか善処しますヨ。やっべ口調がうつった!
「それと……」
む? 急に声を潜めないでください先生。いい年こいたオッサン同士のひそひそ話は気色悪いです。
「沖田くん……おとなしくさせとかんといかんヨ。ありゃ肺を患っとる。あんまり無理させたら先は長くないネ」
肺? ……山南さんと同じか、もしかして。
「もしかして結核……ええと、労咳ですか?」
「ム、よく気付いたネ。まだ咳もそんなに目立ってはおらんのに。だがあれは間違いないヨ、痰を調べたからネ」
宗次の結核も歴史どおり……か。知っててもどうにもできないってほんと、せつねーなぁ。
「治す方法はあるんですか?」
「今んとこは不治の病じゃネ。いずれ特効薬が出来るかもしれんが、それまで生き長らえにゃー意味の無いことじゃヨ。ゆっくりじっくり安静に、が、唯一にして一番の薬じゃヨ」
「このことは本人には?」
「言っとらんヨ。伝えるかどうかは君に任せようかネ、まだ近藤くんにも言っとらん」
何で皆して内緒ごとを俺のところに持ち込んでくるのかなぁ……実質俺が隊を仕切ってるからか? まぁいいけどさ、パニックになるよかね、マシだろうと。
「あ、宗次を隔離しておかなくて大丈夫なんですか?」
「ウン、咳が直接他人にあたり続けるような寝方さえしてなきゃまず大丈夫じゃヨ。沖田くんは個室で寝ているんダロ? それならひとまず問題は無いネ」
山南さんから感染したのかな……そういや一時期、ずっと山南さんの看病してたもんな、アイツ。
隊内で感染が広がったらヤバイからな、一応気をつけておかないと。でも、ま、先生が大丈夫だってんなら大丈夫なんだろ。だといいな。
「そんなところかナ。あとはとにかく清潔だネ。面倒かもしれんけど、掃除と洗濯はまめにせにゃいかんヨ」
「肝に銘じておきます。お忙しい中わざわざご足労いただいて、本当にありがとうございました」
「いやいや、わしゃ近藤くんのことが気に入ったんでナ。土方くん、君のことも気に入ったヨ。何かあったらいつでもわしんとこに来なさい。出来る限り力になるヨ」
「ありがとうございます」
一通りの診察したり文句つけたり廊下を磨いたりして、松本先生は帰っていった。
……さてと。
俺様年表が確かなら、ここからが俺の動く時だ。元治二年……慶応元年!
新選組のことは近藤さんや組長どもにお任せして、俺は一人で旅に出た。脱走じゃないし、世を儚んだわけでも無いよ。ちゃんと目的があって旅に出たとです。
本当はできるだけ金を使いたくなかったから徒歩で行くつもりだったんだけど、それだと時間がかかるってのもあるし、何より、千両箱って相当重いんですよ……。なので適度に駕籠を使って目的地へと向かう。
俺の出方によっては命を落とすかもしれない……近藤さんには置手紙で『今年中に帰らなかったら俺は亡き者と思ってくれ』と伝えてきた。俺の覚悟見せちゃるぜ、山南さん!
えー、そんなこんなで道中すっ飛ばして、俺は今、九州にいる。キューシュー。馬鹿とか言うな。
旅費で金が結構減ってしまった、切ない。だが気にしない! まだ七百両はあるからな、俺のケチケチ生活で貯めた金が!
駕籠屋の兄ちゃん達には重いと文句言われまくった。仕方ないじゃんよ、それも仕事のうちだろうが。
でもようやくたどり着いたぜ、キューシューに! こっちではそんなに俺の顔が割れてないのが幸いした。割れてたら今頃とっ捕まってるかなぁ。それだけは避けたい。
で、九州も割りと広いわけですが。俺が今どこにいるかというと……長崎におるとです。俺様年表によると、ちょうど今くらいの時期なんだよねー。あの人がここにやってきて、会社を設立するとですよ、脱藩を許されてシャッチョさんになるあの人が!
「あのー、社長さんにお会いしたいんですが。商売の話です。坂本さん……あ、才谷さんかもしれませんけど……お会いできますかね?」
意外と早くに、面会が叶った。あれか、やっぱ千両箱をチラ見せしたのが効いたか。そーそー、商社にとってお客様は神様だからねー。
「わしゃあ商売の話ち聞いて来たんじゃが……なしておんしがこがぁな所におるんなが?」
おおーリアル土佐弁! さっぱり意味がわかんねぇ! 大河でフク○マが演じてたあの男と、俺今面と向かって話しちゃってるよ! でも実物はあんなに目がぱっちりしてないよ!
