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『アナザーサイド……坂本竜馬暗殺』

 薩摩からの言伝という事で、伊東甲子太郎が二人を訪ねてきた。それによれば、新選組が彼らを付け狙っている為、できるならば土佐藩邸に身を寄せるべし、との事。だが、伝えた伊東本人がそれはまず有り得ないと断言したこともあり、彼らは引き続き近江屋に身を潜めていた。

 伊東には二つ隣の部屋に控えている三人のことは知らされず、ただ、中岡の言葉により、もし近々自分達に万が一の事があればそれはきっと新選組の仕業であろうと伝える程度に留まった。この時点で中岡はそれなりに新選組……というか土方以下数名を信用しており、わざわざ彼らが傍にいる事を伝えて無闇に事を荒立てる必要もないと考えたからだ。

 

 

 それから数日後。静かな夜だった。

 客は坂本と中岡が一部屋、新選組の警護三名が一部屋の計二部屋が使われているのみで、夜も更けた今は、宿の者を合わせても全部で十名にも満たない。

 人のいない近江屋で坂本と中岡は二人、酒を酌み交わしていた。


「いーつになったら襲撃されるんじゃろうかのう。今夜か? 明日か?」


「……なんか、気のせいじゃなければあんた、楽しそうにしてないか?」


「ほりゃそうじゃろう。人生の一大いべんとぜよ!」


 イベント、という単語に首を傾げつつ、中岡は杯をかたむける。坂本との会話で意味不明な単語が出てくることなど日常茶飯事であったし、今更聞き返すのも面倒だと、彼はそう思っていた。

 

「自分の命が狙われてるかもしれないってのに、よくそんなに飄々としていられるな」


 中岡は、襲撃云々のことは話半分に考えている。せいぜいどこかしらの自分達が気に食わない者が襲撃をかけるという情報を新選組が事前に掴み、坂本の知人である土方が念の為に部下を送り込んだと……。だが、坂本は確実に、土方の言葉を信用している。

 

「命運なんぞ尽きる時ゃ尽きる。わしがここで死ぬようなら、そこまでの男じゃったということじゃろ」

 

 坂本の目に恐怖の色は微塵も感じられない。そのようなものは、脱藩した時に丸ごと土佐の海へと捨ててきた。そういって笑う。

 

「まぁ、俺も似たようなもんだがな」

 

 襲撃の話はさておき、二人は今後の幕府のあり方について話を始めた。中岡は坂本に比べやや倒幕色が強く、どちらかといえば薩長寄りの思想を持っている。対して坂本は何よりも日本の国力が衰えることに懸念を抱き、出来得る限り穏便に改革を進めようと考えていた。二人の話はいつも平行線をたどり、議論の尽きる時は、大抵どちらかの酔いが回って眠ってしまうのが常であった。

 

「改革の為ならば多少の犠牲はやむをえんだろう、俺やあんたも含めてな」


「多少ですめばえいが、幕府を完全にこかしてしもうたら必ず恨み辛みが積み重なって新たなる火種を呼び起こす。幕府がすべて、と思っちゅう人間はこん時代でもまだまだ沢山おるぜよ」


「だからといって中途半端に幕府の権限を残してしまえば、新時代、真の平等な世界は築けない!」


 男達の議論は続く。

 

 

 

――数刻前。京都見廻組に一つの知らせが届く。


『坂本竜馬・中岡慎太郎両名が近江屋に潜伏している』

 

 前年の寺田屋事件において坂本を取り逃がしたばかりか、彼に仲間二名を射殺されている。

 町人の間では寺田屋事件の事も広まっており、表立って言う者こそいなかったものの京都見廻組の威信は地に落ちていた。元々旗本・御家人といった武家の人間で構成されている京都見廻組にとって、これほど屈辱的なことは無いだろう。

 また、もたらされた情報の中には『新選組の幹部が警護にあたっている』との内容もあり、これは鎧を着込んだ人物の目撃証言などもあり信憑性がある。幕府が坂本竜馬保護の方を向いていることはすでに承知の上であり、池田屋の件に引き続きまたしても新選組に先を越されたという怒りと相まって、彼らの思いは刃となり、幕府の考えと反し……坂本竜馬へと向かっていった。

 

 

 

 坂本と中岡の間に置かれている行灯の光がゆらゆらと部屋を照らす。いつのまにか襲撃の事など綺麗さっぱり忘れてしまった二人は、今も白熱した議論を交わし続けている。

 じじ……油の燃える音がひときわ大きく響く。どこからか舞い込んだ風が行灯の光をさらに激しく揺らした……その時だった。

 

「ぎゃああ!」


 階下より男の悲鳴があがる。それは二人の議論を中断させた。

 

「ほたえな!」

 

 坂本が叫び、続いて階段を上る足音が響く。尋常でない空気を察知した二人は立ち上がった。

 

「石川! わしの太刀はどこにある!!」


 石川が二人の刀を手に取ろうとした瞬間、部屋の襖が勢いよく破られた。


「坂本、中岡、覚悟!!」

 

 すでに廊下からは打ち合いの音が聞こえている。新選組の三人が悲鳴を聞いて廊下に出たのであろう。

 

「才谷さん! こっちゃ現状手一杯だ!」

 

 原田の叫びが坂本の耳に届く。少なくとも、目の前にいる三名は自分達で何とかせねばならない……坂本と中岡は覚悟を決めた。

 

 襖を切り裂いた男が坂本に斬りかかる。防ぐものを何も持たぬ坂本は、かろうじてそれをかわすと中岡の傍にある己の刀に目をやった。その手前では中岡が二人を相手に剣を交えており、とても手を伸ばせるような状況ではない。坂本は一旦刀を諦め、行灯を相手に向かって蹴りつける。少しでも時間をかせいで、隙を見て武器を手にしなくては。

 銃は今、彼の手元にはない。諸々の荷物とともに部屋の端へと寄せていた。だがそれを後悔する余裕などなく、振り下ろされる刀を必死で避け続ける。


 一方、廊下側の三人も苦戦を強いられていた。廊下に出た途端に谷が、すでに抜刀していた敵に斬りつけられたのだ。

 原田は鞘を放るように投げ捨てて応戦する。大石もともに戦ってはいるが、此方は二人、相手方は四人。さらに三人は坂本たちのいる部屋へと行かせてしまった。少なくともここにいる人間だけは自分達で片付けねばならない。しかもできるだけ急いで……。

 

「原田さん、殺っていいですか!?」


「待て、こいつらぁ幕府方だ、できるだけ殺さずに退かせろ!! 無理そうなら叩っ斬ってやれ!!」


 谷は倒れて使い物にならない。原田は相手の撃を弾くと返す刀でもう一人を逆袈裟に斬り上げる。


「ぐあっ!」


 まず一人。

 

「おめーらとっとと引き返しやがれ! 幕府の意向を知らねぇ訳じゃねーんだろ!!」


「煩いっ! 貴様らごとき似非侍に我らの気持ちがわかるかぁっ!」


「ちっ、長槍さえ使えりゃこんな奴らの五人や十人、屁でもねーってのによぉ!」


 原田は大石を見る。彼も一人を打ち倒したところだった。

 

「大石! ここは任せていいか!?」


「大丈夫です、早くあちらへ向かってください!!」


 原田は全力で坂本たちのいる部屋へと向かう。それを追おうとした敵に、大石は背中から斬り付けた。


「お前らにあの人は殺らせない!!」



 原田が部屋に入った刹那、見たものは。

 

「坂本さんっ!?」


 しつこい剣をかわし損ねた坂本の額に、刀が打ち込まれる瞬間だった。

 

「……っやろオ!!」


 左手に持った小型の手槍を、坂本を襲った刺客の肩口に突き立てる。けれどそれで止まることはなく、兇刃は続いて坂本の胸を貫いた。

 

「が……はっ……」


 坂本の口から鮮やかな赤い血が溢れる。おそらく肺が傷付けられたのだろう。言葉を紡ごうとするが声にならず、ごぼりとさらに鮮血が舞った。

 

「才谷さんっ!」


 原田は槍を引き抜いて相手を叩き伏し、うつぶせに倒れた敵の傷口めがけて蹴りつける。

 

「ぐあっ」


 鈍い音が聞こえた。全体重を乗せた一撃は敵の肩を砕く。




 中岡は二人を相手に苦戦をし、体中に刀傷を負っていた。


「才谷さんっ!」


 原田の叫び声に振り向いたその隙が致命傷となった。かわした筈の切っ先がまぶたを斬り眼球を傷付ける。ちょうど死角となった位置にもう一人の敵がいた。わき腹を抉る様に刀が走る。膝を突いた中岡の目には、もはや何も映らない状態となっていた。

 

「坂本・中岡をとったぞ! もうここに用は無い、退け!!」

 

 誰かの言葉を皮切りに、彼らは撤退していく。追おうとした原田を、大石が止めた。

 

「騒ぎを聞きつけて薩摩と土佐が近付いています!」


「バカ野郎! あいつらとっ捕まえて縛りあげにゃ俺らがやったと思われるだろうがっ!」


「……そん心配は……ない、ぜよ」


 蚊の鳴くような声だが、確かに彼らの耳には届いた。坂本はまだ生きている!


「坂本さんっ!」


 呼ばれ坂本はうっすらと目を開く。焦点があってはいないが、とにかくも彼の命はまだこの現し世に留まっていた。


「……わしが……何とかする……おんしらは早よう逃げ……とおせ……」


「あんたら放って行けるかよ! 大石、中岡さんは!?」


 中岡の状態を調べている大石が歓喜の声を上げた。


「意識は無いですが生きています!」


「よし、とっとと医者に運ぶぞ!」


「不要じゃ!」


 坂本は叫ぶ。同時にさらに、胸と口から血が溢れた。

 

「おんしらがおったら……薩摩への説明がややこしゅうなる……わしと中岡で誤解はといておくきに……はよう……」


 原田は頭を抱えた。どうすればいい、この重傷の二人を放り出して逃げるのか? ……だが、こちらにも谷という負傷者が出ている。すぐにも土佐と薩摩はここに来るだろう。奴らに任せるべきか……。

 

「大石、撤退する! 谷を連れて先に行け!」


「原田さんは!?」


「おりゃあお前らが無事に出たのを見届けてから逃げる、いいから早く行け!!」


 大石は言われるがまま、谷を担ぎ近江屋を出た。深夜ということもあり、まだ幸いあたりにそれほどの人間が集まっている様子は無い。人一人を抱えているとは思えぬ速さで、大石は屯所に向かって駆けた。



「原田……くん……」


 坂本の言葉はか細く、耳を欹てねば聞き取ることもままならない。

 

「何だ?」


「土方君に……伝えとおせ……おんしは悪うない……と……」


 そのまま、坂本は動かなくなった。

 

「……っ畜生!」


 原田も大石のあとを追う。どうか二人が無事であることだけを祈りながら。

 やがて、近江屋には薩摩と土佐の増援が駆けつけたが、そこには店の者の死体と、生死の境をさまよう坂本、中岡だけが残されていた。

 

「……これは?」


 薩摩志士の一人が拾い上げた物。それは、原田が投げ捨てたまま放置していた、刀の鞘であった。


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