「俺のことご存知でしたか。ま、京都にいたことがありゃ知っててもおかしく無いか。でも、今日は本当に商売の話を持ってきたんですよ、坂本さん」
写真で残っているとおりの男、坂本竜馬に向かって、俺はにっと笑う。この男は敵じゃない。あ、もちろん味方でも無いけど。……でも、出来るだけ早く面識を持っておいた方が何かと得だと思ったのも、今回の旅の理由のひとつでもある。
「かっかっ、まっこと勇気のある御仁じゃ。もしも長州やらの人間と鉢合わせしちょったらどがするつもりやったんじゃ?」
「全力で逃げる気マンマンでした」
大爆笑された。いける、この人いい人そうだ! ……というか、意外と単純そうだ。
「なるほど。じゃあまずは商売の方の話について聞かせてもらおうかのう。うちのモンが千両箱見せられたち興奮しとったが……おんしの目的もアレか、鉄砲かえ?」
「はい、これで買えるだけの洋式銃と弾をお願いします。あと個人的にS&Wの銃も欲しいです」
あ、坂本さんの目の色が変わった。
「おんしゃあよう知っちゅうな! ありゃあ今までの日本にゃ無かった連発銃ぜよ! 何しろ小さいのもええし、いちいち弾を込めんでも六発までは続けて撃てるちゅうんが実にえい!」
「ええ、で、俺もぜひそれが欲しいなぁ、と……」
くんくん。くんくんくん。とても香ばしいニオイが漂ってきていますが、この香りはもしかして……。
「……坂本さん、この香り、もしかしてコーヒーじゃないですか?」
おお、更に目の色が変わったっつーか、なんかキラキラしてる。まるで新しいオモチャを買ってもらった子供のような目だ。
「なんと、この香りがわかるなが! こりゃあ驚いた。新選組は攘夷派が多数を占めとると聞いちょったが、まっさかそこの副長がこがぁに西洋のことに詳しいとは思わんかったぜよ」
西洋って言うか、まぁ……未来なんですけどね……。この人なら、もし俺が未来から来ましたッつってもウキウキと話聞いてくれそうだな。
「コーヒーなんてもう長いこと飲んでいませんから……よろしければ」
「おお、わかっちゅうわかっちゅう。おんしに出すつもりで淹れさせたんじゃ」
出てきたのは、湯飲みに入ったコーヒーだった。随分と、シュールだ。
「すまんのう、本来ならかっぷで出したいところじゃが、この間割ってしもうてのう……」
「いえいえ気にしませんよ。いただきます」
本当に久しぶりのコーヒーの香りだ。まさかこの時代で飲めるなんて、夢にも思わなかった……。
そして、口に含んだコーヒーを思いっきり坂本さんの顔に向かって噴出したのは、けして俺のせいじゃない!
「うぇっぷ、きちゃないのう」
「なんっじゃこりゃあ! こんなんコーヒーじゃねぇ!」
「ん?」
「アンタ豆を煎るの通り越して焦がしやがったな! なんてもったいないことするんだ! この自称コーヒー通の俺様はこんなコーヒー断じて認めん、認めんぞぉ!!」
無理言って見せてもらった豆は、やっぱりコンガリどころか真っ黒の炭みたいな無残な状態だった。も、もったいない。
「生豆持ってこいや! この俺が真実の焙煎というものを見せてやる!」
金網のカゴに生の豆を入れて煎る! ひたすら煎る! 手は休めずにとにかく煎る! パチパチと音がしてきたらもうすぐだよの合図! 色が変わって、豆がふっくりしてきたら頃合だ。火からおろして冷風で熱を取る!
俺が怒涛の焙煎講座をしている間、坂本さんはポカーンとその様子を見つめていた。しまった、やりすぎたか。だがまあいい、気にしたところで今更どうしようもない。
「ミル持ってきてくれ!」
「みる?」
「豆をコナゴナにする機械だよ! 煎りたての豆を挽くと香りが違うんだぜ? その分だけ味わいはあっさり目になるけど、普段コーヒー飲まない日本人にゃこっちのがいいだろ」
坂本さんが慌ててミルを持ってきた。触っても熱くないくらいまで冷ました豆をその中に放り込み、ごーりごーりと挽きます挽きます。よし、いい香り!!
「さぁ淹れるぞ。坂本さん、俺が本当のコーヒーをご馳走してやるぜ!」
粉を入れるのは七分ほどに抑える。一杯まで入れたら溢れちゃうからな。で、最初はゆっくりと回すようにしてお湯を注ぎ、こんもりと豆が膨らむまでしばし待つ! そしてだんだんと中央部分が凹んでくるので、そしたらさらにお湯を足す! それをひたすら繰り返すのだ。よしよし、いい色のコーヒーが入ったぞ!
それを一口飲んだ坂本さんは、驚きと感激の表情をまぜこぜにして、全開でうれしそうな笑顔を見せてくれた。うむ、その顔が見たかったのだ。
「おお……コーヒーちゃ焦がした豆じゃからああいう味なのだとばかり思うておったが……確かに苦味はあるがこりゃ美味い! おんし、なかなかのてだれじゃのう!」
コーヒーについてはコダワリがあるとですよ! あ、そうそう。挽いた豆はすぐに飲まないと味も香りも劣化しちゃうからね。豆のまましばらく置いといたらまた違う味わいになるから、それも試してみるといいよ。しっかし、コレいい豆だな。さすが輸入会社はダテじゃないってことか。
「気に入った! 気に入ったぜよ土方くん! おんしにゃあ、このわしが腕によりをかけて、良い銃器を片っ端から仕入れて、責任を持って京のおんしの所まで送り届けるぜよ!」
いやいやいや、アンタがウチに出入りするのはどう考えてもヤバイでしょ……。あらかじめ引き渡し場所を決めておいて、そこで受け取りますよ……。
「はっはっ、そがな小さなことを気にするようじゃ、日の本の未来を変えることなんぞ到底できやせんぜよ!」
いや、大きなことでしょうがコレは! アンタに万が一のことがあったらこっちが困るんだよ! 幕府……新選組が生き残るための大事な命綱なんだから、アンタは。
「ところで坂本さん、アンタの考えを聞かせちゃくれないか? 日本の今後について……新選組はともかくとしてさ、俺個人の考えはアンタと近いものがあると思うんだ。おごるから、酒でも呑みながら」
「おお、大歓迎ぜよ!」
こうして俺は、偉人坂本竜馬……つったって、ナマミは普通の人間なのな。彼と懇親を深めたとでした。ふっふふ、歴史を変えてやるぜー!
コーヒー中毒なんですよぬ。おかげで不眠気味。